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第2話 8月22日(火・2)。むつみこはじめ。

 時季的には最盛期を過ぎているとは言え、本日も夏の日差しと蝉時雨はすこぶる好調。空調の効いた屋内から一度外に出れば、途端にむわっとした熱気が肌や呼吸器系を焼きにかかってくる。昼前でこれとか、午後は一体どれほどの焦熱地獄が待っていることやら。


 ともあれ。いつもの甚兵衛にプラスして、ついでに日射病対策のタオルを頭へ被った俺は、一路睦子の家へ――緋叉音の家へと自転車を飛ばした。


 服の中や頬を叩いてくる風で体温の上昇を抑えながら、わりと全力疾走に近い回転数(ケイデンス)でひたすらペダルを回す、回す。なんでこんなに急いでるのかってぇと、勿論悩み事を早く解決したいからっていうのもあるけど、これはどちらかというと単なるランナーズハイに近い。俺、車のハンドル握るとちょっとテンション上がっちゃうタイプなんだよね。車ってかママチャリだけど。


 そうして程良く思考も速度もトバしながら、見晴らしの良いのどかな田園地帯を抜けて、一昨日も訪れた森八割・民家二割な住宅地へ突入。この辺りまでくると、背の高い木々が生み出す日陰のおかげで、日差しも熱気も多少は和らいでくる。


 俺は足をぶん回すことをやめて慣性で走りながら、昂ぶった気持ちと呼吸を少しずつ整えていった。木々の生み出す清澄な空気からリラックス効果も受け取って、睦子の家の真ん前に到着した俺はすっかりいつもの荒鷲和馬くん。ふぅ、孤独なスプリントレースごっこ楽しかった。


「……さって、と」


 俺の家ほどではないにしろ、周囲を青々とした木々に取り囲まれている一軒家。家屋の横に併設されている駐車スペースへ自転車を停めた俺は、レースの余韻の残る軽快な足取りで玄関へと回った。そして、怖じ気づく事こそを怖れよとばかりに、今後の展開については全くのノープランのままに、流れるような手付きでチャイムをぽちりと押し込む。


 ドア越しに聞こえてくる、某コンビニの入店音とほぼ同じメロディ-。俺は頭から解いたタオルを首へと掛け直し、襟元をぱたぱたと振って服の中へ風を送りながらじっと待つ。


 程なくして。軽快な足音を響かせながらやってきた人物が、『あいあーい、今出るよー』なんて気の抜けた声を寄越してきつつ、閉ざされていたドアを内側からガチャリと開けた。



「あーい、出たよー。こんにちわー………って、なんだカズちんかよ。はぁ、出て損した」



 人の顔を見るなり溜め息をついたその失礼な女は、眠そうにふわぁっと欠伸をひとつかくと、気怠い手付きで頭をぽりぽりと掻きながら、何事も無かったように屋内へ引っ込――ませるかよッ!


「ふんぬら、ばあッ!」


 閉ざされかけたドアの隙間へと素早く足をねじ込んだ俺は、両手も使って隙間を強引に押し広げて、取っ手にくっついてきた女を釣り上げる。


「わ、わ、わっ、と、ととっ」


 つんのめりかけたその女は、俺の胸にとんと両手を突いてバランスを取ると、ちょっとびっくりしたように目も口も開けながら至近距離から俺の顔を見上げてきた。


 そしてぶつかる、瞳と瞳。俺は一切動じることなく、むしろちょっと呆れながら、未だぼけっとしてる女に向かってこう言った。


「おっす、睦子。……お前、また冷房ガンガンにかけまくってやがったな?」


「………………おー、カズちん、名探偵!」


 正気を取り戻した――というより今し方の出来事を何もかもフツーにスルーすることにしたっぽい睦子は、何食わぬ顔で身体を離すと無邪気にぱちぱちと拍手した。


 が、はたと手を止めた彼女は、合掌ポーズのままで「んー?」と怪訝そうに首を捻る。


「あんた、なんでそんなん知ってるの? てか、そもそもどしたね、いきなりウチ来てさ-。今あんたって仕事中じゃないの? ……………………ま、ままままさか、あっ、あ、あたしのストーキングするために仕事ブッチして押しかけてきた――」


「おう、その通りだぜ」


「あ、な、なんだそっか-、はぁ、びっくりしたー。……まーんじゃさー、折角だからあったか~いお茶でも()れてってよ。クーラー点けっぱで寝てたら身体冷えちゃって冷えちゃって――うわっ、あんた汗臭っ!?」


