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「そこが問題だね。私も思わぬ事態に驚き、母のことが頭をよぎったものだから、すっかり動転してしまったが、冷静に考えてみれば、そこまであわてるような事態ではなかったようだ」
「ほう。そうだろうか」
「そうだとも。考えてもみたまえ。同じ貴族といっても、ゴンクール家は、侯爵家と比較にはならない。領主家にも他の貴族家にも気を遣わねばならない立場だ。絶対権力者というわけではない。そうむちゃはできない」
レカンはこれには賛成できないが、わざわざ否定することもしなかった。ノーマは、人差し指を額に当てて、独り言のように言葉をつむいだ。
「プラドさんは、目覚めれば、体調が非常によいことに気づくだろう。だが今までにも、時々神官を呼んで〈回復〉をかけてもらっているから、そのことに、それほど驚きはしないと思われる」
「ふむ」
「だが、二、三日、あるいは三、四日すると気づく。いったんよくなった体調が、いつもならすぐに悪くなってゆくのに、今回はそうでないと。そのとき、エダがかけた〈回復〉の色が、ほかの〈回復〉の色とはちがうということに、思い至るかもしれない」
「そうだろうな」
「ただ、魔法の色というのは個人差があるから、ただちに、〈浄化〉だとは気づかないはずだ。それに、エダは〈回復〉の呪文を唱えたのだから、あれは〈回復〉だと考えるはずだ」
「ふむ。そうかもしれん」
「同じ〈回復〉なのに、神官の〈回復〉より効果が高い。これはなぜかということになる」
「なるだろうな」
「そのときゴンクール家は、どうするだろう。私を呼んで訊くだろうな。この体調のよさの理由は何かと」
ゴンクール家とノーマの関係がそのようなものであるとしたら、確かにゴンクール家はノーマに問い合わせるだろう。それが自然だと、レカンにも思われた。
「私は何と答えればいい? あれは〈浄化〉でしたと答えるのは、絶対にだめだ。それを知ればゴンクール家が欲望にそまるかもしれない。続けて何か月も〈浄化〉をかけたときのような目覚ましい効果を体感したわけではないが、それでも、〈浄化〉持ちを手に入れられるかもしれないと気づけば、むちゃなことをするかもしれない」
「その通りだろうな」
「だから私は、あれは〈浄化〉でしたとは、絶対に言わない。とすると、どう答えればいい? ふむ」
ノーマは、右手の五本の指を広げて両目をおおった。白く、細長い、美しい指だ。女性の手にしては大きな手だが、その大きさが美しさを引き立てている。
「あれは〈回復〉だったんだ」
顔を上げ、決然としてノーマは宣言した。
「ただし、上級の〈回復〉だ」
「ほう」
「そして、今回の治療が効果を上げたのは、エダの〈回復〉だけの力ではない。長年にわたって服用してきた薬草が、今やっと本当の効果を現してきたんだ」
「それで通じるかな」
「私に理論で勝てる相手は、この町にはいないと思う。今日まで研究した理論を総動員して説明をつける。嘘はつかないよ。実際の研究の成果に即して、こういうことならあり得たという一つの仮説を提示するのだ」
「ほう。それならうまくいくかもしれんな」
「相手は私の説明を、一応は信じるほかないと思う。だが、どの程度信じるにせよ、信じないにせよ、もう一度エダを呼びたいと言い出すのはまちがいない。当然、私を通じて呼び出そうとするはずだ」
「そうだろうな」
「レカン。エダ」
「何だ?」
「何ですか?」
「君たちは、近々、ある程度の期間、この町を離れるような予定はないのか?」
「ほう。それを訊かれるとはな。実は、ノーマのもとでの研修が終わったら、ニーナエの迷宮に行くことになっている。オレとエダの二人でだ。期間は行き帰りも含めて一か月程度と、シーラには言われている」
「それだよ! ぜひ、すぐに行きたまえ。研修はいったん卒業だ!」
「それは早すぎるだろう」
「もっと教えてもらいたいです」
「この件が落ち着いたら、ぜひ研修を再開しよう。君たちには、実に教えがいがあるし、君たちの〈回復〉に接することで、私の研究も大きく進む。私の患者たちも救われる」
「この町を離れたからといって問題は消えない。戻ってくれば同じことではないのか」
「いやいや。今欲しいのは、観察のための時間だ。プラドさんの病状が、この数日でどう変わるか、十日先には、二十日先にはどうなっているか、そこがわからなければ、次の手の打ちようがない。ぜひ迷宮に行きたまえ」
これは魅力的な提案である。
まず、とにもかくにもこの町を離れているあいだは、エダに危険は及ばない。
時間がたてば、ノーマのほうで対抗策を考えてくれるというのも、ありがたい。
何より、レカンは迷宮に行きたかった。
「その提案に乗ろう。シーラに相談する」
実はもう一つ訊きたいことがあった。それは、ジンガーはなぜここにいるのか、ということである。ジンガーは、侯爵家の騎士であるはずだ。あるいは、侯爵家の騎士であったはずだ。そのジンガーが、なぜここにいるのか。
だがそれはノーマの内情に立ち入った質問となる。そもそも、説明すべきことであるなら、ノーマのほうから説明したはずだ。
そう思えば、ここでその質問を発する気にはならなかった。




