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第1話 8月20日(日・了)。そして始まる物語。

 煌々と揺らめく青白い星々の下。墨色にとっぷりと暮れた田舎道を、ライト代わりの自転車を押しながらゆっくりと歩いてゆく。


 夜風にそよぐ稲穂の音色を導とし、彼方に浮かぶ山々の特徴的なシルエットも目印にして、田んぼに落っこちないように気を付けながら、ゆっくりと、ゆっくりと。


 ――俺のすぐ後ろを歩く少女を、うっかり暗闇の中へ置き去りにしてしまわぬように。ゆっくりと、どこまでもゆっくりと。


「……………足元、平気か?」


「……………うん。平気です」


 ちらりと彼女の方を振り返り、視線を交わし、言葉を交わす。何度目になるかわからない簡素なやりとりに、俺は満足とも不満ともつかない溜め息を零して、再び前へと向き直った。


 けれど、俺の網膜には彼女の姿が焼き付いて離れない。ショルダーバッグを掛けた華奢な肩をしょんぼりと落とし、ぎゅっと抱き締めたスケッチブックで身を守りながら、誤魔化すような愛想笑いで通り一辺倒な台詞を返す、そんな彼女の姿が。


 ……彼女が今、忘れ去っていたはずの警戒心を向けている相手は、きっと、この暗闇ではないのだろう。


「…………………………」


 俺から話しかけなければ、緋叉音が口を開いてくれることはなく。次のやりとりまでのクールタイムの間、俺はただ無言で自転車をからからと押すことしかできない。


 呆気ないものだ。思い出という確かな積み重ねの存在しない俺と緋叉音の関係は、一度ぎこちなくなってしまえばそのまま瓦解して雲散霧消するのを待つのみの、糸よりか細く頼りないものでしかなかった。


 その細さは、さながら、あの空に浮かぶ朔日間近な月のごとく。


「……………………はぁ……」


 緋叉音に悟られぬように小さく嘆息しながら、俺はほんの少し前の電話のことを――睦子の台詞をぼんやりと思い返す。



『あ、緋叉音ちん今日帰ってくるの? ならちょうどいいや。あたしもそろそろ帰るから、後で一緒にお風呂でも入ろーっと。あ、一応言っとくけどあんたはダメだかんね? あんたはエロいことばっか考えてないで、緋叉音ちんをしっかりと送り届けることだけに集中しなさいな。――いい? 「しっかり」、やるんだよ?』



 たぶんあいつは、こっちが『今日は緋叉音をウチに泊めることにした』って答えていたら、自分はメシの流れから彼氏のとこで夜明かしと洒落込んでいたはずだ。それが誰のためにこうもあっさりと予定変更したのかってのは、まあ、緋叉音のためで、それにきっと俺のためなんだろうな。


 慣れない気遣い、させちまったよなぁ……。あ、いや、睦子は元々わりと気遣い屋さんな所有るか。ただ悲しいかな、その尊い特性が俺に対して発揮されることってほぼ皆無なんだけどな。気遣ってくれるどころか、いつもはこっちの都合なんて全く気にしないでエロくないご奉仕を要求してきやがるけどな。実際は俺より年下のくせして、マジで生粋のお姉ちゃん気質だよなぁ、あいつ。


 ……『しっかり』、か。ああ、そうだな、お姉ちゃん。


「……うっし。やるか」


 睦子の『お-、一発ヤっちまえー』なんて下品な応援と嬉しそうな苦笑いを思い浮かべながら、俺は覚悟を決めて立ち止まった。

 

 ごちゃごちゃ悩んでたって仕方無ぇ。後の事なんて考えないで、『雛木緋叉音っ! 俺は、お前のことが結構気に入ってんだ! だからもっと仲良くしようぜ、へいへいバッチコーイ!』って叫んでやる!


「『緋叉音っ、俺は――』! ……………………って、あ、あれっ、緋叉音ちん?」


 あらん限りの大声と共に、勢い込んで背後へぐるんと振り返った俺。けれどそこには、ビミョーに距離を開けながらもちょこちょこと付いてきていたはずの少女の姿は見当たらない。


 ――まさか、はぐれた? こんな電灯もろくにない真っ暗闇の、しかも一歩踏み外せば田んぼに真っ逆さまな場所で?


