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「次の階層から、一覧表に〈巣〉というただし書きがある。これは何だ?」
「第二十六階層から第三十階層まで、地形はこの階層と同じだが、蜘蛛は巣を張り巡らしているのだ。一つの巣には一体の蜘蛛が棲んでいる。たいていは、ずっと上のほうで待機していて、侵入者が巣にふれると降りてくる」
「うむ」
「この巣が厄介なのだ。巣にさわらなければ蜘蛛は出てこないので、巣をよけて進んでいけば戦わずにすむ。ところが時々、どうしても巣にふれなければ進めない箇所がある」
「巣には粘着性がないのか」
「あるとも。だから不用意にさわったら、がんじがらめにされてなぶり殺される。石ころでもぶつけて蜘蛛をおびき出し、蜘蛛を倒せば粘着力がなくなるので、巣を採取する。そして先に進むのだ」
「なるほど。敵の攻撃能力は、ここまでと同じか?」
「いや。ここからは蜘蛛も少し大きくなり、力が強くなる。〈混乱〉〈麻痺〉〈毒液〉を飛ばしてくる」
「ああ。あれを使うのか」
あれというのは毒液採取道具だ。柄の先にスファルコの実を干したものがついていて、これで毒を吸い取り、専用の袋に収める。ヘレスの勧めにより、各自五セットずつ購入してきている。
「ここで使ってもいいが、今回の探索で三十一階層以下に潜るなら、そこで使ったほうがいい。十倍以上の値段がつく」
第三十一階層からの敵は八目大蜘蛛の下位種である。その毒は、斑蜘蛛の巨大種の毒より高値で売れるようだ。
「〈混乱〉は魔法だ。十歩か十五歩ぐらいの距離で届く。〈混乱〉をかけるのに、蜘蛛はこちらをみる必要があるようだが、こちらが蜘蛛をみていなくてもかかる」
「〈混乱〉にかかるとどうなる」
「人によってそれぞれだが、意味不明なことを叫びながら仲間に斬り付けてきたりする」
「厄介だな」
「厄介だ。〈麻痺〉は、爪に引っかかれるとかかる。これは呪いの一種らしい。だから、呪いに抵抗できる装備が不可欠だ。あるいは、硬い鎧を着けて、爪が肌にふれないよう守るかだ」
エダには呪い抵抗のある腕輪をさせている。どれほどの抵抗力があるかわからないが、当面の問題はないし、いざとなれば〈ハルトの短剣〉がある。
この迷宮は、下に行けば行くほど強い呪いが襲ってくる。ここに来るまえに〈ハルトの短剣〉が得られたのは、まことに幸運だった。
「〈毒液〉は口から吹き付けてくるのだが、これが十歩から二十歩ぐらいも届く」
「射程が長いな」
「遠くに撃つときは、斜め上方に吹き上げる。毒液は黒いし、天井とそこからつり下がる岩のひだも黒っぽいから、非常にみえにくい。薄暗い場所であるしな。しかも時には岩のひだにあたったそのしぶきがかかる。これはかわしようがない」
「なるほど。そんなところか。では入る」
どうというほどの敵ではなかった。
巣に薪を投げつけると蜘蛛が降りてくる。そのときには背中をみせながら降りてくるので、エダの矢やレカンの〈火矢〉で狙い撃ちにできた。
毒液も、厄介は厄介だが、レカンにとってはかわすのは造作もないことだし、撃ってくる頻度がさほど高くないので、一度下がって毒液をかわし、それから前進して敵を倒せばいいだけのことだ。
蜘蛛は巣の端までは来ないので、剣では届かない。剣が届く位置まで近づくと、巣にからまってしまう。
(なるほどな)
(槍があれば戦いやすいだろうな)
(長い槍ほどいい)
(それに盾があれば毒液が防げる)
レカンは巣に〈火矢〉を放ってみた。
あたった箇所は糸が切れたが、それだけだった。
〈炎槍〉も試したが、あたった部分は穴があくものの、それだけだった。
この階層では、レカンが薪を投げて蜘蛛を呼び寄せ、エダが矢を射て殺した。蜘蛛が早々と毒液を吹いたときには、〈ウォルカンの盾〉で防いだ。蜘蛛の動きは素早いのだが、最初に降りてきたときはそれほど目まぐるしい動きはみせない。エダの訓練のつもりでやらせた。幸い蜘蛛の腹は柔らかいので、矢はすべて回収できた。
蜘蛛は時折〈混乱〉を放ってきたが、誰も呪いにはかからなかった。
同じ手順で、第二十七階層、第二十八階層、第二十九階層、第三十階層を踏破し、出口の近くで野営した。
「遅くなったな。もう少し早く野営にしてもよかったかもしれん」
「今、黄蛙の一刻だな」
「それは何だ?」
「〈ヤックルベンドの告時板〉だ。携帯用の小さいものだ。魔力を入れると時刻を示す。とても便利なものだ」
