第3話 8月23日(水・12)。暴走ではなく。
あたたかな明かりの灯る雛木家へと辿り着いた俺達は、出迎えてくれた睦子に思いっきり怪訝そうな顔を向けられた。
「…………カズちんってば、なんで人攫いスタイル……? ……そのお尻って、緋叉音ちん……だよね?」
「見知らぬお尻をこんな持ち方してたら、俺マジで言い訳できないほどに人攫いじゃねぇか。なあ、お尻?」
「………………………二人とも、私のこと『おしり』て認識するのやめてほしいなぁ……。あと、カズマくんは既に言い訳できないほどに人攫いだと思います……。…………下ろしてよぉ……」
流石にお尻から『ただいま』するのは不本意だったのか、おとなしかったはずの緋叉音が俄にもぞもぞと暴れ出す。もぞもぞだから大した抵抗でもなかったけど、俺は彼女の要求を受け容れてゆっくりと地面に下ろしてやった。
ふらつく緋叉音の腰らへんを軽く支えてやりながら、俺はレジ袋を睦子へと差し出す。
「ほら、お待ちかねのメシだぞー。俺も食ってくから、魚と煮物は全部あたためちまってくれ。……今日もおじさんとおばさん居ないよな?」
「あ、うん、居なーい。…………ご両親のいないお宅に上がり込んで、カズちんはかわいい女の子二人と一体ナニをする気なのかにゃぁ~?」
「だからメシ食うだけだっつの。あと風呂もくれ。ついでに寝床。それと寝間着。あ、つーかお前、俺の服また勝手に持ってっただろ? 久々に漁ってみたら、わりと大量に減ってたんだけど」
「…………………………ニンゲンさんの言葉はむずかしくって、よくわかんないにゃぁ~♪」
猫娘は俺の手から食い物を引ったくると、そのままの勢いでくるりと身を翻し、家の中へとっとこ駆けていった。
まったく、あのお姉ちゃんはほんとにどうしようもねぇなぁ――なんて、思わず苦笑が漏れてしまう。服が欲しいなら素直に言やいくらでもあげるし買ってもやるのに、こっちの知らないうちにお古をいっぱい持ってって自分の縄張りに溜め込んでるとか、なんかほんとに猫っぽくて胸がほっこりしてくる。
しばし睦子の残り香で肺を満たしていると、ふと傍らから視線を感じた。
「……なんだ?」
「………………ううん、べつにー」
鞄を胸に抱いて上目遣いに見上げてきていた緋叉音は、ふるふると首を横に振ると、俺が開けたままで固定してる扉の向こうへと消えていった。
残された俺は、一人でちょっとだけ首を捻ってみる。と、わりとすぐに思い当たることがあったので、緋叉音の後に続くようにして屋内へと入りながら弁明開始。
「すまん、なんかノリで話進めちまって。お前にもちゃんと確認取るべきだったよな。ほんと悪い」
この家は既に緋叉音の『うち』でもあるのだ。睦子一家だけの時とは異なり、俺の勝手でメシ食ってったり泊まっていったりというのはもうできないだろう。そんな風に部外者に我が物顔で好き勝手やられちまったら、緋叉音としちゃたまったもんじゃない。
配慮不足を自省する俺に、けれど、緋叉音はローファーを足だけで脱ぎ脱ぎしながら片手間で首を横に振る。
「全然いいよー。だってカズマくん、『ガチのお兄ちゃん』だし。ミコちゃんと……、………………あと、私の」
「……………いいのか、それで? あんまし無理に気ぃ遣って話合わせなくてもいいんだぞ?」
「………………んー……」
緋叉音は唸りながら一瞬動きを止めたが、すぐに行動を再開しながらぼそぼそと回答する。
「……ひとのことを、あんなお米みたいな担ぎ方してくれちゃった人に、今更気とか遣ったら、それって逆に失礼だなぁって思う。…………ううん、そうじゃなくて、私もミコちゃんやカズマくんともっと仲良くしたい。したいから、するの」
「……………そっか」
