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16
「先生! ノーマ先生! 助けてください!」
「うちの子が! うちの息子が!」
騒がしく施療所に飛び込んできたのは、十歳ぐらいの男の子を抱えた男と女だ。
ノーマは、診察中の患者をそのままにして、待合室に行った。レカンとエダもそのあとに従った。
「おや。ユッボさんと奥さん。マジフ坊やに何かあったのかい」
「貴族の馬車にひかれたんだ! 足が、ぼうずの足が!」
「レカン! 長椅子に毛布を敷いて! エダ、体を拭かないといけない。桶に水。それにタオルだ!」
二人は機敏に動いた。
こどもはぐったりしている。泥にまみれているが、右足が奇妙な角度に曲がっている。
「レカン。タオルをぬらしてマジフ君を拭いて。泥をきれいに落とすんだ」
「わかった」
「エダ」
「はい」
「〈回復〉を使ってもらう」
「はい」
「いいか。よく聞くんだ。使う〈回復〉は三度。連続じゃあきついけど、君ならできる」
「はい」
「今、マジフ君の足には、たくさんの泥や小石が入り込んでる。これをそのままにして〈回復〉をかけると、泥や小石を体のなかに閉じ込めてしまうことになり、体がなかから腐ってしまう。だから、最初の〈回復〉は、体のなかの泥や悪いものを、体のそとに押し出すように使うんだ。悪いもの、邪魔物を追い出すんだ」
「は、はい」
「レカン。もっとしっかり拭くんだ。遠慮しちゃだめだ。水を替えて。傷口がはっきりみえるまで」
「わかった」
「エダ。二度目の〈回復〉が、一番むずかしい。マジフ君の右足は、骨が折れて、つぶれて、曲がっている」
「は、はい」
「それを正しい状態に直しながら治療をする必要がある。こういう状態で弱くて下手な〈回復〉をかけると、曲がったままで骨がくっついてしまい、一生もとに戻らなくなることがある」
「ええっ?」
「だからね。杖に、じゃなくて手に魔力をまとわせて、左足の状態を調べて、それと同じように右足の骨を治すんだ。骨だけを、まず直すんだ」
「はい」
「三度目の〈回復〉では、筋肉や筋や血の管を治療する。骨さえちゃんと治っていれば、それは自然にできるはずだ」
「このぐらいでいいか」
「上等だよ、レカン。さあ、エダ。やりなさい」
「はい。〈回復〉」
ノーマは短い杖を構えて、エダの〈回復〉がどう働いているかをみまもっている。
「うまいっ。それに、速い。みるみる異物が押し出されている。レカン。出て来た泥や小石を拭き取るんだ」
「わかった」
「もう少し、もう少しだ。すごいぞ、エダ。君は素晴らしい」
エダは、真剣な目つきで、ぐじゃぐじゃになった患部を凝視しつつ、必死で〈回復〉を制御している。
「よしっ。エダ。左手に魔力をまとわせて左足を調べるんだ」
「はいっ」
「その状態を覚えて、右足を……えっ?」
今やエダの両手には、それぞれ緑色の光が宿っている。片方の光は左足に、もう片方の光は右足の折れた部分を浸している。
「そんな……〈回復〉の同時複数発動?」
驚きをあらわにしたノーマだが、すぐに気を取り直し、杖にもう一度魔力をまとわせ、患部を調べはじめた。
「そうだ。……その調子。骨がどんどん戻っている。正常だ。いいぞ。……えっ? 粉々になって散ってる骨が、集まって新しい骨になってる? こんなばかな」
こどもがうんうんとうなって汗を流している。母親がタオルで顔の汗を拭いてやっている。父親は、がんばれ、がんばれと、声をかけて励ましている。意識のない状態の少年だが、その温かさは伝わっているのだろうか。
「よし。エダ。骨はもういい。こんなに短時間で治せるなんて、驚きだよ。さあ、いよいよ三度目の〈回復〉だ」
エダは呪文を唱えて新しい〈回復〉を発動させ、少年の筋肉や皮膚を修復していった。破れてつぶれた肉が、もりもりともとの姿を取り戻していくさまは、まさに魔術的な光景だった。
