第8話「血塗れの少女」
血生臭さにむせ返る。
この場に一人取り残された少女は、ただ目の前の男を睨むことしかできなかった。
「あははー! そんな怖い顔しないでよ〜。せっかくの美少女顔が台無しですよ〜」
「それなら……好都合ですね。少なくとも、私はあなたの思い通りには……なりません」
震える体を抑え強く凛とした声を放ち反抗するも、男はケラケラと高笑いする。
「いいねー! その表情! 最高だよ〜」
「私は……最悪です」
血塗れの執務室に響き渡る男性の笑い声と怒りを抑え冷静を装う少女。
その足元には、赤く染み込んだ真新しい血痕の跡が広がっていた。
「さてと、そろそろ時間かな?」
「どう言う……意味ですか」
「この国の住民は、君以外全員サヨナラしちゃってるってことだよ!」
「っ……!?」
男の言葉を理解した少女は声にならない悲鳴をあげる。
目元には涙が浮かび、スカートの裾を握り締める。
「なぜですか……なぜそんなことを!?」
「なぜって、そりゃ〜決まってるでしょ。僕はねぇ、人の絶望する瞬間を見るのが大好きなんだよ!」
「それだけの理由で……罪無き命を奪ったんですか?」
「そだよ♪」
血の涙を流す彼女を、男は嘲笑った。
「さ〜てさて、僕の仕事も仕上げにしようかね。君には最後の最後まで絶望してもらうよ〜」
「…………」
自らの体を抱きしめ歓喜の声を上げる男を少女は睨むことしかできなかった。
男は何もない空間から小さな石を取り出した。
「……まさか次元魔法を使えるなんて。その能力を使えば、多くの命を救えたでしょうに」
「命を救う? ナイナイナーイ! ありえないから! それよりも、これ見てごらん」
男は少女の目の前に青白い石を差し出した。
「これは転移石といってね。魔力を流すことで転移することができるんだよ。ただし、行き先はランダムだけどね」
「……どうするつもりですか」
「君にチャンスを与えるってことだよ。この転移石で君をどこかに転移させ、再び僕に出会えるかどうかね」
「なぜ今、私を殺さないのですか」
「だって君、まだ完全に絶望してないじゃん。だから逃がしてあげる。まあどこに転移するかわ僕にもわかんないからね〜。上空とか海底だったらゴメンね〜」
楽しそうに話す姿は、まるで無邪気な子供のようだ。
こんな血塗れの部屋じゃなければ。
今の男を見れば、誰もがこう思うだろう。
「ーー狂人、ですね」
「僕には最高の褒め言葉だよ〜。できればもっと言ってほしいけど、これ以上は時間的に厳しいかな」
そう言うと、男の手に握られた転移石が光り始めた。
「それじゃあ、運が良ければまた会おうね〜」
「いやっ……やめてっ!」
少女の叫び声が届くよりも早く、男は転移石を少女に向けて投げた。
空中で曲線を描きつつ少女の肌に触れた瞬間、転移石が閃光を発すると同時に少女の姿が消えた。
一人残った男は深く深呼吸し、部屋を後にする。
「さ〜て、帰って寝よっと」
男は軽快にスキップしながら闇に消えていった。
王城に響く、
殺戮と戦慄の、
叫び声を聞きながらーー
◆◇◆
体が重い。
目がチカチカする。
地面に土と草が生えていることに気付く。
仰向けに倒れている自分を確認する。
血は止まっているようだ。
しかし雨が降っている。
このままでは体温が低下してしまう。
だが体は動かない。
まるで鎖で拘束されているかのように。
ズシンッ
ズシンッ
地面が揺れる。
振動が少しづつ大きくなり、
何かが近づく音がする。
ふと見上げると、巨大な影が目に入った。
嗚呼、私はここで死んでしまうのか。
そこにいたのは魔物だった。
鋭い瞳でこちらを見つめている。
魔物はゆっくりと口を開き、近づいてくる。
もうダメだ。
そう思い、自らの死を覚悟した。
その時だったーー
目の前の魔物に何かが飛びかかった。
魔物は暴れ出し、その何かを振り落そうとする。
そして自分のすぐそばに何かが寄ってくる。
人影のような何かが。
魔物はさらに暴れ出し、叫び声を上げる。
すると自分のそばに、また何かがきた。
何か話しているようにも聞こえる。
しかし聞き取ることが出来ない。
その人影に抱き上げられたと同時に、目の前に巨大な生物が現れる。
先ほどの魔物よりも遥かに大きい。
自分はどうなるのだろう。
どこへ連れて行くのだろうか。
そんなことを考えながら、少女は意識を手放した。
