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狼は眠らない  作者: 支援BIS
第13話 誘拐
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 ノーマは、くいっと、冷めた茶を飲み干した。空になったカップをみながら言葉を続けた。

「だが、変化は少しずつ訪れていた。最初は十日に一度だった〈浄化〉は、八日に一度になり、六日に一度になり、五日に一度になった」

 カップをテーブルに置いた。

「レカン、君には想像もつかないだろうね。老いて自由に動けなくなり、体のあちこちが休みなく痛みにさいなまれる肉体というものを。だけど、そんな肉体が、〈浄化〉をかけてもらえば、痛みも苦しみもなくなる。若いころのように動き、考え、仕事ができるんだよ」

 ジンガーが、空のカップに新しい茶をそそぐ。

「ところが、一日たち、二日たてば、体はおとろえ、痛みや苦しみが襲ってくる。侯爵は、その苦しみに、段々耐えられなくなっていった。どうしたらいい? 決まってる。〈浄化〉の間隔を短くするんだ。はじめ十日に一度だった〈浄化〉は、次第に間隔がせばまり、やがて二日に一度までの頻度になっていた」

 ノーマは、カップを持ち上げ、鼻の前でくゆらせて、香りを楽しんだ。

「母には何もかもが与えられた。秘宝級の杖。魔力を底上げする首飾り。呪いを無効化する指輪。最高の服飾職人の仕立てた服。豪華な食事。そして騎士ジンガーという護衛」

 レカンはジンガーをみた。皺の刻まれた顔には感情のゆらぎはみとめられない。この男は最初に思った以上に手ごわい相手のように感じる。

「破滅は何げない形でやってきた。ある日、父に与えられた患者が、父の前で吐血したんだ。母はその患者に〈浄化〉をかけた。かけてしまった」

 ということは、侯爵以外の人間には〈浄化〉をかけてはいけないと禁止されていたのだろうか。

「日に一回の貴重な〈浄化〉を無為に消費してしまい、そのために侯爵に〈浄化〉をかけられなくなったらどうするのか、と父と母は責められた」

「青ポーションを飲めばすむことだろう」

「もちろんだ。実際、母は、そのとき青ポーションを与えられたよ。だが、青ポーションを連続して使えば効果は落ちるし、そもそも母の魔力量は、あまりにもわずかだ。もしも母が青ポーションを使って日に二度、侯爵以外の人間に〈浄化〉をかけたらどうなる?」

「それは心配のしすぎだ。それに、そんなことは、お前の母の自由だ」

「侯爵家の人々は、そう考えなかった。君は、有能で実績があり、周囲ににらみのきく最高権力者が、健康で元気にあふれていることの価値がわかるかな? 町は繁栄を謳歌していた。極論すれば、その繁栄は、母によって支えられていたんだ」

 レカンも茶を飲み干した。ジンガーが新しい茶をつごうとしたが、手ぶりで断った。

「母は、侯爵家に閉じ込められた。私が十歳のときのことだ」

 ノーマは、少しきびしい目つきで壁をにらんだ。

「十年間だよ、十年間。老いて病んで死にかかっていた老人が十年間生き延びたんだ。生き延びただけじゃない。いつしか床につくこともなくなり、元気いっぱいで仕事をして、新しいこどもさえ作った」

 にっこり笑ってレカンをみた。いたましい笑顔だ。

「もちろん誰でも〈浄化〉の素晴らしさを知識としては知っている。だが侯爵という実例をみて、みんなは〈浄化〉の何たるかをまざまざと理解したのさ」

 ノーマは、椅子に深く座り直し、天井に視線を送りながら、両手の指を腹の上で組み合わせた。

「母は毎朝、青紫のポーションを飲んで、侯爵に〈浄化〉をかける。そして、小青ポーションを飲んで、午後には別の誰か一人に〈浄化〉をかける。その誰かとは侯爵家に何か大きな貢献をした人であり、かつ一回につき金貨五枚の寄付ができる人だ。いつのまにか、そういうことになっていた」

 青紫のポーションは、魔力を一時的に増幅する。レカンもゴルブル迷宮で何個か手に入れたが、使ってみたことはない。

「私は五日に一度くらい、母に呼ばれた。母が私に訊くことといえば、父の暮らしぶりばかりだったよ。父は母に会うことを許されなかった。なぜかは知らない」

 ここでエダが質問をした。

「侯爵は、今でもお元気なんですか?」

「いや。母を閉じ込めた四年後、老いが侯爵に追いついた。最後は〈浄化〉も、ほとんど効かなかったらしい。だが、死が十四年間も引き延ばされ、死の直前まで健康で働けたんだ。〈浄化〉というのは、本当にすごい魔法だよ」

「それで、お母さんは解放されたんですか?」

「いや。長男が侯爵家を継ぎ、母も受け継いだ。もう母は侯爵家の財産になっていたんだ。当主が代替わりしたあと、父は、母に会わせてほしいと頼んだことがある。そのとき新侯爵は、こう訊いたそうだよ。いいけど、お前、金貨五枚が払えるのか?とね」

「なんて、ひどい」

「ひどいとも何とも思っていないところが、実にひどいね。侯爵家などというものは、そういうものなのだよ。領地と自家を守り繁栄させるための機械なのさ。当主といえども歯車であって、全体の動きに逆らうようなことはできないのだ」

