31. 最後の一発
揺れる水面に汗が滴り落ちた。聞こえる音は川が岩に衝突しながら水溜まりに注ぐ音だけだ。水溜まりの底から仄かな光が漏れ、そこが外に通じている事を伝えている。人が立てるのは岩の地面だけだ。地面には人が隠れられる程大きな岩がいくつも転がっていて、岩陰に二人の人間が立っていた。金髪の少年と少女だ。少年の肌は不気味な程白く、少女の肌は灰色で全身に白い鎖模様が走っている。そして、少年は人間で少女は石像。リゾーとコロナだ。
リゾーはコロナに詰め寄られていた。
「第二の質問だ」
リゾーは喉を震わせた。
「どうぞ?」
コロナは歌う様に応えた。
「旧人類って、何だ?」
「気になるよねぇ。でもそれが第二の質問でいーの? 貴方がそう質問する様にわざと私が旧人類なんて言い方をいたのかもとか考えなくていーの?」
首を傾げて薄っぺらい心配顔を浮かべるコロナ。顔が近い。リゾーは正直戦々恐々といった心持ちでそこまで考える余裕がなかったのだが、取り敢えず強がる事にした。
「考えたさ。でも問題無い。答えてくれ」
「ふーん、じゃあ答えたげる。旧人類とは名前で分かる通り[前の人間]よ。皆んな死んだの! 今生きてる人間とは全然違う人達なの! びっくりした?」
「いや、全然」
「えー、つまんない」
「それで?」
「疑問に思わないの? 旧人類が皆んな死んだなら今生きてる人は何なんだってねぇ?」
「?」
「人間は生殖行為しないと増えないでしょー。生きてる人間全員死んだら終わりじゃん!」
「た、確かに。どういう事だ」
「だから、旧人類というのはあくまで滅びた一族ってだけなの。じゃあ他の人間は居なかったのかって? 勿論いた! けどまだ人間と呼べる程の生き物では無かった」
「まだ人間じゃない? どういう意味だ」
「その生き物はね。貴方と同じ様なボロい布を着て穴の中に住み、石を削った刃で口に入れる分だけ獣を殺して、また獣に殺されていたの。何かを研究する事もなく、何かを伝える事もなく、貯蓄すらまともに出来ない。ただ生きて死ぬ。そんなの人間じゃないと思うの」
「……」
「少なくとも私は私を作った人間がそんな獣みたいな生き方してた何て考えたくもないの。でも、旧人類だけは違う。旧人類は人間だった。それどころか今の人間にはまだ出来ない事がもうとっくにその時できていた。だから、過去の世界において人間は彼らだけだった」
「それで旧人類……」
「そして、もう分かっているとは思うけれど貴方は旧人類の血を引いている。そうでなければその彫刻刀は扱えない」
リゾーは背後の岩に突き刺さった彫刻刀を見た。血を吸って居ないので今は目玉が閉じている。
「次の質問で最後だけど。自分が死ぬ事には納得出来た?」
蔑まれている。リゾーが旧人類の血を引いているから特別に手加減をしてくれるとかはなさそうだ。
「さあね。最後の質問だ」
リゾーは一度肺の中の空気を出し切ってから深く息を吸った。落ち着くんだ。
「君はエモと同じ存在だな。なら命令がある筈だ。ルールの順位までは分からないが、君は逆らえない絶対の命令を受けている筈だ」
「うんうん」
「君の、目的は何だ?」
「ついに聞いたねぇ。訊いちゃったねぇ? RaRaRaRaRa!!!」
コロナの口がこれでもかというほど吊り上がり、狂喜してお腹を抱えて嗤い始めた。少女らしい笑いではない。何かもっと人間以外の怪物みたいな嗤い方だった。実際コロナは人間ではないが。
「その質問に答える前に私の正体について話しておく必要があるのね。これはその辺に隠れてるエモちゃんもよく聴いた方がいいと思う」
バレていた! やはり、コロナは戦い慣れている。こんな奴の口に銃口を突っ込むチャンスなんてあるのか!?
「私達は石像ではない。オーパーツによって作られるオーパーツ。人間から独立して存在できる唯一のオーパーツ。旧人類の最高到達点にして、自らの創造主たる旧人類を滅ぼした者。[アルギラの機械巨人]!」
旧人類を……滅ぼした……? 何を言っているんだそれじゃ、
「自分で造ったオーパーツに殺された……?」
「そう! 旧人類は私達によって滅ぼされた! 自分で作った兵器に殺されるなんて本当、惨め。信じらんない!」
リゾーは思った。何故嗤っている。何がおかしいんだ。言っている事は理解出来るのに心の動きが全く分からない。不気味だ。
胸元に隠した拳銃が冷たい。エモの隠れている場所までは知られていないかもしれないが、警戒中のコロナに飛び掛かっても隙を作るのは難しいだろう。なら! どうする。死に物狂いで銃を取り出してみるか?
