8.朝日と共に
「大丈夫かッ! ……うぐッ!! ……!」
リゾーは左腕全体をトゲに突き刺されている事を思い出した。今までの疲労も肩に重くのし掛かる。汗すら出てこない。
リゾーの脳裏には実験室の時と同じく、見張りに左腕を折られた時の記憶がよぎった。結局見張りに殺されるのか。見張りから逃げきり、彫刻刀を盗み、この発掘現場までやって来て、強力な石像を完成させても結局、見張りが全てを終わらせてしまうのかと絶望した。
「ぶっ殺してやる!!!」
見張りはひしゃげた狭い扉を無理矢理広げて入ってきた。チーフの死体の頭を踏み潰し、石像の破片を弾き飛ばして、涎を撒き散らし石像に接近する。猪のような突進にリゾーはただ突き飛ばされる他なかった。
今自分がどっちを向いているのか分からない。目を開くと見張りが見えた。
見張りが血管の浮き出た右腕で石像の前に落ちていた斧を持ち上げた。錯乱した見張りはそれを掲げ……振るう。振るう。振るう。振るう。振るう。振るう。振るう。振るう。振るう。振るう。振るう。振るう。振るい続ける。その度に石像が跳ね、破片の海に沈んでいった。
見張りがもう何回目かも分からない殴打を繰り返した時、ようやく見張りの手が止まった。
全て無意味だった。リゾーは目を閉じた。
その時。
「う、動かねぇ」
見張りが声を上げた。さっきまで木の枝でも振り回す様に斧を振るっていた見張りの両腕には太い血管がこれでもかという程浮き出ている。仮面の端から鼻息を噴き荒らし、目を驚愕の色に染めていた。
変だと感じてリゾーは顔を上げて斧の先を見た。
鋼鉄の斧が石像の犬歯に噛み止められていた。石像は凶悪な犬歯を斧に沈めながら無傷の眼で見張りを睨む。
「うッ……!」
まさか、……! とリゾーは戦慄した。なんと石像は鋼鉄の斧をあろう事か噛み砕いてしまったのだ。リゾーは石像が生きていたという事よりも、階段を破壊してもビクともせず、鉄製のスイッチを破壊しても刃こぼれしないあの斧がたやすく砕かれた事に驚愕した。
石像は斧を細かく噛み砕いた後、飲み込んだ。
「……[ズレた]味だな」
「うおおぉおおおお!」
もはや麻薬の事など見張りの頭から消え失せているだろう。斧を失った見張りは恐怖の奇声を上げ、石像に殴りかかった。無骨な右拳が石像に迫る。
石像は見張りに比べて遥かに小さいその左手でそれを容易く受け止めた。見張りの拳からミシミシと音がする。
「うおおわぁあ!」
「ルール1を適用する……答えろ。何故、何のために殺した」
石像は見張りの右腕を片手で持ち上げて、石像の破片の海の中で立ち上がった。彼女の右手の指先が見張りの脇腹を[刺した]。
「ぐぼぉおぉぉ!」
膝を小刻みに振るわせて内股になる見張り、彼は腹を抱えてうずくまった。
「回答はもういい。どのみち貴様で終わりだ」
そう言いながら石像は倒れてきた見張りを手のひらで軽く突き返す。
血を吐く見張り、巨体が緩慢な動きで仰向けに倒れて行く。あまりに遅い動きにリゾーは時間が止まったのかと錯覚した。
突然、リゾーの視界で石像の体がブレた。風の衝撃を残して石像は消えた。一体何が起こった? と彼は思った。
しかし、その疑問は理由を考えるまでも無く答えが出た。
見張りの巨体が不自然な角度で倒れる前に止まり、背中から勢いよく血が噴き出た。見張りの下にその巨体を片手で支える石像が居た。
動きがあまりに早すぎる。石像の動きに着いてこれなかった空気が吹き飛ばされて風の衝撃になっている。
「……!!」
リゾーが驚愕の声を上げる間もなく、石像は左手でまた見張りを突き返して右手を一閃した。鋭利な爪で背中を切り裂かれた見張りは回転しながら倒れこむ。
石像がまたリゾーの視界でブレて倒れこむ見張りの前に出現した。石像の左肘が見張りの胸を突き、捻った。
「ゴブッ!」
苦しそうによろめいて見張りは後ろに倒れた。
否、倒れる前に石像にまた背中を突かれた。見張りは前のめりに沈むが、石像にそれ許す気はない。また前に周り込み、今度は三回切り裂き右手で突く、後ろへ倒れる見張りを四回切り裂き左手で突く。回数は増えて行き、突風が吹き荒れる。
