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1
「あ、あんた」
レカンは食事を中断して顔を上げた。
三人の農民風の男がレカンの前に立っている。話しかけてきたのは、一番年長と思われる男だ。
「あんた、ジートルかい?」
ジートルというのは、もとの世界の言葉でいえば冒険者のことだ。
「そうだ」
「た、頼みたいことがあるんだ」
レカンは少し目を細めて次の言葉を待った。
「おらたちの村にザーグが出たんだ。倒してほしい」
「ザーグとは何だ?」
「あ、あんた、冒険者なのに、ザーグを知らないのか」
「北から来た。この国の魔獣は、あまり知らない」
「そ、そうなのか」
とりあえず三人を座らせて、自分は食事を続けながら話を聞くことにした。
白幽鬼は、ごく一般的な妖魔だという。
妖魔と魔獣のちがいについては、旅のあいだに学習した。妖魔も大きくは魔獣の一種だが、厳密には区別される。魔獣は食事もするし繁殖もし、普通の獣とちがわない。一方、妖魔は森や迷宮に自然発生する精霊のようなもので、普通の意味での生き物ではない。妖魔も魔獣も、人を襲う怪物であり、みつけたら退治しなくてはならない。
白幽鬼は人のような姿をしているが、角があり、目がないのだという。非常に力が強く、また、少々の攻撃では死なない。
その白幽鬼が一匹、村の近くに現れた。最初に襲われて食われたのはこどもだ。獣のしわざかと思っていたが、森に入った女が襲われ、それを目撃した夫の証言で白幽鬼だとわかった。村の男たちが総出で狩ろうとしたが、みつからなかった。
このままでは森に入ることができない。困り果ててこの町に冒険者を探しに来たということだった。
「報酬は、銀貨一枚。これだけしか出せないんだ」
銀貨一枚あれば、安宿なら五泊できる。食事付きなら三泊だ。命がけの討伐の報酬としては、たぶんひどく安い金額だ。だがレカンにとっては経験を積むよい機会である。
「寝泊まりする場所と食事はあるか」
「よ、用意する」
「イエール。仕事を受ける」
2
旅に出て二十日少々が過ぎていた。
レカンは、国の中心部に向かって歩いている。大きな街で腕のいい薬師に弟子入りするのが目下の目的だ。
ザイドモール家の当主が「感謝と餞別」として渡してくれた袋には、金貨が五枚入っていた。金貨一枚は銀貨百枚に相当するのだから、ひと財産だ。それを五枚も与えてくれたのだから、田舎領主にすぎないザイドモール家にとっては少なくない負担だったはずだ。
「魔石の報酬」として渡してくれた袋には、銀貨が二十八枚入っていた。何個の魔石を渡したか覚えていないが、もしかするとこの金額は魔石の利益を上回っているかもしれない。
そんなわけで、当分のあいだは金に困らない。のんびりと旅を楽しむことができる。
ただしレカンには、この世界における常識というものが圧倒的に不足している。まずは冒険者としてやっていけるだけの経験を、少しでも積んでいく必要がある。
そんなレカンにとって、これは渡りに船といってよい依頼だった。
三人の農民は、この町から歩いて半日ほどのガスコーという村に住んでいる。冒険者の斡旋所があるような町は遠いので、この町で冒険者か腕の立つ旅人を探そうとして、食事中のレカンに目をとめたのだった。
長身のレカンは、目立つ。顔つきも獣じみていて精悍だ。だから恐れられもするのだが、三人の農民には頼もしくみえたらしい。
3
その日はガスコー村に到着したら、すでに日没だった。
豆のスープと固いパンが出されたので、食べた。ごく貧しい食事だが、たぶん農民たちの食事より上等だ。
村の隅にあった古い馬小屋で眠るようにいわれた。ひどい匂いがしたし、藁はしめっていたが、冒険者を長年続けていれば、こんなねぐらにも不満は感じない。
翌朝早く、昨日レカンに話しかけてきたワズーという男が迎えに来た。
夜が明けてまもないというのにレカンが小屋の外で剣の素振りをしていたのをみて、ワズーはびっくりしていた。
「も、森に案内する。女が襲われた場所に」
「うむ」