患者のようすとエダのようすをみて、ノーマは四度目の〈回復〉を指示した。少年の体全体にかけて、体力の底上げをし、体全体の調子を調えるようにと。
少年の治療が終わったあと、ノーマは疲れ切ってしまって長椅子に横たわった。
レカンとエダだけで診療をするわけにもいかず、数刻のあいだ、施療所は休止状態となってしまった。
17
午後には、突然吐血した中年の女が担ぎ込まれた。
「うわあ。これは、食の腑に穴が開いてる。レカン。臓腑に開いた穴をふさいでもらわないといけない」
「わかった」
レカンは、〈立体知覚〉で、女の腹のなかを探った。
「なるほど。この真下にある臓腑に穴が開いているな」
「えっ? 場所は正しいけど、どうしてわかるんだい? 君、魔力を使ってないだろう?」
〈立体知覚〉は、物の形や位置を把握できる技術だが、能力であって魔法ではない。魔力は必要ないのだ。
「オレには、みえないものの形や位置がわかる能力がある」
「えっ? なんて便利な」
「血の塊のようなものが臓腑から飛び出しているようだが、これを放っておいて穴をふさいでいいか?」
「といっても、取り出しようがないよ。体の自浄作用に任せるしかないね」
「臓腑に戻して、何なら口まで運んで取り出そうか?」
「いやいや。そんなこと不可能だよ。できるなら素晴らしいんだけどね」
「〈移動〉」
「えっ?」
しばらくのち、女の口から、赤黒い血の塊が飛び出して、ふわふわと宙を泳いだ。
「どこに捨てる?」
「今、私は、何をみてるんだ? まぼろしか?」
「どこに捨てるかと訊いている」
「レカン殿、こちらに捨ててください」
ジンガーが小さな壺を差し出したので、レカンはそこに血のかたまりを落とした。
「では、ふさぐ」
「あ、ああ」
18
翌日は、急患が四人、運び込まれてきた。
もうノーマは直接手を出さず、レカンとエダに指示だけ出した。
「レカンもエダも、素晴らしい能力であり、才能だ。二人とも〈回復〉を発動させる技術そのものは、中級か、あるいは上級の入り口だね。そして魔力量は特上級だ」
「いえ。あたし、治療というのがこんなにむずかしいものだとは知りませんでした」
「オレも、ここでの四日間に学んだことは多い。あんたの知識や技術と比べれば、なるほどオレたちは素人だ」
「二人とも優れた〈回復〉使いだけど、しいていえば、エダは病気を治すのがうまい。人間の持つ治癒力を内から引き出すのにすぐれているね」
「ありがとうございます」
「レカンは外からの力を加えて、患部を除去したり、臓腑の穴や傷を修復するのがうまい。たぶん、レカンが体のなかを調べる力は、この国のどんな施療師にも負けないレベルにある。それに加えて、あの〈移動〉の魔術だ。施療師で〈移動〉が使えるのがこんなに便利なことだとはね。脱帽だよ」
「ああ」
「ふふ。ずいぶん反応が薄いね。もしかして照れてるのかな。それにしても、私が知っている〈移動〉と、君の〈移動〉は、全然ちがう。〈移動〉というのはふつう、もっと大ざっぱな魔法なんだ。どうしてあんな精密な制御ができるんだい? 杖も使わずに」
「わからん。やってみたらできた」
それはたぶん、〈立体知覚〉と併用できるからだ。だが、レカンは、この世界では知られていない自分の特殊能力について、ノーマに詳細を教える気はなかった。
「明日は一日休みにする。私も休養して、少し調べ物をするよ。明後日は往診に出かける。四人の往診を予定しているが、いずれも重篤な症状を持つ患者だ。君たちの力をふるってほしい。それと、君たちの〈回復〉の操作は、まだまだ上達の余地があると思うんだ。杖を用意してほしい。これは明後日にはまにあわなくていいけどね」
「わかった」
「わかりました」
「それから、エダ」
「はい」
