25.石球 その3
その鉄橋はかつてヴィクトリエへ続いていた。この谷を越え、遥か遠くの海辺まで途切れることなく続いていたのだ。ある日の真夜中、隣国シャイン国内にて、値段が付けられない程の美術品が幾つも強奪された。その犯人はヴィクトリエ人で、既に国外へ逃亡したという。
この事件をヴィクトリエに知らせ、手配して貰うため、当時はまだ新しかったこの鉄橋を特急の列車が通った。夜明け前の出発であった。
ところが、月さえ光らぬ、新月の夜、わずかな照明だけが鉄橋前に集合した何百人もの軍人を照らす中、幾つもの悲鳴が響き渡った。
軍人達に緊張が走った。悲鳴が聞こえたのは照明の光が届かない鉄橋の半ば辺りからだった。軍人達は列車内の人間と連絡を取ろうとしたが応答が無い。列車の走る音は遠ざかって行くのに……。異変を感じ取った軍人達は即座に鉄橋へ走って行った。
全員が鉄橋の奥へと走った後すぐに銃声が鳴り響いた。それは段々数を増やし、叫び声まで聞こえるようになった。暗闇の戦闘音は近づくことを許されなかったローツの住人達を恐怖に陥れた。
そして、何百という銃声と断末魔の悲鳴が夜の闇に消えた。
夜が明けてから、静かになったので怯えていたローツの住人が起きてきた。何が起こったのか確かめようと鉄橋へ集まった彼らは、もちろんいくつもの死体と血の海を想像していたし、どんな地獄絵図だろうと直視する覚悟をしてきた。
しかし、現実は彼らの想像を裏切った。
鉄橋には一人の死体もなかった。それどころか、一滴の血でさえ付いてはいなかった。あれだけの銃声と悲鳴、こんなことはあり得ない。ローツの住人達は困惑したが、何より彼らの頭を悩ませたのはその鉄橋が半ばで[吹き飛んだように無くなっていた]ことだった。
軍人達は何処へ行ったのか。ローツの住人達は深過ぎる谷底にその答えを見つけた。きっとシャインの軍人達は昨夜、[何か]とても恐ろしい者と戦い、谷底へと突き落とされたのだ。あの鉄橋には[何か]がいるのだ。この憶測はすぐに国中の噂になり、以降鉄橋に近づく者はいなくなった。
しかし、当然だが、ローツの住人がそれで良くても、シャインの方は、はいそうですかという訳にいかない。むしろ、あの犯人が何かしたに違いない、ヴィクトリエへと向かった特急の列車が犯人に乗っ取られたに違いない、と考えた。そうだとしたら、今すぐにでも乗っ取られてしまった特急の列車に追いつき、犯人を射殺しなくては! それには鉄橋を直すのが一番早い!
シャイン側はすぐに鉄橋を直すための機材と人材を送り込んだ。ローツの住人達はビビって協力的ではなかったので、少々話が拗れたが、巨大な谷を迂回していくよりは遥かに早く鉄橋修復の準備が整った。修復作業は昼夜を問わず行われた。そして、もうすぐ千切れ飛んだ線路の向こう側へ辿り着くというところで、鉄橋の下部分、アーチ状の支えが突然外れた。手を抜いた工事だったのではない。一人でに支えが外れたのだ。
支えを失った鉄橋は数十人の作業員及び列車と共に谷底へ落下、遅れて谷底から激しい落下音がした。恐ろしい事故だったが、それを見ていたローツの住人が最も恐怖したのは鉄橋が落ちたことではなかった。支えを失い、折れたはずの線路の先端がどういう訳か空を向いていたことだ。修復前とまったく同じように、まるで弾け飛んだかのように何かに食いちぎられたように線路は途切れていた。
それから何度もシャインは鉄橋を直そうとしたが、その度に何十、何百という人命と半年もの貴重な時間を失うことになる。
特許の列車はとっくにヴィクトリエへ着いていただろう。
この悲惨な連続事故からローツの住人はその橋を[呪いの鉄橋]と呼ぶようになる。鉄橋を直そうとすると、そこに潜む何かがアーチ状の支えを外したり、谷の底へ引きずり落としたりして人の命を奪うのだと本気で誰もが信じた。
底の見えない谷底へ落ちた彼らの遺体はもちろん回収されていない。
観光客は時折、本で確認しながら[呪いの鉄橋]の話を終えると、一言断ってからすっきりた様子で観光客向けに構えられた商人達の店へ歩いて行った。
リゾー達は話の間ずっと黙っていた。そして今は顎に手をあて考えている。鉄橋が直せない理由は分かったが、果たしてそれだけで済む話だろうか。夜の闇に消えたシャインの軍人達は何に突き落とされたんだ?
