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レカンは聖硬銀の剣を鞘に収めると、行くぞ、とひと声かけて、後ろを振り向きもせず、歩き始めた。後ろにエダがついてきていることは、みなくてもわかる。
三階から二階に降り、玄関のほうには進まず、二階の奥に進みかけたところで、五人の男が襲いかかってきた。
といっても、武器は持っているものの、あきらかに戦いの素人だ。五人ではうまく動けず、お互いがじゃまになっている。
「〈火矢〉」
レカンの左手から五本の〈火矢〉が放たれ、五人が武器をにぎる手に、それぞれ着弾した。
「うわっ」
「ぎゃっ」
五人は悲鳴をあげ、武器を放して悶絶する。
さすがにレカンも、これほど弱い敵を殺す気にはなれなかった。
「れ、レカン?」
「うん?」
「今の〈火矢〉、曲がったよね?」
「ああ」
そういえば、〈驟火〉で魔法を曲げて撃つわざを覚えたので、深く考えもせず〈火矢〉を曲げて撃ってしまった。
「そんなことができるんだ。さすがレカン」
確かにこれは使い勝手のよいわざだ。
もしかすると、〈炎槍〉も曲げられるのだろうか。そうだとすれば、死角にいる相手を倒すことができる。
「待て待てー! 手を、手を出してはならん!」
執事のカンネルだ。
カンネルは、レカンの前に立ちふさがった。
「どけ」
「レカン様。どこに行かれるのですか」
「当主の部屋だ」
「ご当主を、どうなさるおつもりか」
「人のものを奪ったむくいを受けてもらう」
「このたびのことは、ご当主のまったく存じあずかられないことなのです」
「お前は、盗賊がナイフで人を殺したら、盗賊ではなくナイフを罰するのか?」
当主が誘拐を知らなかったなどというばかげた釈明を信じる気はレカンにはないが、かりに知らなかったとしても、屋敷の人間が人をさらい、屋敷に監禁している責任が、当主にないわけがなかった。
「あなたのおっしゃることはわかります。だが、最後の釈明をさせていただきたい。おい」
カンネルが近くにいた従僕に話しかけた。
「ゼプス様を、当主様のお部屋にお連れしなさい。急ぐのだ!」
「は、はい」
急ぎ足で立ち去る従僕をみおくって、執事カンネルはレカンに頭を下げた。
「ご案内いたします」
廊下を端まで歩くと、奥に立派な扉の部屋があった。当主の寝室だ。
その前に男が立っている。剣士だ。しかもこの男は腕が立つ。
細身の剣を腰に吊り、右手を添えて、いつでも抜剣できる体勢だ。
「カンネル殿。まさかその男をこの部屋に入れるつもりではないでしょうね」
「アリオス殿。レカン様を、当主様にお引き合わせいたさねばならぬ。そのうえで、当主様にもご事情をお話しし、レカン様に釈明させていただく」
「そのように殺気をただよわせた者を、この部屋に入れることはできません」
「聞き分けられよ、アリオス殿。このかたは、ゴルブル迷宮を二度にわたってソロで踏破された〈黒衣の魔王〉レカン様だ。抵抗すれば、この家は滅びる」
アリオスはカンネルに返事をしなかった。その目はただまっすぐにレカンに向けられている。
レカンが扉に一歩を進めると、アリオスは挑みかかる予兆をみせた。
ただならぬ気配をまとった男だ。もしかすると、この世界に来て出会ったなかで、最も腕の立つ剣客かもしれない。
しかしレカンは剣士である前に冒険者である。わくわくするような戦いをしたいという欲求はあるが、今はのんびり決闘ごっこをしている気分ではない。
「〈火矢〉」
レカンがさらりと呪文を唱えると、百本に達しようかという〈火矢〉が左手から生じた。アリオスとかいう名の剣士は、驚いたことに、至近距離で突然生まれた暴力的な数の魔法の矢のほとんどをかわしたが、何本かが肩や腹や足に突き刺さって爆発した。わずかに動きを止めたアリオスの体を、レカンの聖硬銀の剣が両断した。いや、両断したはずだった。
妙な手応えだった。服の下に、きわめて強靱な防御力のある何かを着ていた。聖硬銀の剣でなければ断ち斬れないような何かを。