「ゼッタイ……シナセナイ」
最後に聞こえたのは、誰かの声だった。
◆◇◆
「いいぞムクロ! そのまま魔力を喉元に持っていくのだ!」
「ーーこんな感じ、ですか」
さらに数日が過ぎた頃、ムクロの魔力を感じる修行は確実に進展していた。
そして今、ムクロはついに魔力を感じ取ることに成功したのだ。
「喉に魔力を固定したら、声を出すイメージをするのだ」
「んんっ……イメージ、声を出すイメージ」
かつて地球で様々な人物と会話した記憶を思い出し、自分がどのように話していたかを思い出す。
『アア……、オレ……ハ、ムクロ……デス」
「おお! 少し聞き取りづらいが、ちゃんと声になっているぞ! ムクロよ!」
「モルセラさん。俺、ついに出来たんですね!」
「ああ、よく今まで頑張ったな! お前なら出来ると信じていたぞ!」
互いに喜びを分かち合い、歓喜の声を上げる。
修行を始めてから一ヶ月ほどで、ようやくここまで来たのだ。
擬似声帯を完全に使いこなし、流暢に喋ることはまだ出来ない。
それでも確かな進歩だった。
「なんとか声を出すという目標は成功しました。モルセラさん、本当にありがとうございました」
「礼を言われるようなことはしていない。我はただ、ムクロの力になりたかっただけなのだからな」
「モルセラさん……」
もしムクロに肉体があれば、彼女の台詞に感動し涙を流していることだろう。
「声出しの調整は自分でするといい。いつの日か、こうして念話ではなく互いの声で会話したいものだな」
「その夢は、近いうちに叶うと思いますよ」
「うむ、そうだなっ……、ん?」
直感的に感じた。
視線を森へと移す。
いつもと同じ光景。
しかし今、確かに感じた。
「モルセラさん、気づきましたか?」
「ああ」
互いに意見を確認し、それは確信となる。
「この気配、この魔力。間違いなく人間だ」
「やっぱりですか。でも不思議ですね。突然現れた感じがしますが、どういうことでしょう」
「我にも分からん、が。確かめれば済むことだ」
「そうですね。行きましょうか」
森の中を走り抜け、先ほど感じた魔力を探す。
徐々に魔力が近づき、距離が近いと認識する二人。
辿り着いた場所には一匹の魔物がいた。
その外見は猪に近く、巨体と四本の牙に鋭い蹄を兼ね備えていた。
「あれ? ここら辺から魔力を感じるんですけど」
「ムクロよ! あそこだ!」
モルセラは声と共に指をさし、ムクロはその方向を向く。魔力の足元に人らしき者が倒れていることに気付く。
「あれが魔力の正体ですか」
「間違いない。だがこのままでは喰われてしまうぞ!」
ムクロは咄嗟に走り出し、魔物に向かって飛びかかった。魔物は突然の事態に驚きつつも、ムクロを振り落そうと暴れる。
しかしムクロは離れない。
ムクロは魔力にしがみつきながら、先ほどの人物に目線を向ける。
そこにいたのは少女だった。
しかし気絶しているようで、ドレスに血が付いていた。
もしや自分たちが来る前にやられたのだろうか?
そんなことを考えながら、ムクロは魔物の目を殴り時間を稼ぐ。
魔物が痛みに苦しむ中、ムクロとモルセラは少女の元へ駆けつける。
「モルセラさん! この子は生きてますか?」
「まだ息がある。しかし、魔力が極端に少ない。どうやらかなり消耗しているようだ。このままでは命に関わる」
「そんな……どうにかならないんですか!」
「とりあえず家へ運ぼう。早く乗れ!」
久々に竜の姿になったモルセラの背中に飛び乗る。
そしてモルセラは翼を広げ空高く飛ぶ。
ムクロの腕の中に眠る少女は、息はあるものの容体は良くなさそうだ。
なりより顔色が悪く、大量の汗を流していた。
「絶対に死なせない! 死なせるものか!」
ムクロの叫び声は誰が聞いてもわかる、確かな言葉だった。しかしムクロは、それが自分の声だとは気づかない。今は少女を救うことしか頭にないからだ。
「頼む、間に合ってくれ」
腕の中の少女を見て、かつて電車のホームで老人を助けたことを思い出した。
あの時の老人は助かったのだろうか?
病院へ搬送されたのだろうか?
なぜ今になって、そんなことを思い出したのかはムクロ自身も理解していなかった。
ただ一つだけ、確かなことがある。
この少女は死なない。
決して死ぬことはない。
そんな不確かな自信だけが、ムクロの心を支えた。




