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狼は眠らない  作者: 支援BIS
間話1
176/702

ヴィシュルシャプタの風

「あなた。晩餐のしたくが、もうすぐできます」

「ああ、そうか。準備ができたらお呼びしよう」

「でも、本当に、あり合わせのものしかなくて」

「それでよいと、あのかたがおっしゃったではないか」

「それにしても、もう少し準備の時間があればと、厨頭も申しておりました」

「はは。あのかたは、最高の贅沢に慣れておられるだろう。むしろ田舎の素朴な料理を喜んでくださるさ」

「まあ! わが家の料理を田舎料理とおっしゃるの」

「田舎ならではの魚や野菜の味を、味わっていただけばよいのだ」

「きっと舌が肥えておられるわ」

「おやおや。あのかたが、いと高きご身分のかただということは、もう疑わないのだね」

「それをおっしゃらないで。だってお供もつれず、ご自身で荷馬車を引いて、埃まみれの、それも鎧姿でおみえだったのですもの。まさかラインザッツ家のご令嬢とは思わないわ」

「だが、あの鎧も剣も、それだけでこの屋敷が買えるほどの品だ。それに荷馬車の荷物たるや」

「そうよ! ニーナエ迷宮の迷宮主の頭と脚。王国騎士団の精鋭でも、簡単には得られない秘宝だわ! それをあの可憐な姫様が」

「可憐ときたか」

「そういえばあなたはごらんになっていないのね。湯浴みを済まされた姫様のお姿を。最上級の貴布のようななめらかなお肌が上気したごふぜい。つややかなおぐし。それに宝玉のような瞳。もう侍女たちも、すっかりあのおかたのとりこですのよ」

「ほう。それは晩餐がますます楽しみな」

「鎧姿もりりしくていらしたけど、着替えてからのお姿ときたら」

「騎士となられたのだから、剣の腕もお立ちになるにちがいないが、歌舞音曲の道もたしなまれるようだ。先ほど、シェトラダはないかとご所望であったそうな」

「まあ、それは知りませんでしたわ。それにしても、迷宮を踏破なさるについては、屈強の配下のかたがたがいらしたにちがいないのに、そのかたがたはどうなさったのでしょう。姫様をお一人で放り出すなど、許されることではありませんわ」

「私もそのことはお訊きしてみたのだ。だがそのとき、何とも悲しいお顔をなさった。何かよほどに深いご事情がおありなのだよ」

「そうなのね。そうなのでしょうね。でも本当に、よくぞわが家をお頼りくださったこと」

「息子が王国騎士団の団長副官をしているということを、こんなにありがたく思ったことはないね」

「本当だわ。あの子ったら、気が利かないくせに、ちゃんとお姫様のご信頼をいただいているのね。もしかして、ひょっとしたら」

「こらこら。分不相応なことを考えてはならん。わが家とラインザッツ侯爵家では、家格があまりにもちがう。幸せなことにはならん」

「そうね。もちろんそうですわ」

「わしは次の参内が楽しみでならん」

「あら、どうしてかしら」

「考えてもみよ。もちろんラインザッツ侯爵と直接お会いするような機会はない。しかし、宰相閣下とは、必ずお会いするんだよ」

「まあ」

「そのとき閣下は、何とおっしゃるかな。そうだとも。姪が世話になってすまんなと、そのようにおっしゃるにちがいない」

「なんてことでしょう」

「こんな名誉なことはない。そして、わしが宰相閣下に何か貸しがあるらしいという噂は、すぐに広まる。そうすれば、商人たちの態度も変わるだろう。ははは。本当に楽しみだ」

「あら」

「おや。シェトラダの音だ」

「歌よ! お歌いになっておられるわ」

「なんと澄んだ美しい響きだ」



風の音を聞こうよ

風の音を聞こうよ

去ってしまったあの人の

去ってしまったあの人の

声を届けてくれるから

声を届けてくれるから


岩の道を

砂漠の道を

雨にうたれ

ひでりに乾き

あの人は今どこにいる


雄々しい旅を

出会いの旅を

傷つき倒れ

起き上がり

今も続けているだろうか


ヴィシュルシャプタの葉を揺らして

異国の風が吹いてくる

かすかに風が吹いてくる

あの人の声を運んでくる


別離を告げたのは私

その手を放したのは私

けれどもけれどもあの人は

ついてこいとは言わなかった

ともに生きようとは言わなかった


風よ

風よ

はるかな国から吹く風よ

私はお前を知っている

お前の生まれを知っている


あの人と私がともに歩み

けわしき道を乗り越えて

奇跡の朝を迎えたときに

お前はこの世に生まれたのだ


けれど思い出の日はもう遠い

思い出の場所からはもう遠い

日月は夢と過ぎ去って

その場所はすでに閉ざされた


だからせめて歌に乗せ

心ちぎれるせつなさを

風よ

風よ

届けるのだ


風の音を聞こうよ

風の音を聞こうよ

あの人を想うこの胸の

あの人を想うこの胸の

高鳴りを風は知っている

高鳴りを風は知っている



「〈ヴィシュルシャプタの風〉か。歌詞が少しちがうような気もするが」

「これが今王都ではやっている歌詞なのでしょうね。なんて奇麗なお声」

「本当に文武にたぐいまれな才をお持ちのかたなのだな」

「ねえ、あなた。せめてもう一晩お泊まりいただくわけにはいかないのかしら。そしたら甥たちを呼び寄せて」

「お前。一日も早く王都に帰還したい。あのかたははっきりそうおっしゃったのだ。お引き留めなどすれば、ご勘気にふれるよ」

「旦那様、奥様。晩餐の用意が調いました」

「そうか。ではヘレス・ラインザッツ姫にお声をかけさせていただきなさい」


「間話1 ヴィシュルシャプタの風」完/次回「第19話 銀狼討伐」

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[良い点] この詩は何か参考にしたものがあったんですかね? 一からこんな雰囲気のあるものを書けるなんて作詞の経験が…?
[良い点] 美しい詩です 作者の力量を感ずる
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