「――――――――っ……」


 一瞬肝が冷えかけたけど、緋叉音は少し立ち止まっていただけらしく、予想よりほんの少しだけ離れた位置に人影を発見してひとまず安堵。けれど、一度盛大にびっくりしてしまった心臓は、落ち着くのに少し時間がかかりそう。


 俺は自転車のスタンドを速攻で下ろすと、LEDライトだけを手早く取り外して持ち、今通ったばかりの道を照らしながら小走りで戻った。


「おい、緋叉音! お前、立ち止まるなら一声掛けてくれないと――」


 危ないだろ、と叱りかけて、思わず言葉を飲み込む。


 ただでさえ説教が原因でぎこちなくなってしまったのに、また同じ過ちを繰り返すわけにはいかない――という気持ちも、無かったわけでもない。けれど、俺が言葉どころか呼吸までを止めざるを得なかったのは、俺の内側からの想いのせいではなく、目の前に在る光景のせいだ。


「――――――――――――」


 

 そして少女は神懸かる。


 暗闇の中にありながら尚輝く白い肌を持ち、癖ひとつ無い艶やかな髪に星明かりと夜風を纏わせる、ぞっとするほどに美しいその少女は。


 氷細工めいた冷たく薄い微笑みを横顔に貼り付けて、堕ちた日輪の彼方をただただ漫然と眺めていた。



「………………『駄目だ』」


 出そうと思って出したわけではない、けれどそれゆえに発することのできた呟き。


 足元をライトで照らされても気付きすらしなかったはずの少女は、虫の音よりも小さな俺の声にぴくんと反応して、人間らしさの戻って来た眼をぱちくりさせながら俺の方を振り向いた。


「………………かず、ま、くん? …………ダメって、なにが?」


「……………………いや、なんつーか……」


 なんでもないと、そう口にすることは容易い。或いは、今度こそ『立ち止まるなら声掛けないと駄目だろ』と怒るのが最適な解だろうか。


 ――それとも。


「……お前、なんか、そういう、なんてぇの? ………………悲しそう……とも違うけど、なんか、こう、時々、綺麗なんだけど嫌な感じの、ええっと――ああ、そう、あれだ! 『心のこもってない絵画』みたいな、そういう冷たい顔すんの、やめろよ」


 ふと目に留まった、緋叉音に抱きしめられたままのスケッチブック。それが、このとらえどころの無い想いに相応しい比喩を、まるで天啓の如く与えてくれた。多少陳腐な表現ではあったけど、こうして口にしてみればこれ以上にしっくりくる言葉もない。


 そしてきっと、俺のその言葉は、緋叉音の心に巣くっていたモノをも寸分違わず打ち抜くものだった。


「……………………っ」


 目を見開いて息を飲んだ緋叉音は、不可視の衝撃を受けたようによろけて、一歩退く。そして、彼女が居た位置に一瞬遅れでばさりと落ちる――真っ白なスケッチブック。


 緋叉音は、落としたそれを拾わない。目すらやらない。きっと、落としたことに気付いてすらいない。


 彼女は完全に硬直したまま、瞬きもせずに、ただただ俺だけを見つめていた。


「………………………………」


 そんな想定外の過剰な反応を向けられてしまっては、こちらも思わず硬直するしかない。けれど俺は、それこそ『思わず』といった感じで、彼女が落としたスケッチブックを「よっ」と拾い上げた。


 表紙側が下になったのは幸いだったな。光沢のある材質のおかげで、軽く砂を払ってから腹に押しつけて拭くだけでちゃんと綺麗になった。よしよし。でももうちょっと念入りに拭いておこう。


 だってこれ、緋叉音にとってはすごく重要な意味を持ってるらしいし。


「………………あっ。か、カズマく、それ、服っ、汚れちゃっ……」


「気にすんな」


「……………………で、でもっ……」


「気にすんな」


「……………………………………けっ、けど――」


「気にすんな」


「………………………………………………は、はいぃ……」


 硬直が解けて駆け寄ってきた緋叉音が、しゅんと俯いてまた動きを停止してしまった。あまりにしゅんとしすぎていて、ぺたんと倒れた哀れなウサミミが幻視できそうなレベルである。


 できることなら、この兎娘の耳も頭も毛並みも思うさま撫で繰り回して、心ゆくまで元気づけてあげたい。けれど多分、彼女にとって赤の他人である俺には、本来そんな行為は許されていなくて。それにもし許されていたとしても、生憎俺の両手はライトとスケッチブックで塞がってしまっている。


