8_9
8
たき火の火勢がおとろえたので、レカンは起き上がって薪を加えた。
エダが木によりかかるようにして器用な格好で眠っている。姿勢を直してやった。
問題が起きている。
魔獣よけのおかげで魔獣は接近してこなかった。だが、魔獣よけが有効な範囲を取り囲むように、多数の魔獣が集まってきている。
もとの世界には魔獣よけの魔法があったが、発動が強すぎると、その境界線の位置まで魔獣を引き寄せてしまうことがあった。これはその現象に似ている。
二日目の朝が来て、チェイニーとエイフンが目を覚ました。レカンは魔獣が集まっていることと、原因の推測を告げた。
「たくさんの魔獣というのは、どのくらいの数なのでしょう」
「二百近いな」
「えええっ」
「ほんとかいの。それじゃ魔獣よけを切るわけにいかんのう」
「そうですね。魔石がもったいないですが、このまま魔獣よけをつけたままで移動しましょう。いやあ、強い魔石を入れると、逆に魔獣を集めてしまうとは聞いていたのですが、ついうっかり奮発して、強い魔石を入れてしまいました」
「そのあとはどうする」
「何のことでしょう、レカンさん」
「魔獣よけをつけたまま移動すれば、魔獣がそのままついてくる。町に着けば町が襲われる」
「あ……」
「魔獣に町を襲わせたりしたら、どんな罰を受けるかわからんのう」
「どう……しましょう」
「取りあえず、魔獣よけをつけたまま移動だ。平地に移動したら手を打つ」
「わかりました。では移動しましょう」
「嬢ちゃん、朝が来たぞ。起きんと置いていくぞい。ほらっ、嬢ちゃん」
「う、う〜ん。朝か? 朝飯は?」
「朝食は移動しながら各自で。では出発します」
レカンは前日と同じように馬車の先導をしながら、干し肉をかじり、干し豆をかじり、水を飲んだ。
やがて馬車は平地に降りた。すると、五百歩ほど距離を置いてついてくる魔獣たちの姿がはっきりとみえてきた。
「二百、よりだいぶ少なくないかの?」
「半分ほどの魔獣は、山を出るのをきらったようだ」
「それにしても多いですね。百匹ぐらいですか?」
「む、無理だ! 冒険者が十人いたって、こんなの絶対無理だ。ヴォーカには守備隊がいるって聞いたことあるぜ。倒してもらおうぜ」
「途中の村が全滅してしまいますよ。それに、そこまで魔石がもつかどうか。レカンさん。どうしたらいいでしょう」
レカンには正確な呼び名がわからない魔獣が多いが、体や魔力の大きなものはいない。狼、猪、猿、熊に似た種類の、ごく下級の魔獣ばかりだ。
これが森のなかであれば、一匹一匹は弱いとしても、数が多いというだけで脅威になる。
まして、護衛対象を守りながらということになると、非常に戦いにくい。
しかし、ここは平地である。この状況なら、護衛対象の守りは一時放棄できる。
そのうえ相手は逃げようとしていないのだ。
「ふむ。魔獣よけはそのままつけておけ。ちょっと行ってくる」
レカンはそう言い残して魔獣の群れに向かって疾走した。
すぐに到達した。
剣を抜いた。そして片っ端から斬り捨てた。
いずれも大した魔力は持たない小物の魔獣ばかりだが、どんな攻撃手段をもっているかわからない。となればやはり先手必勝である。攻撃をする隙を与えず、速攻で殲滅するのが一番よい。
一匹残らず殺し尽くし、死骸の山に一礼すると、走って馬車のもとに帰ってきた。
「魔獣よけは停止していい。出発だ」
「ほとんど返り血を浴びておらんのう。なんということじゃ」
「こんなすさまじい剣技ははじめてみました」
「……レカン。いや、レカンさん。あんた、二つ名持ちの傭兵だったのか?」
レカンが馬車の前に出ようとしてエダの前を通り過ぎるとき、エダはレカンの左手の中指で光る銀色の指輪に目をとめた。
「あんた、こんなしゃれた指輪してたっけ?」
その指輪は、一日目に森に入るとき〈収納〉から取り出して装着したものだ。
だが、そんなことを説明する必要もない。
「まあな」
9
二日目の昼ごろには小さな村に着いたが、水を補給してわずかな休憩をとると、そのまま出発した。どうもエダがふらふらと目を回しているので、どうしたのかと訊くと、腹が減ったという答えだった。しかたがないので、干し肉をわけてやった。ちなみに結局エダは荷台に乗っている。チェイニーが許したのだ。
二日目の日没まぎわに、山のなかに入った所で、レカンは魔獣の接近を察知した。
「レカンさん。どうかしましたかな?」
「魔獣だ。十八匹。前方からこちらに来る。馬車を止めろ。迎え撃つ」
「わかりました。エイフンさん! 停車してください」
