24.石球 その2
谷沿いに栄えるその小さな国の名はローツというらしい。リゾーが山の頂上で見た谷沿いに果てなく続く鉄の二本の棒は線路と言うらしい(エモはもちろん、リゾーも初めてこの単語を知った)。
線路はこの国ができた当初から作り続けられてきたものでシャイン近傍から遥か遠くの国まであらゆる国に通じており、国の中心から谷に沿って伸びている。その上、国内での移動手段としても使われており、今も増築中だとか。当然、線路は幾重にも交わってしまうので、列車の渋滞なんてことまで起きるらしい。
そうまでして線路を作り続ける理由はなんだと、リゾーが小汚い格好の男に聞くと
「列車の渋滞なんてここでしか見れねぇだろ? だから、他の国から観光客がいっぱいくるのさ。有名な芸術国家も近くにあるしな。まぁ遠回りして山を降りなきゃならねぇけどもよ」
と答えられた。
「っと、渋滞が終わったみたいだな。それじゃあな、貧乏な旅人さん」
国の一角、列車(これも初めて聞いた)の運転席から顔を出していた小汚い格好の男は首を引っ込める。そして、三時間ほど遅れていた[別区画]行きの列車は発車した。
渋滞というのはよく分からないが、待つことらしいとリゾーは結論付けた。エモは眉間に皺を寄せている。渋滞が気に食わないらしい。
渋滞は厄介なものの列車なる乗り物で他国まで移動できるのなら、直接ヴィクトリエへ行くことも可能かもしれない。そう考えて、リゾーは絵本を思い出して、たぶんこういう時に金が要るのだろうなぁ……なんてぼんやりと連想した。
そこまで考えて初めて自分達には結局一銭の金もないことを思い出した。
「どうしよう。お金なんてないし……列車に乗れないとなると、あの何処まで続いてるかも分からない谷を迂回して行かなきゃいけないのか?」
「……冗談じゃないぞ! 早く行ける手段があるのにそれを使わない理由なんてあるか!! 私はその列車とかいうのに乗るぞ! シャインでやったみたいに稼げばいいだろう」
「と言ってもなぁ〜。そもそもヴィクトリエ行きの列車があるのか、あったとしてどの列車に乗ればいいのか、調べなきゃいけない。そのためにはシャインの軍人の前を通っていかなくちゃならないし、僕はなるべく避けたいな」
「さっきみたいに、軍人共が余所見をしている隙に通ればいい!」
「そう都合よくいくか。あれを見てよ」
リゾーは列車が居なくなって見えるようになった[別の区画]を指差した。
聞いた話によると、この国は少し離れた区画ごとに分かれている。その各区画(住宅区画、商店区画、医療区画、観光区画)は孤立していて、別の区画へ行くには線路の上を通っていかなくてはならない。ここは住宅区画だ。
当たり前だが、線路の通っているところには民家も壁もない。線路と線路の間にいくつもある謎の大小の[石球]の置物以外は隠れられる場所はなかった。
線路の上を人がひっきりなしに走り通って、そのすぐ後を列車が横切るというのを繰り返している。
遠くの区画には観光客らしき人々が大勢いて、その線路と区画の境にはシャインの軍人達が何人も立っていた。
「どうしても行くというのなら……観光区画だな。他は狭すぎて隠れる場所がない」
「……後はどうやって見つからずに観光区画へ入るのか、か? 面倒だな」
「言っておくけど、いきなり走り出したりするなよな」
エモが舌打ちした。リゾーはため息を付いてゴミ箱の上に座ろうとして、尻からその中に入ってしまっ
た。
「痛っ……フタが割れた! 尻が挟まった。ちょっと、起こしてくれぇ」
ジタバタと暴れて抜け出そうとすると、余計にはまってしまうのだった。
それをエモが呆れた目で見ている。
「下らん。何を遊んでいるんだ」
