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25
「では、ここで別れよう」
ここからレカンたちは、北に進む。
ヘレスは、南だ。
南に少し行ったところにビゴーという町があり、そこの領主の息子とは知己なのだそうだ。ビゴーの領主に、自分と女王種の頭と足を、王都に送り届けてくれる手配を頼むという。
「レカン殿」
ヘレスが振り返った。
激戦のあとをかすかに残した、その鎧姿は美しい。
聖硬銀の剣は、女王種のはぎ取りが終わったときさっさと取り返したので、今、腰に収まっているのは、王都から持ってきたという剣だ。
名工の手になるであろうそのこしらえは上品で緻密で、一目で値打ち物とわかる。
なるほど、あらためて迷宮の外でみれば、これは高位の貴族家の娘だと、誰がみてもわかる。
ヘレスはレカンに歩み寄り、右手の手のひらをそっと差し伸べた。
手のひらはおずおずと持ち上げられ、レカンの左胸に、そっと置かれた。
その温かさを味わうかのように。
そしてヘレスは自らの左胸を、左手で包んだ。
心臓と心臓をつなぐ、このしぐさが、いったい何を意味するのか、レカンは知らない。ただ、レカンの顔をまっすぐにみあげるヘレスの瞳が、みたこともないほど透き通っているのを、やさしい気持ちでみつめた。
アリオスとエダは、ひと言も発さずに、別れの儀式をみている。
あまりにちがう、この野獣のような男と高貴な女騎士が人生を交差させる偶然は、もう二度と起こらないだろう。
長い時間のあと、ヘレスはレカンをみつめたまま手を離し、思い出したように口を開いた。
「そういえば、あのふらちな男が、レカン殿をわずらわせようとするかもしれぬ」
「誰だ?」
「スノーだ」
「ああ、あれか」
「あの男は、プライエのパイザルン家の者だと名乗っていた。パイザルン家には父上を通じて手を回し、あの男が貴殿にいかなる迷惑をかけることもできぬよう、処理しておく」
「そうか。助かる」
ヘレスは右膝を地に着けてひざまずき、右手を胸に、左手を剣にあてて礼をした。
そして立ち上がり、別れのことばを告げた。
「さらばだ。レカン殿」
「元気でね。ヘレスさん」
「ありがとう。エダ殿。そしてアリオス殿。あなたたちと過ごした日々は、私の一生の宝物だ」
「ヘレスさん。お帰りになったら、お父上によろしくお伝えください」
「え? ああ」
「こんなすごいおみやげ持って帰ったら、みんなびっくりするよね」
「その通りだ。うふふふふ。これをみたときの叔父上の顔を想像すると。くっくっくっくっ」
「おじさん?」
「そうだ。叔父上は、私がかしこきかたに騎士としてお仕えするのに大反対でな。結婚相手を紹介するから結婚しろ、それがお前の幸せだなどと言い立てたのだ」
「そ、そうなんだ」
「どうしてもお仕えするなら、騎士ではなく侍女としてお仕えせよなどと言い、地位を悪用して、今回のこの無理な条件を突き付けてきたのだ。しかも叔父上が王都と有力都市の冒険者協会に手を回したため、高位の冒険者を雇うことができなかった」
「そんな事情だったんだね」
「だが私は奇跡を成し遂げた。レカン殿とあなたたちのおかげで。叔父上の決めた条件が叔父上を縛る。ぐうの音も出まい。はっはっはっはっはっ」
意気揚々と、ヘレスは去った。
その後ろ姿が丘の向こうに消えるのを、三人はみまもった。
「レカン殿」
「なんだ」
「あ、呼び方が〈殿〉に戻った」
「もしかしたら私たちは」
「うん?」
「ものすごくよけいなお世話をしてしまったんじゃないでしょうか」
「知らん」
26
〈ジャイラ〉からだという袋の一つには、六枚の白金貨が入っており、もう一つの袋には、首飾りが入っていた。
魔法使いヴェータが身に着けていた首飾りだ。
どんな恩寵がついているのか、あとで鑑定するのが楽しみだ。
(やっと帰れる)
レカンは、迷宮探索が好きだ。
強い敵と出会うのが好きで、強い敵と戦うのが好きで、強い敵に勝利するのが好きだ。そして、戦いのなかでおのれが強くなっていくことに、無上の喜びを覚えている。
とはいえ今回の迷宮探索は、いささか疲れた。
いろいろなことが起こりすぎた。
まずは、ぐっすり眠りたい。
家に落ち着いて、しばらくのんびり過ごしたい。
そこまで考えて、はっと気づいた。
(帰れる、だと?)
(家、だと?)
今までにもレカンは、短期間家を所有して住んだことはある。
しばらく一つの町を根拠地にして活動したこともある。
だが、それは、ただの拠点なのであって、いつでも代わりのきくものであり、いつ失ってもかまわないものであった。
ヴォーカは、どうか。
あの町は、悪くない。
領主は少々偏屈だが、能力と信念のある男であり、町の人々は、まずまず幸せに暮らしているといってよい。貧しい者や、理不尽さを感じている者もいるが、必要以上に虐げられているとはいえないように思われる。
神殿も、腐った部分もあるが、それなりの活動はしている。
冒険者協会は、なかなかのものだ。職員の質も悪くない。
チェイニー。
ノーマ。
依頼で会った人々。
そして、シーラ。
そうだ。あの町は、悪くない。
だからあの町に向かう足の運びは、こんなにも軽やかなのだ。
レカンは、二つの世界ではじめて、自分にふるさとのようなものができつつあることを、とまどいながらも受け入れることにした。
「あっ。ヴォーカの町がみえてきたよ! あたいたち、帰ってきたんだ!」
「そうだな。帰ってきたな」
「第18話 ニーナエ迷宮下層」完/次回「間話1 ヴィシュルシャプタの風」