21.廃村 その1
額に湿っぽい刺激を感じてリゾーは目を覚ました。目を開けてみると穴の開いた石造りの天井から水滴がポツポツ、と漏れていた。四つ目の水滴が額を濡らす前に頭を退ける。
シャインから逃げのびた後、リゾー達が寝床に選んだ廃屋には何も無かった。荒れ果て、風を凌ぐくらいの役割しかはたしていない壁、蔓に侵入され、ひび割れてしまっている床、大きく穴の開いた天井、人が寝れるような場所ではなかった。最も、リゾー達は大して気にもしていないが。
空気は冷たく、じめじめとしている。天井から覗く空は薄暗い白で何も見えない。曇りなのだろうか。
「起きたか……体は問題ないか?」
廃屋の入り口付近に立つエモがいつもの仏頂面で言った。リゾーは壁にもたれながらとりあえず頷いた。
「昨日は大して歩けなかったからな……今日は限界まで走って今日中にヴィクトリエにたどり着くぞ!」
首根っこを捕まえようとするエモの手を振り払って、リゾーは腰から大きな古地図を取り出した。
「ヴィクトリエまでは仮に真っ直ぐに行っても三百キロはあるらしいよ……」
「三百……キロ? どのくらいだ?」
「さあ……想像もつかないほど?」
「それじゃ分からん! とにかく行くぞッ!」
「待って……待てってッ! エモッ! 傷口が開くってッ! もっと優しく……痛ッ!」
抵抗虚しく首をふん捕まえられてしまう。リゾーのわき腹がズキッと痛んだ。
「……はぁ……エモ、ちょっと目的地が遠いからってすぐに怒り出すのはなんとかならないのか……?」
「回りくどいのは嫌いなんだッ!」
「黙ってた方が早く着くかもよ?」
リゾーは舌打ちまで加えて怒りを表すエモに、待って欲しい理由を一から説明することにした。
リゾー達の怪我はヴィクトリエまでの長旅を考えるなら致命的と言えた。顔を彫刻したわき腹は痛みを訴え、左手の穴にいたっては塞がる気配もない。何よりヤバい怪我はエモの右足にあった。踵が抉れており、バランスがとれないらしい。昨日の夜は真っ直ぐ歩き続けることさえできなかった。このままでは旅のスピードは落ちるだけでなく、戦闘になったらひ弱なリゾーがエモを庇わなくてはならない。一刻も早い回復が必要だった。
「だから僕らは慎重に行かなくてはならない。万が一にも戦ってはならないんだ……聞いているか? エモ」
リゾーは昨夜、バルカスの部下から貰った食料を頬張りながら言った。乾いたパンのようなものらしく、その素朴な味はリゾーの口によく馴染んだ。
エモはその食料を一口かじってからリゾーに投げた。
入り口付近にエモが立ち、リゾーは蔓だらけの床に座っている。
「……つまり、どうすればいいんだ?」
ちゃんと聞いていたようだ。眉間に皺を寄せながらではあるが
「人目を避け……足音に注意して歩こう。真っ直ぐでなくてもいい。安全に行くんだ」
「そんな悠長なことをしていたらいつまで経ってもヴィクトリエに着かない。それにシャインの軍人? 共もいずれ私達が逃げたことに気づくだろう……追いつかれたら大勢を相手にしなきゃならなくなる」
「……その通りだエモ、そしてシャインの軍人達は僕らがいないことにもう気づいているかもしれない。ひょっとしたらこの家を出たすぐそこに追っ手が待ち構えているということもありえる」
エモがちらりと入り口の方を見る。腐った木製のドアに人の気配は無いようだ。
「だったら……!」
「急いでも余計に目立つだけだ。ゆっくり行くしかない……大丈夫、近くに村がある。そこで君の足を直す方法を考える。ついでに僕の怪我も治療する。村までの辛抱さ」
「…………フゥーーーーー」
エモが長い息を吐く。さらに、眉間の皺を両手で無理矢理伸ばして、直した。眉間には鉄が捩じ切れるような力が加わっていることだろう。
「……その村とかいうのはどっちだ?」
エモが怒鳴るように質問した。
