第3話 8月23日(水・3)。それも一種の羞恥プレイ?
途中で一度の乗り換えを挟み、俺と睦子はようやっと目的の地へと到着した。
『郡宮』。
周辺の町や村の住人が単に『都会』や『街』と言えばここを指すってくらいに、ある種の常識としてここら一帯の人々の中に根付いている大都市がこの郡宮である。南北へ貫く新幹線と四方八方へ伸びる在来線が交錯し、そんな郡宮駅を中心として近未来感の香る街並みが波紋のように広がっていて、小洒落たビルが所狭しと乱立し、垢抜けた人々が絶え間なく雑踏を轟かせているっていう、まさに都会って感じの――都会風味の街だ。
なぜ風味という微妙な表現をしたかというと、この街には本物の都会特有のギラついた空気が無いからだ。例えるならば、郡宮は『生粋の肉食系女子』ではなく、『そういう女子に憧れてちょっと見栄を張ってる女の子』とでも言おうか。良い意味で垢抜けきれていない、どこか親しみやすさすら覚えるこの空気は、俺の知る『都会』のそれとは明らかに性質を異にするものだ。
……本当は、もう少し明確にこの『違和感』の正体について言及することはできる。でも、今は敢えてしない。だって今はそんな小難しいこと考えるより、もっとも~っと重要なことがあるからさ。
「……………………………………」
交わす言葉も無く、けれどお互いの手だけは確かに交わらせたまま、俺と睦子は改札を抜けた。そのまま、人混みを避けるようになんとなく歩く。程なくして着いた先は、三階四階まで吹き抜けになっている構内を天井まで貫く大柱、その根っこあたりだ。
ようやく人心地ついたみたいに溜め息をついた睦子は、くるりと俺の方へ振り返って、柱に軽く背を預けながら上目遣いに問うてきた。
「ね、これからどうするの? カズちん渾身のデートプラン、お姉ちゃんに教えてみ? ちょっとお高いフレンチなランチでも奢ってくれるなら、添削指導してあげなくもないよー?」
そう言ってけらけらと笑う睦子だったが、声音も笑顔もなんだかちょっとぎこちない。でもそのぎこちなさは決して悪い意味のものではなくて、なんだか中学生カップルの初デートみたいな、あまりの気恥ずかしさでうまくいつも通りを演じきれないといったもどかしくも愛おしい雰囲気だ。
そんな睦子にアテられて――或いは、俺に睦子がアテられたのかもだけど――俺はなんとなくそっぽを向いてぶっきらぼうを装いながら答える。
「昼は、べつに、奢ってやっけどよ……。添削とか、そんなん要らねぇよ」
「……っ、ま、またまたぁ~、カズちんってばそんな自信満々に女の子エスコートできるほど場数踏んでないでしょ~? ここはおとなしく、ね、予定、教えて? なんならお姉ちゃんがフレンチ奢ってあげちゃうからさ、ねっ? お願い、おねがいカズちん。……教えてくれないと、ほんと、あのね? ………………こっちの、心の準備の都合とか、あるからさ……、ほんと、おねがい……」
睦子は繋いだままだった手を両手でぎゅっと握りしめてきて、弱々しい声音で懇願してくる。彼女の瞳は俺を見上げることをやめて、低空をあっちへふらふら、こっちへふらふら迷走中。どんだけ全力で恥ずかしがってんだこの娘、一体全体どんな乙女チックでオトナちっくなデートプランを妄想してらっしゃるのでしょう? なんでスカートから伸びた生足ってか股をしきりにもじもじ摺り合わせてんの? それ恥ずかしがってるだけ? それともよもや濡れとりますの?
