5話 渇望の1 飲み水
「ハァ....ハァ....」
調子に乗った結果がこれである。
水分補給の手段も無いのに全力で走ったお陰で喉の渇きが耐えられないレベルまできている。
(調子のったあかんってあれ程....
くっそぉ...なんでや....なんでや....)
何故、と心で問うも、理由など分かりきっている。
酔っていたのだ、自分自身に。
改善点を見つけ、修正するたびに速度が上がるその速さに。
魔物の知覚範囲ギリギリを通るスリルに。
音もなく駆ける自分自身に。
これまでの自分では感じられなかった全ての感覚に。
俺って今、すんごくイケてるんでね?
そうした思い上がりが後の事を考えさせる思考能力を奪っていた。
元は運動が得意ではなかった事の反動もあるのだろうが、いかんせん短絡的に行動しすぎた。
(誰にも見られてなくてよかったなぁ
完全に厨二ちっくな考え直行中やったで.....
いや、今はそんな事考えるよかどうするか考えんと
このままじゃやばい....)
何にせよ、水分補給は急務だ。
このままでは2日持たないだろう。
そうして立ち上がろうとした時、はたと右手の違和感に気づく。
「ん......?」
そして目に入ったのは年季を感じさせる細やかな傷の数々と、手入れの無さが露見する幾つかの錆び、もはや武器と言うよりは骨董品のような様のそれ。
そう、あのゴブリンが持っていたボロボロの剣である。
(おお、いつのまに...必死すぎて全然気付かんかったわ....)
いつの間に拾っていたのか。
どういう訳かは分からないが、事実剣はこの手にある。
あの回避行動もほぼ無意識に出たものであったし、これもそういう事なのだろうか?
(んー....まぁええか
またあんな事あったら......もしかしたら戦わなあかんかもやし、な
素手よかましやろ)
持っているなら持って来たという事なのだろうと早々に思考を切り上げ、川を探すために歩き出す。
当然だ、この明確な渇きに比べればいつの間に掴んだかわからない剣が手元にあるくらいの事は、至極どうでもいいことであったのだから。
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そこからは大して目立った事もなく下りの方向へ気配や視線を避けながら進んで行った。
ここ半日で流れ作業に出来るほどには慣れた山歩きだが、流石に先ほどのような事があった後では油断できない。
むしろ恐怖心から必要以上に神経を張り巡らせ、精神的な疲労を急速に溜めこみつつあった。
全力疾走の疲れは取れつつあるものの、喉の渇きはさらに深刻な域に達し、俗に言う「そろそろやばい」状態になっていた。
かすかに聞こえる木々の擦れる音さえ怖く感じられるほどには。
(おいおいおい、こりゃマジでヤバイんとちゃうか?
死ぬ?ほんまに?俺が?....くっそ、んな簡単に....絶対嫌や....)
間近に迫る死の危険を渇きという実感で感じられるが故にさらに恐怖心が増す。
その為か身体的な疲労は無いに等しいにも関わらず体は震え、動悸が、息切れが絶えず、滲み出る汗が衣服を濡らす。
完全なパニック状態だ。
映画に出ていたならば、真っ先に倒れそうな様の俺を、しかしお天道様は見捨てはしなかったようだった。
さらに何時間も歩き、もう日も落ちかけていたまさにその時。
「あ......」
最初出たのはそんな気の抜けた言葉だった。
木々の間に見えるせせらぎ、夕暮れ時の日に反射して映える金色の流れ。
何時間も探し続けていた目的の物、水だ。
(っしゃァァアアアア!!
やったぜ!成し遂げたぜ!)
まさに歓喜、今の自分を表す最も近い言葉だろう。
単純に喉の渇きを満たせるという喜び、死の危険が掻き消されたような安堵。
全てひっくるめて俺は走り出し....
「ッ!?」
「ガァアアア!!!!」
全力全開のブレーキをキメた。
(は!?え......)
凍りつく脳内で、取り敢えず止まらなければという命令が先行し、踏み出した足でそのまま踏みとどまろうとする。
だが、今の今まで全力疾走の体制でいた体がいきなり止まれるはずもない。
やがて体は眼前の危機を退け、同じく眼前の救済へと向かう為、別の行動を取り始めた。
その行動をとったのは完全に反射的なもので、逃げようとする俺の意思はこれっぽっちも考慮されていない、まるで真反対の行動だった。
木の陰の死角から強襲を仕掛けてきた熊に対して、踏ん張ってなお止めきれない体の運動力をあの剣に乗せて殴りつけにかかったのである。
自然に体から出た恐怖から逃げようとする防衛的な反射反応。
苦手な虫をほーれと押し付けられて、嫌だと自分が思う前に手で弾いてしまうような、勝手にからだが動いた、という典型。
だがそれは俺が走る事に酔っていた時と同く異常に洗練され、馬鹿げた威力へと変換されていた。
体をしならせ、さらに足を強く踏み込み、あたかも攻撃を行う為に走り出したかのように、まるで熊が自分から剣撃を受けに飛び出したかのように。
剣の向きさえ揃えずに、しかし明らかに凶器として作用する速度と力で。
体はまるで自然に、だが明らかに不自然な形で俺は熊の頭を剣の腹で横殴りにぶっ叩き......