リゾーの視界ではどんどん石像の姿が見えなくなる。見張りは踊る様に前後左右に激しく揺れた。
そして、見張りの全身が赤い切れ目で覆われた。
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAaaaa!!!」
石像は地を震わす機械音の叫びと共に見張りの目の前に姿を現し、赤く赤熱した右足を強烈に見張りの腹へ叩き込んだ。
見張りの胴体に石像の極熱の右足が沈んでいく。厚い肉をかき分け、太い骨を割り、見張りを上半身と下半身の真っ二つにした。
発掘現場の壁まで吹っ飛んでいく見張りだった二つの物体はリゾーにとって仇が完全に討たれた事を意味していた。
「ルールは守られた……」
「…………う……」
腰に右手を当てて佇んでいた石像は後ろを振り返った。
「うわあああああああ!! ジャンヌ……!! 仇は……討ったよ……!!!僕らは勝ったんだぁああああ!!!」
リゾーは心の限り叫んだ。全てが確かに終わった。リゾーはただ喜んだ。
突如、地を揺るがす破砕音が鳴り響いた。
「……うわッ!? 何だ……!」
大きな揺れによろけたリゾーは驚愕の声を上げた。見上げると発掘現場の天井が崩れ始めていた。
「いったいこれは……! あっ、そうだ。逃げないと!?」
リゾーは震える地面に心臓の鼓動を早めながら、石像の所へ急いで這っていった。死の覚悟は決めていたがそれはそれ。生き残ったのだから死にたくはない。
石像の佇むその場所は石像が暴れたせいで発掘された残骸が消し飛び、地面が見えていた。石像はこちらに背を向けている。背中を走る真っ赤な鎖模様が妖しく光った。
石像が静かに振り返った。天井が崩れているのに、そんな事どうでもいいみたいにゆっくり振り返った。こんな時におかしなことだが、美しい動きだとリゾーは思った。
「…………」
リゾーは声を掛けようとして言葉を忘れた。石像は何も言わずただじっとこちらを見ていた。表情は変わっていない。でも縦に細い黄色の瞳は光を失っていた。
「何をしているんだ! このままでは潰されてしまう!!」
リゾーがやっとの思いでそう訴えても石像はリゾーを見ていない。
「もうジャンヌの仇はいない」
石像は少し下を向いて口を開けた。
「そうだ。だから、ここから早く出よう!」
リゾーには石像の変化が理解できなかった。
「ルール1は守られた。……全ての仇を討った。つまり……私は[終わった]」
リゾーは石像の言葉にはっとした。
石像は自ら終わったと自覚しているのに、その終わりに対して無表情で向き合っている。否、向き合ってなどいない。初めから自分のことなどどうでもいいのだ。石像にはルールが守られたということが重要なのだ。
それでも、こんな所で終わられてたまるか。
「終わってない……!」
リゾーは石像を真っ直ぐ見て断言した。
「ジャンヌは最期に僕に逃げろと……出口を見つけてくれと頼んだ! 本当は自分が一番出たかったはずなのに……!」
リゾーは左手を強く握った。
「その行動は命令に含まれていない」
縦に細い黄色の瞳がリゾーを見た。
「違う!!」
無理に大声を絞り出したせいで頭痛を覚えながらもリゾーは叫ぶ。同時に彼のすぐ後ろに人間よりも大きい岩が落ちて二つに砕ける。その衝撃で彼はクレーターの内側まで転げ落ち、破片に頭を打ちつけた。血が噴き出る。石像は動かない。
「…………ジャンヌには助けたい人が居たんだ……! 最期の時は僕に押しつけまいと言わなかった様だけど……その事は何よりも無念だったはずだ!!」
石像は目の前まで落ちてきたリゾーに顔を向けた。その目は見開いていた。
「無念……」
「僕も君も決してこんな所で終わっちゃいけないんだ……生きなきゃ! 生きてプロトを助けなきゃ……!」
石像が膝を折った。傷と汚れ塗れたリゾーは石像と視線を交わした。
「……そのプロトという奴を助ければ彼女の無念は晴れるんだな?」
石像は右手をリゾーの頬に添えた。