でもごめんよお姉ちゃん、俺はお前の懇願に答えてあげることはできないんだ。つーかそれ以前の問題だったり。
「悪いけど、ほんとに予定教えるとか無理なんだよ。……最後は『お礼とお見舞いの品を買ってくる』ってのは決まってるけど、デート部分に関しては完全にノープラン。だって、今日は元々デートするつもりでいたわけじゃ――」
「えっ……………………?」
「――なくはないからお前が望むなら映画でもカラオケでも夜景の見えるレストランでディナーの後にベッドインして朝チュンでもいいけど、それはそれとして頼むから泣くな、泣くな睦子、元気になぁれ我らが睦子お姉ちゃん」
あわや顔面蒼白で涙をぽろりしかけた睦子だったが、しかしすぐに号泣の気配を退かせてふくれっ面を見せつけてきた。
「泣くわけ、ないじゃん。なに、慌てて御機嫌取りしてんの? ばっかみたい。……………………てかさぁ、……ディナーとか、………………べっど――とかであたしの気分が良くなるとかそんなそう思われるのはちょっとえっとふざけすぎってゆーかどのくらいふざけててどのくらい本気なのっていうのがちょっと待ってやっぱやだ聞きたくないっ!」
効き過ぎた薬のせいでやたらハイテンションになった睦子は、俺の腕を平手でびしばしぶっ叩いてきながら、さりげなく身体まで擦り寄せてきた。俺が少し肘を上げれば、カーディガンとキャミソールに包まれた柔らかそうなお胸にタッチできそうしないけど。いつの間にか恋人繋ぎに移行してやがる点についても俺はノータッチでいかせて頂きとう存じまする、だって指摘したら即座に離れちゃうでしょこいつ。いや離れたくなくてこんなこと言ってるわけじゃないんだけどな、うん。
俺の右腕を指先から二の腕まで絡め取った睦子は、更には肩へ顔面をくっつけてきて布越しに熱い息を吐き付けてきた。絶賛身悶え中で我を忘れてるだけなのだろうけど、ほんとやめてくんねぇかな、これ今日のランチは睦子ちゃんを食べちゃいたくて仕方無くなっちゃうよ食べねぇよ食べねぇけど食べたい。
ああそうだ、ランチにしよう。一応言っておくが主菜は睦子ちゃんではない。
「睦子、むつみこ。ちょいと話を聞いておくれでないかい?」
「聞きたくない、聞きたくない、聞きたくない、やだ、まだ答えやだ、だめ、怖いのやだ、待ったアリでお願いします、今はまだやなの、怖いからやなの、やだ、和馬っ、やだ、だめ……」
「――睦子、落ち着け。大丈夫、大丈夫だから」
本気で怖がり始めたっぽい睦子の、震える頭にそっと触れる。俺の肩にほっぺたを押しつけて身を固くした睦子だったが、俺に髪を優しく梳かれるごとに少しずつ力を抜いていき、やがて甘える猫のように上機嫌な笑いを漏らした。
俺も思わず笑いながら、睦子の頭をこつんと叩いてやりつつ気楽に告げる。
「怖いことなんざ、なーんも無ぇよ。今だって、これからだって、何か変わったって変わらなくたって、お前は俺と一緒にいつまでもにっこにっこ笑ってられるさ。俺が保証してやる」
「……………………いつまでも? ……末永く、あんたと、一緒に……? ……………………嫁入り先、決定?」
「………………………………」
純真な瞳に期待をめいっぱい溢れさせて見上げてくる睦子に、俺は何も考えずに頷いてしまいそうになる。むしろ、なぜ自分がこうも睦子のアピールをのらりくらりと躱し続けているのかが不思議でならない。高卒フリーターだって恋や結婚をしてもいいじゃないか、いやもういっそ稲見町で出来た縁を頼ってどこかでどうにか正社員として雇用してもらってフリーターの肩書きを返上すればいいんじゃないだろうか? そんでがんばって働いて、そのうち気立ての良い睦子さんをお嫁にもらって、子供だって作り放題よ? 俺が立派に成長した姿を見て、睦子は哀しみではなく嬉しさによって涙を流しちゃうよ?
