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この寝室の天井は、寝室としては高く、ごてごてしたふくらみや飾りがついている。その膨らみはところどころ空洞になっていて、先端には穴が開いている。
その空洞の一つに一人の男が、今しがたこっそりと移動して、筒のような物の先端を穴に当てている。
(吹き矢だな)
もとの世界では、吹き矢は暗殺者の武器だった。この世界でもそうなのだろうか。
物音一つ立てず忍び込んだのは見事だが、ドボルやギドーのように気配を消す能力は持っていないようだ。
「君はこの無法者にだまされているのだ。もしや脅されているのか?」
エダに話しかけながら、ゼプスはちらりと天井に目をやった。
この男は天井裏に暗殺者がいるのを知っている。おそらくこの男が、暗殺者への命令を出したのだ。
「あなたはあたいが〈回復〉の持ち主でなくても、あたいのことを気にしてくれましたか?」
天井裏の暗殺者の注意は、レカン一人に向けられている。レカンの体のどこを狙うか迷っているようだ。
「この屋敷で君は幸せに暮らせる。給金は望みの額を与えよう。どんな服でも作らせてやる。美味な食事と素敵な男たちが君を待っている」
吹き矢は貫通力が弱い。レカンは肌の露出が少ないから、狙いがつけにくいのだろう。
「その代わりに、すべての自由を奪うんですね。ノーマさんのお母さんがされたように」
当主のプラドと執事のカンネルが息を飲んだ。ゼプスは驚いた顔をしたあと、顔に憤怒を浮かべた。
「貴族家の秘密を、わが家の秘事を、あの下賤な女は、べらべらとしゃべったのだな」
天井裏の暗殺者が息を吸い込んだ。吹き矢を放つつもりだ。
「〈炎槍〉!」
魔力はすでに練り上げてあった。
膨大な魔力を込めた特大の〈炎槍〉が、天井を突き破り、屋根を貫いて、天に噴き上がった。本来〈炎槍〉は、女の手首ほどの太さだが、今放たれたそれは、人の体全体を包み込んであまりあるほど太かった。
高熱で一瞬に焼き尽くされたため、屋根も天井も、きれいな円い穴が開いた状態になっている。ばらばらと破片が落ちてきて降りそそぐ。
しばらくは誰も声を発しなかった。
レカンは、少しばかり後悔した。天井には、吹き矢の穴のほかには穴がみあたらない。なのに暗殺者は確かにレカンの位置を把握していた。たぶんそれは、顔に装着していた奇妙な道具によるものだ。その道具に興味があったのだが、つい消し飛ばしてしまった。といっても、レカンにはすでに〈立体知覚〉があるので、さほど残念ではない。
「天井裏の暗殺者が吹き矢を吹こうとしたので排除した。話を続けろ」
ゼプスの顔は、何が起きたのか理解するにつれ、まず驚愕にそまり、次に恐怖にゆがんだ。
エダは首を振った。
「もう話すことなんてないよ」
「そうか。なら、オレのほうから聞きたいことがある」
腰の袋に左手を突っ込んで、中型魔石を四個ほどつかみ取ると、魔力を吸って床に捨てた。魔力を失って空になった魔石が、からころと音を立てて床に転がった。
レカンは剣の切っ先をゼプスに突き付けた。
白銀の細身の剣身に、アリオスを斬った血が幾筋か流れ、凄絶な美しさだ。
「ひ、ひぃ、ひいいいいい」
後ろに下がろうとして足がもつれ、ゼプスは尻餅をついた。レカンは一歩進み出て、剣先を下げた。切っ先は、まっすぐゼプスの顔に突き付けられている。鮮血が一滴、白いシャツに落ちてしみを作った。
「エダがそうであることを、どうやって知った?」
それが疑問だ。その謎が解けなければ、これからも同じことが起きるかもしれない。
「それはわしじゃ」
しわがれた声が斜め後方から聞こえた。当主のプラドの声だ。
「今上陛下の戴冠の折、王都のエレクス神殿で祝福の儀が行われた。そのときわしは、〈浄化〉をみた。じゃから、エダ殿のわざが〈浄化〉であると、すぐにわかったのじゃ。それにこの体の回復ぶりは、いかに中級上級の〈回復〉であっても、あり得ぬ」
訊いてみれば単純なことだった。プラドは〈浄化〉を目撃していたのだ。そして中級や上級の〈回復〉も知っていた。そういう人間には、ばれてしまうのだ。
