36. 灰の瞳
大変遅くなりました! すみません。36話始まります!
誰かの声が聞こえる。とても低く澄んだ女の子の声だ。今まで何度となく聞いた声だ。それが遠くから響いてくる。何を言っているのかは分からないが、何か同じ事を繰り返しているようだ。
四肢の感覚がない。触覚もだ。ただ声だけが遠くから聞こえてきている。
リゾーはその声の元へ行く事にした。
徐々に感覚が戻る。背中全体に硬い感触がある。頭の後ろにはもっと硬いものを感じる。リゾーは自分が寝ている事に気が付いた。
気持ちのいい風がリゾーの頬を撫でている。暖かい風だ。
リゾーは服を着ている。ベタベタして気持ち悪い。
不意にリゾーの額を何かが触れた。ツルツルした冷たいものだ。
聞き慣れた声が繰り返し同じ事を言っている。
「起きろリゾー」
リゾーは飛び起きた。
「エモッ!!! 痛っ」
硬いものに鼻をぶつけた。鼻が熱い。ジーンとした痺れが頭を抜けていく。痛みのせいか腰が抜けてしまった。
屋外のようだが日が出ておらず薄暗い。しかし、そんな事よりもリゾーには確認しなければならないものがあったので恐る恐る顔を挙げた。
足から首までを覆う[赤い鎧]が見えた。その鎧はまるで布の様に滑らかに身体の動きに合わせて形を変えていく。よく見ると鎧は小さな鎖で出来ていた。いくつもの小さな赤い鎖で規則正しく編まれた鎧だから布の様な滑らかさを持っているのだ。
リゾーが見たことのない鎧だった。そして、頭には絵本に出て来た騎士みたいなこれまた赤色の鎧兜、首元から円錐状に空に向かって広がっていくそれは目の所に蛙の口の様な穴が開いている。
「エ……モか?」
鎧姿の何者かは声を発さずに右手で兜の口の部分を下げた。手首は鎧に覆われておらず、黒い肌が露出していた。
リゾーには薄暗い中でもはっきり見えた。その顔を忘れた事などない。整った顔立ち、真っ黒の肌に赤い鎖模様、高い鼻に切れ長の眼。何故か眼を閉じているが間違いなくエモだ。
「エモ……。エモだ! やった。元に戻せた! しかも顔だけじゃなく全身まで元に戻って……! 流石はオリジナルって所か」
視界を涙でボヤけさせながら歓喜したリゾーだった。
「やったぞ! やったあ!」
しかし、ここで疑問が浮かんだ。鼻以外に痛みを感じないが、確か自分の後頭部にトゲを八本程突き刺した様な気がする。
リゾーは後頭部に指先だけ触れてみたが何ともなかった。傷が塞がった後すらない。水っぽい指先程の髪が触れただけだった。
そういえば腹の骨も折られた様な気がする。
身体を動かしてもなんともない。両手で触って確かめても何処も折れていなかった。リゾーの身体の何処にも鍾乳洞で繰り広げた激戦の跡は残っていなかった。
背筋に悪寒が走ったリゾーは辺りを見渡した。リゾー達は人が何十人も乗れそうな岩の上にいた。すぐ側に鍾乳洞で見たものより一回りは大きい湖が、それを取り囲んでいる背の高い木々が薄っすら見えた。
「ここは……何処だ?」
リゾーが振り返ると鎧兜が目の前にあった。エモはいつのまにか鎧兜を被り直してリゾーの目の前で腰を落としていた。蛙の口の様な穴は影になっておりその中の眼が見えない。
エモは答えない。リゾーは少し怖くなった。よく分からない恐怖を紛らわす為にとにかく喋る。
「あー、エモ。その鎧すごいね! 勝手にできてたのかい? というかあの鍾乳洞から瀕死の僕を引っ張ってきてくれたんだよね? ありがとう。助かったよ」
両手を合わせて感謝の意を伝える。エモは兜を降ろさなかったがようやく口を開いてくれた。
「リゾー、無事でよかった」
鎧兜の内側から発せられた声はくぐもっていたがいつものエモの声だ。リゾーは少しだけ安心した。
「その鎧はどうしたの? 前の奴と違うよね。バラバラの状態から直したからかな」
リゾーは胸を撫で下ろして状況確認を続けた。目の前の鎧兜は首を傾げた。
「いつもと変わらないが……それにバラバラとは何の話だ?」
「え?」
リゾーは困惑したエモが何を言っているのか分からなかった。水気の抜けていない髪を弄ってみたが何もおかしな事を言った覚えはない。
「何って、ほらコロナと戦っただろ。あの鍾乳洞でエモと同じ強力な石像、アルギラの機械巨人で」
「きかいきょじん?」
鎧兜がさっきと逆側に傾いた。リゾーはその鎧兜の目元の蛙の口の様な穴から薄ら寒いものを感じた。それから意識を逸らす為に言葉を続けた。
「ぼ、僕怪我してたろ? 腹の骨と頭からも血が出てた筈だけど」
「怪我してるのか? 大丈夫か?」
「いや、えっと」
リゾーは伏し目がちに喉を震わせた。
「起きたら治ってたけど」
「? 大丈夫なんだな?」
エモが顔を覗き込んできた。少し焦ったような声。
「え、うん」
