第1話 8月20日(日・4)。正される距離感。
使い終わった食器や、各種おかずの余り、あとは限りなく無駄に登場した調味料類を全部片付け終えて、こたつの上に残っているのはカットフルーツ盛り合わせのみとなった。
だらけきった胡座で座りながら、素手でりんごを一欠片摘まんでしゃくりと囓る俺。こたつを挟んで対面では、緋叉音が正座を少しだけ崩して程良くリラックスしながら、爪楊枝に刺さったりんご一欠片をしゃくりと囓っている。
心地良い咀嚼音と、口内に広がる程良い甘みと酸味を堪能しながら、俺は全く深刻ではない気持ちで『さて、どーすっかなー』と内心呟いた。
そろそろ緋叉音の素性について詳しく聞き出したり、置き手紙や失踪とやらの件について叱ったりした方がいいのだろうけど、なんか別にそんなのどうでもいんじゃんって気分になってきちゃってる。緋叉音はとっても良い子だよ、ならもうなんも問題ねぇわ。
……あ、いや、ひとつ取り急ぎ解決しなきゃいけない問題があったな。別に問題ってほど問題ではないけど、食後の軽い雑談として話題に上げてみようか。
「なあ、緋叉音よ」
「ふぁ、い?」
ちょっぴり飛び出しかけた口内のモノを慌てて手の平で押さえながら、緋叉音は咀嚼を止めないまま目線で続きを促してくる。
俺はほのぼのとした心地が益々増進されるのを感じながら、緋叉音がしっかりと嚥下するのを待った。程なくして、緋叉音が口の拘束を解いて安堵の息を吐いたのを見届けてから、てきとーな切り口で本題へと入っていく。
「緋叉音は、睦子んとこに引っ越してきたんだよな? 今日」
「……むつみこ?」
俺が口にしたのとは異なるイントネーションで反芻しながら、小鳥のように小首を傾げる緋叉音。その反応を見て、俺も『あれ?』と小さく首を捻った。
「睦子、知ってる……よな? 雛木 睦子。メシ食う前、スマホで話してただろ?」
「……………………あぁー!」
結構なタイムラグの後、緋叉音は両手をぱんと打ち鳴らして嬉しそうに叫んだ。美しい顔立ちに見合わぬ無邪気な笑顔は、そのちぐはぐさが逆にとっても可愛らしくてイイね! とかボケてる場合じゃねぇなこれ。なんでこの子、睦子の名前が忘却の彼方いってたわけ? また余計な疑問が増えたぞおい。
俄に真面目な聞き取り調査の必要性について考え始めた俺に、緋叉音はのほほんと笑いながら当意即妙なようで斜め上な台詞を返してきた。
「睦子ちゃん、知ってます、知ってるよ。まだ直接会ってはないけど、私の従姉のお姉ちゃんだって、お父さんが言ってた。『向こうで何かあったら、お姉ちゃんを頼りなさい』って、スマホの番号も教えてもらいました」
「………………うーん?」
「……あ、ごめん、ちょっと違った。睦子ちゃんとは、まだ私が小さい頃に、一応面識は有るはずなんです。……でも私、親戚の集まりとかもう何年もずっと出てなくて――そっ、そのっ、ちょっと学校が忙しかったのでっ! これ本当……っ、ではないこともないけど嘘じゃないから!」
「…………………………う、うぅ~ん?」
「かっ、カズマくんだって、絶対出てないでしょ!? 私、カズマくんのこと知らなかったですし! お父さんもお母さんも、カズマくんのことひとっことも言ってなかったですしっ! 私っ、今日初めておばさんから聞いて、すっごいびっくりしたんだからね!?」
ずいっと身を乗り出して来て捲し立ててくる緋叉音に、俺はろくなリアクションを返せずにうんうん唸ることしかできない。いやだって、は? 向こうってどこ? 本当では無いけど嘘じゃないって何? 俺が何に絶対出てないって? ちょっと俺の脳に負荷かかりすぎててフリーズ寸前。ちょっと待って、お願い待って、タイムくださいお願いします。
しかし、なんか妙にテンパっている緋叉音は俺の困惑にまるで気付かず、こたつ越しに精一杯全身を伸ばしてきて俺の両肩をがしりと掴み、キツい体勢のせいでぷるぷる震えながらもプレイを続行。
