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オーパーツは眠らない  作者: 兎和乃 ヲワン
第4章.未知との遭遇編
33/42

33. エモ その2

 リゾーは言ってしまった。二度目の命令の拡大解釈となる言葉を。この先エモがどうなるのかはリゾーには分からない。

 赤い鎖模様が突如自分の役割を思い出したかの様に再び動き始めた。黒い身体の罅から血の様に赤い液体が滲み出る。液体が凹凸の美しい肢体を伝って、鎖を再び真っ赤に染め上げる。鎖模様がズルリと擦れては止まる。それはまるで噛み合わない歯車が人力で無理矢理回わされているかの様だった。噛み合わないにも関わらず鎖模様の動きは早まっていく。

 リゾーは目を疑った。

 耐えきれなくなった鎖模様の一本がエモの身体から外れたのだ。身体から外れた鎖模様は模様ではなく確かに鎖になっていた。

 黒い眼の真ん中の真黄色の瞳の瞳孔が小さく収縮した。

 エモは自分の左腕に刺さっている腕を噛み砕いた。

 否、噛み砕けてはいない。砕かれたのはエモの犬歯だ。


「Ra! そう来なくちゃ」


 コロナは楽しそうに嗤い、一歩間合いを開けた。


「エモちゃん、やっと起きたのね。どう? 無知な製作者の所為で二度も叩き起こされるというのは。最低な気分? 貴方の場合、むしろもう一度立ち上がれたから最高な気分かな? でも残念。二度目の拡大解釈で貴方の身体と鎖はとっくに限界なの。後、そうね……一いや二回くらいかな? 後 二回ルールに背けばその場で消滅。ジ・エンド」


 エモはギギギと立ち上がり、唾の代わりに灰色の欠片を吐き捨てた。


「……」


 コロナの表情が消えた。吐き捨てられた欠片をじっと見ている。

 リゾーは見た。あれはコロナの腕だ。コロナの腕は僅かながら傷付いていたんだ。

 エモは水面を蹴った。


「Aaaaaaaaaa!!!」


 エモが何か考えているようには見えなかった。両手の引っ掻きをコロナに喰らわせる気だ。

 口を開くまでもないと言った顔でコロナは両手の人差し指をエモの両手の平に差し出した。

 紙を裂く様に灰色の人差し指が黒い手の平を貫通した。


「脆いね。そうだよね。脆い脆い。さっきのは鎖の暴走による過負荷。火事場の何とやらって奴ね。そして、さっきより脆くなったね。鎖が外れかけている所為で血が回らなくなったからかな?」