「なら、いい。川に流されてる間に岩か何かで切っただけだろう」
立ち上がったエモが気になる事を言った。
「川に流された?」
思わず聞き返してしまう。
「そうだが? あのローツとかいう町の谷底に洞穴があって、お前が地面の下の水を飲もうとして川に落ちたんだ」
水を飲もうとした事は覚えている。しかし、その時川に落ちた覚えはない。
「そんな! 川に落ちたのはコロナと出会って逃げる時自分から落ちたんだ。それもその後エモに水をぶっかけられて起きたし、だいたい君も一緒だっただろう?!」
「さっきから何を言ってるんだ?」
エモは怪訝そうにそんな不気味な事を言う。
「そんな、エモも一緒に聞いてた! エモはそこでルール1を……」
リゾーは口を噤んだ。思い出したのだ。エモのルール1が崩壊した事を。だから起き上がったエモに嘘を吐いてルール1を続行させようとしていた事を。
「あの、えっと……」
リゾーの口は開閉を繰り返すばかりで言葉を発する事が出来なかった。嘘を吐こうにもエモは
「[コロナ]……誰だそいつは?」
鍾乳洞での出来事を全く覚えていない様だった。
話は終わりだとばかりに肩をすくめたエモはリゾーを肩に担いだ。リゾーの腰を肩に引っ掛ける形だ。雑に担ぎ上げられたリゾーはエモの背中から抗議したが一言も答えてもらえなかった。リゾーの心に言い様のない疑念が渦巻いていた。
リゾーはエモに担ぎ上げられたまま深い森の中を歩いていた。地面は急な登り坂になっており、湿っていて滑りやすい。
リゾーの頬はエモの背中のくびれにくっ付いていた。そうしていないとエモが歩く度に鎖で編まれた鎧がリゾーの顎を打つのだ。
道中リゾーが地図を取り出した時にエモが行き先も分からずに歩いていた事が発覚し、リゾーはため息を吐いた。
地図によるとこの森は[死の森]というらしかった。いかにもやばそうなので早く抜け出したい。
本来ならローツの列車で谷を越え、いくつかの国を跨いでヴィクトリエまで着く筈だったのだ。もっともお金がないので無断で乗り込む事になっただろうが。
しかし、それももう不可能だ。リゾー達は谷底から地図には載っていない鍾乳洞に入り、その向こうにある更に低い位置にある断崖絶壁に囲まれた森に着いてしまったのだ。
正直どうやって崖の上に上がればいいのかリゾーには見当もつかないが、幸いにも地図によるとこの先に小さな村がある。そこで上に上がる手段を教えてもらえば後は、三つの国を経由してヴィクトリエへと向かう事ができる。
リゾーはもう一度ため息を吐いて地図をしまった。
「どうなってるんだ?」
リゾーには理解出来なかった。エモは本当に鍾乳洞での出来事を覚えていないのだろうか。一度壊されたショックで記憶が飛んだという事なのか。もしそうなら都合がいい。
コロナは死んだのだからプロトの事を知っている人間はコロナがマスターと呼んでいた製作者だけだ。そいつにさえ出会わなければルール1が崩壊した事をエモに知られずにすむ。
顔を綻ばせたリゾーの顎を鎖で編まれた鎧が打った。
リゾーは少し冷静になった。ちょっと待て。分からない事が恐ろしくて答えを決めつけてしまったが、本当にエモは忘れただけなのか?
リゾーは鎖で編まれた鎧に顎をくっ付けながら横目でエモの後ろ頭を見た。ちょうど真下から覗いたので鎧兜と首の隙間が見えた。肩に掛からないくらい短い白銀の髪が歩く度に僅かな光を返した。
リゾーは驚いた。短い。エモの髪は腰まであった筈だ。いや、バラバラになったのだから身体が元通りになっている保証などない事は分かる。髪だけ戻らなかったのか。
「残念だな……」
口は自然と言葉を漏らしていた。リゾーはあの誰もが見惚れてしまう様な美しき白銀の長髪が好きだった。そして何より、髪だけとはいえ元に戻してあげられなかった事がリゾーのちっぽけなプライドを傷付けた。
「ごめんエモ。その、髪の事……」
リゾーは伏し目がちに謝った。エモは気にしないかもしれないが、リゾーは約束を守れなかったのだ。
「何の話だ?」
「あ、いや何でもない。ごめん」
そうだった。エモは忘れてるんだった。ため息を吐いたリゾーはさっき頭に浮かんだ疑問の事をもう一度考える事にした。仮にエモが鍾乳洞の事を覚えていないにしてもつじつまの合わない事が一つだけあった。すなわちたった今エモが足を滑らせた所為でリゾーが顎を打ち付けた鎧である。
エモは確かに遺跡で初めて彫った時から鎧を着ていた。でもそれは腕や足首まで覆っていなかったし、兜もなかった。何よりもっとゴツゴツした動きにくそうなやつだった。これはエモが鍾乳洞の事を覚えていないと考えてもおかしい。なら一体なんなのか。リゾーは先程まで怖くて考えなかった可能性について疑問に思った。
エモは一体何処まで覚えているんだ?
