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朝食のあと、エダが言った。
「あたい、今日はシーラさんのところに行こうと思う」
「ああ。それがいいだろう」
エダは精神系魔法に才能があるらしい。有効に使用できるほどのものになるかどうかはわからないが、精神系魔法を何か一つでも習得すると、精神系魔法全般に抵抗がつくらしい。しかもその抵抗の強さは、魔力量によっても底上げされるという。だから、エダがシーラのところで魔法の練習をするのは、大いによいことである。
レカンには、気になることがあった。
(玄関の前に誰かがいる)
玄関の外側で、一人の人間がさきほどからじっとしている。魔力を持った人間だ。
レカンかエダに用事があるなら、玄関の外から声をかけそうなものだが、それをしない。
いったい誰が、何のために、そこにいるのか。
レカンは家を出て小さな庭に出た。
家の周りはレカンの身長より高い塀でおおわれているので、ここから相手の姿はみえない。
(むっ)
しかしレカンは察知した。
玄関前の人物は、ただ者でない。
かなりの腕だ。
もちろん、この場合の腕とは戦士としての力量のことであり、魔法使いとしての力量ではない。レカンには人の魔力量はわかっても、魔法の腕などわからない。
「〈浮遊〉〈移動〉」
かんぬきを外すと、レカンは無造作に玄関に近づき、扉を開けた。
扉の横に立っていた若い男が、扉の前に移動して頭を下げた。
「朝からご無礼いたします」
どこかでみた顔だ。どこでみたのだったか。
「お出かけですか。お急ぎなら、お帰りまでお待ちします」
「待たれても困る。用事があるなら言え」
「よければ家に入れていただけませんか」
レカンは、相手の腰にある剣をみて、この若い男が誰だったかを思い出した。
「入れ、アリオス」
剣士アリオスは、一礼して扉のなかに足を踏み入れた。
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「なんだと?」
「ですから、レカン殿のお弟子の端にお加えいただきたいのです」
「それは聞いた。お前を殺しかけたオレに弟子入りしたいという理由がわからん」
「感服しました」
「なに?」
何日か前、エダがゴンクール家に誘拐された。レカンはゴンクール家に乗り込み、エダを発見し、当主を問いただそうとした。
そのとき、当主の部屋の前にいたのが、このアリオスとかいう剣士だ。
アリオスは、レカンが当主の部屋に入るのを邪魔しようとした。
レカンはアリオスを斬って捨てた。
体を真っ二つにするつもりの斬撃だったが、よい装備と、〈命根のしずく〉という恩寵品のおかげで命をとりとめ、エダの〈回復〉によって回復した。
聞けばアリオスはゴンクール家の家臣ではなく、たまたま逗留していた客人だという。
そのアリオスが、レカンの何に感服したというのか。
「仲間を助けに単身敵地に乗り込む剛胆さ。たとえ相手が貴族家の当主でも、事の是非を明らかにせねばすまない清廉さ」
こうして目の前に座っているアリオスをみて、その若さにレカンは驚いていた。前回対峙したとき感じたのは、油断すればこちらが殺されそうな、練達の武人の気配だった。だから、もっと年配のように思っていたのだ。
「私は慢心しておりました。剣においてはいささかの技量があると。しかし、あなたの前では私の剣など、児戯にもひとしかった」
こうしていても、アリオスには隙がない。やはり一流の剣士だ。
「私があなたの剣の前に倒れたとき、あなたは戦利品として私の剣を手になさった。ところが、私が蘇生するや、その剣をお返しくださったとか。あなたは剣士の誇りをご存じです」
レカンはめんどくさそうに眉をしかめた。
実際、面倒だったのである。
「そして何より、あの剣技、闘いぶり。私は自分が増長していたことを知りました。あなたの教えで目が覚めたのです」
「お前の命を救ったのはエダだ。礼ならエダに言え」
アリオスはエダに向き直った。
「あなたがエダ殿ですね。周りの人たちから聞かされました。奇跡のような〈回復〉だったと。礼を言います」
深々と頭を下げた。
「いえ、あの。そんな」
なぜかエダは顔を赤らめて、体をくねくねねじっている。虫にでも刺されてかゆいのだろうか、とレカンは思った。
「しかし私が感服したのはレカン殿です。あなたこそ、私が探し求めた師です」
「お前は、きちんと剣のわざを習っただろう」
「はい」
「剣技では、たぶんお前のほうが上だ。オレが教えられることは何もない」
「あなたは一合も交えることなく、私を倒したではありませんか」
「お前が強そうだから正面から戦うのが面倒だった。だから魔法で痛手を与えて動きをとめ、斬り捨てた。あれは剣の勝負なんかではなかった」
「まさにそこです。あなたは私の技量を瞬時にみきわめ、私が予想もしなかった方法で、私を圧倒なされた。あなたの武芸は、私の武芸より広くしなやかです。私はあなたに学ぶことによって、自分の殻を破りたいのです」
アリオスは立ち上がり、ぐるっとテーブルを迂回してレカンの前に進んだ。
左膝を床についてひざまずき、両手で鞘に入った剣を捧げ持ってレカンに差し出し、こうべを垂れた。
(めんどくさいやつだな)
(これは奉剣の儀か)
(この国では弟子入りにこんなことをするのか)
(うっかり剣を手で持ったら弟子入り完了になるかもしれんな)
かといって、このままで放っておいても、ひょっとしてそれで弟子入りが成立してしまうかもしれない。どうしたらいいのか訊こうにも、エダにはそんな知識はないだろう。
レカンは、どうまちがっても剣を受け取ったと解釈できないことをした。
アリオスが捧げ持つ剣を、蹴り飛ばしたのである。
剣は壁に当たり、やかましい音を立てて地に落ちた。
アリオスは呆然としている。
「こらー! レカン、あんた、なんてことすんのよっ!」
エダの怒る声を背中に聞きながら。レカンは家を出た。