6.目覚め
「……銃!」
リゾーは反応できない。
「ってぇ!」
二つの大きな音が響いた。遅れて、バタッと人の倒れる音がした。
リゾーの目の前で長身の男が前のめりに倒れている。
銃を放った男二人は体を震わせた。
リゾーは銃で撃たれる時、驚いて姿勢を崩し、階段で転んでいた。代わりに長身の男が二つの鉛を受けた。
「うわあぁ……な……仲間を殺しちまったぁ……チーフに殺されるぅ!」
「銃を構えられて向かってくる方が悪いんだ!」
銃口を震わせながら二人は顔を見合わせた。
リゾーは階段の上で急に失速したせいで背中を打ち付けていた。痛みを無視してゆらりと立ち上がる。扉の前に陣取る二人の男は一斉に銃口をリゾーに向けた。表情を見る限り、まだ焦っているようだ。
「手を上げろ……動くなよ……!」
「おいもう撃つぜ! 他の仲間が降りて来る前に!」
銃を構えている男の言う通り、階段上からは大勢の足音がしていた。少しずつ大きくなっていくその足音を聞いて、リゾーはもう一度身体に喝を入れた。
まず、言われた通りに両手を上げて扉の前の男達に抵抗の意思がないことを示す。左手の甲に刺さっている彫刻刀の無数のトゲが蠢き、血が一滴漏れた。
「おい待て! アレを見ろ! 彫刻刀じゃねーか。何故お前が……」
「いや待て、あの彫刻刀……刺さってるぞ!? それに、目玉が生えて……! チーフは一体何を発掘したんだ!?」
「そんなこと知るかァ! 撃っちまおう!」
「ダメだ! 彫刻刀に傷でも付いたらどうすんだ!」
「黙ってろ! おいお前、彫刻刀をゆっくり引き抜け! いいか? ゆっくりだぞ」
二人の男が喚き散らす。
リゾーは息を整えて左手を開き、その甲に刺さっている彫刻刀を右手で掴んだ。あくまでゆっくり男達を刺激しないように、行動の一挙一動を大人が子どもに教えるかのごとく一本一本数えながら引き抜いく。
男達が息を呑む音が聞こえる。
彫刻刀のトゲがまた一本抜けた。もう後二本しか残っていない。抜けたトゲは体液をまき散らし、跳ねる。
「……ゆっくり?」
男達が頷く。
「ゆっくりだな?」
そうだ、と声がする。足音は大きくなる。話し声まで聞こえてきた。いよいよ時間がない。
さらに、一本のトゲが抜けた。トゲ達がリゾーの左手を探してのたうち回る。
そして、未だ左手に刺さっているトゲは一番太い一本だけとなった。リゾーはその太いトゲを右手で掴み彫刻刀を肩の後ろまで引っ張った。
「おい? 何だあの恰好、なんかおかしくねぇか? 彫刻刀を引き抜くっていうか、あれじゃまるで……」
「弓を引いているような……?」
リゾーは歯を食いしばる。左手は扉の前の男達に狙いを付け、元に戻ろうとするトゲを押さえつける。右手は限界まで後ろに引き、彫刻刀で狙いを定める。
彫刻刀のトゲは鉄のように硬いが、よくしなる。今は限界まで張った糸のように真っ直ぐだ。トゲが痛がるように蠢き、彫刻刀から生えた目玉が機械音の奇声を上げた。
「ま、まさ「飛んでけえええ!」」
リゾーは右手を離した。トゲの伸縮により勢いよく放たれた彫刻刀はリゾーの頬を掠めて、扉の前の男の目に食い込んだ。
悲鳴も上げず崩れる男、もう一人が代わりに悲鳴を上げる。生き残った男は硬直し、リゾーが歩き出すと途端に銃を構え直した。しかし、その銃口は狙いが定まらないほど揺れている。
「来るなぁ……止まれ!」
男が発砲し、リゾーの足元の土が弾ける。
リゾーの胸中に恐怖は無かった。感情はただ一つ、怒り。ジャンヌを殺したチーフ達仮面の男に対する、ジャンヌを救えなかった自分に対する怒り。
そして、リゾーは目の前の男を見てはいない。目の前の扉の先にあるはずの最後の希望を睨みつけていた。