「だって、ノーマさんのお父さんと新侯爵は兄弟でしょう?」

「血筋の上ではそうだね。だけど、家柄の上ではそうじゃない」

 レカンは、話を本筋に戻すために、質問をした。

「いつ、なぜ、ここに来た?」

「そう、それだ。私が十七歳のとき、母が死んだ。すると侯爵家では、私の結婚の相談が始まった」

「お母さんへの罪滅ぼしのためですか?」

「ぶっ。いや、失礼。エダは、いいなあ。そのけがれない魂を失わないでほしいと思うよ」

「もしかして、ばかにしてます?」

「いやいや、とんでもない。私の結婚を気にするようになったのは、私のこどもに〈浄化〉の才能が現れるかもしれないという、小さな期待のためだ。魔法の才能というのは、こどもに受け継がれることがあるものだし、同じ血筋には同じ系統の魔法が発現しやすい。実際私は、弱いながらも魔力持ちだし、〈回復〉も使える。わずかな可能性であっても、もう一度〈浄化〉持ちを得るためなら、彼らは何でもしただろうね」

「どうやってのがれたのだ」

「新侯爵が、父に言った。町を出たいなら、そのように取りはからってやる。ただし、財産は持ち出せないとね」

「ふむ。何を狙ったのだろうか」

「先代侯爵と母との約束だったのだそうだ。父と私を束縛しないというのが。それが黙って侯爵家に仕える条件だったそうだ」

「わからんな。そんな約束があったとしても、本人が二人とも死んでいるなら、守る必要はないだろう」

「単なる約束ではない。神官を呼んでの、エレクス神への正式の誓いだ。破るようなことがあれば、前侯爵の魂は地獄に投げ込まれ、侯爵家は紅蓮の炎に焼かれる」

 儀式を行った誓いでも、破る者は破る。もとの世界で、ある貴族が、神に生け贄を捧げて父親と行った誓いを、父親の死後あっさり踏みにじるのをみたことがある。ただし、この世界ではちがうのかもしれない。

「私が十七歳のとき、つまり九年前に、父と私はこの町に来た。財産は持ち出せないと言われていたが、それでも、数多くの薬草や本を持ってくることができた。まあ、侯爵家の基準からすれば、そんなものは財産のうちに入らなかったのだろうね」

 父と一緒にこの家に帰ったというが、その父は家にいるようすがない。それはどういうことなのだろうとレカンが考えていると、ノーマが答えをくれた。

「翌年、父は決闘で死んだ」

「うん?」

「えええっ?」

「母を平白蛇で殺そうとした貴族がいた、という話をしたね。その貴族家の当主と娘は、事件の少しあと、侯爵家に呼び出され、むごい死に方をした。母は侯爵家の秘宝となったわけだからね。その母を殺そうとした父と娘を、侯爵は許さなかった。みせしめの意味もあったと思う。母に手を出してはならぬというね」

「そのことと決闘と、どういう関係があるんですか?」

「その貴族の息子は、父がこの町に帰ったのを知って、父が侯爵家から追い出された、と考えたんだろうね。その貴族家の騎士が父に名誉ある決闘を挑んだ。父は決闘を受け、一太刀で殺された」

「お前の父は、家名を捨て、平民としてこの町で暮らしていたのではないのか」

「母の形見の杖が盗まれてね。決闘に応じれば、杖を返すと言ってきたのさ」

「その行いのどこに名誉がある」

「まったく同感だよ。しかも相手は、父を殺したあと、私を拉致しようとした。ジンガーが助けてくれなければ、私はさぞ悲惨な末路をたどったことだろう」

 レカンはジンガーをみた。あいかわらず静かにたたずんでいて、感情のゆれなど、どこにもみえない。

「ただし、その貴族は、新侯爵の気質や思考を読みちがえていた。新侯爵は激怒したんだ。家の体面を傷つけられたと考えたんだろうね。貴族家の当主の首はすげかえられ、何人かが罪を問われて処刑された。結果として、私の安全は保証されたといえる。この杖も戻ってきた」

 ノーマは、父譲りの知識と技術をもってこの施療所を継いだのだろう。

 レカンは、ノーマ自身の出自や半生に格別の興味はなかったが、この身の上話は、エダの身に照らしたとき、きわめて重要な情報である。かりにも侯爵家当主の息子の妻でさえ、監禁されて奴隷のような生活をしいられたのだ。〈浄化〉持ちを待っている過酷な運命の実例を、今レカンは聞いたことになる。

 ノーマは語るべきことを語り終えたようだが、訊きたいことがいくつかできた。

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― 新着の感想 ―
何度目でしょうかまた読み返してます。 ふと気になったのですが現代の地球人である私たちは「機械」という言葉に対して様々なものが想像できますが、レカン達の世界は所謂「道具レベル」であって機械とは言えないの…
2024/11/30 17:46 リピーター
[一言] クリムスの時と同じなんですが、この話を見た当時はレカンがワズロフ家と親しい間柄になるとは思いませんでしたね 浄化に頼り切ってた時期からそれなりの時が流れ、その時のことを覚えてる面々が激減して…
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