 勝手に身体を擦り寄せてきたと思ったら、瞬時にシュバッと離れていった。大袈裟に鼻を摘まんで思いっきりしかめっ面してる睦子を見て、俺は逆に表情も気持ちもだる~んと緩めてなんとなく溜め息を吐く。



 さて。このツッコミどころしか存在しない愉快な女について、この場を借りて改めて紹介しておこう。


 こいつの名は、雛木 睦子。ファーストネームの読み方は、むつみこ、だ。これかなりの頻度で読み間違えられるらしくて、こいつがまだ女子高生やってた頃なんかは時折『どうせなら、ただ「むつみ」ってだけの方がよかったなぁ。そっちのがなんとなく可愛いしさー』なんてぼやいてた。……そういや、最近は全然そんなこと言わなくなったけど……、やっぱ、あの頃より両親との仲が良好になったことが関係してるのかね? まあ、それはさておき。


 かつて女子高生だった睦子も、今では成人済みの大学二年生。あの頃から都会でもそうそう見ないってくらいにダントツに綺麗な女の子ではあったけど、そこから順調に成長してぐんぐん女らしさに磨きがかかってきてる。って言っても、背や胸やお尻なんかのサイズ自体は相変わらず人並みだから、なんていうのかな、根本的な『質』が洗練されてきてるって感じだ。このえもいわれぬ、しかしあまりにも抗いがたい極上の雌のフェロモンの前には、世の成人男性の八割くらいは欲情不可避だと思う。ちなみに欲情しない二割を構成しているのは、性癖の偏っている人と、あとは俺みたいにこいつとそこそこ付き合いのある人間だ。


 性癖についてはひとまず置いといて。なんで付き合いの長い人間が睦子に劣情を抱かなくなるかというと、だってこいつ、中身を知れば知るほど外見とのギャップが激しいからさ。ぶっちゃけ、自己中でだらしなくてわがままで、一言で言うならすんごいガキ。特に恋愛感情を持って近付いてくる男に対しては、それはもう癇癪起こした子供みたいにあらゆる無理難題と艱難辛苦と理不尽を無尽蔵に押しつけるんだよね。そんな荒ぶるかぐや姫と見事相思相愛に至った、現役及び歴代の彼氏達の『正体』については、機会があれば語るとしよう。


 ちなみに、俺は出会いが出会いだったから、睦子とはお互いに恋愛対象として認識してない。だから睦子も俺にはそんなにあたりが強いわけでもなくて、精々が兄に甘えたり弟にちょっかいかけたりって程度の可愛い『おいた』だ。ああ、あと余談としてもう一個、俺が睦子を純粋な恋愛対象として見れない理由を挙げるとするならば、俺と睦子が店子と大家の関係にあるからってのもある。


 まあ、純粋な店子と大家ってのとは色々と違うけど。ちゃんとした賃貸契約なんて結んでないし。俺が住んでいるあの家の実際の持ち主は、睦子の両親だし。でも、あの家の管理は睦子が任されていて、俺があの家で住めるように雛木夫妻に掛け合ってくれたのも睦子。睦子がその対価として俺に求めてきたのは、自分の代わりにあの家の管理をすることと、あとは気が向いた時に固定資産税分くらいの家賃は払うこと、の二つだけ。あとは冗談っぽく『鶴の恩返し、期待してるからねっ♡』ってお願いされてるけど、そんな恩返しとか何とか関係無しに、俺は睦子お姉ちゃんのことが純粋に大好きだから色々とお世話してあげてますです、これオフレコな?



「なあ、睦子さ。あったか~いお茶とか欲しがる前に、まずクーラー切れよ。てかそもそも、なんでお前そんな格好してんの? 脱げよ」


「…………………………えっち」


 後ろ手に玄関のドアを締めながらぞんざいに台詞を放った俺に、睦子ははにかんだ笑顔を見せてきながら己の身体をきゅっと抱き締めた。このお姉ちゃん超うぜぇ。たとえ冗談だとわかっていても思わず呼吸が止まるほどにくっそ可愛いすぎる仕草しやがるあたりがほんとウゼェ。