そう言って、エモはリゾーの白服を掴んで引っ張り上げた。煤けたゴミ箱が壊れてリゾーと一緒にその中身まで出てきた。
古い服や、古い新聞紙、何かの木片が散らばる。
「これ……使えるかも?」
そう呟いたリゾーとエモは急いで観光区画へ行く[準備]をした。
長身の男が商人と話をしている。そこへ、観光区画の大通りの向こうから軍人達が横一列に歩いて来た。通行人達はみんなそれを避けて道の脇に寄る。
軍人達の列が商人と話す長身の男の前まで来た。その中の一人が長身の男の方を向いて……
そのまま通り過ぎた。
その後軍人の列は誰も振り返らず大通りの向こうへと歩いていく。
「むぅ……やはり、長身の[女]と[小さい子供]の[二人組]なんか見当たりませんね。准尉」
「確かにな。まあローツの入り口は門番で固めてある。さらに、ローツとシャインは友好な関係にあるから例え侵入を許したとしても列車には決して乗せて貰えない。奴らがこの国に入ったが最後、袋の鼠だ」
「そうですね。楽勝です准尉」
大通りを過ぎていく軍人達から嘲笑の声が聞こえる。声が十分遠くなってから長身の男が口を[閉じたまま]長いため息と気の抜けた声を漏らした。
「あれ? なんか変じゃないか。長身の旦那? あんた今口が動いてないのにため息漏らしたぜ?」
「しまッ!?」
長身の男は顔色一つ変えずに狼狽した。口は動いていない。
そして、今度は長身の男が口を動かした。
「何でもない。余計なことを気にするな」
「え……今度は声が……旦那の声がなんか女みてーな声になったぞ??」
「……声の調子が悪いだけだ」
「いや旦那そんな急に……なんか変だぞ? もしかして何かヤバい訳でもおありで?」
「声の調子が悪いだけだ」
「いやだから旦那……」
商人は怪訝な顔をした。
「ちょっとエモ、君、ごまかす気あるの!? もっと考えて喋ってよ!」
長身の男の背中がもぞもぞと蠢いた。
「黙れリゾー!」
「うわわ、旦那の背中が急に盛り上がって…………旦那もしかしてそれ……背中に何か、ていうか誰か……」
商人の問いに、長身の男は眉間に皺を寄せて
「声の調子が……悪い……だけだ。分かったな?」
ドスの利いた声で答えた。
すっかり怯えてしまった商人は目にも留まらぬスピードと手際で簡素な店をたたんで何処かへ行ってしまった。
周囲の通行人が何事かと長身の男に注目を集める。
「ヤバいぞエモ、早く立ち去るんだ。軍人達が戻って来る前に!」
長身の男の背中がまた動いて、忍ぶような声がした。
「くっ、なぜ私がこんなことを……」
「早く!」
「うるさいぞ。分かっている」
長身の男は低い女の声でそう毒づくと、集まってきた野次馬を一喝して大通りから外れた。
路地裏で長身の男は羽織っていた分厚い古服を脱ぎ捨てた。背中には暗い金髪の、灰色の目をした少年が抱きついていた。
その少年は息を大きく吸って吐いた。
長身の男は右手で自分の顔を掴み、それを引き剥がした。血は出なかった。引き剥がされた男の顔の下に切れ長の目をした美しい女の顔があった。その美しくも冷たい顔をさらに攻撃的に魅せる巨大な犬歯が自分は人間でないと主張していた。
長身の男改め、長身の女は引き剥がした木製の顔を地面に捨てた。
「……いつまでへばりついているつもりだ。さっさと降りろリゾー!」
「いてっ」
リゾーと呼ばれた少年は地面に腰を打った。鈍痛に耐え、まだ血が付いている左手で立ち上がる。
「痛いなあもう! 息を整えてたのに」
「私の背中でやることか」
「う、悪かったよ」
エモの毒々しい黄色い眼と目が合ってリゾーは何となく目を反らした。
三時間遅れの列車を見送った後、リゾー達は住宅区画を出た。エモがリゾーを肩車した上に古服を被って変装することでシャインの軍人達の目を誤魔化したのだ。
