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午後に往診した二軒は、いずれも貧しい家だった。
二軒とも、ノーマが詳しく病状の説明をしたあと、レカンが〈回復〉をかけた。
レカンの〈回復〉は、めざましい効果を上げた。さすがに長患いをしていた病人がただちに立ち上がるというようなことはなかったが、本人たちが、楽になった、元気になれたと喜んだ。家族たちも喜んでいた。
施療所に帰り着いて、ジンガーの淹れてくれた茶を飲みながら、レカンは訊いた。
「赤ポーションについてはわかった。〈回復〉はどうなんだ? どんなふうに働くんだ?」
「〈回復〉は、生命の根源の働きと相談しながら、生命の根源の働きが命じるように、肉体を再構築してゆく働きだ。肉体の様態の多様性を許容する、実に柔軟な働きなんだ」
「さっぱりわからん」
「あたいも」
「〈回復〉は、病の枝葉を滅ぼしてゆく。〈回復〉は、病の枝葉を復元しない。〈回復〉は、病の根さえも、ある程度取り去る」
「ふむ」
「いいことだらけなんですね」
「そうでもない。未熟な赤ポーションは存在しないけど、未熟な〈回復〉は存在する。下手な術者が重篤な患者を治療すると、最善ではない状態に〈回復〉させてしまうことがある。ただし、怪我については話が別だ。〈回復〉は怪我には実によく効く。じゅうぶんな魔力量をそそいだ〈回復〉なら、どんなひどい怪我も治る。だから迷宮では〈回復〉が重宝されるんだ。迷宮では、〈回復〉のランクより魔力量が重要だろうね」
「ちょっと待て。数日前、馬車にひかれた少年の治療のとき、あんたは言った。こういう状態で下手な〈回復〉をかけると、妙な具合に骨がくっついてしまい一生もとに戻らなくなると。また、まずは体のなかの泥や悪いものを追い出せとも言った。それで三段階にわけて、いや四段階で〈回復〉をかけた。それなのに、今日は、迷宮では魔力量さえあればどんなひどい怪我も治ると言う。どちらが正しいんだ?」
「どちらも正しいんだよ、レカン。迷宮のなかでの常識と、外での常識はちがうんだ。迷宮では、どんどん魔獣を倒して魔力量が増えていく。青ポーションも手に入る。かけられる側に旺盛な生命力があって、かける側がふんだんに魔力をそそげるなら、細かいことは気にしなくていいんだ。迷宮の外では、そうはいかない。体を洗うのに、ひとしずくの水しかなければ、タオルにしませてごしごしふくが、よごれたタオルでふけばかえって体がよごれてしまう。でも、大樽一杯の水を使えるなら、じゃぶじゃぶ洗い流せばいい」
それがこの世界での常識だろうか。だがレカンは、それはちがうと思った。迷宮でこそ、魔力の運用は効率的でなければならない。そうでなければ連戦や長期戦は戦えない。
「病気と〈回復〉の話に戻そう。ごく大ざっぱにいえば、病の根をほとんど削れないのが初級の〈回復〉で、病の根をそこそこ削れるのが中級の〈回復〉、そして完全に根を取り去れるのが上級の〈回復〉なんだ」
「ふむ。今教えられたことは、あとでゆっくり考える。プラドに赤ポーションが禁物だということはわかった。〈回復〉や薬草は、どうなんだ」
「いい質問だ。〈書き換え〉が起きると、上級の〈回復〉でも根を取り去ることはできない。だが、枝葉を取り去ることはできる」
「逆に枝葉を再生したりはしないんだな」
「しない。〈書き換え〉が起きた人にも、〈回復〉は悪影響は与えない。ただし、根を取り去ることはできないから、いったん回復した体が、徐々に病にむしばまれてゆく。それでも、いったん体を回復させてくれれば、食事も受け付けるし、さまざまな治療もできる」
「了解した。薬草はどうなんだ」
「薬草は、ごく徐々にではあるが、生命の根源の力に働きかけ、その働きを増幅し、そのことによって体を癒す。素晴らしいものだよ、自然の働きというのは。自然から生まれた薬草こそが、実は万能なんだ」
「なるほど。プラドの病状に対してオレが何を期待されていたかはわかったように思う。では、今日の治療では、実際には何が起きたんだ?」
「それはもう、レカンにはわかっているんじゃないかな」
「あたいにはわかりません」
「あんたの口からはっきり教えてもらいたい」
「プラドさんを苦しめていた諸症状は消え去ったようにみえる。そして、病の枝葉が伸びてくる兆候がみとめられなかった。目が覚めたらみちがえるような回復ぶりをみせるだろう。そして、これからは薬草がしっかりと効き目を現すことになる」
「病の根は刈り取られたんだな」
「そのようにみえた」