誰にではなく、何にである。リゾーはその[何か]にオーパーツが関わっているのではないか、と勘ぐる。どんなオーパーツであるとまでは分からない。ただ、納得のいかない話をされると、どうしても今知っている知識に当てはめて考えたくなってしまう。
そして何より、[呪いの鉄橋]の脇には他のところにも沢山置いてある石球の置物が二つ綺麗に並んでいた。他の石球よりも大きく、明らかに怪しい。もしや、これが……と思ってしまう。
「……」
「どうしようかなぁ。もう後ろから列車に乗り込むか? でも捕まる訳には行かないし、でもなぁ」
やはり、呪いの鉄橋なんかに関わりたくないし、一番遠くの列車に乗るべきか。そう考えてリゾーは列車に無断で乗ることの罪悪について悩み始めた。が、エモは動かない。列車はすぐ近くにあって迷うようなことはないはずだが。
「……どうしたの? エモ」
エモは答えない。不審に思ったリゾーがもう一度エモに声を掛けようとした時、リゾーの掴まっているエモの背中で何かが動いた。金属同士が擦れる音がした。
リゾーが擦れた者を掴んでみると、それが何であるか分かった。火傷しそうなほど熱い鎖がエモの体を締め付けている。
「エモ! 大丈夫か?」
「あ、ああ……ぐッ! 締め付けられるッ! 熱い」
「こ、声を上げちゃだめだ。耐えてくれ。ここで妙な行動をすると僕達がシャインから逃げてきた二人だとばれてしまう」
「分かって……いる……!」
しばらくして、エモの緊張が解れた。背中の真っ赤な鎖はもう動いていない。それどころか、ただの模様に戻っている。一体何なのだろうか……左手が痛い。エモの鎖を掴んだ時に火傷したようだ。血が滲んでいる。
「……フゥー。自分を納得させようと思ったが、例え届かないとしてもやはり遠回りはできん」
「うっ、ひょっとして何かやらかす気じゃないだろうね」
「すまんな」
「嘘だろエモ……?」
「一気に行くぞ」
後ろに跳んだのだろうか、一瞬の浮遊感と加速の後、着地の衝撃を受けた。周りからはシャインの軍人達の声が聞こえる。
ああ、なんてことだ! と思った。しかし、リゾーにはどうすることもできない。できたのは舌を噛まないように口を閉じるくらいだった。
圧倒的加速に耐え切れなかった分厚い古服が、火傷した左手から一滴の血が、飛んで行った。
「呪いの鉄橋とやらが私達を谷底へ落とすよりも前に向こう側へ飛び去ってやる‼︎ 助走を付ければいけるはずさ!!! そうだ! やっぱり、こうでなくちゃな!」
「届かないって言ったのは君だろぉーーーーー!!!! あだッ!」
舌を噛んだ。
周りの観光客やら軍人やらが疾走するリゾー達に困惑し、動揺し、大声を上げる。例の焼夷銃を取り出している者もいる。
しかし、全くそれは間に合わない。エモは観光客と列車の間を抜け、石球の置物を飛び越えながら呪いの鉄橋へと迫った。
鉄橋へ続く線路の両脇に石球の置物が並び建っている。エモはその間を抜けようと高速で突入した。その時、一滴の血がリゾーの左手から離れて石球の方へ飛んでいった。
「!?」
しかし、リゾーの血は幸運にも石球を外れ、近くの線路に落ちた。
ほっと息をつく間もない一瞬、リゾーは安堵した。そして、突然、石球の置物から伸びてきた細く鋭い何かに背後から貫かれた。
「え? あっ……!!」
リゾーの右肩を貫いたそれはとても硬く、そして、生き物のように蠢いた。
「こ、これ、は……オーッ!」
細く鋭い何かーートゲーーが生えた石球から拳大の目玉が飛び出て、リゾーを凝視した。バカな……石球に血は触れなかったのに、何故。
石球から生えたそれがリゾーをもう一度突くより先に、圧倒的スピードで石球ごとその目玉は粉砕された。エモが一瞬の内にそれまでのスピードを利用した回し蹴りで石球を砕いたのだ。
片手で背中のリゾーを抑えながら片足で地面を削り、エモは鉄橋の先端でようやく止まった。
「大丈夫かリゾー!?」
「うぐっ、僕のことはいい! [そんなことより]……!!」