「え、なにそれ、スペシャルに最高な未来絵図じゃん。俺天才か? いやだが待て、もしこれで睦子が俺に気が有るみたいな態度取ってたのが全部俺の勘違いだったりしたらこの妄想が根底から揺らぐことに……」
「……そこは、もう少し、自信持っていいんじゃない?」
「………………………………………………え、いいの?」
「いや、知らないけど。妄想って、どんなこと考えてたの? 今度こそ、お姉ちゃんの指導受けちゃう? ……優しく、手取り足取り、睦子お姉ちゃんが筆下ろし――」
「指導の方向性を激烈に間違いすぎだろうがよ……」
つーか下ネタ自粛しろよ、と続けてツッコミたかったけれど、それを口にしてしまうとネタがネタではなくなりそうな気配を睦子の瞳に髪間見たのでやめといた。……いや、むしろここで一歩踏み込んでみるべきか? だってあれじゃん、睦子が俺に向けてる恋愛的な意味での好意って、俺の勘違いなんかじゃないのだと睦子本人からのお墨付きを頂いてしまったわけですし。どさくさではあったけどさ。
どうしよう。俺の腕に絡みつく睦子が、俺の心まで絡め取りにかかってきてる。つーかもう鷲づかみされちゃってるでしょこれ。睦子の、いたずらっぽい笑みと、それに見合わぬ真摯でせつない瞳が、俺の魂を惹き付けてやまない。
「…………睦子」
「…………うん」
「…………………お前、えっと、あの……」
「…………………う、うん」
「……………………………フリーターと、正社員だったら、どっちにお付き合い申し込まれたい?」
「和馬に――ごっ、ご、ごめっ、なんでもなっ、なっ、なんでもな、なんでもないっ! 今の無し、だめ、今のはナシっ! 和馬ずるい、今の誘導尋問じゃん! ざけんな、ざけんなっ、ダメ、やだ、一回目の告白はあんたからがいい! だから今のは、『無し』! オーケー!?」
「あ、ああ、う、うん、うん、おっ、おっけー」
脱臼させんばかりに食らいついてくる睦子に圧倒されて、俺はがくがくと首を縦に振りまくった。
お前俺の仕事や収入に関係無く俺を選んでくれるんだねとか、一回目が俺からってことは二回目はお前からなのですかとか言いたいことは多々あるけれど、ほっと胸を撫で下ろしてる睦子に追加攻撃するのはかわいそう。つか、攻撃してるつもりでいて、それ凄絶なる自爆だからね。どうしよう、自爆したい。とってもとっても自爆したい。恥ずかしがる睦子をもっと見たい、俺も睦子にもっと恥ずかしい思いさせてほしい。
恥ずかしいけど、この恥ずかしさは、なんかすっげぇ、嬉しくてたまらない。
「…………………………」
俺は何も言わずに、睦子の手を引いてゆっくりと歩き出した。睦子は少し驚いた様子だったけど、すぐにしがみつき直してきて、疑問符でいっぱいの瞳で見上げてくる。
「……かず、ま? ……………どこ、行くの? …………………ハ○ーワーク?」
「萎える単語出すんじゃねぇよ、フリーターな我が身が恨めしくてたまんなくなっちゃうだろ……。仕事は、まあ、幾つか話自体はもらってるから心配すんな」
「…………………………そうなの?」
「向こうがどこまで本気かはわからないけどな。変に厚かましいこと言って気まずくなるのも嫌だから、しばらくは様子を見ながら探ってくことにはなるとは思うが……、まあ、誰かしらは拾ってくれるだろうという確信は有る」
「…………………あんた、真っ当な就職、する気なの? ……………こっ、告白の、ため?」
「さぁな。まあ仕事も告白もさて置いて、今はちょっと付き合って欲しい」
告白をさて置かれてしまった睦子は、思いっきりほっぺたをブンむくれさせながら、両腕両脚で俺の腕を締め上げるように全力でしがみついてくる。
「お付き合いって、誰と?」
「『誰と』じゃなくて『何に』とか『どこに』って訊いてくれ。んで、何にかっていうと……」
ただ目的や目的地だけを告げようとするなら、平凡な回答しか用意できないので面白くない。だから俺は、もうちょっと恥ずかしくて、嬉しくてたまらなくなってしまうような言い回しにして、御機嫌斜めな彼女へと笑顔ではっきり告げてやった。
「――デート、しよう、睦子。俺と、一緒に」