レカンはゼプスをみすえたまま、次の質問をした。
「オレが迷宮踏破者であることを、いつどうやって知った。オレたちの家を、どうやって突き止めた」
ゼプスは、あわあわと口をわななかせるだけで、まともに言葉がしゃべれない。代わって執事のカンネルが答えた。
「ゼプス様は、ノーマ様の身辺を、常にみはらせておいででした。あなたがたが研修されることになったとき、すぐにそのことを存じあげになり、ご当主にも報告なさいました。その日のうちに、お住まいも突き止めておられたのです」
ということは、つけられていたのだ。それには気づかなかった。
「当家には当家の情報網があり、ゴルブル迷宮二度目の踏破については、たしか三十五日に知りました。しかしその時点では、愚かなことですが、〈黒衣の魔王〉とあなた様が同一人物だとは気づかなかったのです」
ふつう迷宮踏破者が下町の施療師に弟子入りしたりしない。気づかなかったのはむりもない。
「今日の昼前、チェイニー商店の番頭が品物を納めにまいりまして、その者と話しているときにわかったのです。あなたこそが、あの〈黒衣の魔王〉だと。私はただちにご当主にそれを報告し、若様にもお伝えしました。ですがそのときにはもう、若様は部下をエダ様に差し向けておられたのです」
どうやら今回のことは、ゼプスの独断だったようだ。レカンは、そのことは信じてもよい気になりつつあった。
「エダ様をお迎えしたとお聞きしたときも、どう説得してお連れしたのか疑問には思いましたが、まさか誘拐であったとは」
ゼプスが、ふりふりと首を横に振っている。何を否定したいのだろう。いずれにしても、こんな男の言葉に何の価値もありはしない。ゼプスは、耳にさわる声で、レカンに提案をしてきた。
「だ、大金貨をやる。に、二枚だ。それでこの娘を譲れ」
レカンがゼプスの言葉に答える前に、カンネルがレカンに話しかけた。
「レカン様」
「何だ」
「失礼ながら、その剣はもしや聖硬銀ではありませんか?」
「ああ。シーラはまざりけなしの聖硬銀だと言っていたな」
「ありがとうございます。ゼプス様」
ゼプスは、名を呼ばれ、執事の顔をみあげた。
「カンネル。お前もこの男を説得しろ。大金貨二枚といえば、冒険者が一生かかっても拝めない大金だ」
「当家には、大金貨二枚を今ただちに支出できるほどの余裕はございません。する意味もございません。レカン様がお腰に差しておいでの〈ハルトの短剣〉は、六年前、王家が白金貨一枚の値をおつけになりました」
「な」
「今レカン様が右手にお持ちの聖硬銀の剣ともなれば、白金貨何枚の価値があるか、見当もつかないほどのものでございます」
「なな」
「あなた様は、迷宮深層を探索する冒険者がどういう存在であるか、まったくおわかりになっておられません。聖硬銀の剣と〈ハルトの短剣〉と、その二振りの剣だけでも、当家が動かせる資産の総額を超える価値があるのです」
「ば、ばかな」
「その貴重な品々を、無造作に使い捨てて戦うかたがたなのです」
カンネルは、放り捨てられて床に散らばる空の魔石に、ちらりと視線を送った。
「しかも命を捨てて戦うかたがたなのです。勝つことはできませんし、勝てても犠牲が多くて引き合いません。だから、どこの貴族家も争いません。争うとしたら、同じかたがたを陣営に引き入れるか、せめて迷宮騎士を育成する必要があります」
もはやゼプスは、口をぱくぱくするだけで、声を出すこともできない。
「あなたは誤りを犯されました。その責任は、私にあります。あなたの廃嫡に反対すべきではなかった。弟君を継嗣とすべきでした。結局私には、あなた様を次期当主としてお育てする力がなかったのです」
レカンは、主従のやりとりを聞くのに飽きてきた。
長男を殺しても弟がいるようである。もっとも、そんなことはレカンの知ったことではなかったが。
「話は終わったか」
カンネルは、厳しく、そして寂しそうな目でレカンをみた。
「はい」
レカンの剣が一閃し、ゼプスの首が刎ね飛ばされた。