 表情の無い人形は突き刺した人差し指をグリグリと回して感触を確かめた。

 しかし、エモは怯まない。少しも力を緩めた様子もなく、コロナの人差し指を鋭い爪を立てて握り込んでいく。彼女達を形作るアルギラなる金属が悲鳴を上げていた。

 コロナは表情を消したまま歌う様に笑う。掴まれた両手の人差し指を強引に自分へ引き寄せた。


「Ra!」


 強烈な右の膝蹴り。その連打。エモの胸部に広がる罅。


「Aaaaaァァァァァ……」


 大きな罅が黒く整った顔を縦に割った。


「ついに右の眼が割れたね。そろそろリゾー君にいい表情を見せて上げたいんだけど、どう?」


 残った左眼の縦に細く毒々しい真黄色の瞳はコロナを捉えて離さない。

 それが気に食わなかったのか。コロナはエモの顔を足蹴にして、エモの両手を貫いた人差し指を強引に引き剥がした。

 だが、今度はコロナの足首がエモに噛み止められた。エモはさらに両手でその足を掴む。その眼は変わっていない。エモは諦めていない。


「会話くらいしようよ。リゾー君に恨み言の一つでもないの? 彼の所為でこれから恐ろしい結末を迎えるって言うのに」


 コロナは忌々しげにそう吐き捨てた。

 少女が靴裏に付いた泥を払う様に、コロナは左足を軸にして噛み付かれた右足をエモごと浅瀬に擦り付けた。


「RaRa!」


 コロナはそのまま右足をわざと大振りに半回転させた。エモの頬が高速で摩擦され、掻き分けられた水が血の様に飛び散った。

 エモは口を離してしまった。


「それで? 貴方は何をしているのかな?」


 コロナが全てを嘲笑する眼を縦に細い赤の瞳を背後の死に損ないへと向けた。

 リゾーは拳銃を握りしめていた。背を向けているコロナへ銃口を向けていた。撃てない事は勿論分かっている。視界を覆う水は水溜りの物ではないだろう。

 こんな、これではあまりにも酷い。ここまでとは思っていなかった。命令の拡大解釈を行ったのに。これ程まで歯が立たないなんて。これじゃ本当にエモを苦しめているだけだ。


「それ、面白く無いわ」


 リゾーは後ろ足で水を掛けられた。拳銃は乾かす間もなくさらに濡れてしまった。


「……めろ。そいつ……に、手を、出すな……!」


 エモが復活してから初めて声を発した。声が割れている。喉にも罅が入っていて上手く声が出せないのだ。

 水溜まりから立ち上がり、眉間に皺を寄せて残った左の眼で復讐対象を睨んだ。


「エモッ!」


 コロナはせせら嗤い、右手を差し出した。

 身構えるエモとリゾー。

 コロナの右手がエモの後ろ、[水溜まりの底]を指差した。


「その[湖]の底から光が入って来てるでしょ?」

「……」

「?」


 エモは無言でリゾーは口を開けたままコロナの指が示す先を追った。


「あれは外の光だけど、何故、湖の底から外の光が入ってくると思う?」


 コロナは右手の指でもう一方の手の平に斜めに入っていく光の真似をしている。

 リゾーは困惑した。一体、何の話だ?


「今は夕方くらいの筈だから、丁度いい角度と位置なのね。分かるかな? 外の光がこの鍾乳洞の出口に入って、それが湖の底の鉱物かなんかに当たってこっちまで反射して来てるのね」

「?」

「貴方達思ったより鈍いのね。つまり、エモちゃんが今そこの湖の底に潜って泳いで行けば外に出られるって訳。そして、私と貴方の位置関係は? エモちゃん?」


 コロナが呆れ顔で両手をヒラヒラさせ、エモに問うた。

 リゾーには何の事か分からない。エモが目を見開いた。


「そう! 今すぐ潜って行けば私から逃げられるかもって事。そして、私は貴方を追わない。ルール1を失った貴方はどのみち消滅するんだからね」


 リゾーは混乱している。僕達を見逃してくれるのか……? リゾーにはそんな甘い言葉にしか聞こえなかった。


「ただし、リゾー君は置いて行って」


 即座にリゾーの甘い希望は砕かれた。リゾーにもようやく意味が分かった。コロナがやろうとしている事の意味が。

 エモは一度顔を伏せてからゆらりと顔を上げた。毒々しい真黄色はリゾーを見ていた。


「向かってくるのね? 貴方に残されたルールは2と3。その身体で私に歯向かえばどうなるかは分かっている筈。ルール2:自己の保存よりルール3:製作者の保護を取る訳ね?」

「リゾー……私は、貴様を……」


 相棒はいつもの仏頂面で、されど決意染みた表情で迷い無く破滅へ向かう一歩を踏み出した。

 先程から空回りしていたエモの鎖が悲鳴を上げて火を噴き、黒い身体を縛り付けた。もう鎖模様ではない。完全に全ての模様が実体のある鎖になり、火花を散らしている。


「はい、ルール違反一回目。もう後がないね?」


 コロナは何でもない事みたいに軽く言い放った。

 コロナが予言したルール違反の限度は一回まで、次のルール違反でエモは……。

 駆けていくエモの眼から涙が一粒零れ落ちて行くのを見てリゾーは直感した。エモは


「Aaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」

「RaRaRaRaRaaaaaaaa!!!」


 死ぬ気なのだ。

 エモとコロナの全力の殴り合い。既に折れかけていたエモの左腕が飛んだ。折れた左腕に巻き付いていた分の鎖が外れていく。ルール1が崩壊する前ならどちらも致命傷は負わなかっただろう。ルール1が崩壊した直後ならエモだけがバラバラになっていただろう。だが今は、少し違う。


「Raaaaaaaaaa!?」


 鎖が燃えている。エモの身体から外れつつある鎖がコロナの両腕に、顔に巻き付いて燃え上がっている!