 でも。このまま何もしないで放置なんか、絶対にしてやるもんか。


「緋叉音。お前、俺のこと、ちょっとくらいは信頼してくれてるんだよな?」


「………………う……う、ん……?」


 否定とも肯定ともつかない曖昧な音を発しながら、緋叉音は少しだけ顔を上げた。揺れる前髪の間から、『どうして、いきなりそんなこと訊くんだろう?』という不思議と不安が綯い交ぜになった瞳がおそるおそる見つめてくる。


 俺は敢えて彼女の気持ちに気付いていないフリをして、愚直に再度問いかける。


「信頼、してるよな?」


「…………………え、あの、え、え~っ、……と……? …………もっ、もし、それ、……万が一、『してない』って――ッ!? ごっ、ごごごごごごごごごごめんごめんごめんなさいごめんなさいっ!? 泣かないで、泣くなっ、泣いちゃダメですカズマくんっ!? 待って待ってまってまってぇっ!」


 俺はちっとも泣いてなどいないのに、緋叉音がいきなり大慌てしてスカートはためかせながらぴょんこぴょんこと飛びかかってきた。


 襟首掴んでがっくんがっくん揺さぶってくる荒ぶり兎さんに、獅子の化身であるはずの俺が為す術無く揺さぶられ続けることしかできない。いや俺ほんと泣いてなんかいねぇし、ちっともダメージなんてくらってねぇんだけど、なんだろ、予想外の所で想定外のショック受けちゃって、全身から力が抜け落ちたまま一向に戻って来る気配ねぇわこれ。


 はぁ。俺、何やってんだろ……。今日が初対面の、自分よっか十歳くらい下の女の子相手に信頼だのなんだのと持ち出したり、落ち込ませたままになんかしてやるもんかとか無駄に空回りしたり、勝手に『心のこもってない絵画』なんて深刻ぶっちゃってみたり……。


 帰ろっかな、もう。


「……………泣きてぇ。………………ぐすっ」


「もう泣いてるよっ!? 待ってー、まってぇー! なんでっ、なんで泣くの、カズっ、ま、く…………ん…………」


「いや、だからまだ泣いてねぇって。まだっていうか、別に、そんな、なぁ? ほんと、泣く理由とか、これっぽっちも無ぇし……。…………大体自分、どっちかってーと、泣きたい奴らの愚痴とヤケ酒に、付き合わされるタイプっすから……」


 でも、たまには誰かに、俺のヤケ酒に付き合ってもらうのもいいかもな。今はなんか、わけもなくそういう気分。わけもなくだ、いいか、わけもなくなんだ。俺は決して、信頼を寄せていた相手に裏切られた悲しさから酒に溺れたくなっているわけではないッ!


「……行こうぜ、緋叉音。今度は、ちゃんとついてきてくれよな?」


 俺は半ば踵を返しながら、綺麗になったスケッチブックを緋叉音のおでこあたりに押しつけてやった。


 それを小さな両手でそっと受け取った緋叉音が、物言いたげな上目遣いを覗かせてくる。物言いたげで、何かを言いたくてたまらなくて、でもちっともうまく言葉にできない、そんなもどかしさをひしひしと感じるつぶらな瞳。


 でも、緋叉音は結局何も言ってくれず。だから俺も、それ以上は何も言わずに、彼女へ背を向けた。



◆◇◆◇◆



 誰かとヤケ酒は飲みたいけど、同時に、なんとなく顔見知りに会いたくないような気もする。そんな迷いに満ちた足取りは、気付けば、稲見町最大にして唯一の商店街を迂回するルートを辿っていて、想定よりも大幅に時間をかけてようやっと睦子の家へと到着。


 この一帯も俺の家らへんと同じく人気が少ないけれど、一応住宅地と呼べる程度には民家がぽつぽつ建っている。ぽつぽつというより、ぽつん、ぽつん、だな。家と家の合間にちょいちょい空き地や森や畑を挟んでいる、この光景と似たようなのは都会の方でも見た記憶があるけど、比率的には向こうが『住宅地の中に自然が取り残されている』だとしたら、こっちは『自然の中に住宅地が飲み込まれている』って感じ。


 それにやっぱり、都会とこっちでは夜の純度が違う。群れ集った人々の発する気配や光が届かないこの地域では、夜が暗くて、静かで、冷たくて、どこか孤独に通じる薄ら寒さすら漂っている。