「それ、王国騎士団の備品ですよね。持ち出してよかったんですか」
「あ。いや。私は王国騎士団の団員というわけではないので、かまわんだろう」
レカンは、時刻を示す機械があると知って、興味を覚えた。
もといた世界では、どこの町にも鐘撞き堂があり、時計で時刻を計って鐘をならしていた。
ところがこの世界では、日の出を輪蛇の三刻とし、日の入りを水牛の三刻として、夜間を十二等分、昼間を十二等分して時刻を定めている。当然ながら、季節によって時刻は変動する。
つまり、もとの世界の時刻は季節や地域にかかわらず一定だったが、この世界の時刻は相対的なのだ。
「ふむ。その告時板とやらは、日の出と日の入りによって時刻を調整するのか。それとも、季節や地域にかかわらず一定の時を刻むのか」
「これは驚いた。レカン殿は、学者でもあったのか」
「オレがもといた所では町ごとに鐘撞き堂があって、機械で計った時刻に鐘を鳴らしていた」
「そんな国があるのか。しかし、鐘か。そうか、鐘。それは面白い。だが、レカン殿。それでは鳴った鐘が何刻を告げているのかわからないのではないか。それとも鳴らす時刻ごとに音色のちがう鐘を鳴らすのか?」
「鳴らす数を変える。姫亀の一刻には二回鐘を鳴らし、針魚の一刻には三回鐘を鳴らすというように、それぞれ一刻には複数回の鐘を鳴らせばいい。そして、二刻や三刻や四刻には、一回だけ鐘を鳴らすのだ」
「なに? それでは……いや、そうか。しかし……うむ。それは面白いな。レカンどの。それは面白い。よいことを聞いた。王都に帰ったら、さっそく叔父上に相談してみよう。いや、王都では機械式時刻を用いるよう何度も布達を出しているのだが、なかなかうまくいかなくてな」
ということは、この世界にも機械式の時刻というものはあったのだ。ただレカンが知らなかっただけなのだ。とはいうものの、あまり広く浸透してはいないようだ。
実際、人々の生活は天から降りそそぐ光とともにある。夜が明けないと始められない仕事なら、〈輪蛇の三刻が仕事開始〉と定めておけば、親方と職人のあいだにいさかいが起きることもない。日の入りと日の出で時刻を定めるという方法は、生活に即した時刻の決め方ではある。
「それにしても、たった一日で第二十一階層から第三十階層まで踏破するとは。信じられん。しかも私とアリオス殿はろくに戦ってもいない。落ちてきた魔石を拾ったぐらいのものだ」
そういいながら、ヘレスは、保存の利く塩漬け肉をたき火で炙っている。
「ああ、いいなあ。本当にいいものだ。このたき火というものは。こんないいものを知ってしまったら、もうたき火なしではいられない」
エダが作ったスープをずずっとすする。
「温かいスープがこんなにおいしいとは。このスープは、わが家の料理人頭が作るスープよりずっとおいしい」
もちろんそんなはずはないが、迷宮でこういう料理を食べられた感動と感謝をそう表現しているのだろうから、それはちがうんじゃないかというような野暮なことを、レカンは言わなかった。
「これは迷宮で夜明かしするからできるんだよね。いちいち地上に戻る人たちは、宿に泊まっちゃうけど、行き帰りするだけで疲れちゃわないのかな」
「エダ」
「うん? なあに?」
「オレは普段迷宮に潜るときは、地上に戻ったら、次に潜るまで五日から十日程度はあける」
「ずいぶん休憩するんだね」
「迷宮では心も体も激しく緊張する。たとえ戦闘していなくてもだ。その緊張と疲れを本当にいやすには、一日や二日では足りない」
「そうなんだ」
「ここの連中にはここの連中のやり方や習慣があるだろうから、そのことについてとやかくはいわない。だが、それは覚えておけ。そして、迷宮のなかの野営では、じゅうぶんに体をほぐさないといけないが、油断をしてもいけない」
「うん! わかったよ」
「レカン殿はエダ殿を、本当に大事にしているんだな。まるで親子のようだ」
「えへへ。今年いっぱい、レカンはあたいの師匠なんだよ」
「今年いっぱい?」
「うん。その先のことは、そのときになったら考えるんだ」
「エダ殿は、これからずっと迷宮で探索するのではないのか」
「うーん。迷宮は楽しいけど、レカンと一緒でなかったら潜りたいとは思わないかな」
「そうか」
この日一日で倒した魔獣は九十体を少し超えた。
宝箱は六個も出た。うち四個はポーションで、二個は盾だった。
よい恩寵がついていたので、高く売れるだろう。
そのほか、糸も多少採取した。どの程度の値段で売れるのか、レカンには見当もつかない。