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「では、ヘレス。迷宮の主について説明してくれ」
「わかった」
ヘレスは、迷宮の主である八目大蜘蛛の女王種について説明した。その説明は、おおむねジェイドから聞いた通りだったが、一つ足りない情報があった。
「おい。〈召喚〉のことも、一応話しておけ」
「召喚? レカン殿。それは何のことだ」
「女王種の特殊能力だ。一万もの斑蜘蛛を呼ぶという」
「はあ? そんなばかな。一万匹だと? もしもそんなことをされたら、戦いようなどない。いったいどこでそんなたわけた話を聞いたのだ」
「ジェイドから直接聞いた話だ」
「ジェイド殿は、若いころには何度も最下層を踏破した、伝説的な冒険者だ。あの人が嘘やまちがいを言うとは思えぬが」
「ただし、今生きてる冒険者のなかで、実際にみたやつはいない。つまり、女王がその能力を使うことは、めったにない」
「そうなのか? 何か特別な条件があるのだろうか」
「それはわからんな」
「わからんことを考えてもしかたあるまい」
「そうだな。だがみんな、そんな話があるということだけは覚えておいてくれ。さて、降りようか」
「うん!」
「はい」
「ふふ。ちょうど姫亀の二刻だな。いつも通りということか」
レカンたちは、階段を降りた。
異様に長い階段だった。
そして最下層に足を踏み入れた。
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そこは一面の砂漠だった。
ただただ砂地が広がっていた。
周辺では岩がせり上がり、その岩肌が壁となって、これまでの息苦しい階層が嘘のような、高い天井につながっている。
その砂漠の中央に、ぽつんと何かがある。
人間の肉眼ではみえないだろう。
だが、レカンの〈生命感知〉は捉えていた。
一匹の強大な魔物の存在を。
レカンは砂を力強く踏みしめ、その魔物に近づいていった。
近づくにつれ、その形がみえてくる。
砂の大地に突き出た岩と、その岩から突き出した少女の姿が。
ざっ、ざっ、ざっ、と音を立て、近づくごとに明らかになる。
おぞましくも美しき、その姿が。
腰から下は岩のなかに溶け込んでいる。
腰から上は薄衣一つまとわぬ、いたいけな少女だ。
年でいえば五歳か六歳というところだろうか。
両手を差し伸べている。
助けを求めるかのように。
いざなうかのように。
いとしい人を抱きしめようとするかのように。
父親に甘えてすがりつこうとするかのように。
そのこどもに似た何かは両手を差し伸べている。
両の目は縫い合わされたように閉じられていて、瞳の色はわからない。
こどもだ。
殺していいこどもだ。
あと百歩ほどに近づいたとき、レカンは走り始めた。
〈アゴストの剣〉を高々と振り上げ。
殺戮の喜びを顔に浮かべて。
走りながら気がついた。
砂しかないと思っていたが、少女の後ろには小さな茶色の石が無数に転がっている。
しかしそれは、〈生命感知〉には映らぬ、ただの石である。魔獣ではない。
そう思うまに、もはや標的までは指呼の間である。
戦慄すべき破壊力を帯びた剣を、レカンは振りおろした。
その大剣は魔獣の頭を斬り裂き。
喉を斬り裂き。
胸を斬り裂き。
腹を斬り裂いて。
その姿が生えている岩に深々と食い込んだ。
これが、〈ザナの守護石〉が全力を出した威力なのだ。
しかしレカンは気がついてしまった。
〈生命感知〉に映る強大な気配が、いささかも減じていないことを。
レカンの大剣に真っ二つに引き裂かれたそれは、目をみひらいた。
青い、青い、奈落のような闇の目を。
22
レカンは、こうした存在を知っている。
(ちっ。不死特性か)
迷宮で出会うボスクラスの魔獣のなかには、ある一定の条件を満たさないかぎり、決して殺すことのできないタイプのものがある。それは通常、〈不死特性〉と呼ばれる性質である。
では、ここ、ニーナエ迷宮の最下層の主を、殺せるようになる条件とは何か。
(たぶん変身だな)
(変身を解いてもとの魔獣の姿になったとき)
(こいつは殺せるようになるんだろう)
そう思いつつ、レカンは剣を引いた。
もはや宝玉は、その最大の恩寵を発することはない。あと一日のあいだは。
「なにっ」
レカンが驚いたのも無理はない。
つい今しがたまで、レカンの〈生命感知〉に映る青い点は、たった一つだけだった。
だが今や、無数の青い点が、女王の後ろに出現している。
青い点は〈生命感知〉の視界のなかで、しみのように広がり、階層の奧側を埋め尽くしてゆく。
海だ。
青色の海。
魔獣の海だ。
石であった茶色の何かが、もぞもぞと動き始めるのがわかった。
レカンは身をひるがえして全力で走り始めつつ、大声をあげた。
「逃げろ! 一万匹の魔獣が出るぞ!」
レカンのすぐ後ろにはアリオスが走り込んで来ている。
だいぶ遅れてヘレスが走ってきており。
その後方にはエダが止まっている。
アリオスは大量の砂を巻き上げつつ、方向の逆転を行った。
