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「レカン。話を戻していいかな?」
なんということだろう。
あのエダに、レカンが、話をもとに戻していいかと訊かれたのである。
あの脱線の達人であるエダに。
レカンが衝撃のあまり黙り込んでいると、エダは自分の話を続けた。
「それで最後に、カンネルさんがゼプスさんに、ゼプスさんの廃嫡に反対したのは自分の失敗だった、弟君を跡継ぎにするべきだった、ゼプスさんの教育に失敗した自分に罪があると言い、レカンがゼプスさんの首を、その……」
「落としたんだね」
こくり、とエダはうなずいた。
ノーマは目を閉じ、しばらく瞑想した。
「ゼプスさんは、私には丁寧な言葉をかけてくれたけど、いつも底意地の悪さのようなものを感じていた。あれは、そういうことだったんだろうね」
誰も答えない。答えられる問いではない。
「ゼプスさんが死んだと聞いて、ひどく動揺したんだけど、レカンと騎士の話をしていたら、不思議と落ち着いてしまったよ」
ノーマは突然立ち上がって、レカンとエダに頭を下げた。
「今回のことは、まことに申しわけなかった。私のせいで、危険で不愉快な目に遭わせてしまった。しかもそれを行ったのは、私の母の実家だ。謝ってすむものではないが、どうか許してほしい」
「そんな。ノーマさんは、何も悪くありません。むしろ、ノーマさんの従兄弟であるゼプスさんを殺したあたいたちが謝らないと」
「あんたには感謝している。あんたがオレたちに謝ることなど何もない。できるなら、オレたちの研修を続けてほしい」
「それはこちらこそお願いしたいことだよ。実はちょっと困ったことになっててね」
ジンガーが立ち上がって部屋を出た。待合室や玄関が大勢の人でざわついているので、そのようすをみに行ったのだろう。
「困ったこと?」
「それは、何ですか?」
「いや、君たちが研修に来てくれて、何人かの患者を治療してくれたね。それがひどく評判になって、受診に来てくれる人も、往診を頼む人も、一気に増えてきているんだ」
「ほう」
「急病人や怪我人もたくさん来てるんですか?」
「いや。重い急病人なんて、突然増えるものではないし、軽い怪我や風邪や体調不良でわざわざ施療所に来る人はいないからね。急患はほとんどないんだ。それで、ここに来てくれる人は、まあいいんだ。診療時間いっぱい施療していけばいい。問題は往診だ」
「往診の何が問題なんだ?」
「今まで一度か二度しか施療していない人や、まったく施療していない人から往診の依頼が舞い込んでいる。いずれも重篤な症状を抱える人たちだ」
「なるほど。わかった」
「あたいはわかりません」
「簡単にいえば、私の施療ではすぐに効果が出なかった病人や、あるいは他の施療師に回復させられなかった病人たちが、往診を頼んできているんだ」
「ふむ。オレたちがそういう病人を治してもいいものだろうか」
「え? 治せる人は治したげたらいいんじゃないの?」
「まさにそこだよ、レカン。やりだしたらきりがないし、私の施療活動の妨げになりかねない。結論からいえば、レカンとエダの〈回復〉に一回銀貨五枚という料金を設定しようと思う」
「なるほど」
「ええっ? 高い。それは高いです」
「エダ。君たちの〈回復〉で一回銀貨五枚は高くない。それに、一回銀貨五枚はここの神殿の最低料金だから、それ以上安くすると別の問題が生じる心配がある」
「施療師の〈回復〉は、もっと安いって聞いたことがあります」
「それはごくごく初級の〈回復〉しか使えない施療師だろうね」
「それでいいとあんたが言うなら、オレに異存はない」
「じゃ、じゃあ、あたいもそれでいいです」
「ありがとう」
「ただし、その五枚のうち二枚は、あんたが取れ」
「えっ。いや、そういうわけにはいかないよ」
「オレたちは、あんたに〈回復〉のやり方を教わる立場であって、患者に〈回復〉をかけるのも研修の一環だと思ってる。研修を受ける側だけが報酬を受け取るわけにはいかん」
「なるほど。そういうことなら、ありがたく頂戴するよ。ところで、レカン。エダに〈回復〉を使ってもらっていいものだろうか」
「こいつに〈回復〉をするなと言うのは、人に同情するなということで、それは無理だ。だから、オレやあんたがみまもる場所でやらせたらいい」
「そうか。よし。そうだとして、エダには、〈回復〉と〈浄化〉を使い分けてもらう必要がある」
「そうだな」
「エダ」
「はい?」
「〈浄化〉の呪文を唱えたことはあるかな?」
「な、ないっす」
「では、今この場でやってもらおう。杖を出して、〈浄化〉を使ってみなさい」
「はい」
エダは杖を取り出すと、レカンに向けた。
「レカン。しゃがんで」
「うん?」
レカンがしゃがむと、エダはレカンの左目に杖を向けた。そして精神を集中し、はっきりと唱えた。
「〈浄化〉」
青く優しい光が杖にともり、大きくふくらんで、レカンの頭部を包み込んだ。
「おお。なんて大きな〈浄化〉なんだ……」
レカンは、かつてない心地よさを味わった。
光を浴びているというより、とろりとした油のようなものにひたされている感覚だ。その油がしみ込んでくる。しみ込んだ部分がやわらかくほぐされ、不快なもの、機能の妨げになるものが何もかも溶けて消えてゆく。そして言いしれぬ活力と喜びが、体のなかの深いところから湧き上がってくる。
幸せの光が消え去ったあとも、その余韻はしばらくレカンのなかを満たしていた。
「これは、すごいな。こんなにすごいものだったんだ。これでは、〈浄化〉を受けたやつらがやみつきになるのもわかる気がする」
「いやいや、レカン。君には老人の気持ちはわからないと思うよ。彼らが〈浄化〉を受けたときの感動もね」
「ふむ」
「レカン、ごめん」
「うん?」
「左目、治らなかった」
「これは治らない。治すには〈神薬〉でも使うほかないと、シーラも言っていた」
「レカン。ちょっと診察させてもらうよ」
ノーマが杖に魔力をまとわせ、レカンの左目を調べた。
「怪我や異状の反応が出ない。君の体は、左目がみえない状態を完全に受け入れてしまっているね」
「〈書き換え〉が起きている状態なのか?」
「それとはちがうと思う。だけど、さっきの〈浄化〉でも治らないというのは、よくわからないなあ。エダ、今度は〈回復〉をかけるんだ。〈浄化〉がどういうものかはつかめたと思うから、〈浄化〉にならないように〈回復〉をかけるんだ」
「やってみます」
エダは、慎重に魔力を練り上げた。
「〈回復〉」
緑色の光がレカンの頭部を包んだ。
温かで幸せなぬくもりが、レカンをひたした。
「やはり治らないね」
「ノーマ様。もうかなり診療開始時間を過ぎています」
「あ、いけない。レカン。エダ。施療室に行こう」