「えーと、地図によれば、山をちょっと登ったところにある小さな村だ。あの一本道からは外れたところにあるみたいだな」
腰から取り出した古い地図を広げ、右手で乾いたパンを食べるリゾー、左手は満足に動かせない。
「…………いつまで食ってるつもりだッ! 行く場所が決まっているならさっさと出るぞッ!」
エモに首根っこを掴まれ、リゾーは慌ててパンを口に突っ込んだ。
「……んっ?」
エモの背に乗ったリゾーが蔓と草が生い茂った床の隅を見てみると、草が動いた。そのままじっと見ていると、草の中から緑色の丸っこい湿った生き物が飛び出した。
「何だコイツは?」
エモがひょいと生き物を摘み上げた。ジタバタともがいている。
リゾーはその生き物に見覚えがあった。絵本の中で英雄がその生き物を助けていたのだ。英雄はただの小動物にも優しい。
「おいおい。いきなり引っ捕まえることはないだろう……そいつ蛙って言うらしいよ! 知ってた?」
「知らん。そして、こんな奴どうでもいい……」
対して目もくれず、エモが片手で元いた場所に放る。
相変わらず素っ気ない態度のエモにリゾーは少しムカっ腹が立ってきた。
「君なぁ……こういうことも、いやきっとこういうどうでもいいことこそが[思い出]なんだよ?」
「[思い出]……ジャンヌが言っていたことか……」
「そう。シャインで君が知りたがったことでもある」
「……今はいい。それどころでは無いだろう。敵が近くにいるかもしれないのに[思い出]なんて言っていられない。[思い出]は戦闘の役に立たない……」
「そっそんなこと分からないだろ……ひょっとしたら役に立つかも……それに……」
リゾーは一回下を向いて
「ジャンヌのことだってまだ何にも話していない」
遠慮がちにそう言った。
「……時間のある時に嫌と言うほど聞くさ……さっさと行くぞ!」
エモは入り口の方を向いて、顔も見せなかった。
腐ったドアをゆっくりと開ける。細く開いた隙間から見えるものは何もない。
「……?」
隙間から見た景色はとにかく白だった。近くの地面、三メートル先ぐらいは見えるが、その先からは薄らと白い何かが掛かっていて見えなくなっている。
「あの軍人共の仕業か? リゾー」
「いや……雲、みたいなものだろう」
「空に浮かんでたあれか? それが地面まで降りてきたっていうことか?」
「さあ? でもこれは誰かの意志でこうなった訳じゃない。自然がやったことだ。警戒しなくていい……逆に好都合さ。この白いのが追っ手の視界を奪ってくれている間に村まで行ってしまおう」
「賛成だ」
エモはそう言うと一気にドアを開け放った。腐ったドアが壊れた。
鬱蒼とした森の中を方角も分からぬまま進んでいく。三メートルより先の白い闇から木の枝が不規則に現れてはエモの背に乗ったリゾーの横を掠める。エモの左足がぬかるんだ地面を踏む度にリゾーには聞き慣れない水音がした。
エモはやはり右足を引きずっていた。足の前半分が無いため踏みしめることができないのだ。そのまま歩こうとすると左に寄ってしまうため、エモは時折方向を修正していた。
「真っ直ぐ進めているのか? 私は……」
「……ん……真っ直ぐ……じゃないかな。もうちょっと右かも?」
枝を避けながらリゾーが答える。
「そうじゃない! 白過ぎて何も見えないんだ。山は確かこっちの方角だったが、木とこの白い奴が邪魔であの家からココまで真っ直ぐに進めていたのか分からないんだ」
「何焦ってるんだ? 敵はいないし、真っ直ぐ進んでる」
「本当か!? 本当に真っ直ぐか!?」
エモが顔半分振り返って背中のリゾーに必死な表情を見せた。エモの黄色の瞳が揺れている。
「大丈夫さ……それより大声出すなよ。追っ手に気付かれる」
「…………」
エモの表情は変わらなかった。ちょっとの間沈黙した後、前を向いた。歩き方が雑になった。
「エモ、心配なのは分かるけど仮に山の方角から外れたとしても……森さえ抜ければなんとでもなる」