右肩が痛み、服がじわりと赤に染まる。震える右肩を掴みながらもリゾーは痛みによるものでない汗を掻いていた。
「ああ、分かっている。お前はこの盛り上がった線路の影に隠れていろ。軍人共は私が……」
「違う!!! そうじゃないんだ! そんなことよりも……見るんだ!! 石球を」
状況を理解できていないエモにリゾーは異常を伝えようとする。石球があった場所を指差した。
エモが不可解そうに粉砕された石球を見やる。そこには粉々とは言わないまでも原型を留めていない石球の破片が散らばっていた。トゲと目玉も一緒に落ちている。
「何だ? 何がおかしいんだ。石球のオーパーツは完全に破壊したぞ!」
「違うよく見るんだ! 石球はオーパーツじゃない‼︎ トゲと目玉が生えていたのは……!」
リゾーはエモの肩を掴んで引き寄せた。耳元で聞こえるように大声で叫ぶ。
「線路だ! この錆び付いた線路からトゲが生えている! 石球じゃなくて、線路がオーパーツだったんだ‼︎ 線路からトゲを生やして、石球を貫いていたんだ!」
「何だと⁉︎」
リゾー達二人の視線の先に散らばる石球の破片、それに紛れて分かりにくいが、トゲと目玉の根元が鉄橋の線路と繋がっていたのだ。
むくりと、石球の破片を押し退けてトゲと目玉が持ち上がり、こちらを向いた。
「攻撃するんだ、エモ! 何かされる前に!」
「言われなくとも!」
言い終わらない内にエモは跳んだ。突き刺そうと伸ばされたトゲを左手の甲で弾き、右拳を突き込む。その拳は錆び付いた線路を分断し、橋に亀裂を走らせた。
めり込んだ右拳を抜き取る。が、そこには!
「目玉がいない⁉︎」
エモは焦燥にかられた様子で辺りを見回すが、何処にも目玉どころかトゲさえない。リゾーも見ていたが全く何が起こったのか分からなかった。嫌な予感がした。
果たして、その予感は的中する事になる。しかし、誰もが予想しない規模で最悪の形で現実となった。
最初は小さな音だった。それがはっきり聞こえるようになると、遠くで何かすごく重いものが転がっているのだと分かった。リゾーがそれに気づいた直後、国中から同じ音が聞こえ始めた。
何かとてつもなく重い物が大量に転がっている!
「奴は何処へ行った⁉︎ この音は何だ!」
エモはまだ消えたオーパーツを探している。相当、焦り怒っているようだ。だが、そんな事はもう構っていられなかった。
ゴクリと息を飲み、リゾーは盛り上がった線路の枕木を足場にしてよじ登った。そこから何が起こっているのか、何が起ころうとしているのか、よく見えた。
国中を走り交差している線路、その間にあった大小全ての[石球]のオブジェが線路の上を転がっていた。
ローツの住人は腰を抜かしているようで静かだった。逆に観光客はこれは何かの見世物かとはしゃいでいる様子だった。
やがて石球がゆっくり止まると、一瞬全ての音が止み、観光区間の外、リゾーから見て右の方で最初の爆音がなった。
線路が爆発したのだ。
「うわ!」
その線路は切れた部分から[呪いの鉄橋]と同じく盛り上がった。次にその隣の線路が爆発した。その線路が盛り上がると、今度はその隣、次はさらにその隣、右から順に観光区画周りの線路が爆発していった。
「ま、まさか……!」
切れた線路の下から丸太のように太いトゲがいつくも生え、地面に突き立った。そこからトゲが伸び、線路を持ち上げ、線路上に止まった石球を新しく伸びた細いトゲが縛り付けた。
大質量の金属が捻じ曲がる重低音が鳴り響く。
「全部……なのか⁉︎」
そして、全ての線路が限界まで高く上げられてから滑らかに曲がった。まるで、一個の球のように無数の線路が観光区画を囲う枠となった。
「馬鹿な……まさか、まさか、線路がオーパーツって……ローツ全体の、線路全てかッ⁉︎」
「リゾー! どうなってる⁉︎ なんで、線路があんなに盛り上がって……!」
「ヤバイ……石球が、石球が落ちてくる!!」
線路が観光区画の空を覆い、複数の石球が一番高い位置で離された。
次回 オリハルコン