リゾーの頬の触れた手の平は鉄のように硬い。でも何処か優しい感触だった。リゾーはそれをただ受け入れた。石像の縦に細い瞳は揺れていない。
「……その通りだ……!」
リゾーの黄金色の瞳は揺れていたが、しっかりと石像を捉えていた。
一際大きな破砕音がして、クレーターの真ん中に圧倒的質量の天井が落ちてくる。
リゾーは石像に首根っこを掴まれた。そして、石像は落ちてくる天井と床の隙間を走り抜けた。
ひしゃげた扉が吹き飛ぶ。
「発掘現場が崩れたせいで遺跡全体に亀裂が走っている……もうこの遺跡は崩落するぞ!」
石像の背中に捕まったリゾーが叫んだ。
「ルール1.命令を遂行! 行くぞ!」
石像は螺旋階段を苦も無く駆け上がる。
「だが待て……この階段には途中から罠が……」
「命令を、遂行する」
石像はリゾーの言葉に力強く言葉を被せた。なおも亀裂が広がる螺旋階段を、草食獣を追いかける肉食獣のごとき早さで駆け登る。そして、すぐ実験室の所まで来た。
「マズイ!! 扉のスイッチを下ろさないとランプの炎に焼き尽くされるぞ!!」
「ルール2.自己を保存」
リゾーの絶叫は無視され、最初の罠に突入した。
左横のランプの炎が光り、炎を吹く。石像は目もくれずに左足で強く床を蹴った。炎は石像までもうあと少しという所で届かず、元に戻っていく。
間髪いれずに次のランプが光る。今度は左右と上からであった。
「ハッ!」
石像は姿勢を限界まで低くして右のランプの下を潜った。リゾーの髪が少し焦げた。次は罠の左上を通り、その次は瞬間的な加速で全て避けた。
螺旋階段を走る石像を壁に床に走る亀裂が追いかける。遺跡全体が脱獄者を逃すまいとしている。
何か折れる嫌な音がした。螺旋を貫く柱からだった。柱は内部の鋼鉄を露出させている。リゾーがチラリとそこを見やると、なんとその柱の内部さえも潰れていた。もう時間がない。
天井の一部が裂けて落ちてきた。石像は瓦礫に額を叩き込んだ。リゾーはむせた。
石像は砂を被りながらさらにスピードを早めた。
その時、牢屋の前を通った。
牢屋にはジャンヌが眠っている。リゾーにはその顔は穏やかに見えた。
螺旋階段の上に瓦礫が満ちてきた。もうすぐ柱が折れるだろう。
「このまま進んでも出口へは行けない! 脇に隠し通路か何かがあるはずだ!! それを探そう!」
「お前も結構[ズレた]事を言うな……探す? 無用だ。無いのなら……」
石像は亀裂の多くなってきた壁に跳び蹴りを入れた。リゾー達のすぐ後ろの天井が崩壊する。
「作ればいい」
「うわああ! 君! 何て事を……!! 生き埋めになる気か!?」
「それはルール3に違反する。故に生き埋めになるより先に脱出する」
リゾーは何度も狼狽した。対照的に石像は終始笑っていた。そして、狭い一直線の階段に踊り出た。
「アレはッ!! 本物の出口ッ!!」
リゾーが指さした先には20mほど先の階段の上、行き止まりの錆びた小さい扉があった。
リゾーは、おそらく石像も勝利を確信した。一直線の階段にはランプも扉も無かったからだ。
亀裂がこの階段にも進行してきた。それを見るとすぐに石像は走り出した。狭い階段を駆け上り、ただ出口を目指した。
その時、石像は笑っていた。対照的にリゾーは表情を険しくした。最後の最後出口へと向かう階段に何も仕掛けられていない。そんなことがあるのか? 否、昨日と今日の全ての経験がそれを否定していた。この遺跡はそんな甘い所では無い! と。
「「何ぃいいいい!!!?」」
二人は叫んだ。
出口まで後10mという所で前方の階段から壁、天井に至るまでが真っ赤に光りだした。全包囲からの炎の噴射。それが10連続! これを避けられる生物はいない。
しかし、彼等は違った! 悪い予感がしていたリゾーは、一瞬早く石像の髪を右へ引っ張る事ができた。
石像はバランスを崩し、落ちてきた岩に両手から突っ込んだ。
彼女はその岩を両手で掴み取り、全速力で亀裂の走っている所へ向かった。亀裂が走った所は罠の黒いロープが切れて作動しないはずだからだ。この間、約二秒
