第1話 8月20日(日・1)。彼のファーストコンタクト。
静かに、ただひたすらに、静かに。辺りを包む夕凪よりも尚ひっそりと、彼方から漏れ聞こえくるひぐらしよりも尚粛々と。その見知らぬ女の子は、俺の縄張りへあっさりと侵入を果たして――
ヨダレ垂らしながら、ぐーすかぴーと寝こけていやがります、なう。
時刻は、夏の終わりを匂わせる空が茜色に色づく頃。処は、とある片田舎の町外れの、山と一繋ぎになった森の中、悠然と横臥する日本家屋な我が家にて。バイトを終えた後に軽く買い物も済ませて帰ってきた俺が、レジ袋引っ提げた自転車を押しながら庭をだらだらと横断しておりましたところ、視界の端になんかいた。
女の子である。瓦屋根の生み出す影の下、隠しきれない輝きを放つ生足を縁側からをぶらーんと投げ出して、肉付き薄めながらもしっかりとオンナノコしてる上半身を床へだらーんと投げ出して、ひなたぼっこ中の家猫みたいなニヤけ面で気持ちよさそうに爆睡してる、見知らぬ女の子。この、赤の他人の家を現在進行形で不法占拠してるとは思えぬほどあまりにも堂に入った寝姿には既視感を覚えないでもないが、ともあれ、やっぱり俺はこんな娘っこなぞ見たことない。
年の頃は、おそらく十四前後くらいだろうか。可愛いよりも美しいに類される系統の顔立ちであることや、女性らしさの香る豊かな長髪を持っていることだけを見れば、もう何歳か上かと思えはする。けれど、この底抜けに緩みきったあどけなさすぎる表情のせいで、どうも高校生以上には思えない。それに、宙ぶらりんしてる生足も男の本能を有無を言わず掻き立てるほどには熟しておらず、華奢な胴体や剥き出しの腕もまた同様。
と、ここで注釈。生とか剥き出しとか書いたけれど、少女は勿論全裸というわけではありません。どこかの学校の制服であろう、半袖ブラウスにネクタイにベストにプリーツスカート三つ折り白ソックスという、露出はそこそこあれど印象としてはわりとお堅めな装備をきちんと着こなしていらっしゃいます。でも靴は履いてないし見当たらない、なぜだ。
……学校の、制服。着衣の組み合わせやそれぞれのデザイン自体はわりとスタンダードなものだが、スカートとベストの色彩については深き緋色を基調とした若干派手なものだ。都会にいた頃ならともかく、この稲見町にやって来てからはこんな目立つ色した制服なんて一度たりとも見たことがない。
そして。少女の耳元あたりでイヤリングのように垂れている 、ぱっと見でも印象に残りそうな小洒落た物体――本物の鳥の羽で出来ていると思しき髪飾りなんかも、俺はやはり見覚えが無い。
じゃあやっぱこいつ誰よ?
「――ぺくしゅっ」
疑問を胸に棒立ちする俺の耳に、素っ頓狂な音程のくしゃみが響く。
ちょっとぼんやりとし始めていた瞳を少女へ向けてみると、彼女は膝下を縁側から宙ぶらりんさせたままで無理矢理寝返りを打っていた。どうやら、胎児のように身体を丸めることで体温を保とうとしているようだ。
際どい位置で艶めかしく揺らめくスカートから目を逸らし、俺はなんとなく空を見上げる。
茜色に焼かれていたはずの天蓋が、急速に熱と光を失い始めている。直に夕凪も夜風に追いやられ、ひぐらしも気の早い秋の虫達にバトンを渡し始めだろう。この地方はお盆を過ぎるとあっという間に秋が来るから、まだ八月ではあれど実質的にはもう夏も終わりみたいなもんだ。そろそろ、足も腕も剥き出しなまま窓開っぱで寝るのは厳しいような時季に突入だな。
寒くなると、あったかいものが美味くなる。今日は豚汁にでもすっかな、また野菜いっぱいもらってきたことだし。
「ぺくしゅっ」
再度のくしゃみ。俺は少女を見ることはせず、レジ袋の重量に軋む自転車をからからと押して、足早にガレージへと向かった。
あの少女がどこの誰だとか、俺になんか用でもあるのかとか、そういう細かいことは後でいい。人にとって何より優先すべきなのは、身体をぽかぽかにすることと、お腹をいっぱいにすることだ。じゃねぇと最悪、命の危機有るし。経験者は語る。
だから、まあ、あれだ。
――とりあえず、あったかいメシの準備でもしよっと。一応言っておくけど、もちろん二人分な。