「うん。そう。………………ねえ、お兄ちゃん。靴、脱がせてもらっても、いーい?」
なんかいつまでも脱ぎ脱ぎしてると思ったら、靴擦れが痛むせいで手こずっていたようだ。おそるおそるな上目遣いでたどたどしく頼んでくる妹に、お兄ちゃんは快く首肯を返して跪いてやった。『鞄置いて手使えば自分で脱げるだろ』なんて無粋なことは言いませんよ、だって緋叉音的には靴脱ぐとかなんかより兄妹的なスキンシップしようぜってのが目的なんだろうし。
……ガチの兄妹って、こんな風に甲斐甲斐しく靴を脱がせたりとかするもんなんだろうか? などと意味の無い問いを考えてる間に任務は無事完了。
「ほら、抜けたぞ。……一応、血は出てねぇみたいだな。でも睦子に言ってちゃんと手当してもらえよ?」
「そこは、ミコちゃんなの?」
「別に俺でもいいけど。でもそしたら生足とパンツをガン見するぞ」
今でさえ、目の前で揺れてるスカートの裾が、そこから覗く生足やまだ見ぬおまたが気になってちらちら目が行ってしまうのだ。治療中の不可抗力で発生するであろうパンチラに抗うことなど、まったくもってできる気がしない。
緋叉音は俺の発言を受けて、身体を強ばらせながらすす~っと音も無く距離を取っていった。彼女の腕に抱き締められていたバッグが、まるでエスカレーターに乗る際に尻をガードする時のような仕草でふとももを隠しにかかる。
「……………………………………」
緋叉音は俺に正面を向けたままでそろりそろりと後退していき、ゆっくりとリビングの方へ消えていった。
一人残された俺は、手の中に残った緋叉音の靴を弄びながら、ヤンキー座りで大きく嘆息。
――ガチの兄妹への道程は、まだまだ遠く険しいようだ。こらそこ、『それお前の自業自得だろ』とか言うな、頼むから。
◆◇◆◇◆
今日も今日とて、雛木家で兄妹仲良くご飯を食べ終えて。本職で鍛えた皿洗い技術を惜しげもなく披露中な俺に、睦子がソファーで寝っ転がったままで愉快そうに声を掛けてくる。
「で、あんた今度は何やったのー? 緋叉音ちん、なんかもう一心不乱にめっちゃガン見してたじゃん。なにあれ、あんまり一生懸命すぎてすっごい可愛かったんですけど。なぁに、緋叉音ちんてばもしかしてカズちんにフォーリンラブだったりするの? ……………………、………………もっ、もし、もしかして、ふぉーりん、らぶ、な、の……?」
「自分で言って自分で不安になるなよ……。俺にふぉーりんらぶするような奇特な女、心当たりなんて一人しかいねぇわ」
「…………………………………………それ、だぁれ?」
「さてな。そんなわかりきったこと訊いてくる暇有ったら、お前さっさと風呂行けよ。俺これ終わったらすぐ入りたい」
ちなみに、今は緋叉音が一番風呂を満喫中だ。ケガの消毒やら絆創膏やらは風呂入った後の方がいいだろってことでそうなった。ちなみに睦子は、俺の着替えの用意やら救急箱の用意やらを終えてから緋叉音に合流――という流れのはずだったんだけど、ヤツはやることやらずにこうしてソファーでだら~んとしてる。
「……お前、風呂行かねぇの?」
「………………行くけどぉ~……」
けど、何なんだ。ソファーの背もたれ越しにこちらをじっと見てきた睦子は、一目見てわかるほどにブンむくれていらっしゃる。なんだろ、俺何かした? 心当たりありすぎてどれから謝ればいいかわかんねぇ。
俺は洗い物の残りを手早く片付けてから、エプロンで手を拭きつつ睦子の元へと歩み寄る。それまで俺の所作や行動をずっと観察し続けていた睦子は、しかし俺が近付いていくとこちらにくるりと背を向けてしまい、ふて腐れたようにぼっすんとソファーに座り直した。
