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エダがどうしても水浴びをするというので、レカンは一度シーラの家に行った。
「来るなって言わなかったかい」
「そういえばそうだったな。すまん。忘れてた」
「まあ、いいさ。まだ休みには入らないで、資料や手紙を整理してたからね。それで、何か用かい」
「領主がオレとエダを金級冒険者に推薦したいそうだ」
「へえ。そりゃいい。受けとくんだね」
「エダは金級に昇格するのがいいと思うが、オレは断ろうと思う」
「どうしてだい?」
「縛られるのはいやだ。それに領主は、〈ハルトの短剣〉を買いたいと言ったそうだ。つまらん義理を作って短剣を売らねばならんようになっても困る」
「ちょっと待ちな。今、茶を淹れるから」
シーラは、棚の最上段から特上の茶葉を降ろして茶を淹れた。
いい香りが部屋に満ちた。
「レカン」
「ああ」
「あんたの強さは研ぎ澄まされた刃物の強さだね。鋭く尖ったとげの強さだ。近くに踏み込んでくる者は誰でも刺してしまう。仲間と認めたやつ以外はね」
「そうだな」
「それは、もろい強さだよ」
「なに」
「考えてもごらんよ。尖ってるものは折れやすい。鋭い刃はこぼれやすい。あんたがそうさ」
「オレにどうしろというんだ」
「剛剣になんな」
「剛剣?」
「巌をたたき斬っても刃こぼれしない、そんな剣におなり」
「どうすれば、そうなれる?」
「そうさねえ。まずは、強いものの弱さを知ることかねえ」
「何のことかわからん」
「あんた、領主は強いと思うかい?」
「強いだろう。金と部下と権力を持っている。身分もだな」
「そうともいえるね。だけど領主は、町で一番弱い存在でもある」
「なに?」
「守らなきゃならないものが多いからさ。町の経済と繁栄と平和。貴族と平民。商人と職人と農民と冒険者。そうした全部を守らなきゃならない。町の一部が滅びたら、それは領主の一部が滅びるということなんだからね」
「この町にも、恵まれない者はいる」
「あんたはそれをもって領主を責めるのかい。領主は八を生かすために二を殺さなきゃならないこともある。全体の立ち行きのために、一部をみすてなきゃならないこともある。だけど、全体を繁栄させていけば、いずれはみんなが幸せになる。それが領主の立場ってもんさ」
「そんな領主が本当にいるのか?」
「あたしは立場の話をしてる。ただし、この町の領主はなかなかよくやってると思うよ」
「息子は馬鹿者だがな」
「それだよ」
「どれだ」
「その、あんたが人をみるみかただよ」
「それがどうした」
「あんたが人を薄っぺらなやつだと思うそのとき、それは相手が本当に薄っぺらなのかもしれないし、その相手をみるあんたのみかたが薄っぺらなのかもしれない」
「オレの、みかた?」
「あたしは、あのぼうやはなかなかだと思ってる」
「どこをみればそう思えるんだ?」
「あたしに言わせてどうするんだい。それを自分でみつけるのが、あんたが剛剣になる道なんだよ。自分の歩く道を人に歩いてもらうことはできないんだ」
口ではシーラに太刀打ちできない。だがそれにしても、シーラが領主の息子を評価する以上、あの息子にはレカンの知らない美点があるのだ。
「領主は弱い。だけどその弱さは、弱い弱さじゃなくて、強い弱さなんだ」
「強い弱さ?」
「そうさ」
「あんたの言うことが、オレには理解できん」
「すぐにはわからないだろうさ。わかったら、もう剛剣になりかかってる」
「結局オレはどうすればいいんだ。金級を受ければいいのか?」
「それは自分で決めな。そうさねえ、これから領主に会いに行くんだったねえ。譲れるところは全部譲っておしまいな」
「なに?」
「冒険者としての自由を奪われたり、あんたが大事にしてるものを取り上げられそうになったら、それは受け入れちゃだめだ。短剣も売る必要はないよ。だけど、そうじゃない部分については、領主の顔を立ててやんな」
「顔を立てる?」
「不思議そうな顔をして言うんじゃないよ」
「それがオレを縛るものだとしてもか?」
「それをみきわめる力をつけなって言ってるんだよ。そうすりゃあ、それはあんたを縛る鎖じゃなく、あんたを守る鎧になるかもしれない。身に降りかかるものを全部斬り捨てていたら、素っ裸で生きていくことになる」
レカンにはよくわからなかった。
冒険者であるということは、常に裸であることではないのか。
何も持たないかわり、何にも縛られない。
その自由さこそが冒険者の特権ではないのか。
だが、シーラが嘘や無駄事を言うとは思えない。
シーラは、レカンが生まれてはじめて出会った師と呼ぶべき存在だ。
たとえ人ならざる怪物であっても。
そのシーラの言葉をむげにはできなかった。
「あんたの言う通り、譲れるところは譲ってみる。あとでまた報告に来る」
「だから来るなって言ってるだろ」