「うるさいッ!」
「……なんだよもう……人の話くらい聞けよな」
会話が途切れた。何故こうも不安気なのか。真っ直ぐに進めていることが確認できないということがエモにとって相当嫌なことらしい。面倒くさい奴だ。
そのままエモの背中でじっとしているのも難だとリゾーは思い、腰の絵本を取り出した。
何か挟まっている。紙が何枚か……
ああ、とリゾーは思い至った。シャインの美術館、その研究室内でくすねたまま持ってきてしまった[オーパーツ研究成果]だった。
オーパーツ、リゾーはそんなのは既に終わったことだと思っていた。しかし、暇だからと読み始めた[オーパーツ研究成果]の最後に気懸かりな記述を見つけた。
「国外の[オーパーツ]について……?」
気が付くとリゾーは呟いていた。さらに読み進めてみる。内容はこうだ。
シャインの地下に眠る[オーパーツ]は想像を絶する数を有している。少なくともむこう五十年は発掘され続けるだろう。もはや、石炭やガスのような天然資源みたいな物だ。しかし、我々はシャインの地下にばかり目を向けるあまり国外の[オーパーツ]もあるという可能性を考えていなかった。先の戦争以来各国の発掘に対する関心は高まっている。既に[オーパーツ]を発掘し研究を進めている国もあると聞いている。国外にある[オーパーツ]についても考慮せねばなるまい。
リゾーは[オーパーツ研究成果]を絵本に仕舞った。顎に手を当て考える。シャインの中だけの話では無くなった。これからヴィクトリエに行くまでの間、オーパーツの驚異が常に付きまとうのだ。リゾーは旧人類の末裔なのだから、血が一滴でも触れればオーパーツは眠りから醒める。
「やはり慎重に行かなくては……」
エモの右足に踏まれて、水が跳ねた。リゾーは恐らくエモとは別の不安を抱えて沈黙していた。森はまだ続いている。
そのまま何時間か歩くと、リゾーの横を掠めていた木々の枝が無くなった。
「…………木が無い……森を……抜けたのか?」
あれから沈黙を保っていたリゾーが言った。少し白い雲が晴れてきただろうか。前方が斜面になっているのが分かった。
「山……か?」
「そうだよ。心配すること無かったろう? まだ視界が十分でない内に山まで来れて良かった。少なくとも次の国の方へ向かった追っ手は巻いた訳だ。村にもいるかもしれないから注意は必要だけど……こっちが先に見つける分には大したことはない」
「……そうか安心した」
ほっと息を吐くとエモは落ち着いた歩調で山を登り始めた。
山を登ること数十分、時間と共に地上の白い雲はかなり薄くなっていった。リゾーが周囲を警戒する。自然が全ての山の中腹……突如としてそれは現れた。
「何だ!? これは……!」
リゾー達の行くてを阻むように薄まった白い闇の先から巨大な平面が姿を現した。
「壁……!??」
「シャインにもあったな……リゾー、村はこの先か?」
「いや……ほんの小さな村だぞ。こんなでかい壁があったら出入りできないじゃないか! 村の人間はどうしているんだ??」
「これが村だと考えるしかないだろう。ココまで登る途中には何も無かったんだから……」
エモが指さす先は見渡す限りの壁、元は白かったであろうその壁は所々変色していた。雲のせいで見えない壁の上の方から茶色の線が走り、下の方になるにつれてその線が太くなっていた。
リゾー達は取りあえず壁の端まで行ってみたが、登れそうな場所も出入り口も無いので結局元の位置に戻ってきた。
壁の横幅は数十メートルも無かった。V字型になっている山の斜面に合わせて作ってあるようだった。
「……やはりやるしかないようだな……」
「やる? まさか!? 待てエモ、早まったことをするんじゃない! 折角ココまで見つからずに来たのに……!」
人の気配は全くと言っていいほどないが、リゾーはとにかく慌てた。ココでまさか、そんなことをしては……!
