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狼は眠らない  作者: 支援BIS
第12話 施療師ノーマ
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 馬車が迎えに来ていた。

 乗合馬車や、荷物馬車のような実用本位の質素で大ぶりな造りではない。

 しゃれて、こじんまりとしており、しかも御者の服装はごく上質のものだ。

 つまりこれは、貴族から差し向けられた馬車なのだ。

 エダはノーマとともに馬車のなかに入ったが、レカンが入るのにはむりがある。

 だからレカンは、馬車のあとをついて歩いた。

 案の定、馬車は、貴族たちが住む区域に入った。

 正面の門から敷地に入り、正面玄関から屋敷に入った。つまり、正式の客扱いをされている。

 執事のような姿をした老人が迎えてくれた。

「ノーマ様。ご足労をおかけします」

「おじゃまします。プラド様のご容体はいかがですか」

「一進一退というところでしょうか」

「そうですか」

「食欲が、少し……」

「なるほど」

 応接室に通され、茶が出された。ノーマは執事に小さな壷を渡した。

 そして、皿に載った蒸しタオルが出てきた。

「レカン。エダ。タオルで手をしっかり拭くんだ」

「これは、この家の習慣なのか?」

「いや。私が頼んだんだ。月に一度往診に来るけど、必ず診察の前に蒸しタオルで手を清める」

「そうか。患者はプラドというのか」

「プラド・ゴンクール。ゴンクール家のご当主だよ」

「なるほど」

 知らない家名だ。だからその当主だといわれても、何の感慨もわかない。

 もっとも、この町で家名を知っているのは、領主家ぐらいのものである。

 その領主家の家名は何だったか思い出そうとしたが、思い出せない。

(まあ、どうでもいいことだ)

 やがて執事が来て、三人は当主の寝室に案内された。


23


「ノーマ殿か」

 ベッドに寝た老人が、顔だけをドアに向けて、そうつぶやいた。

 レカンは不審に思った。

 名家の当主が、庶民の施療師を自宅に呼ぶことはあるかもしれない。

 だが、〈殿〉つけで呼ぶのは不自然だ。

 ということは、ノーマもまた、貴族出身なのかもしれない。

「ご無沙汰いたしております。今日は〈回復〉を使える術者が二人も同行してくれました。レカンとエダです」

「ほう」

 顔をみただけで、痩せ細っているのがわかる。

 目の周りが黒く落ちくぼんでおり、死相に近いものがただよっている。

「失礼します」

 ノーマは柔らかそうな掛け布団をめくり、杖を取り出して診察を始めた。

「臓腑の働きは安定しているようです」

「気休めはいらん」

「いつもの薬を持ってきました」

「あれのおかげで今日まで生きられたようなものだ」

「もっと効けばよいのですが」

 老人は無言で目を閉じた。

「さて、レカン。エダ。プラド様は、臓腑がいくつかうまく機能していない。そのため、食物を体に取り込む力が弱い。また、体にたまるよくないものをきれいにする力が弱い。その結果、体力がひどく弱っている」

 レカンとエダは、黙って聞いている。

「君たちの〈回復〉は、一時的に大きな効果を上げるはずだ。そうすれば体に元気も戻るし食欲も出る。体が元気なうちに、病の働きを抑えることができれば、容体はぐっとよくなる」