シャインの軍人達は大勢いたが、観光区画の出入りは激しいので一々検問などしてはいられない。加えて、リゾーがごみ箱から出てきた木片を彫刻して[男の仮面]を作っていた。一見すると人間の顔と見間違えるほど精巧であり、上手くシャインの軍人達を欺くことができた。
狭い路地裏には二人分のスペースはなく、リゾーがようやく立ち上がっても体が密着していた。
「……おお」
「どうした?」
「へ? いや、な、なんでもない。ていうか僕のことはどうでもいいだろ」
「ああ、どうでもいい。それよりヴィクトリエ行きの列車だ! 一体どういうことだ!」
「え、ああ……分からないよ。まさか、数十年前まではあったけど今はないなんて……僕が聞きたいくらいだ。なんでなくなったんだろう」
「クソっ、ならせめてヴィクトリエに一番近い国行きの列車に乗るぞ」
「待ってよ。金はどうするんだ! 取り敢えず、本当にヴィクトリエ行きの列車がないのか確かめに行こう。前まであったものなら線路くらい残っているかもしれない」
「残っていたら?」
「線路に沿って歩けばいいだろう?」
フーッ、と息を吐いて怒るエモにいい加減慣れつつ、リゾーはエモの背中に飛び乗った。
リゾー達は再び長身の男になった。
国の端、底の見えない谷に臨む一カ所に人だかりができていた。長身の男はそれに近づいていく。やがて、人だかりの中に入ると人々が注目しているものが見えた。
「……線路が!」
つい、リゾーは声を漏らしてしまった。長身の男の背中がもぞもぞと動いた。近くにはシャインの軍人もいるので、もし怪しまれでもしたらうっかりでは済まない事態になる。しかし、それでも声を上げてしまうほど、その場所には異様な光景が広がっていた。
深く、幅も広い谷の向こうへ続いていく線路と橋が途中で盛り上がり、その先がした部分のアーチ状の支えごと無くなっていた。まるで[そこだけ吹き飛んだか]のように……。
「……この距離は、流石に飛べないか」
エモが遠慮気味に言った。驚くことではない。猪突猛進な性格のエモでさえ尻込みするほど、向こう側の大地は遠いのだ。谷が広過ぎる。
大通りから来た人達が続々とこの人だかりに参加し、谷の途中で折れた線路に満足した人から停車している列車の方へ抜けていく。この一連の流れに押し流されながら、リゾー達はさらに線路へ近づいて行った。もう少しで触れるというところまで来て、その線路が大分錆びていることが分かった。
国中に張り巡らされた線路はピカピカとは言わないまでもそれなりに大事にされていて錆びてはいなかった。しかし、この[谷へと続く途中で切れた線路]だけがすっかり錆びてしまっている。リゾーの素人目にも脆いのが分かった。だから、リゾーはこう思った。
「なんで直さないんだ?」
また思考を口に出してしまったが、混乱していて口が閉じられない。線路が壊れたなら直そうとするものではないのか? なんでずっと昔に(恐らくはだが)壊れた線路を放っておいたんだ?
エモが線路に触れてみたり、手に付いた錆びを砕いたりしている。遊んでいるように見えるが、その表情は今にも向こう側へ向かって飛び出しそうなイライラ顔だ。
「いやー。それにしても、遠くから遥々来たかいがありますわー。[呪いの鉄橋]は本当にあったんですな」
人が密集しているせいでかなり近い位置にいる隣の観光客が嬉しそうに言った。
「おい。貴様。のろいのてっきょう……とはなんだ?」
「あん? なんだいお兄さん。鉄橋の事知らないのにローツまで来たの?」
「……のろいのてっきょうとはなんだ?」
段々と口調と表情が険しくなっていくエモ、対して観光客は気にした様子もなく[呪いの鉄橋]について得意げに話し始めた。
次回 石球 その3