その命に迫る気迫が本来敵わないはずの相手を圧倒したのか。それとも、仮面の男にとって、リゾーの左手から流れ出る血を彫刻刀のトゲが吸っていく様が恐ろしかったのか。仮面の男は泡を吹いて倒れた。
男の目から彫刻刀を引き抜いたリゾーは、小さな扉の中へ入って行った。
静寂に包まれた空間、リゾーの肌に当たる空気はひんやりとしている。リゾーは急いで扉に錠を下ろした。
「ぐッ……!」
リゾーは近くにあった大きな物を踏ん張って押した。
「ぬあッ!」
大きな物は硬い音を立てて傾き、扉の前に倒れた。
「ハァッ……ハァッ……うわッ!」
リゾーは驚いた。彼が押し倒した物は大きな人間の形をした石像の一部だった。
リゾーは辺りを見回した。端が見えない程広い空間の床が人間大の壊れた石像の手足で埋め尽くされている。天井は見えない。石像の海。
「これが、チーフが恐れていた[現場]?」
「……僕は物心つく前からずっとこの遺跡に囚われていた」
無意識に口から言葉が出た。独り言を言ってから、ジャンヌのことを思い浮かべた。もし、ここにジャンヌがいたならこんなふうに訊いたろう。
知ってるわ。しかし、それは今、考えるべき事?
「考えなきゃ……生き残れない」
そう……なら聞くわ。何故、貴方は連れてこられたの?
「この彫刻刀を発掘し、使わせるために!」
私達に?
「そうだ。そのためにわざわざ捕まえてきたんだ。僕らにしか彫刻刀は使えないってことだ」
なら何故、貴方は殺されかけた?
「要らなくなったんだ! 必要な物が揃ったから」
私達にしか彫刻刀は扱えないのに? 必要な物?
「彫刻刀と彫られる者!」
それで?
彼は額の汗を拭った。まだ、肩で息をしている。
「チーフはこの彫刻刀は何を彫っても同じになると言っていた。そして僕が拷問された時、僕はそんなつもり無かったのに顔が彫られ、人を襲った! この彫刻刀は多分どう扱っても勝手に何かの顔を描いてしまう」
リゾーは石像の破片に目をやりながら、歩きだした。彼が一歩一歩足を進める度にジャリジャリと音がした。
彼には未だこの空間の端が見えない。
「顔しか彫れないってことは……!」
彼は足下の破片を蹴飛ばした。
「僕が用済みってことは……!」
彼が石像の腕を一つ掴んで引っ張ると、胴からその腕が捥げた。
彼は歩くスピードを早めた。
彫られた者はただの木の板だったのに生きて動いていた。それが[もし人の形]をしていたらどうだ。ひょっとして、[全身を動かせる]んじゃないのか? 顔だけであの強さだ。全身を動かせたらもっと強い。そして、それが彫刻刀本来の使い方だとしたら。
「必ず一つはあるはずなんだ!」
彼は焦りから大声をあげた。
「彫刻刀に彫られる者、つまり全身が残っていて顔だけがない石像だ!」
後ろの方で扉が大きな音を立てて僅かに変形した。その音はしっかりと彼の耳に届いた。
「……時間がない。もう多少壊れていてもいい! ……彫らなければ!」
リゾーが近くの石像の破片を引っかき回すが、何処にも使えそうな石像はない。
「クソッ無い! もっと奥へ行かなくては」
石像は見当たらず、現場の奥へ走るリゾー。奥の方は足元が見えないほど真っ暗だった。
リゾーは突如、足元の硬いものにぶつかって転けた。
「痛ッ」
石像ではない。何かもっと尖ったものだった。
ハッとして、その物体に触れてみる。持ち手とデカイ機構部分、先は円錐形でその周りを鋭い刃が螺旋を描いている。
「これは壁とかを掘るための機械か? 名前は知らないが……これがあるということはこの辺は最近掘られたばかりということかもしれない!」
視線を深い闇の中へ向ける。何も見えないが、そこだけ奥まで続いているようだ。
扉を叩く音が激しくなってきた。
「この先だ。この先に発掘された何かがあるはずだ」
リゾーは闇の中へ足を踏み入れた。ジャンヌならきっと迷わずそうしたはずだから
瞬間、急に周囲が明るくなる。人工の光だ。