「……私だって、このいっ、ずっと……、だって、おじっちゃ……、……町っ、み、せ……、…………ぜんっぶ、変わってっ、でもっ、かわっなくてぇ、でも、ちがくて、かぎっ、く、ふ、ふっ、ふっき、腹、筋っ……! ……………………はっ、は、はっはっ、たっ、た、助けっ、たずけてぇぇ……!」
キツすぎたらしい。俺の方に伝わり来るぷるぷるが前人未踏の震度8へ到達し、緋叉音は最早意味ある言葉を紡げずに救助を請うばかりとなった。こいつアホだろ。
程良く頭がクールダウンされ、ようやくまともな思考を取り戻した俺は、緋叉音の顔面強打とカットフルーツの圧死を避けるべく、よっこいしょと身を乗り出しながら緋叉音の身体を対面の席へ押し戻していった。
膝立ちバンザイ状態でバイブレーションしてた緋叉音は、女の子座りでぺたんとお尻を下ろすと、俺の肩に掴まったままだら~んと脱力して盛大に溜め息。俺は俺で、こたつに手をついて二人分の体重を支えた体勢で深々と嘆息した。
「…………………………」
さて。緋叉音の話はまるで要領を得ないものだったけれど、これまでに得ている情報と合わせて落ち着いて整理してみれば、どうにか理解できる形には仕上げられそうだ。
まず。緋叉音は元々はどこか遠くに住んでいて、本日からは睦子の家で暮らすことになっていた。
ちなみに緋叉音と睦子は、子供の頃以来面識がない。けれど多分、緋叉音の父と睦子はそこそこ顔を合わせてるんだろうな。だからこその『向こうで何かあったらお姉ちゃんを頼れ』の台詞と、睦子の電話番号だ。ついでに言うなら、睦子側が緋叉音の番号を知っていたのも緋叉音父経由かもな。
……緋叉音と睦子が直接やりとりしてないのは、緋叉音がもう何年も親戚の集まりに参加していないからで、不参加の理由は『ずっと学校の用事で忙しかったから』らしいけど……。そんなに忙しい学校の用事って、どんなのだ? それに、緋叉音がその部分については誤魔化したがってる様子なのも、気になるっちゃ気になる。
――話を戻そう。本日、緋叉音は睦子の家へと引っ越してきた。
けれど緋叉音は、早々に『書き置き』を残して『失踪』。……でもこれ、別に家出したっていうような話でもないんだから、『メモを残して勝手にどっかに出かけちゃった』、くらいの認識でいいと思う。緋叉音がどうしてそんなことをしたのかは今のとこ不明で、そっから何がどうなって俺の家でぐーすかぴーしてたのかも同じく不明。そもそも俺の家って睦子の家からも人里からもそこそこ離れてるんだけど、なんで引っ越してきたばっかで土地勘の無い緋叉音がここまで来れたのかってのもまだ不明。
まだまだわからないことだらけだけど、でもひとつだけ明らかになったことがある。それは、緋叉音の俺に対する不可思議な距離感の、その理由についてだ。
緋叉音は俺と直接会うより先に、睦子の母から俺のことを聞かされていた。でも、おばさんの伝え方が悪かったのか、それとも緋叉音が勘違いしたのか、緋叉音にとっての俺は下記のような存在として認識されてしまったらしい。
警戒心を抱く必要が無く、むしろ積極的に仲良くすることが求められ、多少年齢に違いはあっても敬語よりタメ口が推奨される相手。その人は、本来ならば雛木一族の集まりに顔を出すべき人物であり、当然緋叉音の両親とも面識があって然るべき存在。……あとここからは俺の落ち度だけど、その人は雛木一族所有の家を住処とし、「睦子の妹みたいなもんなら、俺の妹みたいなもの」と発言し、緋叉音を自宅に招き入れて夕飯をご馳走することに何ら抵抗を覚えなくていい立場にある……ような振る舞いを見せた。
つまり。緋叉音にとって、俺とは――。
「あのさ、緋叉音」
ちょっとばつの悪い思いを抱えながらも、未だ俺の肩にぶら下がったままの少女に呼びかける。
脱力の極みにあった緋叉音は、そのままうっかり転た寝しかけてた間抜け面で「はいっ!?」と素っ頓狂な返事をしてきた。
俺はどう切り出したもんかと迷いながらも、結局、何より先に伝えておくべき事を単刀直入に口にした。
「――俺、お前の従兄とか、血縁者とかじゃねぇからな? 雛木さんに空き家を貸してもらってるだけの、ぶっちゃけ赤の他人だ」