第3話 8月23日(水・8)。祭りの後で嵐の前なリザルト報告。
宴もそろそろたけなわ間近となった頃。いつもより深酒の過ぎた陽樹さんが所用(※婉曲表現)で席を外してしまったので、介抱の申し出を断られた俺はまた独りで寂しくぬぼ~っと座っていることしかできずにいた。
夕暮れの気配が滲み始めた庭を眺めながら、手持ち無沙汰を紛らわせるためにビールをちびりと一口啜る。うむ、やっぱ酒類って味はあんまし美味くない。美味くないけど、今日のMVPは酒なのだから、最後まできちんと味わってやろう。
「……ま、これでちっとはガスも抜けてくれたようだし。最終的には、結果オーライってとこかな」
なんて、随分と明確な独り言が漏れてしまったのは、俺も酒のせいで気分がふわふわしてるせいだろうか。……いや、俺って普段からわりと独り言漏らしがちな寂しい奴でしたね。まあそれはさておいて。
一時は笑顔で爆弾を放ってくるくらいに荒ぶっていた陽樹さんだが、胸の内に溜まってた物を吐き出すだけ吐き出した後はわりとすぐにお気を鎮めてくれた。そっからは、意味の有るような無いようなな雑談を交わしながら、まったりと飲み食いして。そうして二人でほろ酔い気分を程良く楽しんだ所で、陽樹さんは今度は胃の中のものを吐き出すだけ吐き出(※自主規制)。
…………………………ま、まあ、たとえ酒が飲めずとも、酒に呑まれたい時が誰にだってあるんだっていう話さね、うん。それは、俺みたいな高卒フリーターでも、睦子みたいな女子大生でも、猪爺みたいなご隠居さんでも、陽樹さんみたいな立場有る人でも、きっと変わらない。
――ならば。未だ酒を飲むことを許されていない歳の子供達にだって、そんな気分の時はあるんじゃなかろうか。
「……………………………………」
ちらっと予想していた通り、俺と玄関で別れた後の陽樹さんは、結衣ちゃんに声をかけに行った際に何やらシリアスめいた一幕を展開してきたらしい。シリアスっつか、ぶっちゃけただの親子喧嘩だけど。そうなるに至った直接の原因については残念ながら言葉を濁されてしまったものの、聞いていた感じでは『タイミングが悪かった』としか言えないような案件だったんじゃないかと思う。
今日は大広間で町内祭礼についての話し合いが行われたらしいけど、そういう場での陽樹さんってまだ猪爺の付き人みたいな役割しか任せてもらえないから、奥野田家当代当主としては色々ともやもやした想いを抱えちゃってたんだろうな。結衣ちゃんにとっての不幸は、陽樹さんが絶讃もやもや中な所に『怒られなければならないようなこと』をしでかしちゃったことだろう。ついつい必要以上のお小言を言いすぎてしまった陽樹さんに、普段は控えめ性格の淑女として名高いはずの結衣ちゃんが珍しく噛み付いてきて、そして事態は親子喧嘩へ。
ただ、陽樹さんは自分が八つ当たり入ってるっていうのに気付いてたし、結衣ちゃんも元々は自分に非があるということを自覚していたから、程なくして無事に和解できたとのこと。
「………………和解、か」
和解それ自体は、いい。でも和解したからといって、それでお互いの売り言葉や買い言葉が丸ごと嘘になるわけでもない。陽樹さんが日頃から結衣ちゃんに対して言いたいことがあったのは事実で、そして逆もまた然り。しこりが残る、とまではいかずとも、陽樹さんも結衣ちゃんもそれなりに心の負荷を溜め込んだことだろう。
……陽樹さんは、本人がどう思っていようと事実として『大人』だから、酒の力を借りてもやもやを胃の中身ごと吐き出してスッキリすることも出来る。でも、じゃあ結衣ちゃんは、今どうやって自分を慰めているんだろうか?
