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スノーが妙な武器を構えている。
このときになってレカンは気づいた。
(ヴォーカ領主がシーラに頼んで取り寄せたとかいう火魔法を放つ武器だ)
この男がどうしてこんな物を持っているのかは知らない。
とにかく今スノーは、御者席にいるはずのレカンめがけ、馬車のなかからもう一度火魔法を放とうとしている。
一瞬、レカンは〈炎槍〉を放とうとしたが、ヘレスに血が降りかかるかもしれないのでやめた。
「〈風よ〉!」
突風が生じ、スノーの手から武器が吹き飛ばされる。
「あっ」
窓から飛び出した武器を追うように、スノーの手が突き出される。
その手をレカンは、身を乗り出すようにしてつかみ、そのまま谷のほうに引いた。
「うわっ」
ドアが破れてスノーが馬車から飛び出す。
そのときすでに、武器は谷川に落ちていっている。
あやういところでスノーは地面を踏みしめて踏みとどまった。あと半歩で崖である。
レカンも御者席から飛び降りた。
「きっ、きさま。このぼくが誰だか、わかっているのか? このぼく、スノー・パイザルンにこんなことをして、ただですむと思っているのか」
「お前こそ、こんなことをして、ただですむと思っているのか?」
言葉をかわしながらも、レカンは油断なく馬車のなかを〈立体知覚〉で探っている。
だいじょうぶだ。ヘレスは無事だ。
槍使いの男も、気を失ったようで、器用に体を折り曲げたまま動かない。
「今ならまだ許してやる」
スノーはそう言いながら剣を抜き、そのままレカンに斬り付けてきた。
素晴らしい速度の抜き打ちである。
それだけは認めなくてはならない。
レカンは、すっと後ろに身を引いてスノーの剣をかわしつつ、呪文を発した。
「〈風よ〉!」
スノーが抜き打ちのために右前方に踏み出した右足が、足元の土とともに左から突風を受けた。バランスを崩したスノーは、谷の斜面に倒れかかる。
「〈炎槍〉!」
レカンが放った攻撃魔法は、スノーの胸を貫くはずだった。
だが、はじかれた。
というより、散って消えた。
(対魔法防御の装備を身に着けていたか)
体勢を立て直そうとしたところに衝撃を受けたため、スノーは体の制御を失ってしまい、足元の土が崩れるままに、谷川に向かって転がり落ちていった。
レカンは、馬車のなかをのぞき込んだ。
こんな騒ぎが起こっているというのに、ヘレスは起きる気配もない。
槍使いの体を引っ張り出すと、そのまま谷に放り捨てた。
乗車席の後ろ側に、ヘレスは寝かされていた。
足を折り曲げた姿勢では、寝苦しいと思うのだが、つややかな髪をばさりと広げて、静かに眠っている。
今日のヘレスは、鎧姿とはちがう、こざっぱりしたシャツと、ふわりとしたスカートに身を包んでいる。
「ヘレス」
呼びかけても少しの反応もない。
レカンは〈収納〉から黄色のポーションを取り出し、ヘレスの顔の上でつぶした。
ややあって、ヘレスは意識を取り戻した。
「ううーん」
起きて不用意に動いては危ないと気づき、レカンはヘレスを抱き上げて、馬車の後方に移動した。ヘレスの〈箱〉が馬車のなかにあったので、〈移動〉の魔法で、それも運んだ。
運ばれながら、ヘレスは薄く目を開けた。
そして、目の前にあるのがレカンの顔だと気づいて、口元をほころばせた。
「助けて、くれたのだな」
「ああ。歩けるか」
「……いや。無理のようだ。すまないが、このまま運んでもらえないだろうか」
「そうか」
状態異常は解除したのに体に麻痺が残っているようだ。
呪いつきの武器だったのだろうか。
だとすると〈ハルトの短剣〉でヘレスに傷をつけてやればいい。
そうではあるのだが。
(こんなに女らしい体つきをしていたのだな)
鍛えられた体は、少年のようなみずみずしさをたたえ、それでいて胸や尻のふくらみは、成熟した女の色香をただよわせている。
すらりとした足は、無垢であるのに扇情的で、目の前にある喉と鎖骨とレカンのあいだを隔てるものは、何もない。
化粧のない顔はどこまでもきめ細やかで、少し開いたくちびるがなまめかしい。
こんな美しい体に刃物で傷をつける気にはなれなかった。
それに、本当に呪いかどうかもわからない。
とにかく早く連れ帰って、〈浄化〉をかけてもらうのが一番だ。
レカンは、一度、斜面の草むらにヘレスを寝かせると、剣と守護石と盾を〈収納〉にしまった。ヘレスの〈箱〉もしまった。
そして再びヘレスを抱き上げた。
「しっかりつかまっていろ」
ヘレスはしなやかな腕をレカンの首に回してしがみついた。
ふわり、と甘い香りがレカンの鼻腔をやわらかに満たした。
そしてレカンは、空を飛ぶようにして、やさしくヘレスを運んだ。
移動を始めてから、馬車を使えばよかったかとも思ったが、街中を走ればあの馬車を知っている者もいて、面倒なことにならないともかぎらない。
それに馬車に乗せるより、このほうが速い。
「私を、こんなふうに軽々と、少女のように運べる男がいるのだな」
腕のなかの女が、そうつぶやいたが、風の音に消されて、レカンの耳には届かなかった。