早い出迎えには、早く怪物を退治して早く立ち去ってほしいという気持ちが込められているだろう。レカンとしてもこの村に長居をするつもりはないので、すぐに外套をまとった。小屋の隅に置いてある荷物袋を〈収納〉に入れようか、あるいは持って行こうかと考えたが、〈収納〉はみせないほうがいいし、とするとじゃまなので置いていくことにした。万一盗まれても大した被害ではないが、ザイドモール家から贈られた衣類は盗んでほしくなかった。
怪物が出たという地点は、ほんの少しだけ森に入った場所で、村の端から千歩も離れていなかった。こんな近くで怪物の被害が出たら、それは確かに心配だろう。
「じ、じゃあ、よろしゅう頼んます。わしゃあ、村に帰るんで」
「みつけたぞ」
「へえっ?」
「魔獣らしきものを、みつけた。これがその白幽鬼かもしれん。少しそこで待て」
レカンの〈生命感知〉には、少し前から青い点が映っていた。この位置からなら三百歩もない。
近づいてみると、大木の根元のこんもりとした低木の茂みのなかに、何者かがうずくまっている。
レカンが剣を抜いて構えると、その何者かはおもむろに立ち上がった。
なるほど、人のような姿をしている。ただし頭部には角がある。
目があるべき位置には、ただ穴が空いているばかりだ。その奧はひどく暗くて、眼球のようなものがあるのかどうかはわからない。たぶん、この怪物も、肉眼とは関係のない探知能力を持っているのだろう。
鼻のようなものはあるが、鼻の穴があるのかどうかは、よくわからない。
口は巨大だが、歯があるようには見えない。ただし、人間をむさぼり食うというのだから、かみちぎる能力は備えているにちがいない。
ぼ〜〜お〜〜う〜〜。
白幽鬼が両手を振り上げ、虚空をにらんで雄叫びをあげた。
「ひっ、ひっ」
ずっと後方で、ワズーが腰を抜かしている。
ザーグの発した声を、レカンは恐ろしいとは感じなかった。
風が太い筒を通り抜けるときに出る音に似た不気味な叫び声なのだが、妙に物悲しく感じた。
それにしても、大きい。
たまたまこの個体が大きいのかもしれないが、身長はレカンとほぼ同じだ。胴回りはレカンより太い。
顔や指先まで含め、全身がぼろぎれに包まれているようにみえるが、よくみてみると、それは表皮の一種であるようだ。
レカンは剣を一閃させ、怪物の左腕を根本から断ち落とした。
それにかまわず白幽鬼はレカンに近づいてくる。
レカンは後ろに飛びすさり、怪物の動きをみつめた。
移動は速くない。
木の枝を斬り落とし、素早く葉を払って即席の棍棒を作ると、白幽鬼のほうに突き出してみた。
白幽鬼は、残された右腕で棍棒を振り払った。
動作はのろのろしたものであり、機敏な人間なら問題なくかわせるだろう。だが、その力は強い。当たり所によっては一撃で人間を昏倒させられる威力だ。それどころか、打ち所が悪ければ死ぬかもしれない。
そのまましばらく棍棒で白幽鬼の動作を試してみた。
特に意表を突くような動作はないし、いずれにしてもこのような緩慢な動きしかできないなら、十体二十体を同時に相手にしても、まったく脅威はない。
左腕の切り口からは、体液が流れ出る気配もない。やはりこれは生き物ではない。
首を刎ねた。
相手が倒れると、〈魔力感知〉で魔石の位置を探ったが、みあたらない。
どうも妖魔は、倒しても魔石が生成されないものらしい。
怪物の体は砂になって崩れた。
レカンはワズーのそばにもどった。
「依頼は果たした」
「は、はひ」
「金をくれ」
レカンは報酬を手にして、さっさと村を立ち去った。
今回の経験で、白幽鬼も〈生命感知〉で探知できることがわかった。たぶんほかの妖魔も同じように探知できるのだろう。そしてその色は青だった。レカンの特殊能力である〈生命探知〉では、魔力を持つ人間は赤点として、魔力を持たない人間は薄い色の赤点として表示される。そして獣は緑点として、魔獣は青点として表示される。
つまりザーグは魔獣と同じように表示される。たぶん、魔力を持つ人外の存在は青点で示されるのだ。今後どんな例外に出くわすかもしれないから断定はできないが、当面、青点を感知したら敵と思っていればよい。