「ガギャッ」
バキィン...と。
錆びた剣と引き換えに、その頭をホームランよろしく明後日の方向へ吹き飛ばした。
「あ....」
卵を割る時に殻の欠片を入れてしまった時のような、そんな気の抜けた声を吐きながら、俺はあの真っ白な空間で諦めた完全な無心を体感していた。
事態を飲み込むことを脳が拒否し、ただ頭が飛んだ方向を見つめる。
しばしの沈黙を経てやがて喉の渇きを思い出し、再起動を果たした俺の答えはこうだ。
「........ええわ、知らん」
こうして俺はこの世界で渇望した一つ目、「飲み水」を手に入れ、今日はここで夜を越すことに決めた...
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「あー....そや、火ぃない」
山で夜を越すなら焚き火かと、小枝を集めて回っていた俺だが、至極当たり前のことに今更気づき、その手を止めた。
馬鹿馬鹿しくなり、手に抱えていた枝を投げ捨て、泉に戻る。
端に腰を下ろし、自分が次に何をするべきか考えてみるが、いまいち浮かばずさらに不安に煽られる。
ここまで来る途中はずっと周囲に気を配り、集中し、五感を最大限に活用しながら進んで来ていたため、何もしない今はかえって落ち着かない。
探ってみてもなぜか気配も感じず、見回しても動く物は何もない。
(やっぱこの泉のせいなんかな
なんか、変やし
あーあ、川やと思ってんけどなぁ...
そんな上手く行かんか)
あの後、嬉々として水分補給を済ました俺はその水に流れが無いことに気づき、再び軽い絶望感に打ちひしがれていた。
だが、この魔物が跋扈する森で落ち込んでいるわけにもいくまいとなんとか持ち直し、夜を越す準備を始めた所だった。
それすら今は頓挫しているが、この泉のお陰かあまり差し迫った状況にはなっていない。
しかしこの泉、何かがおかしいのだ。
一見すれば森の開けたところに出来ている普通の大きい水たまりだし、有難いことにキツイ匂いもせず、透き通っていて、水も不味くなかった。
だが、明らかに何かが違う。
あの老人によって強化されたのであろう第六感とやらがそう伝えてくる。
明確な理由はない、異常も見当たらない。
だけどこれは普通の泉じゃない。
根拠はないが、直感でそう確信していた。
けれど今はそんな事は重要ではない。
「腹減ったなぁ.....」
現時点で感じるこの空腹、これが今最重要の問題だ。
気を引き締めなければいけない状況なら、常に周囲を観察しなければいけない状態なら、空腹など二の次で耐えることは出来ただろう。
だが周囲になんの気配もなく、安全で余裕がある今では無理だ。
(さっきの枝と、もう集めてもうた葉っぱと、そこの熊さん、あとは火ぃあれば焼肉が出来んのになぁ...)
ファンタジーな異世界だと確定していたのだから、「つよいまほう」とでも付け加えておけば良かったという後悔が頭をもたげる。
そして、そのキーワードで閃く。
(ん?なんかひっかかるな....そや!)
無い物を求めずとも、今の俺には十分な手持ちがある。
昼過ぎ頃にゴブリンを殺した俺の手段はなんだ?
少し考えれば分かることだった。
すぐさま先程捨てた枝を回収し、枯葉をまぶし、再び唱える。
「アシスト」
スッ...と音もなく手が火に包まれる。
そのまま小枝に触れると、今度はボウ!という音を立てて激しく燃え上がった。
(うわ!あっつ......くない?)
触れた途端に燃え広がり、自然と手との距離が近かった為に驚いて引っ込めたが、熱さは感じなかった。
正確には火が付与された掌だけが、だが。
手首から手前は火が発する熱をしっかりと感じ取っているが、付与された火を纏っている手はその一切が遮断されている。
試しにと炎に触れてみるも、やはり熱くない。
(なーる、こういう効果もあんのか
こら便利、少なくとも俺が焼死する事はなくなったわけやな)
火を原因として、それによって引き起こされる諸々は兎も角として、起こる事態を察知さえできていれば「火」単体で俺が死ぬ可能性は限りなくこれで少なくなったのではないだろうか。
(....っておい!