思案するリゾーの胸元に嗤い続けるコロナの視線が鋭く降り注いだ。いや、そんなの無理だ! この不気味な機械巨人とやらは潜伏しているエモを警戒しながら僕にも油断していない! 絶対に隙はない! もう、駄目だ。
次の会話で質問が終わってしまう。ひ、引き延ばさなくては!
「た、」
「私の目的、それは……彫刻刀」
「ッ?!」
引き延ばすつもりがいきなり本題に入られた。そして、その内容に意表をつかれた所為でリゾーが出そうとした言葉が喉で詰まった。
「その[オリジナル]を手に入れる事」
コロナがリゾーの顔に手を伸ばしてきた。ゆっくりとした動きだ。逆にそれがリゾーの恐怖心を煽った。質問には答えたからもう殺すという事なのか。コロナの小さな手が影になって巨大な蛇がリゾーの細首に噛み付こうとしているかの様に見えた。
ああ、そうか。だから機械[巨人]なのか。コイツらに殺される時、殺される人間自身が恐怖心でコイツらを巨人に幻視するから。リゾーは顔を痙攣らせながらそんな納得を得た。しかし、コロナの手が掴んだのはリゾーの細首ではなく、リゾーの背後の岩に突き立った彫刻刀だった。
「貴方のは、どうやら違うみたいだけどね?」
彫刻刀を軽々と引き抜いたコロナが彫刻刀の刃をよく見える様にリゾーの眼前に持ってきて見せた。
「ッ!?」
リゾーはとても信じられなかった。遺跡でエモを彫り起こし、シャインで硬い岩盤を何十メートルも切り開いた刃に、遺跡からずっと僕を導いてきてくれたあの彫刻刀に、小さくではあるが罅が入っていた。
「RaRaRaよく見ててねー」
黒く先の尖った二本の指が彫刻刀の刃を摘んだ。
「これからこの彫刻刀に段々と強く力を入れていくね。もしこれがオリジナルなら私の指の方がパックリ行くわ。でもー、そうでないなら」
聞いたことのない金属音。尖った指が彫刻刀に圧を加えているのだ。
「この罅がどんどん広がって広がってバキッといくわー」
あまりの恐怖に声が出ない。
「ほらほらー、出てこなくていいのーエモちゃーん。折れちゃうよー。貴方を彫った彫刻刀がー」
彫刻刀が悲鳴を上げ始めた。ギギギという不快な金属音から次第に甲高い金属音を引っ掻いた様な声。彫刻刀の目玉が危機を察知してコロナの腕を攻撃しているのだ。しかし、トゲでは駄目だ。あれではコロナの腕を撫でているのと変わらない。
そして、ついにその瞬間は訪れた。
思っていたよりもずっと軽い音だった。彫刻刀は木の棒みたいに簡単に折れた。
折れた瞬間、声を上げる事もなく彫刻刀のトゲが力なく垂れる。
「あ……」
コロナは折れた彫刻刀を脇に放り投げた。宙を舞う彫刻刀。目玉は閉じていなかった。
そんな彫刻刀が……!