ヘレスも思い切りよく体を反転させた。
エダもくるりと振り返り、走り始めた。
レカンはすぐにヘレスもエダも追い抜いて、なおも加速した。
走って走って、ただ走った。
入り口がない。
これはもとの世界の迷宮では、よくお目にかかった構造だが、この世界でもあるらしい。
すなわち、ひとたび迷宮の主の部屋に侵入した者は、死ぬか、主を殺すまで、部屋から出られないのだ。
入り口があったはずの場所まで走り寄ったレカンは、〈収納〉から杖を取りだした。シーラから譲り受けた、大きな宝玉のついた杖である。
「オレが魔法を放つまで、蜘蛛どもを近づけるな!」
それだけを大きな声で命じると、レカンは右目を閉じて、瞑想に入った。
魔力よ。
魔力よ。
大いなる魔力よ。
わが呼びかけに応え、ここに集え。
わが腹に宿り、渦を巻き。
右腕を通り抜けて、杖に宿れ。
杖に宿りし魔力は旋回せよ。
旋回して合流の時を待て。
さあ、新たな魔力よ、湧き出でよ。
湧き出でて、丹田に収まり。
凝り固まりて威力を増し。
渦を描いてつながり合い。
杖に流れ込むがよい。
杖よ。
杖よ。
加速せよ。
わが魔力を加速せよ。
すべての祈りは一つとなり。
すべての破壊はわが手にある。
そして時至らばわれに告げよ。
解放の時をわれに告げよ。
もはや、そは遠からじ。
来たり。
来たり。
今こそ時は来たり。
すべてを蹂躙する天空の矢よ。
わが命に従い、大地を穿て。
「〈驟火〉!」
かっと右目を開き、レカンは杖に魔法の発動を命じた。
杖はレカンの意志を受け、殲滅の恐怖を空に放った。
迷宮の薄暗い空間に光の輝きが満ち、それは恐るべき殺戮の矢となって、砂の大地に降り注いだ。
レカンの周りを取り巻いて、エダはショートソードを振り、アリオスは剣を振り、ヘレスは盾と剣を駆使して、押し寄せる小さな魔獣たちを防いでいる。
広い空間に破壊の光が飽和して、おさまったとき、レカンの周囲を小さく残して、すべての斑蜘蛛は死滅していた。
レカンの視界がくらりと揺れた。
魔力枯渇だ。
そのとたん、レカンの体内に魔力が補填され、枯渇はうるおされた。魔力が完全に満たされたとはいえないが、じゅうぶんに戦える状態になった。
〈ザナの守護石〉による魔力補填だ。こういう働き方をするのだ。
残る斑蜘蛛たちの後始末など、今のこの四人にとってはささいなことでしかない。
最後の斑蜘蛛をアリオスが斬り捨てたとき、女王種がその正体を現した。
青い蜘蛛だ。
この迷宮に出現するすべての蜘蛛は、黒か、茶色か、赤茶色か、赤と黒という色彩を帯びていた。
青い蜘蛛などほかにいなかった。
杖をしまい、レカンは走った。
今度こそ女王蜘蛛を殺すために。
怒りと喜びの雄叫びをあげ、生命力のすべてを込めて突進した。
その剣にはもはや、〈ザナの守護石〉の最大限の恩寵はない。
その代わり、レカンのあくなき闘争心が、〈アゴストの剣〉にそそがれていた。
レカンが到達する寸前に、女王蜘蛛はふわりと起き上がり、おぞましき八本の足を素早く律動させながら、獲物の到着を待ち構えた。
レカンは高々と跳躍し、必殺の一撃を魔獣の頭部にたたきつけた。
がくんと頭部が沈み込む。砂の大地に降り立ったレカンは、魔獣の胸に突きを入れる。だが頑強な甲殻が刃をはばむ。
アリオスが到着して魔獣の左の足を薙ぐ。
確かにダメージは与えたが、斬り落とすまでには至らない。
魔獣の口から白い霧が吹き付けられる。
レカンは盾を構えつつ、呪文を唱えた。
「〈風よ〉!」
突風が白い霧を吹き飛ばす。
レカンが盾の陰から突きを放つ。
それは先ほどとまったく同じ箇所に命中し、甲殻をつらぬいて、魔獣の体内に侵入した。だが、浅い。
魔獣の青い眼が光る。何かの魔法が発動した。
それまで魔獣をみていたアリオスが、レカンのほうを向いた。
アリオスがレカンに向けて剣を振る。
レカンはかろうじて、その神速の一撃を盾で受けた。
次の瞬間には、レカンの左足がアリオスの腹部を蹴り飛ばす。
「〈浄化〉!」
魔獣の八本の足がレカンを襲う。
レカンは身を沈めつつ、左側下部の足の攻撃を盾で防ぐ。
右側の足の攻撃は、ヘレスが防ぐ。
エダが飛ばした〈浄化〉によって〈魅了〉から覚めたアリオスが、起き上がりざまに下から剣で魔獣の腹を薙ぐ。
その瞬間魔獣の姿は消えた。
レカンは、感じ取っていた。
空間系魔法の適性を持ち、いくつかの空間系魔法が使えるレカンには、空間のひずみが感知できる。
自分の真後ろに魔獣が出現する。
レカンは振り向きざまに、何もない空間を盾でなぎ払った。
そのときその空間に出現した魔獣は、レカンの盾で打ち払われ、くるりと向きを変える。
いくら宙に浮いているとはいえ、レカンの予想よりはるかに、レカンの打撃は効果をあげた。
ヘレスが剣を突き出したとき、そこには魔獣の腹の中央のふくらみがあった。すなわちその奥には心臓がある。
ヘレスの突きは、魔獣の心臓をつらぬいた。
女王種は、その動きをぴたりととめ、砂の大地に落下して倒れた。
戦いは終わったのである。