 あたたなかな光の灯る、何の変哲も無い一軒家。確かな人の気配を感じるその玄関を前にして、俺と緋叉音は、言葉もなく、意味もなく、孤独な夜空を振り仰いだ。


「…………着いたな」


「…………着いちゃった、ね」


 二人で同じような台詞を吐いて、噛み合わない歯車のような想いを噛みしめ合う。


 ――あまりにも、歯がゆい。


 自転車のグリップを握る俺の手に力が籠もり、ショルダーバッグのストラップを握る緋叉音の手もぎゅっと握られ、そこからお互いにあと一歩で何か行動を起こせそうなのに、けれどそのきっかけを見つけることができずにいる。


 わかってる。緋叉音は、俺に話しかけたがってる。俺が話しかけたがってることも、きっと緋叉音はわかってる。


 でも……、何を話せばいいんだろう。話したいことはいくらでもあって、話したい気持ちだっていくらでもあって、けれどそのどれもが、きちんとした言葉として結実するに至らない。


 ……年上で男でわりと勢い任せな俺にできないことを、年下で女で元来遠慮しがちな子であるらしい緋叉音に望むのは、流石に酷というものだろう。ならばここはやはり、俺がどうにか頑張って口火を――



「カズマくん」



 不意に俺の名を呼ぶ、凛とした声音。弾かれたように振り向いた俺を、緋叉音の思い詰めた面持ちが迎え撃つ。


 先程までは、何者かからそのほそやかな身体を護るように、胸元でストラップを握りしめて身体を縮めていた緋叉音。けれど彼女は、握るものをスカートへと変えて、背筋をできる限り頑張ってしゃんと伸ばし、制服に包まれた清楚な胸を精一杯張るようにしてこちらへ正対した。


 夜風に黒髪と髪飾りを優しく愛でられながら、緋叉音はほっと安堵らしきもので表情を満たす。そして彼女は、とても優しい眼で俺を見つめ、まるで愛でるような声色でその単語を繰り返した。


「カズマくん、カズマくん」


「………………な、なんだよ」


「和馬くん、かずまくん、カズマくん」


「…………………………おう、なんだ、どした」


「カズマくん、カズマくん、カズマくん、カズマくん、カズマくん、カズマくん、カズマくん、カズマくん、カズマくん、カズマくん……。…………………………どう、ですか?」


 安堵に若干の怯えを滲ませながら、唐突に上目遣いで問うてくる彼女。うむ、まるで意味がわからない。いきなりひとの名前連呼しまくったりして、この子いったい何がしたかったの?


 わからない。わからない――けど。それでも俺は、自らの心に浮かび上がってきた気持ちのままに、優しく微笑みかけながらはっきりと答えた。


「嬉しい、な。……お前――じゃなくて、『きみ』に、こうして目を見て、名前を呼んでもらえることが」


「……………『お前』で、いいよ、無理しなくて。……カズマくん、そっちの方がしっくりくる……の、ですよね? 私の、『カズマくん』みたいに」


「……………………お、おう、うん。…………あ、いや、でも、女の子にお前お前って連呼するのって、人によってはすっごい嫌がるらしい――」


「カズマくんの前にいるのは、『私』だよ。他のひと、関係ないです」


 安堵も怯えもどっかやって、今度はちょっと拗ねるように唇を尖らせる緋叉音。彼女はきゅっと握ったスカートを小さくぱったぱったと揺らして苛立ちを表現しながら、じろりと睨め付けて来て無言の圧力をかけてくる。


 その圧力に笑顔で屈して、俺は彼女の頭にぽふんと手をやりながら再チャレンジした。


「嬉しいよ、緋叉音。……お前とこうしてまた、ちゃんと触れあえるようになったことが」


「…………………触れ合う?」


 俺に撫でられながら、きょとんとした顔で反芻する緋叉音。はい俺完全に勇み足しました、なんでたかが名前呼んでもらえただけでチョーシこいて撫で撫でとかしてんのこれ完っ全セクハラだろうがよォ! でもそうわかっていても勝手に動く手が止められない、だってこの娘の髪って最っ高にキモチイイんだもの、これはちょっとくらいのお叱りは覚悟でセクハラするだけの価値はあるね!