「それをゴンクール家ではどう思う?」
「今回の治療効果は劇的なものになるだろう。私は何年もプラドさんの治療に通っているが、劇的といえるほどの効果が出たことはない。だから、プラドさんの健康をもたらしたのは、私以外の誰かだと気づくだろうね」
「オレとエダのどちらが治療したのかは、わかるだろうか」
「プラドさん本人がみていた。ごまかしは利かない」
「そうだったな。そういえば、治療のとき、家人が一人もついていなかったのは、なぜだ」
「私を信頼しているからだろうね」
「ほう?」
「私はね。プラドさんの孫なんだよ」
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「そういえば、顔が少し似ていたような気もする」
「君は驚きもしないんだね。私の母は、プラドさんの子だ。ただし、母の母が身分が低かったため、正式の子とは認められていない」
「なるほど」
「今、私が住んでいる施療所は、ある施療師が買い取って改修した建物だ。その施療師と母は恋に落ち、結婚した。プラドさんは、お祝いにと、母に高価な杖を贈ってくれた。この杖がそれだよ」
「ふむ。子として愛情を感じてはいたのだな」
「母には、〈回復〉の才能があったが、大した才能ではなかった。でも、この杖の助けを借りて、母は父の薬作りを手伝った。やがて私が生まれたんだが、父と母は赤ん坊の私を連れて、マシャジャインの町に行くことになった」
「それはどこにあるんだ?」
「知らないのか? 驚いたな。君には驚かされてばかりだ。侯爵領だよ? ここからいえば、王都の手前だね」
「なぜその町に行った」
「父は侯爵の六男だった。父の母も身分は高くなかったので、父は自由が利いた。気楽な暮らしがしたくて、この町で施療所を開いたんだね。侯爵が重い病の床につき、かわいい末っ子に会いたいと言った。それで父はマシャジャインに帰った。一時的な帰還になるはずだった」
「そうならなかったわけか」
「ある日母のもとに贈り物が届いた。開けるとなかから平白蛇が出てきた。母を殺せば父の妻の座を狙いやすいと考えた、ある貴族のしわざだ。危篤の侯爵に呼ばれたのだから、何か財産や地位を譲り受けると、勘違いしたんだね。母を襲うはずの蛇は、母に抱かれた私にかみついた」
「それで?」
「母は必死で私に杖を向けて、〈回復〉の呪文を唱えた。そのとき生まれた光は、大きくはなかったが、明るく輝いていて、そして青色をしていた」
「なるほど」
「母は〈浄化〉を発動したんだ。その代わり、魔力枯渇で倒れてしまった」
「ふむ」
「平白蛇の毒なら、〈回復〉で解毒できた。〈浄化〉なんて発動する必要はなかったんだ。でも、私を思う気持ちのあまり眠っていた才能が開花したことを、どうして責めることができるだろう」
「思いの深さ、か」
「たぶん最初、何が起きたか理解してたのは父だけだった。だが父は、純粋すぎる人だった。母が目覚めたとき、私が助かったことを教え、母の新しい力を祝福したんだ」
「そこまでは、悲劇ではないな」
「そこまではね。数日後、母は父の指示に従って〈浄化〉を発動した。母が〈浄化〉持ちであることを確信した父は、翌日、病床の侯爵に〈浄化〉をかけさせた」
「どうなったんだ?」
「侯爵はかつてないほどの心地よさを感じた。翌日も、その翌日も、母は〈浄化〉をかけた。母の魔力量では、一日にたった一回の弱い〈浄化〉をかけるのが精いっぱいだったんだ。七日目に、侯爵はベッドから起き上がって食事をした。危篤状態の老人が、健康を取り戻したんだ」
「皆のみている前で〈浄化〉の呪文を使ったのでは、もう隠しようはないな」
「うん。だけど父は侯爵のお気に入りだったから、理不尽な扱いを受ける心配はなかった。父は新しい屋敷を与えられた。私はそこで十七歳まで育ったんだよ」
この屋敷に今は住んでいる以上、その何やらという町での生活には終わりがあったはずだ。それは、おそらくよい終わりではなかったはずだ。
「十日に一度、母は侯爵に〈浄化〉をかけた。そのときは、父と私も同席した。それは何かの儀式のようでもあったが、侯爵はにこやかにほほえんでおり、われわれは確かに一つの家族だった」
飲みかけの茶が冷めるのもかまわず、ノーマは、ひどく遠方をながめる目つきをしながら、淡々と語った。
「望めば何でもかなった。父はありとあらゆる薬草を庭で育てた。希少な文献が取り寄せられ、患者までが差し向けられた。あれほど恵まれた環境で研究できた施療師は、珍しいだろうね。母も幸せだった。私も幸せだった」