「エモ、君が産まれた遺跡での事覚えてるかい?」
「忘れる訳がない」
エモは抑揚のない声で答えた。顔も見えないので全く感情が読み取れない。
「じゃあ、ジャンヌの事も?」
「当然だ」
「……じゃあ、君のルール1を言って見て」
「リゾー?」
エモは不思議そうな声を発した。
「いいから!」
リゾーは頭に浮かぶ可能性を何度も否定しながら答えを促した。
「ルール1:ジャンヌの無念を晴らせ。今はこの命令を果たす為にヴィクトリエにプロトを助けに行っている」
ややあってエモはしっかりと答えた。リゾーは安堵した。エモだ。記憶に少々齟齬があっても間違いなくエモだ。だが、質問は終わらない。
「エモ、君は彫られた時、鎧を着ていたよね?」
「今も着てる」
「違う違う! もっとゴツい鎧だったじゃんか! こういう鎖みたいのじゃなくてさ」
減らず口を叩くエモに食い下がるリゾー。何としてもこの疑問を晴らさなくちゃ前に進めない。
「……前の鎧は谷底に落ちた時壊れただろう。それで代わりの鎧になるものをローバーから貰った。リゾーも知ってるだろう」
ローバー、谷底に二十年も引きこもってた老人だ。それはリゾーも覚えている。だが、もちろんこんな赤い鎖で出来た鎧も蛙口の鎧兜も知らない。相変わらずエモの声に感情は見つけられない。
「そんなの知らないよ……そんなに言うなら証拠はあるの? ローバーがくれたっていう証拠」
「それを言うならそのコロナとかいう奴と戦った証を見せろ」
「うっ……それは……」
何も無い。リゾーはだんだん不安になってきた。ひょっとしてエモの言っている事が本当で自分の頭がおかしくなっただけなんじゃ無いのか? リゾーは頭を抱えた。
「この鎧がそんなに気に入らないのなら脱ごうか?」
「は?」
自己嫌悪に陥っていたリゾーには不意打ち過ぎた。
「この鎧が嫌なんだろ? なら脱げばいい。正直前のと違って脆そうだとは思っていたんだ」
そんな事を言いながらリゾーを大木に預けて本当にエモは脱ぎ始めた。腰から上下に分かれているらしいそれを捲って黒い肌を露出させる。
リゾーは知らぬ内に唾を飲み込んでいた。
赤い鎖模様が這うお腹を越えて胸の真下まで見えた辺りで手が止まった。
「リゾー伏せろ!」
「ッ!?」
唐突にエモが覆いかぶさってきた。リゾーは対応出来ずにただ目を伏せた。
「な、何が……?」
恐る恐る目を開けたリゾーの頭のすぐ横に何かが勢いよく突き刺さった。それは刺さった後数秒間上下に振動した。刺さったものは細長い木の棒に見えた。その先端に石の矢じりが見えるまでは。
「ゆ、弓矢! 絵本で見た弓矢だ!」
リゾーが叫んだの合図に無数の石の矢じりが降り注いだ。リゾーが寄りかかった木に次々と矢が刺さり振動する音を立てる。
リゾーに向かっていった矢は全てエモの背中に命中した。刺さっている様に見えるが赤い鎖で編まれた鎧の隙間に挟まっているだけだ。登り坂の上の方から降り注ぐ矢の雨は完璧に防いでいる。
数本の石の矢が同時にエモの鎧兜に命中し、それを空中へ飛ばす。
「き、君は」
リゾーは驚愕した。
露わになる素顔。耳が出る程の短い白銀の髪が弾けた。赤い鎖模様を携えた真っ黒い肌は確かにエモだった。
しかし、その眼だけが違った。正確にはその黒い眼の中の縦に細い瞳の色だけが、あの毒々しい黄色ではなかった。それは見るものを不安にさせる程光を返さない[濁った灰色]をしていた。
灰色の瞳が目を見開いたリゾーの姿を映している。
「君は誰だ……!?」
次回 37. 二十年