そんな睦子の両肩へ、背もたれ越しに手を乗っけて、ついでにちょっと体重もかけてみながら優しく語りかける。
「……緋叉音とべたべたしたのは、悪かったよ」
「………………それもだけど、ちがう」
「んじゃあ……。……今日のデート、ぐだぐだだったよな。ごめん」
「……………………それは、全然ちがうけど……、……でも、さっきよりは、ちょっと惜しい」
「違うのに惜しいのか、難題だな。じゃあ、えっと……、………………えっと……」
予想以上に難題過ぎて、解答が『えっと』しか思い浮かばない。
えっとえっとと新種のオットセイのように鳴きながら足掻き続ける俺に、睦子は盛大に溜め息を吐く。息に乗せて不機嫌な気持ちも不機嫌じゃない気持ちも丸ごと吐き出したような睦子は、頭上の俺にゆるい笑みを向けてきながら、両腕をゆるゆると左右へ広げて、ついでに脚も軽く開いて伸ばして見せてきた。
こてんと首を傾けながら、睦子は俺以上に優しげな声音で語りかけてくる。
「デートでさ。おしゃれしてきた女の子に、男の子が言わなくちゃいけない言葉って、あるよね。……あたし、それ、とっても欲しいな」
「――――――――――――」
己のあまりの不甲斐なさに打ちのめされて、俺は思わず崩れ落ちそうになった。けれど睦子の肩に突いた手でなんとか堪えて、上下逆さまな彼女と見つめ合い、座る彼女の格好を改めて見つめる。
睦子の格好は、今日外でデートしてた時と何も変わっていない。ぴっちりめな黒いキャミソール。その上から、編み目の大きいカーディガン。その裾から覗くのは、こいつの高校時代の制服のスカートに、黒のハイソックス。
――そして腰には、俺がいつだかくれてやった、ゴミ同然にぼろぼろ『だったはず』のウェストポーチ。
「ね、どう?」
俺の視線の動きを追っていた睦子は、再度首を傾けながら――昔と同じくてきとーなサイドポニーで結わえた髪を揺らしながら、少し不安げに問うてくる。
言葉が、出て来なかった。けれど感情だけが怒濤のように溢れてきて、言葉が欲しいといわれたはずが、気付けば行動でこの気持ちを表現していた。
両手を睦子の肩から両頬へと滑らせて、やわらかな感触をしっかりと捕まえて。反射のように閉じられた震える瞼に、そっと口づけを落とす。
「――――――っ」
声もなく小さな悲鳴を上げかけた睦子の、その半開きの唇へも、俺は優しく口づけた。
瑞々しい唇を軽く食んでじっくりと弄び、それが終わってから、結わえきれてない髪の合間から覗く真っ赤なお耳へとそっと囁く。
「――かわいいよ、睦子。……あの頃もだけど、今も、それにこれからも、お前は俺にとって世界でいちばん可愛い女の子だ」
「……………………………っ、ぁ、ひ、ぁ~……」
「ところでさ。今日のお前の格好って、何かコンセプトとかあるのか? なんか所々懐かしい――ってほど昔でもないはずだけど、なんか出逢ったばっかの頃のお前を思い出すっつーか」
「………………………………みっ、み、みみ、くっ、くすぐっ、ぅぅ………」
「ん? ああ、わかった」
睦子の要請に応じて、彼女の頬に添えていた手を耳へと滑らせる。指に伝わり来る感覚は、見た目の通りの非常に高い熱を宿していた。
軽くマッサージするように耳全体をくすぐってやると、睦子はよだれの零れそうな口をぐっと引き結び、脚や腕をわなわなと震えさせながら、時折全身をびくびくと跳ねさせる。おお、これはおもしろい。お前そんなに耳いじられるの好きだったのか。目をぎゅ~っと閉じて快楽に耐えてる真っ赤なお顔、マジに世界でいちばん可愛いぜ。
可愛かったので、俺はもう一度睦子の唇に吸い付いた。でも、上下逆さまなせいで少々やりづらい。正面に回った方がもっと深く交われそう。でも、この唇も耳も、ほんの一時だって手放したくはない。じゃあこのままでやれるだけやる。
