第3話「新たな自分」
『ーーモルセラ、モルセラか」
ドラゴンは俺の呟いた言葉を繰り返し呟く。
嬉しそうに、何度も、何度も。
「俺の星……というより故郷だな。故郷には様々な花がありまして、その花に込められた特徴や性質のことを花言葉と言います」
『ほう、それは初耳だ。花に象徴的な意味があったとはな』
確かにドラゴンが花言葉を知っているほうがおかしいのかもしれない。
そもそも、この世界に花言葉という概念があるのかすらわからないが、少なくとも花はあるようだ。
「そして、モルセラの花言葉は“永遠の感謝”という意味があります」
『永遠の感謝だと? 随分大袈裟な意味だな。我は感謝されるようなことをした覚えはないのだが」
「あなたはそうでも、俺は違います。名前は一生使うものですし、それをドラゴンであるあなたが与えてくれました。だから俺は、とても感謝しているんです」
この世界で一番最初に出会った生命体がドラゴンで、しかも互いに名前を与え合うなんて経験をした俺は、とても運が良いのかもしれない。
ガイアにおいてドラゴンがどのような立場にあるのかはわからない。
それでも、このドラゴンが俺にとって恩人だということに変わりはない。
だからこそ、この気持ちを最大限に伝えたい。
その結果、辿り着いたのが花言葉だった。
問題はドラゴンが名前を気に入るかどうかだ。
「それで、あの、どうですか? 俺の考えた名前は、気に入ってもらえたでしょうか」
『…………』
しかし俺の問いにドラゴンは答えない。
まさか、気に入らなかったか!?
「あ……、あの、ドラゴンさん?」
『……っ、はぁ』
ドラゴンは天井を向き、深く呼吸する。
そして俺は気付く。
ドラゴンの大きな双眼から、大粒の涙が流れていることに。
ーーそう、泣いていた。
『ーーあぁ、これが歓喜というものか。このような感情は……久しく忘れておった』
ドラゴンの嗚咽する声が洞窟内に響き渡る。
まさかここまで喜んでもらえるとは、意外だな。
『今まで多くの命を奪ってきた。ーーだが本当は、与えたかったのだ。幸福を、希望を。しかし、我の行動は全て裏目に出てしまった。我が何かすることに、誰かが不幸となった。……だから我は、人目を避け、この洞窟へ逃げ込むことにしたのだ』
その語られる悲劇と嘆きの内容に、俺は深く共感できた。
俺にも覚えがあったからだ。
良かれと思ってやったことが、真逆の結果を招いてしまうことを。
『我は誰も傷つけたくないのだ。しかし人間どもは、我を倒そうと奮闘した。本来ならば、我がおとなしく討たれることで、全て解決するのだがな。追い詰められて初めて気づいたのだ。“死にたくない”と』
「……誰だって、死ぬのは嫌だと思います」
『フッ、そうだな』
これは案外誰にでも当てはまることなのかもしれない。
地球にいた頃、ニュースや新聞で過労死や自殺の記事をよく目にしていた。
しかし彼らが、心から死を望んだとは考えにくい。
自ら命を絶つその瞬間、やっぱり死にたくない、生きていたい。
そう思う人がいてもおかしくないと俺は思う。
死んだら終わりなのだから。
たとえどんなに辛くても、苦しくても。
生きてる限り、なんでもできるのだから。
『そうして時は流れ。人々が我を忘れたであろう今、我は生きた屍となってしまった。何をするわけでもなく、ただ悠久の時を経て、今日まで生きてきた』
「ずっと一人と言うのは、退屈でしたか?」
『我が望んだことだ。他者との繋がりを断つことで、静寂を手に入れたのだからな。ーーだが、寂しくないと言えば、それは嘘になる。孤独というのは、想像以上に辛いものだった』
ドラゴンの言う悠久の時が、どれほどのものなのかはわからない。
でも一人の辛さは、俺もよく知ってる。
