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レカンは小高い丘の上に立って、山の斜面にうずくまる巨獣をながめていた。
怪物の肉眼は、ごく近距離のものしかみえず、この距離ならみつかることはない。
魔力がみえるらしい額の目も、せいぜい百歩の距離しかみえない。
あれほど強大な怪物なのだから、遠方の敵を探知する必要などないのだろう。
寝ているようだ。好機である。
レカンは胸をまさぐって、宝玉を取り出した。ルビアナフェル姫からもらった青い宝玉だ。魔力を感じるから、これも何かの効果があるのかもしれない。何の効果が付与されているかはわからないが、今日はお守り代わりに身につけることにした。鎖の部分はあまりに繊細な造りをしているので、そのうち取り換えるつもりだ。
宝玉をシャツの奧に押し込むと、足音を殺し、慎重に、しかし悠々とレカンは怪物に接近した。
至近距離まで接近したが、怪物はまだ目を覚まさない。
(一撃目を入れさせてもらうか)
レカンは愛剣を振りかぶって、怪物の首筋に目線を据えた。
幾筋もの傷が入っている。レカンの攻撃のあとだ。どの傷も浅い。
剣を振り下ろした。その手応えは、予想を裏切るものだった。
(なに?)
剣は深々と首にめりこんだのである。
一瞬をおいて、怪物は激しく身をよじりながら起き上がり、聞く者の頭蓋骨を揺さぶるような吠え声をあげた。そして額の目が、まっすぐにレカンを捉えた。
レカンは身構えた。冷気のブレスを放つようなら、よけなくてはならない。
そのあとに怪物が取った行動は、いささか間が抜けている。のしのしと短い足で回転しはじめたのである。
レカンは素早く三十歩ほどの距離を取った。
(やはりな)
敵が近距離にいるので、怪物は槍のようなとげを射出しようとしている。しかし、前面部分のとげは、三か月前と昨日、すでに撃ち出してしまった。新しいとげが生えはじめてはいるが、たぶんある程度の大きさにまで育たないと射出できないのだ。
やがて体が充分に回転し、とげのある部分がレカンのほうに向くと、怪物はぶるぶると巨体をふるわせた。
レカンはじっととげをみすえながら、さらに十歩ほど下がった。
とげが射出された。
とげは生えている位置からまっすぐにしか飛ばない。距離が開けば開くほど、とげととげとのあいだの隙間は大きくなる。レカンほどの反射神経があれば、来るとわかっているとげをかわすのはむずかしくなかった。
そのあともレカンは同じ位置で次の攻撃を待った。近づきすぎたらとげをかわせないし、離れすぎたら怪物は別の攻撃をしてくるだろう。
四度攻撃すると、もう怪物はとげを飛ばさなくなった。背中の頂上付近にはまだまだとげが残っているが、地上の敵にはあの位置のとげは使えないのだろう。
その代わり、頭をこちらに向けて息を吸い込んでいる。レカンはさらに二十歩ほど下がった。
飛んでくるブレスを完全にはかわさず、外套の端で受けてみた。平気だった。やはり貴王熊の毛皮は、これだけの距離があれば、この冷気のブレスを防ぎきってくれるのだ。
そうとわかれば、あとはこの距離を保ってブレスを受け続けるだけだ。
怪物が少し前に進めば、レカンは少し後ろに下がる。
怪物がブレスを放つと、レカンは直撃を避けるように動く。
そんな攻防が十二度続き、ついに怪物はブレス攻撃をやめ、体を丸めはじめた。
怪物が転がりはじめると、レカンは背を向けて逃げた。逃げながら怪物を誘導して、岩肌が露出した場所に出た。
ここには疾走を邪魔する障害物がない。〈突風〉を使えば怪物に追いつかれることはない。
しばらくのあいだ怪物を引きずり回したところ、怪物は回転をやめ、体をほどいてぐったりと地に伏した。
擬態かもしれない。
慎重にレカンは怪獣の頭部に近づいた。
そして二十歩の距離に近づいたとき、〈突風〉を使って突進し、首筋に一撃を入れ、〈突風〉を使って二十歩離れた。
怪物はうなり声をあげて身を揺さぶったが、そのあとは再び地に伏した。
疲れきって攻撃能力を失ったのだ。もはや魔力も枯渇しているのだろう。
それにしても、今の一撃も、ひどく深く食い込んだ。いったいどういうことなのだろう。
もう一度〈突風〉を使って怪物に接近し、首筋に一撃を加えた。
驚いたことに、その一撃は首のなかばまで食い込んだ。
そして怪物は目を閉じ、動かなくなった。
驚いたことに、〈生命感知〉の青い点が消えた。死んだのだ。
だが、なぜなのか。
今日に限って攻撃が効果を上げたのは、なぜなのか。
怪物の側の事情だろうか。
レカンのほうの変化だろうか。
レカンの側に、何か今までの二回とちがう点があったろうか。
突然気がついた。
青い宝玉だ。
ルビアナフェル姫からもらった宝玉だ。
この宝玉は攻撃力を増加させる力を付与されているのではなかろうか。
いったんそうは考えてみたものの、その思いつきのばからしさに笑った。
もといた世界でも、迷宮の階層ボスから物理攻撃力を高める能力がドロップするということはあった。
〈斬撃〉〈破壊〉〈加速〉の三つの能力については、それぞれ実際に持っている冒険者をみたことがある。みたことがあるどころか、〈斬撃〉持ちとは結局殺し合った。そいつが発動呪文を唱えて剣を振ると、石竜の皮で作った胸当ても斬られたし、レカンの当時の愛剣も真っ二つになった。