「…………ふぁはひひよ、ふふひほ」
接吻を交わしたままで、睦子の唇ごと己の唇を動かし、この胸に溢れ返る愛しさをダイレクトの伝えた。すると睦子の身体から一気に力が抜け落ちて、宙を彷徨っていた四肢がぽてんと落とされ、痙攣するように震えていた唇もすっかり弛緩。おお、俺を受け容れる覚悟を決めてくれたのか、そうかそうか。
すっかり舞い上がっちゃった俺は、睦子の口内へと舌を伸ばし、唾液を重力に任せてとろりとたらし込んで――
「――――っ、げ、ほっ、えほ、ぶっ!?」
「う、おっ」
思いっきり咽せた睦子にあわや舌噛みきりとヘッドバッドをかまされかけ、反射的に身を離す。
背を曲げて苦しそうにげほげほ咽せながら、かひゅかひゅと過呼吸する睦子。そのあまりに苦しそうな儚い背中が心配すぎて、俺は思わず手を伸ばして撫でさする。
「大丈夫か?」
「………………ぅ、ぅっ、う、ぇ、ぇ、え、ぇぇ~、ぁ、っ、ふ、ぅぅぅ~……」
一番つらい時期はやり過ごせたようだが、それでも睦子は嗚咽染みた悲鳴を上げながら、鼻水を啜ったり目尻を乱暴にごしごし拭ったりしている。どうやら、気管のよほど深いとこまで俺の唾液が入っちゃったようだ。非常に申し訳ないと思いながらも、同時に『ちょっと嬉しいかも』とか思っちゃってる俺を赦してくれ、睦子。
俺は一旦睦子の正面へ周り込み、真っ向から抱き締めるようにしながら――つーかモロに抱き締めながら背中をぽんぽんと叩いて落ち着かせてやった。
「……そろそろ、大丈夫か?」
頃合いを見計らって再度問いかけると、睦子はこくこくこくこく激しく頷いてから、俺をそっと押し退けようとしてきた。けれど俺は頑として退かず、むしろより一層腕に力を込めてしれっと睦子のカラダを堪能しながら話を続ける。
「ごめんな、いきなりで驚いたよな。苦しい思いさせて悪かった。次はちゃんと前もって言うから」
「…………………………………………つ、ぎ?」
「うむ、次だ。つまりは次が有るということだ。そして次の次もある。数え切れないほどにある。こうして睦子のお腹の中は、俺の体液でたぷたぷになりましたとさ。めでたしめでたし、おめでたですな! あっはっは!」
「…………………………………………………………それ、唾液だけじゃなくて、せー○きも、たぷたぷに注がれてない?」
「せー○きとか、せーきとかだな。伏せ字要らねぇなこれ、新発見。ってのはさすがに下ネタが過ぎたな、あっはっは! めんごめんご」
まあ、近々ネタじゃ済まなくなるかもしれないけどな。ネタではなくガチでシモをやっちゃうかもしれないけどな! でもそれは流石に今日じゃねぇよ、だってまだゴム買ってねぇし。買おうとしたけど脳裏に睦子の顔がちらちらチラつくたびに恥ずかしくなっちゃって結局買えなかったですし。みんなどうやって初めてのコンドームとか買ってんの、あれ難易度超高すぎじゃね?
……………………それでもがんばって、買っときゃ良かったよぉ……ちっくしょー……。
「………………まあ、あれな。……話逸れちまったけど、改めて言わせてくれ」
俺はようやく睦子を解放。思いっきり名残惜しそうに「あっ……」とか漏らした彼女にちゅっと接吻をくれてやって、きょとーんとしちゃったお姉ちゃんを見つめながら笑顔で告げる。
「――可愛いよ、睦子。俺のためにおしゃれしてくれて、ありがとう」
その言葉が睦子に浸透するまでには、結構な時間を要したけれど。でも、俺の言葉も気持ちもきちんと受け取ってくれた睦子は、発火しそうなほどに赤熱した顔をじんわりとはにかみ笑いへ変えていき、こくりと首肯を返してくれた。