「明後日行く家には、その〈箱〉は持ち込まないほうがいい」
「はい」
「レカンも、その威圧的なコートは脱いで、ふつうの服を着てきてくれるかな」
「わかった」
19
その後、二人は、シーラの家を訪ね、ノーマの施療所での現状を報告し、杖について相談した。
シーラは、二人に一本ずつ、細い杖をくれた。
レカンの杖は濃い茶色で、エダの杖は薄く茶色がかった白だ。
「レカン。あんたが忙しそうだから、シアリギの若芽は、あたしが採取して処理しといた。処理の方法は、二の月に採取したニチア草と同じだから、あらためて教える必要はないだろうさ」
「それはすまなかった」
ニチア草もシアリギも、魔力回復薬の材料である。魔力回復薬は、薬屋に卸しているわけではない。シーラ自身もあまり使わないため、年間数個程度しか作ってこなかった。今年はレカンが作り方を学びたいといったし、レカン自身は大量に使うことが予想されたから、ニチア草はたっぷりと採取してある。四の月にはシアリギを採取するといわれていたのだが、レカンのほうでも忘れていたのだ。
あとは、九の月から十の月に採れるターゴ草と、年中採取可能であるザハード苔で、材料がそろう。
シアリギというのは低木で、平地でもよく育つ。実は、シーラの家の庭は、毒草以外はほとんどこのシアリギなのだ。
「ちょっとついといで」
シーラについて庭に出た。
若芽はほとんどむしられているが、少しだけ、新しい若芽がふいている。
「ほら、このぐらいの、根元が薄緑色に色づいてぷっくりしてきたのが採取しごろなのさ。これを、こうやって」
シーラは若芽をつまんでむしり取り、外皮を丁寧にはがした。
「なかみを出してやる。あとは二日ほど乾かしてすりつぶして、それからしっかり乾かす。覚えときな」
「わかった」
レカンとエダは家に帰って夕食を食べた。
「明日は休養日にする?」
「いや。孤児院に行く。いやなことは早くすませたい」
「いやがってるようにはみえないんだけどね」
「お前の目は節穴だな」
「ひどいよ、レカン。それはそうと、明後日は〈イシアの弓〉を置いていかないといけないね」
エダは、荷物のほとんどを家に置いて出かけているが、〈イシアの弓〉と金は、シーラからもらった〈箱〉に入れて持ち歩いている。施療所でも、常にみえる場所に置いていた。
レカンはといえば、相変わらず荷物のほとんどを〈収納〉に放り込んでいる。入れていない物といえば、洗濯中の服など、ごくわずかだ。
エダの心配はもっともだ。いくら鍵がかかるとはいえ、あんな貴重な品を家に置いたまま外出するのに不安を感じてもむりはない。
「とりあえず明後日は、オレのほうに〈イシアの弓〉を入れておいてやる」
「え? レカンの〈箱〉は、黒い外套のポケットについてるんじゃないの?」
「ちがう。オレの〈箱〉は特別製で、人にはみえないんだ」
「ええええっ? そんなのずるいよ」
「誰にも言うんじゃないぞ」
「うん」
素直に信じたようだ。
エダは素直すぎるので、レカンの〈収納〉のことを話してしまえば、秘密を守らせることはむずかしい、とレカンは考えていた。エダに何をどこまで話すかは、慎重に判断しなければならない。
もっとも、エダは大らかな性格をしており、細かなことにこだわるたちではない。
そうでなければ、そもそも弟子として抱え込んだりしなかった。
細かなことをうるさく問いただしたりしないし、話していないことがあるからといって、レカンに不審を感じたりもしない。それはある意味美点である。
エダは、細かな要素を頭で分析して人を信じるか信じないかを判断したりはしない。直感的に人を信じるか信じないかを決めている。
レカンは、ふと思った。
シーラもレカンに対して、何をどこまで話していいか、判断しながらつきあっているはずだと。
シーラをわずらわせすぎないよう心がけよう、と思った。