「エモォオ!!!」


 リゾーは涙が溢れていくのもそのままに力の限り叫んだ。

 リゾーには見えなかった。コロナに背を向けられているリゾーには炎上する鎖に巻き付かれてなお侮蔑の眼を向けるコロナが見えなかった。灰色の肌に吸い付く様な黒服が焼けて右腕の裾に仕舞われていたものが露わになる。金属の板を直角に折った様な銀の両刃。その刃は途中で折れている。


「彫刻刀ッ!? バカなッ」


 リゾーが拾ってから自分の腰に差していた彫刻刀が無かった。


「貴方が悪いのね! さっき貴方の拳銃に水を掛けた時、足の指を折れた刃に引っ掛けて盗んでいたのね!!!」


 コロナは燃え盛る火に呑まれながら縛られた両腕と共に狂喜の喝采を挙げる。完全に黒服が焼け、彫刻刀が落ちていく。コロナは彫刻刀の柄を額で打ち返し、右手でそれを掴んだ。細い親指がコロナ自身の背後に彫刻刀を打ち出した。

 弾丸みたいな速度で放たれた彫刻刀は真っ直ぐリゾーの首元へ向かってきた。


「リゾーッ!!?」


 リゾーにはエモの絶叫がゆっくり聞こえていた。コロナを縛っていた燃え盛る鎖の輪の一つ一つが外れていく様も、いつもは見えない筈の弾丸よりも速く走ってくるエモも見えた。けれど身体は全く動いてくれない。エモが彫刻刀を追い越して覆い被さってくる。そんな事を、したら。リゾーは喉すら動かせなかった。


「ルール違反二回目、ジ・エンド」


 コロナが人差し指を折り畳む。

 リゾーの視界が黒く覆われた。軽い金属音がした。

 リゾーの額に垂れた鎖が火を噴くのを辞めて色を失っていく。目の前の光景が信じられなくてリゾーには額の火傷すら気にならない。


「無事か? リゾー?」


 低く透き通る様な声がリゾーを心配している。喉が割れている筈なのにとても綺麗で感情豊かな声だった。リゾーはゆっくりと顔を上げる。白銀の髪がリゾーの涙を拭った。白銀の先でエモが笑っていた。隻眼で顔中に罅が走っているにも関わらず、優しく慈愛に満ちた表情を浮かべていた。エモのこんな顔は初めてだった。黒眼の中の縦長の瞳の黄色が、見た事のない光を携えていた。

 エモの喉が震える。


「ああ、良かった」


 黒い身体に巻き付いていた鎖が赤い粉を吹き出して端から消えていく。


「[お前]だけは守れた」


 鎖が消えるのに呼応して黒い身体が岩になり、崩れて水溜まりに沈んでいく。


「エ、エモ……嫌だよ。エモ……。君さえ守れないのか僕は。僕は、僕は、僕を」


 リゾーは嗚咽した。違う。この胸に空いていく穴は大事な人を再び守れなかった事の悲しみではなくて。


「僕を一人にしないで」


 これまで積み上げてきた僅かな覚悟もちっぽけな自信と誇りも大事な人の消滅を前に剥ぎ取られた。リゾーは子供の様に情けなく泣き喚いた。

 泣き腫らした頬を黒い手の平が慈しむ様に撫でる。たったそれだけがリゾーの心に深く染み渡った。

 黒い指先が崩れ落ちた。見るとエモの腰から下が瓦礫になっていた。エモが消えていく。

 リゾーは奥歯を噛み締めてエモと目を合わせた。


「エモ! 僕が必ず、必ず君を! 君を治してみせる! 何があっても絶対に!! 君の[形]を彫り起こす!!!」


 リゾーは悲しみを押し殺して吠える。どんなに悲しくったって、苦しくったって約束を守らなくちゃ!

 エモはもう胸から上しか残っていない。


「フ、やっと戻ったな。ああ、早く起こせ。[お前]弱いから」


 首だけになったエモがいつもの声、いつもの調子でいつもみたいに不敵に笑ってみせた。


「私がいな、い、と……」


 不意にエモの声が小さくなった。


「エモッ!」


 リゾーはエモに手を伸ばした。エモには伸ばす手が残されていなかった。

 最後の鎖の輪が赤い粉となって水溜まりに落ちた。



 次回. 34.  リゾー

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