また自分にアドバンテージあると思うて、普通に油断しとんやんか!
俺にできてるって事は、こっちの奴も出来るってこと忘れたあかん!)
この世界の魔法がどの程度のものか、どのレベルが一般か、最高でどこまで出来るのかわからない今、可能性で言えばこの世界の誰もがこの付与を使えるという事も無いとは断言できない。
あくまで可能性の話だが、もしそんな訳ないとたかをくくっていた結果、命に関わるようなことになれば目も当てられない。
人生にやり直しは無いのだ。
やはりこの世界の常識を知らない今、人を見つけ、街へと辿り着く事は最優先事項だ。
暮らしなりを体感し、戦闘の仕方を観察し、早急に身の振り方を覚えて常識を身につけ、融け込まねば。
(別にやりたい放題したいわけやない
一定の暮らしができればそれでええ
そのために自分の暮らしを軌道に乗せなあかん、出来るだけ早うに
余裕出てくればそんときしたいことやればええねんし
旅でも、この能力試すでも、猫耳見に行くでも、なんでも)
向こうにいた時には、ゲームみたいなファンタジー世界に行けたなら無双して、ハーレムして...そんな用に考える事も出来ただろうが、今やここは現実だ。
そして現実に確定された一人の主人公など存在しない。
誰もが思い思いに笑い、怒り、愛し、震え、自分の生を生きている。
そんな人達に、あの老人曰く戦いの多いこの世界に実際に生きる人達に、温室育ちの貧弱な俺が能力の一つや二つ貰ったところで最強を名乗れるか?
答えはNoだ、こればかりは断言できる。
何事にも天才と言われる人種は確かにいて、戦いにしても魔法にしてもきっといるのだろう。
そんな天才に単独で勝つ方法は二つ。
一つは彼らよりも多くの努力だ。
言うなれば生まれた瞬間からその分野において努力を始め、血の滲むレベルのそれを継続して行い向上心を忘れない事。
これはもう既に無理だ。
俺以外でも日本で生まれた時から戦いの努力を始めた、なんて奴が多いとは思えない。
そしてもう一つは、彼らにその分野に関わる機会を与えない事、または彼らが知らない物で勝負をかける事だ。
人の才能の開花を邪魔するもの、それは機会の無さだ。
如何に天才と言えど、それに携わる機会が無ければその才能を花咲かせることは無い。
しかしこれもダメだろう。
どの程度かは把握できていないが、この世界は戦いが多いという。
確かに村でもあの熊さんのような魔物に襲われれば戦うだろうし、都市にはその魔物の素材などが並ぶ事が予想されるため、自衛の手段を得る事の有用性を何処かで感じるかもしれない。
ならば、頼れるものがこの能力しか無かったとしても、俺は極力この力に人前で頼ることはしてはならない。
敵にいれば厄介な事この上ない故に、今の内に...などと何でもかんでも自らの脅威として人を見る人物が居ないとも言い切れないのだ。
この世界で能力に頼らず、敵を作らず、常識を身に付け、一定以上の生活をおくる....ハードというのもぬるい難易度だ。
なれば能力に全く頼らないというのもまた不可能なのだろう。
(なんの特技も持っとらんからな、俺
なんか一つ持ってたら良かったんやけど....)
なれば如何にバレずに、という事が重要になってくる。
(毒んときちょいと色でてんよなぁ...
属性付加は論外やし、他は....ッ!!?)
「アッツ!!!」
一定の勢いで燃える焚き木もどきの中からパチィ!っという音が聞こえ、頬に跳ねた。
思考を巡らせ、ぼーっと立っていた俺にはそれは驚き、深みにハマりつつあった脳内を一瞬にして真っ白にし、本来の目的を思い出した。
(あ、熊さん.....)
そうして俺は半ばから折れ、さらにボロボロになった剣を片手に歩き出し、熊さんを解体しに向かった
その後、日本でぬくぬく育ちの自分が何の味付けもない筋ばかりの獣肉を食べられたかというと、それはお察し。
食べなければ死ぬ、と半ば暗示をかけて少量胃に入れたが、大半は炭になって貰い、今日はそのまま寝る事となった。
本来なら感覚でしかわからない泉の魔除け効果に縋るなど、してはならない賭けだ。
普段の自分ならしなかっただろうが、他に手が無い事と、精神面での疲れが原因だったのだろう。
それがあんな結果を招くとは、今の俺には想像もできなかった.....
主人公はこんな感じで失敗を繰り返します。
んで自虐します。
他の人が出てくるまではずっとこうかもしれませんね。




