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第2話 8月22日(火・4)。積み重ねられてゆくもの。

 あまりにも予想外の事態に、一瞬頭の中が真っ白に飛びかける。けれど俺は、女の子二人が程度に差はあれど一様に暗い面持ちをしていることに気付いて、ひとまず笑いながら軽い溜め息を吐き出してやった。


「むぅ~つぅ~みぃ~コオオオオオオオォォォォォォ………………」


「なにその氣で砲撃しそうな気迫!? やぁだ、カズちん怒っちゃヤぁだぁー!」


 軽い溜め息だっつってんのに、睦子は勝手にガクブルしちゃって緋叉音の後ろへと一瞬で退避。唐突に盾にされてしまった緋叉音は、話の展開に付いていけずに「えっ? え、えっ!?」と驚愕しながら俺と睦子をきょろきょろ見比べるばかりだ。ほんとあの姉ちゃんどうしようもねぇなおい。


 俺はソファの背もたれに肘を乗っけて身体ごと向き直り、泣きべそ寸前の緋叉音へと何食わぬ顔で話を振った。


「おっす、緋叉音。お邪魔してるぜー。……それ着てるってことは、これから学校にでも用事だったのか?」


「………………え? ……えっ、え、い、いえ、違います、けど、あの、カズまっ、く、あの、それより先にえっと、色々、話っ、怒る、やること、あのっ――」


「落ち着け落ち着け、細けぇことはどっか置いとけ。俺、なーんも怒ってないから。むしろ俺が緋叉音に怒られに来たまであるから。もし俺が怒るとしたら、それはただノリ一つでこのしょーもないイタズラを仕組んだであろうどっかのアホなねーちゃんに対してだけだから。なー、睦子ー?」


「……カズちん、きらぁい……。この人、イジワルなことばーっか言う……。あーあ、ちゅーなんかするんじゃなかったなぁー……」


「…………………………ああもう、わぁーかった、悪かったよ、出て来い睦子。もう意地悪しねぇから。むしろ、色々気ぃ遣ってくれたり相談乗ってくれたり、マジさんきゅーな」


「さんきゅーされちった! わぁーい、やったぜ! ちゅーってすげー! カズちん、すげーチョロいっ!」


 ようやく頭を出した睦子は、本当はハナっからガクブルなんぞしてなかったのが丸わかりな満面の笑みを咲かせて、緋叉音を背後から抱き締めるようにしながら軽くダンスした。緋叉音は目を白黒させながらも素直に手を取られてて、この子ってやっぱ流されやすいんだなぁって改めて思う。


 あと思うのは、お姉ちゃんあんまりちゅーちゅー連呼しないでおくれよってことだな。お前忘れてるかもしんねぇけど、俺と緋叉音の間では『ほっぺにちゅー』事件は未だ解決も精算もされてないので、無闇に刺激せんでほしいです。あとチョロい言うなし。


「……あー、その、緋叉音よ。この間は、悪かったな。あんな一方的な『挨拶』して、速攻帰っちまってさ」


 俺が言いたかったことをようやく口にしたのに合わせて、睦子は緋叉音を振り回す動きを緩め、会話できる程度の余裕を作ってくれた。


 俺の唐突な謝罪と、睦子の促すような微笑み。緋叉音は少しおっかなびっくりな様子でそれらを受け取ると、途端に罪悪感が再燃したような情けない顔して首を横にぶんぶん振った。


「そんなっ、カズマくん、謝るようなこと何もしてないっ! むしろ、私がごめんなさいでっ! カズマくんが私のこと、気遣って、色々良くしてくれて、なのに私っ、カズマくんにはいっぱい悩ませておいて、自分はにやにやげへげへ笑ってるとか、そんなの鬼畜生も真っ青な恩知らずすぎて、ほんとに、ほんっっっっとに、ごめんなさいですうううぅぅぅぅぅぅ……………………」


 泣き崩れんばかりに顔を両手で覆って蹲りかけた緋叉音を、睦子が「おぉっと!」と羽交い締めして力尽くで立たせる。行動を全て無理矢理キャンセルさせられて、けれど緋叉音は文句も言わずにおとなしく捕獲されたまま、涙が零れそうな瞳を俺の顔周辺に彷徨わせた。


 睦子の困ったような微笑みに、俺は同じような表情を返してから、後ろ頭をぽりぽりと掻きつつ結論を述べる。


「あー……。まあ、あれだな。……緋叉音が嫌な思いしてなかったっていうなら、お互い変に気ぃ遣うのもなんだから、あの一件についてはここまででおしまいってことにしたいんだが――」


「い、いや、です。…………嫌だけど、カズマくん、そう言うなら……、いいです、それで……」


 食い気味に拒否りながらも、わりとすぐに承諾へ舵を切ってくれた緋叉音。だがその針路変更は相当不本意であったらしく、緋色の衣に包まれた身体の至る所で不完全燃焼の感情をぷすぷす焦げ付かせている。