 つか、そもそも、お叱り来ないっぽい。なぜならば、


「…………ふれあう……。そっか、そですね。……コミュニケーションの基本は、一方だけじゃなくて、お互いが、相手にはたらきかけること……。そう、そうです、きっとそう。そういうことに、今、します」


 なんて独自理論を展開する緋叉音が、クロスカウンターみたいに俺の頭へ手を伸ばしてきたから。彼女の意図を察した俺は、ちょっと身を屈めて、ちょうどいいと思われる位置へと真のナチュラルヘアー(ぼさぼさあたま)を差し出した。


 程なくして、小さな手がおそるおそる毛先に触れてきて。なんかいきなり、ちょっとイタズラっぽくぺんぺんと軽く叩いてきて。それから少し間を置くと、少しぎこちない手付きで、さわりさわりと撫でてきて。さわり、さわり。撫で撫で、なでなで。


「………………カズマくん、手、止まってる……」


「あ、はい」


 指摘されて初めて気付き、慌てて緋叉音の髪に手櫛を通す。慌てたせいで、滑った指先が彼女の耳へと軽く触れ、「ひぁっ!?」という素っ頓狂な悲鳴を上げさせてしまう。


「わ、悪い、わるい、ごめん、すまん、悪かった、許せ、すまんかったっ!」


「………………ひ、あ、だ、大丈夫、です。……気にしないで、下さい、…………荒鷲さん(ぼそっ)」


「名字呼び……!? 待ておいこら待て、折角詰められた距離をまた離すんじゃねぇよ――あ、あれっ、いや待て、そもそもなんでいきなりこんな距離詰めてんだ――」


「コミュニケーションです」


「え?」


「コミュニケーションです」


 あ、はい。


 遠慮しぃな緋叉音らしからぬ、有無を言わさぬ断言。俺は最早疑問を抱くことすら許されず、ただただ無心で緋叉音と互いの頭をなでなでし続ける。だって、コミュニケーションなら仕方ねぇだろ? うん、仕方無い仕方無い。


 そうして心置きなくコミュニケーションに没頭し始めた俺とは対照的に、緋叉音はちょっと手の動きを緩めて、ばつが悪そうに口を開く。


「……私、えっと……、よく、『ちょっとズレてる』とか、言われることあって……、誤解、されたくなくて…………、カズマくんのこと、信頼してないとか、誤解されたままなの、絶対、イヤだから……。カズマくんの、その撫でるやつなら、絶対、誤解なんて、されないかなぁ、なんて……。………………でもこれ、完全に後付け、ですよね?」


「いや、俺に訊かれてもよ……。そのへん考えるの面倒臭いなら、『セクハラしたいからしてやった、後悔なんざしてねェ!』でいいんじゃね? 俺みたいに」


「………………あ、カズマくん、そんな感じなんだ……。………………じゃあ、いい、の、かな?」


 半ば疑問符を残しながらも、自問への答えがすっかり決まってそうな雰囲気の緋叉音。俺は彼女の背を押すように、綺麗な髪を思うさまわしゃわしゃ撫で回してやりながら全力の笑顔を見せつけたった。


「おうおう、ええんや、ええんや! ひとの気持ちってヤツぁ、考えれば考えるほどドツボに嵌まるからな。取り返しのつかないようなリスクがある場合ならともかく、今はそんなのなーんも無いんだから、素直にコミュニケーション楽しもうぜ!」


「………………い、いい、の? いいの? 本当に? あ、で、でも、私のこと、ズレてるとか、変なヤツとか、……あと、あの、ね、あのっ! ――『おまえ、頭おかしい』とか、そんなの思わないって誓う? 約束、できる?」


 ――言われたことが、あるのだろうか。そんな、心無い言葉を。


 愉快に蕩けかけていた脳味噌に、不意に突き刺さった一本の氷柱。俺は思わず動きを止めて、緋叉音の顔をまじまじと見つめてしまった。


 飛び跳ねるような勢いで詰め寄ってきていた緋叉音もまた、全身を硬直させて俺を見つめ返した。


 唐突に、停止する世界。けれど実際は世界は止まってなんかいなくて、この空気が長引けば長引くほど、俺と緋叉音の間の距離がまた広がっていくんだって、そんな事実が俺の背中に一筋の冷や汗を吹き出させる。


 たぶん、俺は今、緋叉音の心のその一端に触れるか触れないかの分岐点に経っている。よく考えて正しい道を選び取りたい所だけれど、俺は緋叉音のことをまだまだ知らなさすぎて、行き先を決めるために必要なピースが九割方存在していない状態だ。