「あら、出てこないみたい」
それじゃあ、とコロナはリゾーにその悪寒のする眼を向けた。
リゾーは両肩を掴まれた。完全に放心していたリゾーには成すすべもない。
「がッ」
尖った指の先が肩に食い込み、リゾーの肺の空気を無理矢理に押し出す。もうだめだ。コロナの顔が目の前にあった。
「今度こそ頂いちゃおうかなぁあああああ」
コロナは人間なら顎が外れる程大きく口を開いた。エモと同じ白く巨大な犬歯がリゾーの首筋に触れる。
「おい」
夜の闇の様に冷たく、それでいてよく通る女の声がした。この声を聴くとリゾーはいつも安心するのだ。
コロナが口を離して右の裏拳を背後に叩き込んだ。何かが砕ける音がした。
「! ……これは、彫刻刀で彫られた顔! いつの間に!」
コロナに発見される前に彫り終えていたエモの顔が作動したのだ。
彫刻刀は壊れた。もう今やるしかない! 一か八かだ! リゾーはすぐに胸元から拳銃を取り出した。
「喰らえええええええ!!!」
「何のつもりか知らないけれど、これで私を騙したつもり?」
しかし、拳銃を構えるより早くコロナの手刀が迫って居た。あの悪寒を感じさせる眼が既に拳銃を捉えていた。リゾーはずっと見ていたのに振り返る瞬間が見えなかった。
「エモちゃんは本当に居なかったって事ね。つまらない。死んで」
しかし、コロナの手刀は狙いを外れてリゾーの背後の岩を打ち砕いた。姿勢が崩れていたからだ。コロナの顔面が岩陰から滑り込んできた赤く光る拳に殴られて倒れかけていたからだ。
「やっと合図か。鎖が光るから隠れているのが大変だったぞ」
赤く光る黒い拳の主人が夜の様に冷たく透き通った本物の声で悪態を吐く。リゾーが攻撃されていたので鎖の拘束が始まっているようだ。エモが岩を這い上がって現れた。
「あ、あの彫られた顔はエモが隠れていると見せかけるためでなく、隠れていないと見せかけるために彫ったという事ね」
コロナは顔に全力パンチを喰らったのにまるで堪えていない様子だ。そのままステップでエモの間合いから逃れようとしていた。
そうはいくか、とエモが飛び掛かり羽交い締めにした。
とった! リゾーは両手で拳銃を持ち、口を閉じたコロナの首元に押し付けた。
口には突っ込めなかったが喰らえ! リゾーは躊躇なく引き金を引いた。
カチン……
衝撃が来なかった。銃口の反対側にある金槌みたいな部品が弾のお尻を叩いただけで、撃った時の眩しい光が来ない。
な、何で、出ない。慌てたリゾーは何度も引き金を引いた。が、金槌がカチカチ音を立てるだけで何も起こらない。
「RaRaRaRaRa!!! 面白ーい」
コロナは閉じていた口を大きく開けて嗤い出した。
「川ん中飛び込んで、そんだけびしょ濡れならそりゃあ撃てないでしょ!」
な、何で? 川を下ってる間に壊れてしまったのか!?
「分からないぃいいい? 弾が、湿気ってんの! ね!」
片足で拳銃を蹴り飛ばされてしまった。さらに、羽交い締めにしていたエモが背中で持ち上げられてリゾーに向かって投げられそうになる。
瞬間、エモは両足に挟んでいた大岩をコロナの無防備な背中にぶち当てた。
「Ra! まだ理解してないみたいね」
急にコロナとエモが後ろにひっくり返った。コロナが岩とエモを背負ったままバク転したのだ。大岩と水溜りの浅瀬に挟まれるエモ。大岩にコロナとさらに自重が加わってエモの身体が地面にめり込んでいく。
「自分の状況を、ね!」
そこから先はよく見えなかった。身体が自由になったコロナのラッシュが始まったのだ。
彫刻刀を失ったリゾーにはどうにも出来ない。逃げ場はもうない。ダメだ。ショックが抜けない。戦う気力と勢いが殺されてしまったんだ。
コロナのラッシュが終わった。エモを挟んでいた大岩は砕けている。
砕けた岩の隙間から飛び出したエモの拳がコロナの頬を撫でた。
「RaRaRa疲れてきた?」
コロナはダメージを受けた様子はない。対するエモは細かい傷が顔に走り動きが若干鈍い。
唐突にエモがコロナの頬に当てた拳を開いた。そして、鋭い指をコロナの目の中に突っ込んだ。
「Ra!!?」
効果あった。コロナは姿勢を崩した。
そ、そうか! 拳による打撃が駄目でも鋭い指先の斬撃なら硬い相手でも効果があるのか!
「お次は斬り合い? じゃあ、私も乗ってみようかな」
距離をとったコロナが両手で手刀を構えた。
「来い」
それに応える形で立ち上がったエモが両手を開いた。
やったぞ! リゾーは再起した。切り裂きはエモの十八番だ。遺跡でもシャインでもローツでも切り裂きで勝ってきたんだ。硬いコロナには効かないと思っていたが、まだ行けるか?
どっちから仕掛けるのか。リゾーがゴクリと唾を飲み込んだ。エモ、我慢するんだ。ここは無理に攻めるより戦闘を長く引き延ばすべきだ。僕が今から弾き飛ばされた銃を拾って何とかして使える様にするまで時間を稼いで欲しい。
コロナは言っていた。弾が湿気っている、と。湿気っているなら乾かす事さえできれば使える様になる筈だ。だが。
リゾーは彫刻刀を拾い上げた。折れている。目は閉じられ、普段は仕舞われているトゲがだらしなく垂れている。
彫刻刀をこんなにしてしまうコロナにたかが一発の焼夷弾なんか効くのか?