 これは、レカンとエダに聞かせているようで、患者本人に聞かせているのだろうな、とレカンは思った。

「二人に来てもらったが、今のプラド様のごようすからすると、エダ、やはり君に頼むのがいいようだ」

「はい」

「シーラさんからもらった杖を構えて」

 エダは杖を構えた。

「弱く魔力をまとわせて、胸から腹にかけてを中心に、全身をやわらかく調べるんだ」

 エダも、診察のしかたは理解しはじめている。じっくりと体全体を調べていった。

「どんなふうに診立てたかな」

「弱っています。そして、毒がたまっています」

「毒、だと?」

 プラドが目をみひらいて言葉を発した。すかさずノーマが答えを与える。

「毒というのは、この場合、自分の体から出るよくないもののことです。自分の体から出たものに、自分の体が苦しめられているのですよ」

「ああ」

 再びプラドが目を閉じた。

「では、まず臓腑を中心に、よくないものを洗い流すんだ。そして次に、体全体に健康と元気をあげる。できるね?」

「はい。〈回復〉」

 杖の先に、というより、杖を中心に腕全体を包み込んで、緑の光球が生まれた。

 プラドも光に驚いて目を開けた。

「おお? おお?」

 緑の光球は、ゆっくりとプラドの胸に吸い込まれた。

 そして綿に水がしみこむように、体全体をひたしていった。

「おお。おお」

 プラドが小さくうめき声をあげた。それは苦痛から出る声ではなく、思いもよらぬ心地よさから、ついこぼれ出てしまったうめきだ。

 薄暗い部屋のなかで、プラドの体全体が緑の燐光をまとっている。

 ずいぶん長い時間、その燐光は消えなかった。

「〈回復〉」

 先ほどにも増して巨大な光球が生まれた。

 ただし、その色は緑ではなく、青かった。

 透き通った青色の、美しい光の球だ。

「え」

 小さく声を発したのは、ノーマだ。

 エダは施療に集中している。

 青い光は、とろりとしたしずくとなって、プラドの胸にしたたり落ちた。

 そのしたたりは、ゆっくりと体をおおいつくし、そしてしみこんでゆく。

「ああああああああ」

 感に堪えない声が上がった。

 プラドの口は、神聖な空気を体に取り込もうとするかのようになかば開き、目は今自分の体に起きている奇跡をみとどけようとするかのように、大きくみひらかれている。

 長い時間のあと、青い光が消えたが、そのときには、プラドは安らかな寝息を立てており、その表情は幸せそのものだった。

 ノーマは震える杖をプラドに向け、診察をしている。

「なんてことだ」

 いささか乱暴に、プラドに布団を掛け、ノーマは振り返った。

 その目はエダに向けられている。

 強い感情のこもった目だが、それが何の感情であるかはわからない。

「レカン。エダ。帰るよ」

 そのとき、執事が入室してきた。後ろにはワゴンを押した使用人が続いている。

 執事は何かを話しかけようとしたが、ノーマが先に口を開いた。

「診察と施療は終わりました。プラド様は健康を取り戻されましたよ」

「おお」

「今日はほかにいくつも往診がありましてね。失礼してすぐに帰らせていただきます」

「いえ。しばらくお待ちを。お茶を召し上がっていただくあいだに、お礼を用意しますので」

「本当に急ぐんです。お茶はまた今度。お礼は届けさせてください」

「わかりました。すぐに馬車を用意させます」


24


 施療所に帰り着いたあと、ノーマは次の往診に出かけようとはしなかった。

 レカンは、何が起きたのか、うすうす感じていたが、あえて別のことを質問した。

「あの老人は金持ちのようだったな。それこそ赤ポーションでも手に入れて飲めばよいのではないか」

「買ったとも。飲んだとも。もう何度もね。二年前には赤の大ポーションを飲んだ」

「それでも治らないのか?」

「治ったとも。健康になったとも、いったんはね。だが、そのあとに苦痛が訪れ、病状は再び悪化した」

「なに? なぜ再び悪化したんだ」

「病気の根が切れないからだよ。赤ポーションは、病気の症状はことごとく消し去ってくれる。体力も健康な状態にほぼ戻してくれる。だけど、赤ポーションは、病気の根を取り払ってはくれない。あそこまで深く病気が根を降ろしていると、それは、〈回復〉でもできないんだ!」

 沈黙が降りた。

 言葉を発したのは、エダだった。

「あの。あたい、何か失敗したの?」

「失敗? いや、とんでもない。あれは失敗なんかじゃない」

「〈浄化〉だったんだな? いや、〈浄化〉を含んだ〈回復〉か」

「呪文は〈回復〉だった。だけどあれは、どうみても〈浄化〉そのものだったよ、レカン」

「第12話 施療師ノーマ」完/次回「第13話 誘拐」

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