 今の俺には、いくら考えたって、正しい答えなんて、わかりはしない。だからといって、ありきたりな一般論や慰めを口にすることは、おそらく、問答無用で不正解だ。


 だって。今俺の目の前にいるのは、世間一般の誰かではなく、『雛木緋叉音』という少女なのだから。


「………………俺っ、は……」


 タイムアップぎりぎり。緋叉音の手が俺の頭から完全に離れようとする、その一瞬手前。俺は粘つくのどを無理矢理動かし、俺なりの答えを口にする――




 ――がたんっ。




『……………………………え?』


 全くの不意打ちで横合いから聞こえて来た、何か硬い物が倒れるような音。全く同じタイミングで声を発した俺と緋叉音は、これまた完全にシンクロした動きで物音の方を振り向いた。


 そこに在ったのは、何の変哲も無い、よくある二階建ての一軒家。……の、半開きになっている玄関のドア。


 の、その内側。填め込まれた曇り硝子部分にくっきりはっきり浮かび上がる、蹲った人影であった。


『……………………………………………』


 三人分の、どこまでも永い沈黙。人影は一切微動だにする気配がなく、たぶんあいつは『このままじっとしてればやり過ごせるッ!』っていう有りもしない可能性に賭けてるんだろうね。たぶんもうちょっとしたらマジでそう勘違いすると思う、だってあいつ基本も応用もアホだから。


「………………ははっ」


 俺はなんだか余計な力も余計じゃない力も抜けちゃって、ちょっと屈む形になっていた身体を伸ばして軽く筋をほぐした。


 ぽかんとした顔で俺と玄関のシルエットをきょろきょろ見比べている緋叉音の、その忙しなく動いている形の良い頭を、俺は片腕でぐいっと抱き寄せる。


 つんのめりかけてたたらを踏む彼女へ、俺はぽしょぽしょと囁きかけた。


「頭おかしいヤツなんて、そこら中にいっぱいいるぜ? てか、まともな人間なんての、俺は見たこと無ぇよ。……差し当たり、お前の中で一番イカれた野郎として、この荒鷲和馬くんが名乗りを上げてやろうじゃねぇか」


「………っ、え? …………えっ? ……え、えぇっ――」


 戸惑いながらも、必死に体勢を経て直そうと足掻く緋叉音。けれど俺は彼女の頭を離さずに、むしろもっと身体を近づけ、顔を近づけ、彼女の顔にかかる艶やかな髪を鼻先で掻き分けて――



 もちもちのほっぺに、ちゅっと、軽く口づけした。



「――――――――――――――」


 雛木緋叉音、今度こそ完全に時空凍結。それをいいことに、俺はおもちをぺろっとひと舐め。あ、美味しい。もっと食べたいけど、続きは今度ってことでどうかひとつ。


 作戦終了、任務完了。茫然自失の緋叉音を解放して、俺は迅速に愛機(チャリ)へ搭乗。ふらふらとこちらへ目を向けてきた彼女へ、キラッと歯を輝かせながらシュバッと敬礼してやった。


「じゃあまたな、雛木緋叉音! 今の出来事については、獅子に喰われたと思って忘れるか、もしくは次会うときまでの宿題としてめいっぱい考えまくっとけっ!」


「――――――――――――――」


「あ、これ聞いてねぇな……。まあいいや。――おい、睦子っ! 俺もう逃げる、もとい帰るから、緋叉音のこと任せたっ!」


 唐突に話を振られて「ファッ!?」と悲鳴を上げた人影に、俺はその場の全てを託して、力強く自転車のペダルを漕ぎ出した。





 どんどん、加速していく景色。ぐんぐんと、流れ出す風景。


 まばゆいLEDが晩夏の夜の田舎道を貫き、俺の愛機と突きだした額が冷たい風を斬り伏せる。スプリンターばりの超前傾姿勢で、家への道を駆け抜け、疾る、疾る。



 どんどん、加速していく時間。ぐんぐんと、流れ出す世界。


 身体がカッカと熱くてたまらない。足がそろそろキツくてたまらない。呼吸がみっともなく上がって仕方無い。頬が、ほっぺたが、熱くて熱くて、しょうがねぇ。


 走りたくない、でも走るのをやめられない、やめたくない。


 俺は己の内側から突き上げてきた衝動に任せて、走って、走って、走り抜けて、そして全力で魂の咆哮をこの町の夜空へ木霊させた。



「―――――――――――――――――――――――――!」


 

 何かが――きっと何かが、今日この日、俺と彼女の間で始まったんだ。


 一体何が始まったのかは、後でのお楽しみってなァ! ヒィィィハァぁぁぁああああああああぁぁぁ―――――――っっっ!

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