炎が彼等に到達する直前に石像は掴んだ岩盤と亀裂の走った箇所の間に体を滑り込ませる。そうすることで、全ての炎をガード。しかし、熱までは完全には防げない。岩が赤く光っていき、その赤はそれを掴むエモの指にも広がっていく。
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAaaaaa!!!」
最後の叫び! 出口へ一気に駆け上がる。
錆びた小さな扉、この遺跡の最後の守りを蹴破る。最後の守りはリゾーが思っていたよりも静かに彼方まで吹っ飛んでいった。
遺跡の外側は牢屋と同じ大きさの小さい廃屋の様になっていてリゾーは拍子抜けした。今まで自分はこんな狭い所に住んで居たのかと思った。
「おい……見ろ。外だ……」
リゾーが振り返るとそこには見た事もない世界が広がっていた。遙か下に見える先の尖った建物の集合、下まで続く青い森林、そして何より自分の頭上を占める星と雲それら全てがリゾーにとって産まれて初めての物であった。
「これが……町、山、空か……これが……世界か!!」
リゾーは体中の怪我を忘れて感動していた。
ここはどうやら山の中腹で、遺跡は山の中に埋まっていたようだ。山の頂上が陥没していく。その様子をじっくり見ていると
「ルール3.製作者を保護。ひとまず成功。おい……さっきから気になっていたんだが……その……[エモ]というのは何だ? 私の事なのか……?」
石像が唐突に口を開いた。こいつは感動していないらしい。
「いや……それは……そうだよ。君の名前だ」
気が付いたら口をついて出ていた名前、追い詰められていたせいなのか何となく言っただけなのかリゾーには分からない。エモの視線が怖いので目を逸らしてしまう。
「名前など不要だ。入力されていない」
彼女は大きな胸の前で腕を組んだ。
「……それは……君は僕じゃないし、名前が無いと困るだろう」
リゾーは顔を上げて彼女と目を合わせた。頬が熱くなっているのが分かる。
「いいだろう。製作者はお前だ。ルールに違反することでも無い。私はこれからエモ。エモだ」
石像ーエモーは大きく頷いた。
しばらくの間、沈黙が満ちる。何処かから暖かい風が吹きリゾーの暗い金の髪とエモの長い銀髪を撫でた。
「…………墓を建てないと……ジャンヌの」
先に沈黙を破ったのはリゾーだった。言うと同時に動き出す。
近くにあった木から枝を数本取ってくると、それらの一本を柔らかい土の地面に刺した。他の枝で最初に刺した枝を囲う様に刺していく。
「はか? 入力されていない知識だ。意味を教えろ」
リゾーより30cm以上背の高いエモがリゾーに覆い被さる様に屈んでその小さい墓を凝視した。
リゾーの体が竦み、また頬が赤くなった。
「……絵本に載ってたんだ。人が墓を建てる意味は……僕にも分からない。けど、僕にとっては誓いだ。ジャンヌの意志を受け継いで、プロトを助けるという誓いなんだ」
「誓い、お前がお前に課すルールだな」
リゾーの覚悟をエモは静かに聞いていた。
「墓を建てたら少しは彼女の無念も晴れるだろうか……」
「さあ……でも建てるなら今ここで……だと思う」
「そういうものか……」
エモがリゾーの手から一本だけ枝を奪って、墓の近くに突き刺した。
一本だけ乱雑に刺された枝が目立っていた。
それから二人は墓の前で一度手を合わせ、しばらく目を閉じた。リゾーは亡き仲間としてジャンヌを思った。
瞼の下からでも分かる強い光を感じて、リゾーは目を開けた。
「これは……」
「……」
彼等がいる山とは別の遙か遠い霞がかった山、その頂上から偽物ではない光が差し込んでいる。
リゾーの心までもがその強い光に当てられた様に暖かく前を向いた。
「行こう! エモ! プロトを救いに……この陸の果て、ヴィクトリエまで……!」
左手で握り拳を作ったリゾーが立ち上がった。
「無論だ。ルール1.これより命令を遂行する」
犬歯を見せて笑ったエモも立ち上がった。
「「出発だ!!」」
眼下を占める町へ向かって彼等は走り出した。
次回 芸術国家シャイン その1