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「レカン。これ以上エダに〈回復〉を使わせるわけにはいかなかった」
「わかっている。いつ〈浄化〉が発動するかわからないからな」
「そうなんだ。もうああなると、どっちの呪文かなんて関係ないんだな。ほかの魔法ではこんなことは起こり得ないが、〈回復〉の場合は時々そういうことがあるらしい」
「ほう」
「貧しい人たちには、〈浄化〉と〈回復〉のちがいなんて、ないも同然だ。だけど、〈回復〉では治らないはずの症例が治癒されていけば、いずれは誰かが気づく」
「そうだな。エダの卒業は、たぶんそういうことだろうとは思っていた。礼を言う」
「いや。それに、エダに教えることがないというのは本当だ。彼女はある意味天才だ。天才というのは、人が作った道の通りを歩いてはくれないんだ」
レカンはうなずいた。エダは人の言うことを聞かない。聞いたとしても、妙な聞き方をして、不思議な方向に突っ走って行く。そこに道があることになど、気づきもしないで。
「迷宮での回復役としては理想的だけどね」
「いや。オレはエダを回復役として育てるつもりはない」
「えっ? そうなのかい?」
「オレがエダの面倒をみるのは、今年いっぱいだ。そのあとどこで何をするかは、自分で選ばせる。当面は迷宮への潜り方を教えるがな」
「今年いっぱいなのか」
「回復役専門では、自立できない。あいつが半年後、生きていく選択肢に困らない程度には、鍛えてやりたい」
「そういうことなら、なおさらだ。なおさら、〈浄化〉は使わないほうがいい。迷宮深層に潜るパーティーの回復役なら、たとえ〈浄化〉持ちであっても、神殿も貴族も無理に勧誘しようとはしないだろうが、そうでないなら……」
レカンは黙ってうなずいた。ノーマは、母親という実例をまざまざとみた。後ろ盾のない〈浄化〉持ちは、神殿や貴族が放っておくわけがない。
「だけどね、レカン」
「うん?」
「エダが一人で生きていくなら、むしろいい貴族家を探して庇護してもらったほうがいい」
「なに?」
「エダは、施療師には向かない」
「ほう?」
「施療師というのは、冷たいところがないとやっていけない」
「冷たいところ?」
「そうだ。たとえば私のように、患者を研究対象としてみることができるとか、金を払えない人には施療しないとかいう冷徹さがいる」
「金のない人間に施療しないのが、いい施療師なのか?」
「金の亡者になれと言っているんじゃない。線引きがいると言ってるんだ。さもなければ、際限なく患者に〈回復〉をかけたり、高い薬を使ってしまい、施療所は機能を失い、施療師は餓死するほかない」
「ああ、なるほど。そういう意味か」
「そして、患者に感情移入しすぎれば、適切な施療はできないし、病について正しく学んでいくこともできない」
「よく理解した」
「上級の〈回復〉持ちで、王家にも貴族家にも属さず、独立してやっておられる方々もおられるが、そうした方々は、自分が生きてゆき、研究を続けてゆく環境を調えるしたたかさがある。エダにはない」
「ないな」
「同じような理由で、神殿で施療をするのにも向かないと思う」
「同情しすぎるからか?」
「そうだね。患者に同情しすぎて歯止めが利かず、神官の指示に反した行動をとるだろう。目にみえるようだよ」
レカンも目にみえるような気がした。
「そうでなくても、神殿の施療所には、ひどい境遇の人が尽きることなくつめかける。あれに耐えられるのは、よほど信仰のある人か、心のどこかが壊れた人間だけだよ」
そんな場所に、今のエダをやるわけにはいかない。
「だが貴族家なら、倒れたりしないよう、あちらが気遣ってくれる」
レカンは眉をしかめた。よりによってノーマからそんなことを言われるとは思わなかったからである。
「これは噂のような話だから、どこまで本当かわからないが、ある〈浄化〉持ちの場合、家族は貴族の庇護を得て安全で幸せな暮らしを得、望めば本人と面会もできたという。貧しい家から〈浄化〉持ちが出れば、その家族の繁栄は約束されたようなものなんだ」
まさにノーマは研究者だ。自分はあんな目に遭っているのに、こういう客観的な分析ができるのだから。そうレカンは思った。
ジンガーが、何ともいえない顔で話を聞いている。
それはそうだろう。
この男がここにいるからには、エダのことを報告するのを諦めたのだ。それは主家への帰還を諦めたということだ。
そうであるのに、ノーマは、エダの身の振り方について、貴族家に頼るのも道だと言っている。それなら、わが主家に、という気持ちもあるだろうし、言い出しにくい思いもあるだろう。胸中は複雑なはずだ。
レカンにはどうでもよいことであった。いずれにしても、ジンガーの主家にエダを渡すつもりはまったくなかった。