「て、敵か? どこだ」
一行は、物音を立てないようにして、敵の接近を待った。エダは弓に矢をつがえて、荷台に乗ったまま、薄暗い森の前方をきょろきょろながめている。
木がざわざわとざわめいている。
「上だ」
レカンが言った。〈生命感知〉では高低は判別できないので、近くに寄られるまで、敵が高所を移動してきたことがわからなかった。
大勢の魔獣が、わらわらと頭上から降ってくる。
「うわっ、うわっ」
エダが悲鳴をあげながら続けざまに矢を射たが、魔獣にかすりもしていない。
御者台のエイフンは、魔獣の動きをよくみて攻撃をかわし、防いでいる。
猿によく似た魔獣だ。
十歳のこどもほどの大きさで、黒い体毛に覆われているが、顔だけが赤い。
敏捷性は高いようだ。
レカンは落ち着きはらって魔獣を屠っていった。
多少奇抜な動きをする魔獣だが、レカンの動体視力と攻撃速度からすれば、とろくさい敵でしかない。
依頼主であるチェイニーは、馬車のなかに閉じこもって窓にふたをしているので、安全である。一撃で馬車を破壊できるような敵ではないし、そもそもゆっくり攻撃できる時間などは与えない。
猿よりエダが危なかった。二度ほどレカンに矢を射込んできた。さすがに二本目の矢には腹が立ったので、空中で斬り落とした。
エイフンに飛びかかってかみつこうとした猿を斬り殺したのが最後だった。
エダが、痛い痛いとわめいている。猿に引っ掻かれるかかみつかれるかしたのだろう。さすがにそこまでは面倒がみきれない。
「お、終わりましたか? あ、荷台が血で汚れてしまいましたねえ。しかし今は時間のほうが大事です。行きましょう」
「あ、チェイニーさん。ちょっと待ってくれ。矢を、矢を回収しないと!」
エダの言葉を聞いて、謎が解けた。いったいどこに予備の矢をしまっているのか不思議だったのだ。なんとエダは予備の矢を持っていなかったのである。
「エイフンさん、出発してください」
「ほっほっほっ」
エダの懇願に耳をかさず、チェイニーは馬車を出発させた。エダは大あわてで手近な矢を回収してから馬車を追いかけた。ちなみに、エダが持っていた十二本の矢のうち、猿の魔獣に当たった数はゼロである。
三日目の野営も山のなかだった。
突然、エダが叫んだ。
「魔石!」
「魔石がどうしましたか」
「さっき、赤猿を倒したのに、魔石を回収してないじゃないか!」
では、あれが赤猿だったのだ。
迷宮でも森でも最もありふれた魔獣だと聞いている。今までにも倒したことがあるが、名前と姿が結びつかなかったのだ。
それにしても、エダは今ごろ何を言っているのだろう。さっきチェイニーが「時間のほうが大事」と言っていたのを聞いていないのだろうか。
「ひと財産だったのに!」
分け前をもらう資格がエダにあるかどうか疑問だが、それにしても赤猿の魔石など、わざわざ取り出す価値はない。それを言うなら、昼に倒した八十匹ほどの魔獣のほうが、まだしも価値のある魔石を残したはずだ。もっとも昼に倒した魔獣については、立ち寄った村で、魔石なり素材なりの半分を自分の所に持参し、あとは村の財産にしてよいとチェイニーが村長に告げていたから、無駄になることはないし、死骸が腐敗して害をなすこともないだろう。
「なあ、今からでも戻らねえか?」
エダがうるさいので、レカンは別の話を振った。
「エダ。その首の黄色いマフラーは、目立つ」
「えっ? あっ。かわいいだろ。へへ」
「暗いところでもよくみえる」
「お、そうかい。ありがとよ」
「目印となって、敵や魔獣が襲う」
「え?」
「冒険者は、そんな派手なマフラーは着けない」
「……うわわわわわわ! 何だってえー。そんならそうと、早く教えてくれよ! うわー。だからさっき、あんなにあたいにたかってきたのか。うわー、うわー。思い出したらあちこち痛くなってきた! ちくしょー。ちくしょー」
結局うるさい女だと思いながら、派手な格好をした冒険者もいたな、と思い出した。
〈血まみれ〉ランシーという名の女冒険者だ。燃えるような真っ赤な髪をしていて、血のような色合いの革鎧を身に着けていた。両手の指にはきらきらした宝玉が輝いていた。ほんとに派手な女だった。魔獣を引き寄せては大剣で斬り殺して、いつも返り血を浴びていた。恐ろしく美しい女だったから、男も大勢引き寄せられた。そしてみんな心をずたずたにされた。
急に、もとの世界がなつかしくなった。
空をみあげたが、星ばかりで月がない。あの大きくて明るい月は、この世界にはないのだ。
そのことが寂しくてならなかった。