案外俺とこのドラゴンは、似ているのかもしれないな。
『だが今日は違った。我の前に、貴様が現れたくれた。それだけでも十分だというのにーー』
そう言うと、ドラゴンはまた泣き出してしまった。
今ならわかる。
孤独になることで、初めて繋がりの大切さがわかる。
誰かと会話するという何気ないことが、どうしようもなく嬉しいことだと言うことを。
もともと名前を与え合おうと提案してきたのはドラゴンの方だが、自分の考えた名前を気に入ってもらえて、なおかつ俺の考えた名前には永遠の感謝が込められている。
それがドラゴンにとっては、とても嬉しかったのだろう。
「ドラゴンさん。改めて言いますけど、素敵な名前をありがとうございます! これからは“ムクロ”を名乗りたいと思います。だからドラゴンさんも、俺の名前を使ってもらえると嬉しいです」
『……あぁ、我もそうするとしよう。今より我のことは“モルセラ”と呼んでほしい、ーームクロよ』
「はい! モルセラさん!』
『さん付けは、辞めてほしいのだが……」
「え、なんでですか?」
『ーー恥ずかしい、のだ』
モルセラさんが顔を真っ赤にしている、という場面を想像できるだろうか?
俺は今、目の前で顔を隠し唸っているドラゴンを見ているのだが、すごく可愛い。
ケモナーならぬ、ドラナーになりそうだ。
あれ?
そう言えばモルセラさんの性別ってーー
◆◇◆
瞳に映る日の出は、いつもより鮮明に見える。
この世界の太陽も、然程向こうと変わらない。
にも関わらず、こうも心が穏やかなのは何故だろう?
その原因ははっきりしている。
『ほう、あれは日の出ではないか。実に久しぶりだ』
「洞窟の外は、森だったんですね」
互いに名付けを終えた二人ーー否、骸と竜は、洞窟の外へと出た。
『ところでムクロよ。なぜ我を外へ連れてきたのだ?』
「決まっているでしょ。薄暗い洞窟で過ごすより、日の光を浴びられる外の方が心地良いからですよ」
ムクロの推測では、モルセラは百年から千年単位で生きていると考えていた。
地球においてのドラゴンや龍の寿命は限りなく長い。或いは寿命という概念そのものが無いという場合も有り得る。
そしてムクロは、せっかく長命にも関わらず何もせず洞窟で生涯を終えるというのはあまりにも悲しいことだと思い、自らと共にモルセラを連れてきたのだ。
「モルセラさん。この森はどのぐらい広いんですか?」
『さぁ。我はずっと洞窟で過ごしていた。故に今、この森がどれ程の広さなのかは見当もつかん』
「それなら、俺を背中に乗せて飛ぶことはできますか? 空から見渡せば、森の全体像が見えると思うんですが」
『良案だな。では我の背に乗れ』
モルセラは背を屈め、俺はよじ登る。
モルセラの背中は非常に大きく、数十人を乗せても楽々飛べそうだ。さすがドラゴンと言うべきか。
「乗りました」
『よし。では振り落とされぬよう、しっかり捕まれ!』
巨大な双翼を羽ばたかせ、両手足で地面を蹴る。
その衝撃に思わず滑り落ちそうになる俺は、死に物狂いでモルセラさんの首に捕まる。
徐々に大地から離れていく。
およそ上空五百メートル辺りまで来たところで、俺はモルセラさんに呼びかける。
「モルセラさーん! この高度を維持したまま飛行してください!」
『了解した』
飛行が安定し、ようやく揺れがなくなる。
そして当初の目的である森の全体像を確認する。
「この森、思ってた以上に広いですね!」
『ああ。我も少し驚いている。意外に広かったのだな』
地平線の彼方まで続く森林。
幾多もの山々。
圧倒的な大自然がそこにあった。
人の手が加えられていない、自然そのもの。
「ーーん? あれは、もしかして」
