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「ところで、訊きたいことがある」
「何だね?」
「ノーマの母が〈浄化〉持ちだったことは知っていたか?」
「え? いや、今はじめて聞いたよ。そうだったのかい?」
「ならば、何とやらいう名の侯爵の屋敷に閉じ込められて、死ぬまで〈浄化〉をかけさせられ続けたということも知らなかったんだな?」
「おやまあ、そうだったのかい。知らなかったよ」
「そうか。オレは、ノーマの身の上話を聞いて、〈浄化〉持ちが自由な生き方ができないという、そのことの意味を実感した。だから、あんたがわざとノーマのもとにオレとエダを研修に出したのかと思った」
「そういうつもりじゃなかった。だけど、そんなことをノーマがあんたたちに話したのかい?」
「往診先で、エダが〈浄化〉を発動させてしまったからな。その責任のようなものも感じたのかもしれん」
「それにしてもだよ。あんたたち、ずいぶんノーマに信頼されたね」
「ふむ。そうだろうか」
「あの娘は、あれでなかなか口が堅いし、気に入らない相手とは話さない。まして自分のことは人に話したりしないタイプだ」
「ずいぶんよく知っているんだな」
「そんなに付き合いが長いわけでも深いわけでもないんだけどね。だけど、ああいう人間は、ほかにもみてきた」
「そうか。それはそうと、〈図化〉という能力に興味がある。オレに覚えられるだろうか」
「〈図化〉ねえ。どうやって教えたらいいんだろう」
「なに?」
「今、〈図化〉を使ったんだけど、わかったかい?」
「いや」
「そうだろうねえ。〈図化〉ってのは、術者のなかで完結してるからねえ。こういう術だよとみせてやることができない」
「あんたはどうやって覚えたんだ?」
「あたしかい? あたしは……はて。どうやって覚えたんだろう?」
シーラはしばらく考え込んだ。
「だめだ。思い出せない。もう三百五十年以上たつからねえ」
「何かコツのようなものがあるのか」
「うーん。どうだろ。まあとにかく知覚系だ。中級魔法だという人もいるけど、そんなにむずかしい魔法じゃないんだ。コツねえ。そうだねえ。とにかく迷宮でいろいろ試してみるこったね。迷宮を〈鑑定〉するようなつもりでさ」
「迷宮を〈鑑定〉?」
「迷宮のその階層がどんな造りになってるかを心に思い描いてみるのさ。それがコツといえばコツかねえ」
「わかった。やってみよう」
そのあとしばらく、レカンはシーラと魔法談義に興じた。
〈閃光〉という魔法は、非常にまぶしい光が瞬間に生じるだけの魔法だが、魂鬼族の妖魔には一定程度効果があるという。また、人間同士の戦いでは目くらましというのは案外有効なので、相手が〈閃光〉の呪文を唱えたらただちに目を閉じるよう注意された。
この次の機会には、〈雷撃〉の練習の続きを行うが、それが習得できたら、次は〈加速〉に挑戦することになった。これも非常に有用そうな魔法なので、レカンとしてはぜひ習得したいところである。
つい話に夢中になって、思わぬ時間を過ごしてしまった。
シーラの家を辞したあと、レカンは孤児院に向かった。途中屋台で串焼きを買って食べた。そこで買い物を思い出し、干し肉と野菜と堅いパンと水を買った。道中の食料にはじゅうぶんな量だ。迷宮のなかで食べる物は、迷宮に入る前に買ったほうがよい。
孤児院に行くと、こどもたちにみつかってしまい、引きはがすのに苦労した。ちょうど副神殿長がいたので、一か月ほど町を離れる旨を伝えた。
そしてレカンは家に帰った。もう暗くなっていた。
エダがいない。
どこにもいなかった。
もちろん、家に着いた時点で、エダの不在は感知している。
レカンはふと、以前しばらく一緒に過ごした女が、レカンが迷宮に潜っているあいだに姿を消したことを思い出した。どこに行ったか探そうともしなかったが、しばらくのあいだは寂しい気持ちが消えなかった。
エダもどこかに消えたのかと、最初は思った。
だが、それはおかしい。
明日から一緒に迷宮に行くことを楽しみにしていたのだ。去ったわけではなく、何かの用事ででかけたのだろう。
そうは思いながら、レカンは〈立体知覚〉で家のなかを調べた。
「うん?」
レカンは、〈立体知覚〉で探り当てたものを間近で確認するため、エダの部屋に入った。
〈箱〉が置いてある。なかに〈イシアの弓〉が入っていることは、一目瞭然だ。
(これを放り出したままエダが外出する?)
(ありえん)
レカンはあらためて〈生命感知〉に意識を集中した。この能力は、半径千歩の生命体を感知するものである。人間は赤く表示される。強い魔力を持った人間は強い赤色で表示される。ただし精度は高くなく、シーラのようなけた外れの魔力を持つ人間でもなければ、個別の人間を識別することはできない。それにしても、エダではないかと思えるような人間は、千歩以内にはいない。
井戸ものぞき込んでみた。〈生命感知〉は、高い場所や低い場所にいる者は表示しないこともあるからだ。だが、もちろん井戸の底にエダはいなかった。
エダの保有魔力量は多く、その質も特徴的だ。だから、〈魔力感知〉なら、エダをそれとみわけることができる。しかし、〈魔力感知〉の有効範囲は、最大でも二十歩ほどで、遮蔽物があれば感度は落ちる。
そう広くもない家を、レカンは歩き回った。
小さな庭の隅の木の陰も調べた。
台所をのぞけば四つしかない部屋もみた。
井戸のなかももう一度みた。
だが、いない。
エダがいない。
どこにもいない。
「待てよ? もしや、隣の家に」
左側の家には中年の夫婦が住んでいる。右側の家には少し前まで足の悪い老人が住んでいたらしいが、今は空き家だ。
左の中年夫婦はあいそが悪くはない。エダは越してきたときにあいさつに行ったし、時々世間話をしているのをみた。
レカンは隣の家の前まで行き、〈立体知覚〉と〈魔力感知〉でエダを探った。
だが、エダらしき人間を探り当てることはできなかった。
戸をたたいた。
出てきた中年の妻は、レカンをみあげて、ひっ、と悲鳴を漏らした。
「こんな時間にすまんが、エダをみなかったか?」
「さ、さあ? 昨日も今日も会ってないよ。あ、でも」
「でも?」
「今日昼過ぎに、なんかえらく立派な馬車が、あんたたちの家の前に止まってたけどねえ」
「そうか。礼を言う。じゃましたな」