「確かに大きな音が何回もするだろうが構いはしない……ほとんどは違う所へ行ったんだろう? 残りの奴は私が倒すッ!」
「待つんだッ!! それだけでなくこの壁は妙だッ! 小さな村にこんなものがあるなんて……それにこの壁のッ茶色は遺跡で見た錆という奴だ! この壁は古いんだッ!!!」
「だから何だ! 古いのならなお都合いいッ! 殴り壊すのに十発も要らないだろうからな!」
「古いということはッ……オーパーツの可能性があるッ! 迂闊に手を出すなッ! 地上の雲も晴れてきているッ!!! 視界が回復してから、一度壁の全体を見渡すべきだッ!!」
「ズレたことをッ!!! 地上の雲が晴れてきているのならッ晴れる前に、視界が悪い内にこの壁を突っ切ってッ村に居る軍人共を倒しすべきだッ!!!」
不敵な笑みを浮かべるエモは背中のリゾーを下ろした。急な斜面に尻を着いたリゾーは転がって近くの岩に背をぶつけてしまう。
「痛っ……」
岩に捕まってなんとか転がってしまわないようにしていると、晴れつつある雲の先に薄らと壁の全形が見えた。壁……ではない。端の方に何か、枠がある。
「よせッ!! やはり何かおかしいッ!!!」
「シャアアアア!!!」
制止の声は届かず、エモの右拳が腰の入った一撃を繰り出した。
黒い轟腕が茶色く錆びた壁に容赦なくめり込んでいく。めり込んだ拳の周囲が盛り上がり、やがて歪んだ分のしわ寄せが亀裂となって壁を一点から破壊していった。
体が一瞬浮くような衝撃だった。
エモは拳を振り抜いた。姿勢はそのままエモの短い白髪だけが遅れて元の位置に戻った。
「な……なんてことを……追っ手に位置を知らせたのと同じだ……」
口をパクパクさせながらリゾーが器用にそう言った。
エモの方は振り向きもしない。
「……くっ……こうなってしまっては早く身を隠さなくては……エモッ! ココは一端引くんだ!」
エモはさらに左の拳を壁へと叩き込んだ。
「前に進めるのに引く必要は無いッ! 突っ切るだけだ!!!」
地面が揺れ、近くに落ちていた小石達が斜面を転がっていった。砕けた壁の破片がリゾーの鼻に当たって、破片の表面についた錆の匂いを発した。
さらに、右拳が、次に左拳が抉れた壁を穿つ。壁の中から金属の柱がでてきたが、エモは構わずラッシュを続ける。亀裂はあっと言う間に壁全体に広がった。
「とどめだ!!!」
エモが一メートル近く削れ、金属の柱が露出した壁に力を溜めた一撃を放とうとした時、壁が弾けた。
「……!!?」
正確には、壁の中の一点が細かい石ころになって弾け飛んだ。そして、その一点から勢いよく何かが飛び出した!
エモが避けたそれは流線型を描いて、リゾーの顔面に直撃する。冷たくてリゾーが右手で触れてみると、それは……
「水……!?」
深緑の汚水だった。
ボンッ!!! エモが穿った壁がさらに弾けた。汚水を吐いた一点から亀裂を通して、圧倒的量の汚水が噴出する。
「リ、リゾー……これは一体何が……? 水が溢れてくるッ……!」
「……ハッ!!? エモォォォ!!! 壁から離れるんだァー!!!」
壁の亀裂から噴き出た汚水がエモを飲み込んだ。
次回 廃村 その2