地を蹴る音がした。先に仕掛けたのはエモだった。右手の平を突き出した突撃だ。
エモの突きにコロナが消える様な速度で応える。両者は高速ですれ違った。
静寂。
エモが膝を着いた。それだけではない。リゾーは見た。エモの右手と胴にコロナの爪痕が付いていた。とても痛々しい傷だ。
「がッ……! 何故、押し負ける……」
「何故? 何故ですって? 聞いたわね? 訊いたわね?!」
傷一つ付いていないコロナが背を向けたまま歌う。
「さっき、私達が自立可能な唯一のオーパーツだって言ったよね!」
「……アルギラの、なんとか」
エモが苦しそうに答えた。
「そう! ちゃんと覚えてね! [アルギラの機械巨人]! アルギラとは私達の身体を構成している人類史上最硬にして他の鉱物を吸収する形状復元合金[アルギラ]の事。そして、貴方の身体の[アルギラ]は体感した所純度七割弱程度。対して私の純度はジャスト九割! つまり、私は貴方より、硬いの! ね? ね? ね? 理解出来た? 身体の作りからして自分は元々勝ち様がないって事が分かった?」
エモは鋭い拳で応えた。
コロナは避けもせず背中で受ける。甲高い金属音が鳴った。
「頑張るねぇ? ところで、何故、私達だけが自立していられると思う?」
「……何?」
「何故、私達以外のオーパーツは人から離れられないと思う? 考えた事はない? 何故、私達だけに[意志]が与えられているのかって」
「何を言っている?」
「気になるー? 気になるぅう? 戦闘中だっていうのに相手の質問に反応しちゃうくらいには気になってたんだ? リゾー君に相談とかしたの?」
「黙れ」
歯を剥き出しにしたエモがコロナの背中を何度もヤケクソに引っ掻く。しかし、傷付いているのはエモの指だ。
「おー怖い。でも聞いた方が良いと思うよ? 自分の為に」
自分の為に?
「[アルギラの機械巨人]が他のオーパーツと違う点は、オリジナルにせよ贋作にせよ彫刻刀というオーパーツによって造られる存在だという事。そして、その性質から全て製作者のオーダーメイドだという事」
「訳の分からない事を……! それが私と何の関係がある?!」
「私達に[意思]が与えられている理由だったね。気付かない? 私達はそれぞれ個々の[意思]を持っている。[アルギラの機械巨人]は製作者毎のオーダーメイド。つまり、[アルギラの機械巨人]は製作者自身の意思を喰って生まれる人形に過ぎない。貴方はリゾー君のお人形さんでしかないって訳」
リゾーは衝撃を受けた。ようやく見つけた拳銃を拾い上げる手が止まった。エモが僕の人形? 僕の相棒は僕の人形? エモが人形? リゾーはエモを見た。
「……何だ。そうか。この怒りは貴様の……」
エモがこっちを見ていた。初めて見た。こんな目をするのか。迷子の子供見たいな表情で顔をクシャクシャにして泣いていた。
「怒り? 成る程、復讐が命令なの。ああ、それでルール1? 馬鹿ねぇ。本当間抜け。間抜けさ加減で言ったらあの[プロト]って奴と同格ね」
え?
「何……だと? い、今、何て」
エモが狼狽している。リゾーも嫌な予感がした。動悸が収まらない。
「んー? 復讐がルール1になってるってとこ?」
「違う。その後だ! 何て言った?!」
嫌だ。聞きたくない。
「うん? ……ああ、そういう事」
コロナは今日一番無邪気で邪悪な笑みを浮かべ、灰色の唇からその名を口にした。
「[プロト]」
「な、何故その名を!?」
「その慌てて振りだとやっぱりそうなんだ? [プロト]ってヴィクトリエの[プロト]だよね? 世間は狭いね! 彼がどうなったか知りたい?」
人の絶望を嗤いながら少女の様にステップを踏み、首を傾げる。コロナは怪物だ。身体よりもむしろ心が怪物だ。
リゾーは耳を塞ぐ事も出来ない。
「ヴィクトリエ遺跡の防人、アルギラの機械巨人[プロト]は[ジャンヌ]とか言う女を逃そうと私のマスターに楯を付いた挙句、製作者様の間抜けな命令のせいで全力を出す事も出来ず、この私にぶち壊されましたとさ」
遺跡からずっと縋り付いてきた戦う理由が今消え去った。
次回32. エモ その1