「なんだ!?」
眩しさに目を閉じてしまうが、なんとか薄目を開ける。大きな人影。
「いや、人じゃない……!」
一体の石像が眩い光を背に仁王立ちしている。その石像は一際大きく、二メートルはあった。
「そうか、コイツが……コイツこそが、僕がこの遺跡に囚われていた……そして、ジャンヌが連れてこられ、殺されなければならなかった理由……!!」
リゾーは顔だけがないその石像へ駆け寄った。
「……僕が今までコイツのために生かされてきたというのなら……逆に、僕がコイツを利用してやる!」
リゾーはようやく本当のチャンスを手にした、と思った。
背の低い彼にとっては見上げる程大きい人間大の石像には顔だけが無く、腰まで伸びた髪を持ち、一目で女性と分かった。大きな胸の前で腕を組み、鎧を身に付けていた。動きやすくするためか鎧は全身を覆っている訳ではない。
彼は石像によじ登り、顔に彫刻刀を突き立てる。
「どうかジャンヌの無念を晴らしてくれ……僕は……クッ……どうなってもいい! だからジャンヌの仇を……!!」
石像の顔に想いをぶつける。
彫刻刀のトゲはこれこそが生まれた意味とでも言うかの様にうねり、左腕の肘の上まで突き刺した。トゲは肩から貫通した。
痛みに顔を歪ませ口の端から血を垂らしながらも彫り続けた。
石像の口元が刻まれた。
「ジャンヌの名誉……をッ……取り戻してくれ!!!」
彼のズボンから絵本が落ちた。彼は一瞬、そっちに視線をやってからやはり彫り続けた。
石像の鼻が刻まれた。
同時に、扉の前の石像が二つに砕けた。
「よし! 入れるぞ! 奴が顔を彫ってしまう前に射殺しろぉお! 絶対にだぁ!」
ドアの方からチーフの声がした。命令に従順な仮面の男達が現場に進入する音が聞こえる。
「ジャ……ン……ヌ……」
朦朧とする意識を繋いでリゾーは最後に石像の目を刻んだ。
リゾーの中から何か大事なものが抜け出して石像に入っていく。それは朦朧とした意識が見せた幻覚だったかもしれない。その何かは石像の中で膨らんで弾けた。
「食らえ!!!」
無意識の底へと沈んでいくリゾーの耳にはやけにはっきりと一発の銃声が聞こえた。
「……!!」
リゾーの沈みかけた意識が一気に浮上した。彼の頭も瞬間クリアになる。死んでいない? 鉛の弾は?
背後を振り返った。
恐らく鉛の弾であろう人差し指くらいの物が石像の尖った右手の人差し指と親指の間に摘まれていた。鉛の弾からは煙が立っている。
リゾーは前を見た。
既に二人の人間がリゾーと石像のすぐ近くまで来ていた。1人は背の高い仮面の男で、手に持った銃から煙をたたせている。もう一人は細い仮面の男だった。こちらは右手の震えている人差し指をリゾーと石像に向けていた。
「おい! 見ろ……! あの、石像の右手が指先から裂け始めたぞ……!!」
細い仮面の男が声を震わせた。
言われるままにリゾーは再び鉛の弾を摘まんでいた石像の指を見た。
石像の石指の表面は弾け、卵の殻を破る雛の様に細く黒い金属光沢を持つ指が姿を現した。
裂け目が右手から全身に広がっていく。裂けた所から全て同じ様に黒く金属光沢を持つ肌が現れる。
リゾーは魅かれる様に広がっていく裂け目を追った。
石像の顔の部分が裂け、弾けるとまつげが生える。その顔立ちはジャンヌ以外の女性を見た事の無いリゾーでも一目で美人と分かる物だった。
口には凶暴な犬歯が生えた。長い髪は石から人間のそれの様な柔らかいものになり、その色は白銀になった。両耳が少し伸び、全身に真っ赤な鎖の形をした模様が浮かび上がる。
その鎖型の模様が彼女の全身を縛り上げた時、彼女はゆっくりと切れ長の目を開いた。
「……お前か? ……私を造ったのは」
石像だったものは黒の眼で、その真ん中の縦長の真黄色の瞳でリゾーを見ていた。
次回 殲滅