「………………………………………………まさか自慰? は、無ぇな。いやぶっちゃけ可能性としてはゼロじゃないだろうけど、その発想をする俺がマジでないわー……ドン引きだわ……」
普通に考えて、ゲームや読書なんかの趣味に没頭するなり、SNSで女友達と愚痴り合うなりして、結衣ちゃんだってうまいこと鬱憤を晴らしてるだろ。それによく考えればまだ家の中にいるとは限らないし、そうなれば行動の幅も可能性も無限大。なんにせよ、俺が差し出がましくも結衣ちゃんの現在について考える必要なんて何処にもナッシング。
だから俺は、結衣ちゃんについて思考することを中断して。彼女を含めた奥野田家全体を取り巻く事情についても、思い悩むことを保留した。
◆◇◆◇◆
しばらくして。胃の中どころか魂まで吐き出してきたのかってくらいにげっそりした陽樹さんが、どういうわけか真知代さんにおんぶされた状態で輸送されて来た。さすがにこれ以上飲ませるのはリアルに命の危険がありそうだと判断した俺は、真知代さんが酒盛りに参加したそうな流し目をギラギラ送ってくるのを全力で見ないフリして、なんとかお開きを宣言させて頂きました。
その後は、真知代さんには陽樹さんの抜け殻と『餅月』を預かって貰い、その代わりにこちらは真知代さんがレジ袋いっぱいに詰め込んできてくれた料理・缶ジュース・漬け物の盛り合わせを頂いて。そうして双方笑顔で『じゃあまたねー』って感じで正門の内と外で笑顔を見せ合ったわけなのですが、扉が閉まりきるその直前に、真知代さんは口の端を悪魔のようにニタァと持ち上げて喜悦混じりに一言。
「次の感想『も』、めっちゃ楽しみだなァー……」
……感想のダメ出しの件はいつ来るんだろと思ってたけど、敢えて今回は無罪放免にしといて、次回で確実に仕留めにかかってくる算段であったようです。ターゲットを一度安心させといてからの、急転直下の地獄送り。それはまるで、まっこと悪魔のごとき悪辣で残忍な手口でありました。
汝、この門より出たる者、一切の希望を捨てよ――。そんな不穏な文章を思い浮かべながら、矮小なるぼくは、閉ざされた門をただただ呆然と見つめることしかできず。門の向こうから奴の気配が遠ざかってから、ぼくはなんとなく頭を掻きながら大袈裟に溜め息をつき、ぼそぼそと独りごちます。
「……まあ、美味そうなもんいっぱいもらっちまったしなぁ……。せめてもの恩返しに、ちっとばかし気合入れてレビューすっかね」
持たされたレジ袋の中を軽く覗いてみれば、新作らしき漬け物類達が詰められた小さなタッパーがいっぱい。あとついでに、いつもの梅干しもきちんと入れてくれたみたい。あとついでなんてレベルじゃ済まないほどに存在感あるのが、酒の摘まみとかじゃなくて正餐のためにと用意されたっぽい煮魚やら煮物やらタッパーな。ついでのおまけで入れられてる凍りかけのプチ缶ジュース各種も、やっぱりついでなどではなく、きっと保冷剤の代わりとして入れてくれたのだろう。あの人口調も態度もちょっぴり粗野だけど、細部にわたってさりげない気配りを迸らせてるあたり、猪爺と一緒になって俺を惚れさせにきてるとしか思えねぇな。
まあ、爺様も人妻も完全に俺の守備範囲外ですけど。つーか二人共、己が生涯を賭して愛べき相手を既に見つけていらっしゃいますし。
ただの政略結婚――から始まった、『ほんものの恋』の物語。それをあの親子は、あの二組の夫婦は、二代にわたって紡いできた。それを俺は知っているし、俺だけじゃ無くて真知代さんも猪爺も婆ちゃんも、そして陽樹さんも知っている。
真知代さんに輸送されてきた時の陽樹さん、爆弾放ってきたときの虚しい笑顔とは違って、げっそりしながらもすっげー幸せそうに笑ってた。真知代さんはその幸せいっぱいの笑顔について『お前ェと良い酒が飲めたからじゃねェの』なんてそらっとぼけてたけど、それ聞いた背中の陽樹さんに戯れで抱き締められたあの悪魔さんさ、一体どんな顔したと思う? 俺は敢えて答え言わないよ、言ったら羞恥に狂ったあの悪魔さんが悪い子イェーガーのごとく包丁片手に襲いかかって来そうだから。
悪魔なイェーガーさんに目つけられないうちに、良い子はそろそろおうちに帰りましょうか。猪爺と結衣ちゃんにって買って来た土産は預かってもらったわけだし、これでひとまずお礼とお見舞いは完了ってことでいいだろ。
「おじゃーしゃっしたー」
格調高い立派な門に、てきとーな別れの言葉を告げて。ぱんぱんに膨れたレジ袋を持ち直し、ぼちぼち帰宅の途へと就いた。
――否、就こうとした。