その何かをもってしても、聖硬銀の切れ味を防ぎきることはできなかったが、身体を両断するはずの剣筋はそらされ、深々と左肩から右脇腹を斬り裂くにとどまった。
だが、いずれにしても致命の一撃である。死んだも同然のアリオスは、後ろに跳びすさった勢いのまま、大量の血を噴き出しながら後方に崩れ落ちた。
抜かれることのなかったアリオスの剣を、レカンは死体からもぎ取り、そのまま〈収納〉にしまった。これはまちがいなくよい剣だ。勝負に勝ったレカンに所有権がある。少なくとも、レカンはそう考えた。
はずれた〈火矢〉は、壁や床に少なからぬ損傷を与えた。特にアリオスが立っていた後ろ側の壁は穴だらけになり、燃えている。レカンが当主の部屋に入れば、使用人たちがあわてて消火するだろうが、べつに燃えたままでもかまわない。
カンネルが扉を開けた。
「当主様。失礼いたします。冒険者のレカン様をご案内いたしました」
「今の音は何だ。何があった」
「アリオス殿が、私の頼みに反してレカン様に剣を向けようといたしました。そして、死にました」
「なにっ」
レカンは、部屋の入り口で当主と会話しているカンネルを押しのけて、部屋に入った。右手には抜き身の剣がにぎられている。そのあとにエダが続く。
「レカン……それにエダか。昨日は世話になった」
「その返礼が誘拐か?」
「なにっ?」
「しばらく。しばらくお待ちください、レカン様。当主様。ゼプス様が、エダ様を、この屋敷にお連れしたのです。ご本人の意に反する方法で。そしてレカン様は」
レカンはアリオスの血にぬれた聖硬銀の剣を、カンネルの首に突き付けた。
「嘘をついて油断させ、魔道具で昏倒させて誘拐するのを、この家では、お連れする、というのだな」
「申しわけございません」
「ま、待て。待ってくれ。カンネルを殺さないでもらいたい。しかし、誘拐だと。まさか。そんなばかなことをするわけが」
部屋の外であわただしい物音がする。わめいている者がいる。
「これは、これはいったい何が起こったのだ。アリオス殿? まさか!」
カンネルが厳しい顔つきで開いた扉の外をにらみ、大声を発した。
「ゼプス様! 当主様のお部屋にお入りください」
立派そうな剣を左手に持って、壮年の男が部屋に入ってきた。この男が当主の孫で後継者のゼプスなのだろう。
気取った口ひげを生やしている。
「カンネル。当主様の寝室に暴漢を入れるとは」
ベッドの上で上半身を起こしている当主のプラドが、孫の言葉をさえぎった。
「ゼプス。エダ……殿をかどわかしたというのは事実か」
「事実ではありません。保護したのです」
「保護、だと?」
「はい。神々の寵愛を受けた才能ある少女を暴虐な無法者から保護したのです」
この言葉を聞いて、レカンは目の前が真っ赤にそまるほどの怒りを覚えた。おそらく今レカンの目をみた者は、沈みかけた太陽のような色だと言うだろう。あるいは、したたる血のような色だと。
言ってやりたい言葉があった。だが、怒りが喉を詰まらせ、話すことができない。だから話す代わりにこの男を殺すことにした。
ゼプスの首をはねるべく、レカンが右手を動かそうとしたそのとき、レカンの斜め後ろでエダが声を発した。
「あたいは最初、レカンに出会って別れたあと、レカンを探しました。二度目に出会ったあとは、ほんとに一生懸命探しました。レカンこそあたいを助けてくれる人だと、あたいを導いてくれる人だと思ったからです」
ゼプスが、傲岸そうな顔をエダに向けた。
「三度目に出会ってから、レカンはあたいに、いろんなことを教えてくれました。あたいの〈回復〉は、レカンに教えてもらったものなんですよ」
「それは知らなかった」
「あなたはゼプスさんですね」
「そうだ」
「あなたの使いという人は、レカンに用事があると嘘をついて家に入り込み、後ろからもう一人の人が何かの道具を使ってあたいを気絶させました。あたいの話なんか何一つ聞こうとしなかったんだから、あたいの事情や気持ちなんて、ご存じのわけがないですよね」
エダが淡々とゼプスに告げる言葉を聞いているうちに、レカンの心は静まった。まだ腹は煮えているが、頭には冷静さが戻った。
いる。
誰かが天井の上にいる。