 彼女が恨めしげに見つめる先は、セクハラ野郎荒鷲和馬――ではなく、鬼畜生も真っ青な恩知らずさんのつま先だ。


 良い子すぎるってのも、それはそれで難儀なものらしい。


「……………………………………」


 セクハラ野郎の自覚がある俺としては、これ以上自分に都合の良い台詞を重ねるのは気が引ける。けれどこのまま黙ってるだけだと緋叉音が際限無く滅入っていっちゃうから、やはり何かしら手を打たねばなるまい。


 そう思ってとにかく口を開こうとした俺だったが、それより一拍早く、緋叉音を背後から抱き締め直した睦子が穏やかな声音で言葉を紡いだ。


「緋叉音ちん、緋叉音ちん。ちょこっと、お耳を拝借ね」


「…………えっ、み、ミコ、ちゃん?」


 ミコちゃんというのは、きっと睦子の名前を文字って付けたあだ名なのだろう。その名を呼ぶことにも呼ばれることにも何ら引っかかりを覚えていない様子で、二匹の兎が囁くように語り合う。


「カズちんはね、緋叉音ちんにそういう暗~い顔させてたらやだなぁーって思ったから、わざわざ仕事ブッチしてまでこうして来てくれたんだよ? そんなカズちんの気持ち、汲んであげてほしいな」


「…………あ、あぅ……。…………で、でも、私っ、自分ばっかりいい思いして、カズマくんには負担ばっかり押しつけててっ、こんなの、流石に、ダメすぎだよ……」


「……う、うーん……。緋叉音ちんもカズちんも、お互い『いい思い』しかしてないはずなのに、なーんで二人してそんなネガティブっちゃってんだろ……。むつみこちゃん、わかんなーい」


 なんておどけて見せてはいるけど、流石の睦子もちょっぴり本気で困ってきちゃってる様子。緋叉音も未だ罪悪感に捕らわれたままだし、俺も俺で事態の収拾を図るための方策が全く思い浮かばない。


 けれど、いつまでもこのままというわけにもいくまい。ならば、こういう時は『コレ』に限る。


「じゃあよ、悪ぃんだけど『貸し』ってことにしてくれないか?」


「………………貸し、です、か?」


「おうよ。緋叉音に『いい思い』をさせたことで、俺は緋叉音に貸しイチ。んで、俺が緋叉音に『いい思い』させてもらったことは、緋叉音から俺への貸しイチだ。これをそのまま相殺すんのもいいけど、折角だから、後でお互いに何かしら『お願い』を一個聞いてもらってチャラにしようぜ。……ってことで、どうよ?」


「はーい! それはとっても名案だなっておもいまーす!」


 と元気よくお返事をくれたのは、俺とのこういうやりとりに慣れてる睦子だけ。緋叉音はというと、睦子に挙げさせられた手をぷらぷら揺らしながら絶賛考え中だ。


 考え中、か。悩んでるというほど深刻な雰囲気はちっとも感じられないから、純粋に今し方の提案を吟味しているだけのようだ。熟考の結果どんな結論に辿り着こうとしているのかは、彼女の顔に少しずつ浮かび始めた笑顔が教えてくれている。


 俺は、知らず強ばっていた身体からようやくフッと力を抜いて、ちょっと前とは打って変わって明るい表情を見せてくれてる女の子達に「ところで」と別の話題を振った。


「お前ら、昼飯どうする? 緋叉音の答えを待ってる間ヒマだから、なんならこの和馬様が腕を振るってやってもいいぞー」


「え? ……あ、あのっ、私、今の貸しって話、是非お受け致し――むぷっ!?」


「そだねー、緋叉音ちんを待ってる間ちょーヒマだもんねー。折角だし、久しぶりにカズちんの手料理ゴチになろっかなー! ねー、緋叉音ちん?」


 口を塞がれた――のではなく口内へ指を突っ込まれた緋叉音は、ふもふも悲鳴を上げながら必死に首を縦に動かした。おい姉ちゃん、あんたの妹泣きべそ寸前だぞ。まだ再会して二日程度しか経ってないんだから、もうちょっとセーブしながら仲良くしてけや。でも今ばかりはグッジョブの言葉を贈らせてもらおう!


「んじゃ、ま、いっちょやったりますかい!」


 俺は気合を入れてソファーからひょいっと飛び降り、首のタオルを頭へ持って行ってキュッと締めた。ねじり鉢巻きできるような生地でも長さでも無いので、孤独なスプリントレースごっこしてた時と同じ、頭全体を覆うスタイルだ。


 たぶん俺、今またレースやったら、さっきとは比較にならないほど良いタイムが出せると思う。そんなどうでもいいことを考えながら、俺は二人分の声援に背を押されるようにして台所へと向かった。

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