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狼は眠らない  作者: 支援BIS
第12話 施療師ノーマ
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 翌日は朝からノーマの施療所に出勤した。

 朝の間、ノーマはレカンとエダに、調薬室の案内をした。

 ノーマが使う機材は、シーラの使う機材より、ずっと種類も数も多い。

 これは一つには、シーラが魔法で済ませていた部分を手作業でするためでもあるし、シーラが作る物の多くが複合的な効果のある総合薬であるのに対して、ノーマが作るのが、特定の病や症状に効く薬だからだ。

「すごい引き出しの数ですね」

「はは。エダは字が読めるのかな?」

「はい」

「うん。それはいい。レカンは?」

「読める」

 文字自体は三十五しかないので、覚えるのはむずかしくなかった。ただし、いくつかの文字の組み合わせで、変わった発音をする場合があり、薬草の名などは、相当にむずかしい部類に入る。

「よし。では、まず引き出しに張ってある名前を一通り、しっかりと読んでおいてほしい。名前の左に〈か〉と書いてあるのは乾燥させた薬草で、〈こ〉と書いてあるのはすりつぶして粉にしてある薬草だよ。〈な〉と書いてあるのは生の薬草だけど、今は空っぽだ。必要ができたとき、少し多めに採って、洗って乾かして入れておくんだ。〈は〉とあるのは半生の薬草だ。この状態が薬効の高い薬があるんだ」

 レカンとエダは、端から引き出しの名を読んでいった。エダは身長が低いため、高い引き出しにも届くようにと、ノーマは椅子に立つことを許してくれた。

 それから診察が始まった。

 待合室には、もう十人以上の患者が集まって、世間話をしながら順番を待っている。

 診察が始まると、レカンとエダは、ノーマの両横に立って、診察のようすを観察するように言われた。

 ノーマは〈回復〉を使わない。

 やわらかく魔力を杖にまとわせ、患部や体の各所を診察する。そして、どの部分にどういう問題があるかを、声に出して説明する。

 たいていの場合、悪い部分だけでなく、胸や腰も診察した。

「お年寄りや長患いをしてる人にはね、心の臓か、息の腑か、食の腑かのどれかに問題がある場合が多い。こういう臓腑は段々に悪くなるもので、治療もじっくりと時間をかける必要がある。そこを治してあげないと、痛いところだけを治療しても、すぐにまた悪くなってしまうんだ」

 ノーマの説明は的確で簡潔で、とてもわかりやすかった。

「病気は、起こる場所によって系統もちがうし、使う薬草の種類もちがう。そこをつかんでおけば、すぐに対処の方法もわかってくるさ」

 ノーマは、診察をすると、多くの場合、その場で薬を調製した。

 怪我をした患者には塗り薬をつけてやることが多く、病気の患者には煎じ薬を渡すことが多かった。

 塗り薬を練るには、水を使うか、生の葉の粘りを利用する。

「この粘りだよ。この粘りに傷を治す秘密があるんだ」

 とすると、生の薬草がふんだんに植えられているこの庭は、施療師にとって宝の山だ。

 昼食は、パンや野菜を落としたスープだった。

(む? 魔力回復の効果がある薬草が入っているな)

「はは。レカンは気づいたようだけど、このスープには魔力回復の効果がある。体力回復の効果もね。私はほんとに魔力量が少なくて、あんな治療でも消耗してしまうんだよ」

 失礼するよ、と言ってノーマは長椅子に横たわった。しばらく寝て、魔力を回復させるのだろう。

 確かにノーマの魔力量は少ない。だが魔力操作は芸術の域だ。細くて短い杖の先から少しずつ放出される魔力は、完全に制御されきっており、実体のある物質のように明確な形をとった。

