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「うーん。固定化されてるね」
「固定化?」
「うん。レカンのこの左目は、レカンの正しい状態として固定化されている。〈書き換え〉とはちがうね。もっと高度に魔法的な何かが、左目の状態を固定化している。それが何なのか、残念ながら今の私には見当がつかない」
もしかしたら、上級魔法薬のせいかもしれない、とレカンは思った。
もとの世界での上級魔法薬は、レカンも作ろうとして手も足も出なかったほど、作り方がむずかしい。手間暇もかかるし材料も高い。当然、一個が目の玉の飛び出るような値段である。
今は手持ちが四個となってしまった上級魔法薬だが、もとの世界でこれを使ったことが三度ある。その三度が、固定化とやらをもたらしてしまったのではないだろうか。
そう思ってもみたが、確認のしようもない。手持ちの上級魔法薬をノーマに渡せば手がかりがつかめるかもしれないが、そんなことのために四個を三個に減らすつもりはなかった。
そもそもレカンは研究者ではない。エダの〈回復〉も〈浄化〉も、大赤ポーションも上級魔法薬も、この左目は治せない、ということがわかればじゅうぶんなのである。治らない理由など、知ったからといってどういうこともない。
「固定化とやらが起きていると、〈神薬〉でもこの左目は治らないのだろうか」
「いや、たぶん治ると思う。父も〈神薬〉の効き目については、いろいろ資料を集めていたからね。そこから考えれば治るだろうと思う。ただ、父も私も〈神薬〉の実物をみて研究したわけじゃないから、確実なことはいえない」
「なるほど、それと、こういう傷の場合、〈回復〉と〈浄化〉と、どちらが効き目が高いものなのだ?」
「それは原因によるんだよ。単なる傷であれば〈回復〉のほうが効く。毒や呪いのからんだ傷なら〈浄化〉のほうが効く。そういうものさ」
「了解した」
「ノーマ様。迎えの馬車が来ました」
「わかった。さあ、レカン、エダ。今日は一日往診だ」
7
この日の往診先は六件だった。
どういう交渉をしたのかしらないが、最初の往診先が迎えにきてくれて、施療のあと次の往診先に送ってくれた。
いずれも金持ちの家だ。
行ってもすぐに診察とはならない。
お茶が出たり、待たされたりする。
その間、ノーマは二人に人体の構造と機能について講義を行った。
診察をしたあと、ノーマが詳しく所見を述べ、レカンかエダのどちらかを指名して〈回復〉をかけさせる。もちろん、どのようにかけるのかを、詳しく説明してのことだ。
施療が終わったあとも、たいていすぐには帰れない。
まず、〈回復〉の効果に本人が喜んで、いろいろ話し始める。そのあと、家族や使用人のおもだった者が、病状と回復の見込みについて聞きたがる。
そんなようすだから、往診が終わるころには日がどっぷりくれていた。
六件のうち五件は老人で、一件は幼児だった。
ベッドに寝て苦しむ幼児をみたとたん、エダは駆け寄っていた。
「先生! この子には、あたいに〈回復〉をかけさせてください」
そうエダは望んだが、ノーマはレカンを指名した。
エダは残念がったが、文句は言わなかった。
(あれは〈浄化〉が発動してしまうことを心配したんだろうな)
実のところ、レカン自身も同じ心配をしていた。
それにしても、ノーマのもとでの診察は、本当に勉強になる。
最初に驚かされたのは、骨の構造だ。
骨は人間の基本構造であり、体や指の動きというのは、すべて骨の動きなのだ。つまり、戦いをするためには、骨が十全に働きをできなくてはならない。その仕組みと治し方を、レカンは学んでいる。
次に感心したのは、息を吸ったりはいたりすることであり、物を食べて体を養うことであり、臓腑の持つさまざまな働きだ。
こうしたことのすべてが、戦闘力を保持するために何が優先され、まずはどこをどう治療したらいいかを教えてくれる。
レカンはこれまで、どんな学問も学んだことはない。
ノーマの教えは、レカンが生まれてはじめて得た体系的な知識だったといえる。
この日、帰りがけに夕食の食材を買った。家に入ろうとする直前、隣人の中年婦人とばったり会った。エダはそのまま婦人と話し込み、レカンは先に家に入った。
ちびりちびりと強い酒をなめていると、エダが帰ってきた。
「左側の家、空き家だったけど、誰かが引っ越してくるらしいよ」
「そうか」
そんなことに、何の興味もなかった。
8
翌日は施療所での施療だった。一昨日ほど多くの人が詰めかけてはいないが、それでも普段からいえば大勢の人が来ているらしい。
この日は、問診のあと、エダとレカンの意見を訊いてきた。
レカンは、どこどこの臓腑にこういう問題があるとか、どこそこの骨に負担が掛かっているからだ、などと答え、おおむねノーマから合格をもらえたのだが、エダの意見はひどかった。
咳が出るといえば、口に問題があるといい、指先が冷えるといえば、指先の問題だという。要するに、病因と病根について、これまで教えられたことが、まったく身についていない。
したがって、そのあとノーマが、この患者にはどんな薬草を処方すればいいかと訊いたときも、ひどく頓珍漢な答えを返していた。
さらにその翌日は往診だった。今度は、暮らしぶりの豊かでない人ばかりを回った。数えていなかったが、二十軒前後を回ったはずだ。そのすべてが〈回復〉を希望しているのだという。長患いや大病をしている親や妻や夫や子のため、なけなしの金をはたいて依頼しているのだろう。
一度、エダが青色の光を生み出してしまったので、レカンは術を中断させ、自分が代わって〈回復〉をかけた。どうもエダは油断すると〈回復〉の呪文で〈浄化〉を発動してしまうようだ。
その日、施療所に帰ってから、ノーマは二人にこう言った。
「そう長い日数ではなかったけれども、ここまでにレカンは、驚くほど長足の進歩を遂げている。こと〈回復〉の使い方についてだけなら、もう君は中堅の施療師に匹敵するよ」
「あんたのおかげだ」
「そしてエダ」
「はい」
「君は病気の原因や、人間の体の構造と機能について、ほとんど私から学ばなかった」
「……はい」
「だが君は、〈回復〉をかける前に、患者の体を調べる方法を学んだ」
「はい!」
「それを君は、非常に効果的に実践している。実際、君の〈回復〉の使い方は天才的で、常にその患者に最も適切と思われるやり方を、直感的に選択している。君の〈回復〉は、熟練した施療師でも及ばないものだよ」
「は、はい」
「今日君が〈浄化〉を発動しかけた患者は、〈浄化〉でなければうまく治療できない症状だった。だから君は、無意識のうちに〈浄化〉を発動してしまったんだ」
「そう、だったんですか」
「エダ」
「はい」
「君は卒業だ」
「えっ?」
「正直、君に教えることは、もうない」
「よかったな、おめでとう、エダ」
「えっ? えっ?」
「オレはまだ来てもいいのか?」
「うん。君にはまだ学ぶべきことがある。もうしばらく通ってもらおうと思う」
「よろしく頼む。では、今日はこれで帰る」
レカンとエダは家に帰った。
夕食の材料は途中で買った。
「あ、レカン、左隣の家に人が入ったみたいだよ。あかりがともってる」
「ほう。そのようだな」
誰が隣に引っ越してこようがくまいが、何の関係もないことだ。
この夜、レカンはそう思っていた。