しかし、それはあくまで、危険を冒して迷宮深層の階層ボスを倒した冒険者本人が、ごくまれに獲得できる技能であり能力なのであって、他人に貸し与えることは不可能だ。
あるいは、特殊な魔石の魔力を特別な才能をもった付与師が宝玉に付与すると、〈状態保存〉や〈自動修復〉の効果を持つ宝玉ができる場合があった。現に、レカンの愛剣と外套には、〈自動修復〉の宝玉が埋め込まれている。
だが、攻撃力を高める付与が付いた装身具など、聞いたこともない。
もしそんな物があれば、伝説級の秘宝といえる。
レカンは検証実験を行った。
青い宝玉を装備した状態と、〈収納〉に収納した状態で、死んだ魔獣の首や足の試し斬りを行ったのだ。
結果は歴然としたものだった。
この宝玉には、極めて強力な攻撃力増大の付与がかかっている。まちがいない。
価値ははかりしれない。
この宝玉を得ただけでも、この世界に来た意味がある。
それにしても、ルビアナフェル姫は、この付与のことを知っていたのだろうか。
知っていたとは思えない。知っていたなら、彼女はこの宝玉を、父か兄にささげたはずだ。
だが、もしも知っていてレカンに与えたとしたら、それはいったいなぜなのか。
しばらく考えたが、答えは得られなかった。
日が暮れてきたので、考えることをやめ、宝玉の付与を存分に利用して、怪物から魔石を取り出した。驚くほど巨大で強力な魔石だ。怪物の巨体が、レカンの目の前で砂になり、崩れ去った。
飛ぶように館に帰り、倒れ込むように寝床に伏した。
翌朝起きると、〈収納〉から保存食を取り出して水で流し込み、いそいそと森に駆け込んだ。
そして実験を重ねた。
別の剣で。
打撃武器で。
刺突武器で。
投擲武器で。
素手の攻撃で。
棒きれを持っての攻撃で。
その結果、やはりこの青い宝玉は攻撃力を増加させる付与をほどこされていると確信した。切れ味の強化ではないし、ダメージの増加でもない。
ただし、投擲武器と素手の攻撃では効果が現れず、拳に武具を装着したときには効果が現れた。
つまり、この青い宝玉は、武器を持って攻撃したときの攻撃力を高めるのであり、武具を手放せば効果は失われる。
〈赤火弾〉が撃てる杖を取り出して実験したが、魔法攻撃の威力は上がらなかった。
つまり、物理攻撃にしか、効果は現れない。
翌日も、翌々日も、森に入って宝玉の効果を検証した。
ある程度以上の破壊力がある攻撃でなけば効果が発動しないことがわかった。
つまり、ナイフとフォークで肉を切り刻んだり、裁縫針を布に突き刺したりしたぐらいでは発動しないのだ。
その反面、ただの棒きれでも、充分な威力をもって標的に打ち当てるならば、効果が発動する。
たぶんこの効果は、単純に武器の攻撃力を高めるというよりも、ある人物がある武器を持って攻撃する、その攻撃力の全体を増加させるものだ。
発動するについて、持ち手に何かの条件があるのかどうかは確認できていない。
それを確認するには、レカン以外の誰かで実験する必要があるが、そんな実験をする気はない。
ある程度以上の攻撃力を持った使い手にしか発動できないのではないかと考えているが、とにかくレカンには発動させられるのだから、現状としてはそれでいい。
鎖を取り換えるつもりだったが、やめた。
万が一にもこの付与の効果がそこなわれてはたまらないからだ。
代わりにシャツの内側にポケットを作った。
鎖が切れても宝玉を失わないためだ。
もっともこの宝玉は、普段はしまっておくことにする。
理由は二つある。
一つは、普段は付加のない状態で実力を養うためだ。
もう一つは、この世界にも〈鑑定〉持ちがいるかもしれないからだ。
今まではそんなことを気にするゆとりも必要もなかったが、ザイドモール家を離れてこの世界を旅するについては、それなりの用心というものがいる。
この宝玉の秘密は、誰にも知られてはならない。
18
「そうか。明日、行くか」
「イェール」
「どこから来たかと訊かれたら、北の国から来たと答えるのがいいだろう」
「イェール。落ち人であることは秘密にする」
「そうだな。だが落ち人であることを名乗るべき時も来るだろう」
「その時が来れば考える」
「これは私からの感謝の気持ちと餞別だ」
袋を手渡された。
「それからこれは、お前が得た魔石の代金だ」
別の袋を手渡された。
「衣類と食べ物を持って行くがいい。あとで侍女に届けさせる。火打ち石は持っているか?」
「イェール。旅の道具は、町で買った」
「そうか。準備はできているのだな」
「できている」
「今夜は送別会をしよう」
騎士や従卒たちとの送別会は、なかなかにぎやかで楽しいものになった。
翌朝、館のほぼ全員が見送ってくれた。
「おい」
そう言って、料理人頭のモルダが布の袋を差し出した。
袋の口は閉まっている。袋ごと、グリフィルの葉をくれるというのだ。
「ナロウ」
レカンは、腰に剣を吊り、外套を羽織り、荷物袋を背負って人々に背を向けた。そしてそのまま、すたすたと歩き去っていった。
「また会おう!」
騎士エザクが背中に声をかけてきた。
レカンは背中越しに右手を上げて応じたが、まさか本当にエザクと再会することがあるとは、このときは思ってもいなかった。
「第1話 黒穴の向こうに」完/次回「第2話 護衛依頼」