 たいていの場合は、細い糸のように。

 あるときには、小さな球形を。

 そしてあるときには、臓腑や患部の形に合わせて柔軟に。

 ノーマは自在に魔力を操った。

 レカンは、ずっと〈魔力感知〉を働かせながら、ノーマの診察をみまもっていた。

 〈魔力感知〉は、魔力の動きを緻密に把握できる能力だ。ノーマの魔力が患者の骨を伝って患部を走査したり、筋や筋肉を素早く駆けめぐって情報を得ていくさまは、圧巻だった。

 人体というのは巨大な迷宮のようなものだ。極小の世界に入り込めば、その探索は冒険そのものといってよい。

 レカンは、ノーマと一緒になって、人体の深層を冒険した。

 それは今まで知らなかった世界であり、レカンはこの経験に夢中になった。

 もちろん、レカンにはノーマのような知識はなく、患部に何が起きているかの症状はわかっても、その原因はわからないし、これからどうなるかといったみとおしも立たない。そもそも、体のその部分がどういう働きをもっているのかさえ、ほとんどわからない。しかし、悪い部分をどうすればよくできるかは、直感的にわかった。何がどう悪いかさえわかれば、あとは〈回復〉の使いこなしの問題なのである。

 エダはエダのやりかたで、ノーマの診察を学んでいるようだ。

 びっくりするほど真剣に、エダは診察を観察している。

 はじめのうちは、引き出しから薬草を取り出すのも、庭に薬草を採りに行くのも、すべてノーマが行った。レカンとエダは、ただついていっただけだ。

 だが、途中から、何と何をどれだけ調薬皿に入れて持ってこいとか、何々の葉を何枚採ってこいとか指示が出て、レカンやエダが動くようになった。

「とにかくしょっちゅう手を洗うことだね。泥やよごれがついた手で診察したり調薬したりするのはもってのほかだし、目にみえない弱い毒が世界にはあふれている。手を薬草の粉で洗って清潔にすること。これが一番大事な心得だよ」

「弱い毒って何ですか?」

「食べ物は食べれば体が作られ、元気が出る。しかし、腐った食べ物は人を病気にする。つまり毒だ。世界中は人間の力と存在を支える恩寵でみちている。だけどその恩寵は、ある状態のときは、毒によく似た働きをするんだ」

「調剤のとき、言葉をしゃべってはいけないというのは、なぜですか」

「これは施療師のあいだでは、古くから伝えられている鉄則なんだ。精気が逃げる、とか、邪気を呼び込むというような言い方をするね。実のところ、私にも理屈はよくわからないんだ。だけど、薬を作るとき、ぺちゃくちゃしゃべってはいけないというのは、たぶん正しい。君たちも、私の弟子である以上、これはきちんと守ってほしい」

「わかった。それと、薬を調製するとき、〈回復〉を込めたらどうかと思うのだが、どうだろうか」

「調製する全部の薬に〈回復〉を込められるというのかい? いや、そんなむちゃな。でも、君たちには、それができるんだね。とんでもないね。うーん」

 ノーマは、しばらく考えてから首を振った。

「魅力的な提案だが、お断りしておこう」

「なぜだ」

「これから一生涯私が使う薬すべてに、君たちが〈回復〉をかけることはできない。とすると、品質の不均一が起こる。ある薬は一の効果しかないのに、ある薬は十の効果ということになる。十の薬を使った人が、次に一の薬を使ったら、どう思うだろうね」

「ふむ。薬の効き目が落ちた、と思うだろうな」

「そうだね。それは患者の心に悪い影響を与える。それに、私としても、薬の効果が自分の制御や予測を超えてしまうのは、ちょっとつごうが悪いね」

「なるほど。了解した」

「この施療所のなかで研修してるときは、私の診療と治療を見学して勉強してくれ。薬の調製を手伝ってくれればじゅうぶんだ。君たちの〈回復〉に活躍してほしいのは、重篤な症状の患者を往診するときだよ。まあ、よっぽど例外的な場面では、この施療所でも使ってもらうかもしれないけどね」

 その例外的な場面は、翌日訪れた。

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― 新着の感想 ―
人体を世界で例えたときに、震えが来ました。表現力が素晴らしいです。
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