確認を終えた俺たちは地上へ戻り、やるべきことをモルセラさんに伝えた。
「とりあえず、家を作りましょう」
『家?』
「森の木々を材料に、ログハウス的なものを建てたいと考えています」
『なるほどな。新たな住処を作るというわけか』
「森の木々を木材に加工した後、組み立てていきたいと思うんですが。手伝ってもらえませんか?」
『もちろん協力しよう』
本来ムクロには建築に関する知識も技術も持ち合わせていなかった。
それに作業員は自分とモルセラのみである。
当然、道具も重機もありはしない。
そこでムクロは、ドラゴンであるモルセラの能力に頼ろうとしていた。
ドラゴンの鋭い爪と強靭な肉体ならば、木など楽々切ることや、加工した木材を運び組み立てることが可能なのではないかと考えた。
そして彼の予想は的中した。
モルセラは想像以上の活躍を見せたのだ。
ムクロにとっての嬉しい誤算は、モルセラが魔法を使えたということ。
風魔法で風の刃を生み出し、木々を切り裂いていった。寸法も狂うことなく、上質な木材を手に入れることができた。
もう一つ、嬉しい誤算があった。
それは森の木々が三十メートルほどの巨木だったということ。
人がいなかったためか、木々は伸び放題であった。
ーー三ヶ月後。
「なんとか完成しましたね。モルセラさん」
『うむ。しかしムクロよ。この家はお前一人が住むにはあまりにも大き過ぎやしないか?』
「確かに……」
無事、ログハウスは完成したのだが、予想以上の豪邸になってしまったのだ。
「二階建ての一軒家。部屋数は六、ベランダと庭付き。家具は全て木製で防水加工済み。なんというか、いろいろすごいですね」
ムクロが骸骨ということもあり、トイレは作らなかったが、風呂場は作られていた。それも公衆浴場のような広く使えるものだ。
一度に五十人は入れそうな露天風呂を見て、水を汲むことを考えていなかったことを後悔する。
家から百メートル先に川があるのだが、一体何往復すれば浴槽が満たされるのか、考えるだけでも憂鬱になりそうなムクロであった。
「できればモルセラさんもこの家に住んでもらおうと思ってたんですが、さすがに入れないですよね」
『ーー残念だが、我の巨体ではせっかくの家を壊してしまうだろう。すまない』
落胆するモルセラを見て、ムクロはどうにかならないものかと思考する。
モルセラの身長はおよそ二十メートル程である。
家付近の庭ならば住むこともできるだろう。
しかしそれでは意味がない。
そもそも家を作ろうなどと考えたのは、自分のためであり、モルセラのためでもあるのだから。
『我は今まで通り、洞窟の最深部に住む故、ムクロが心配することはない』
「そんな……」
無論、モルセラが洞窟で過ごすと言ったのは就寝時のみである。
今まで洞窟で過ごしていたのは人との関わりを避けるためであり、現在に至っては尋ねてくるものなどいるわけがない。
たった一人を除いては。
しかしムクロはそのことに気付かず、何かいい案はないかと頭を悩ませる。
そして思い出したのは、地球でのドラゴンに関する情報と知識だ。
導き出した答えが、僅かな希望をムクロに与える。
「モルセラさんは、いろんな魔法が使えるんですよね?」
『ああ、それがどうした』
もし自分の考えが正しければ、可能かもしれない。
確かな情報など何一つもない。
全て憶測である。
だからこそ聞かなければならない。
たった一つの可能性を。
「モルセラさん、人化できますか?」
◆◇◆
ーーある日、ある時
ーーこの世界のどこかで
ーー最も異端な二つの存在が出会った
ーー名無しの骸骨と名忘れの黒竜
ーーこの一人と一匹の出会いが
ーー何を意味するのか?
ーー世界がそれを知るのは
ーーもう少し先の話である