 ちなみに睦子がどんな格好してるのかっていうと、このくっそ熱い日に、冬季限定・部屋着専用であろう裾と袖がだぼだぼに余ったセーター着てる。下を向けば目に入る、男物っぽいデザインのハーフパンツは問題無いにしても、そこから出てる細っこい足を黒タイツでしっかり覆ってるあたり度し難い、生足見たい。あとこれが特に度し難いんだけど、こいつ首にマフラーまで装備してんのよ。マフラーだぜマフラー。しかも髪の毛の上から巻いてやがるから、ご自慢のスレトートな黒髪が顔の横でもこっと膨らんでて、それがまたあざといまでにえっらい可愛くてほんと度し難し、度し難し。


 ……って、いや俺、ちょっと落ち着け。俺はここへ睦子の可愛さを再確認するために来たわけじゃないだろ、そうだろ? だってわざわざ確認するまでもなくこいつが可愛いのなんて当たり前だし、っていやだからそうじゃねぇ、そうじゃねぇんだって。


「……なあ。緋叉音は、今いるか?」


 永きに亘る蛇足を経て、ようやく本題を切り出すことに成功した俺。けれど睦子は、何故かつーんとそっぽを向き、耳を両手で塞いでみせる。


「えー、なーにー、聞こえなーい。あたしー、今お耳も鼓膜も冷えちゃっててー、もー凍傷寸前ってゆーかー。これ早く誰かがあったか~いお茶くれないとー、命の危機とかありそーだなー」


「……………………。いないなら、悪いけどこのまま帰るぞ。猪爺や恵さんに迷惑……じゃなくて心配かけてまで早退してきた以上、目的以外のことに時間を割くのは不義理が過ぎる」


「――んふっ♡ 不義理が嫌いなあんたがぁ~、早退してまで会いたかった相手がぁ~、緋叉音ちんなんだぁ~? んはぁ~、こりゃやっぱりあれだねぇ~」


 手を耳の横では無く後ろへ回してぴょこんと立て、好奇心とイタズラ心満載のニヤけ面を向けてくる睦子。うぜぇ、今度はうざ可愛いとかじゃなしに本格的にうぜぇぜ、お姉ちゃん。


 俺は自らの失言に舌を打ちながらも、ふと睦子の発した単語が気になって思考を切り替える。


「『やっぱり』って、どういうことだ? ………………緋叉音が、その……、俺のしでかしたごにょごにょについてとか、なんか、こう……、………………ポジティブな感想を述べてくれていたりとか……へ、へへ、へ――」


「むしろ、それを問うカズちんのお顔が超絶ネガティブすぎて、あたしとってもびっくりぴょん……。ごにょごにょーって、あんた緋叉音ちんに一体何やったぴょん? せっかくだから、この睦子お姉ちゃんに、カズちん渾身のおもしろおかしい黒歴史・最新版をあらいざらいぶちまけるといいぴょん!」


 耳の後ろから頭頂部へ持って行ってぴょこぴょこ揺らしてるあの手は、きっとウサ耳のつもりなのだろう。どうやら、雛木の血族として生まれし美女は皆、兎のアヤカシに憑かれているものらしい。荒ぶる獅子の前に無防備に出て来て『私を食べて?』ってくりくりのお目々で見つめてくる緋叉音兎と、ネガティブ入ってる獅子を見て冗談めかしながら『なんでも話してね?』って気遣ってくる睦子兎。二匹の優しさに胸を打たれた獅子さんは、その日からうさぎを狩ることをやめて草食派になったのでした。ちゃんちゃん。


 伝奇かと思ったら寓話かよ! って、んなこと心底どうでもええわ!




「――ぺくしゅっ」


 


「……………………あん?」


 ふと、どっかで聞いたようなくしゃみが聞こえて、思わず睦子の方を見る。


 俺の視線を受けて一瞬きょとーんとした睦子だったけど、彼女は思い出したように身体をぷるりと震わせると、マフラーを口元あたりまで引き上げながら鼻を軽く啜った。出会い頭にぶつかった時からわかってたことだけど、自己申告の通り、随分と身体を冷やしたみたいだな。


 俺は盛大に溜息を吐き、マフラーをぽんぽんと叩いて形を整えている睦子の、その小さな冷え冷えお手々をぽんぽんと叩いた。


「ほら、あったか~いお茶淹れて欲しいんだろ。さっさと上がろうぜ。……いいか?」


「……………………え? あ、うん、もろちん、もろちん」


 少し反応が鈍くはあったけれど、睦子はいつもの如く微妙な下ネタを口にしながら、こくこくと頷いてくれた。

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