20.暗闇の出国
「やったぞ! 外だ! 脱出できたッ!!」
土だらけのエモが拳を振り上げる。リゾーはというとそんな余裕はなく、ただ息をするので精一杯だった。瀕死だったリゾーの体がとにかく呼吸をさせたのだ。
エモがまだ絶賛出血中のリゾーの左手に彼の白い囚人服を破って押し当てる。
「焦るな……空気ならいくらでもあるんだ。連中もいないようだし、まず休んだ方がいいな……」
エモは見上げるほど大きな壁にリゾーをそっと預けた。
長く息を吐いて、リゾーは夜空を見上げた。丸い石が欠けたように光る大きな物が空に張り付いていた。
月。絵本で何度も見た。月の薄ら明るい光が見張るように立つエモを斜め上から照らしている。
「ハァ……ハァッ……ふっ……くっ!」
木々のせせらぎしか聞こえない静かな夜だ。脱力感がリゾーの体を支配し、油断するとすぐに寝てしまいそうだった。重い目を無理矢理開けて、エモを見る。
「……どうした?」
先ほどまでの感情豊かな表情は無くなり、仏頂面に戻っていた。危機が過ぎ去ったということだが、リゾーは名残惜しいような気がした。
「いや……ハァッ……フゥッ……何でも……ない」
エモの優しさが名残惜しい、とか言ったらまたズレた奴だ怒られてしまうと考えて、リゾーは目を反らした。
「……何だか分からんが、息が落ち着くまで喋るんじゃない……」
エモが少し首を傾げたその時、突然、横から野太い怒鳴り声が聞こえた。
「動くなッ!!!」
リゾーには聞き覚えのある声だった。リゾーは血の滲む包帯代わりの服を左手ごと右手で抑えたまま声をした方を向いた。
その男は両手で銃を構えていた。焼夷銃だ。初老の男の髪は白髪交じりで、頬が痩けていた。服は軍人のものである。リゾーはこの男に見覚えがあった。
「バルカスッ!? 何故ココに……!」
「黙れッ! 美術館の惨状を見たぞッ……よくもあんな惨いことを……! 絶対に許さんッ!」
歯をギリリと食いしばっており、バルカスの黒い瞳には明らかな怒りの色が見て取れた。
銃口は明らかにリゾーを狙っていたが、リゾーは逃げるどころか足が痙攣して立つことさえできなかった。
エモはリゾーの前に仁王立ちした。牙を剥き威嚇している。
「貴様……確か……山を降りた時に見たな……一人か?」
「何の罪もない一般人をッ何故殺したッッ!!! 彼らが裏通りの人間だからか!? 戸籍もない貧乏人だからか!!?」
裏通りの人間、確かに発掘現場でアルバイトをしている人達はそういう人が多いとリゾーは聞いていた。もちろんリゾー達がそういう理由で人を殺したりするはずもないのだが、後衛基地のバルカスはリゾー達が犯人だと思っているらしい。実際、リゾーは無関係の人達を死なせたことに関して冷静さを失うほど罪悪感を覚えていた。自分が殺したも同然だ、ということだ。
リゾーは何も言えず、地面に生えた短い雑草に視線を落とした。
「……コイツは誰も殺していない……人を殺したのは私だけだ……」
エモは短調に役場の無い声で、何でもないことのように言った。
「何だとッ!?」
「後悔はない……必要なことだったからだ」
エモが一歩前に踏み出す。迷いのない足取りだった。エモとバルカスの距離は十メートルほど、これ以上近づけば発砲は免れないだろう。
リゾーは止めたかったが、彼にその力は無かった。
「動くなと言ったはずだッ!」
「バルカス、貴様の目的はなんだ……? あの後衛基地で何のために何をしていた? これから貴様はその銃を使って何処へ向かう気なのだ?」
「もう喋るなァー!!! もういいッ! 貴様は悪だッ!!!」
短い焼夷銃の引き金を骨ばった人差し指が引く……瞬間、別の声がした。
「子供が怪我をしているというのに……銃を向けるのですか?」
その声は叫びでもないのに思わず動きを止めてしまうような強烈な意志と語りかけるかのような穏やかさを内包していた。矛盾するはずの二つの性質は、しかし言葉の意味も相まってリゾーの耳に焼き付いた。
「お前……!!?」
「一人だけ壁の外になんか行くもんだから心配しましたよ……バルカスさん」
木陰の暗がりから現れた人物はリゾーにとっても見覚えのある者だった。後衛基地から美術館までリゾー達を案内し、リゾー達に捲かれたバルカスの適当な部下であった。
「邪魔をするなッ!」
「……バルカスさん、落ち着いて下さい。もう終わったはずでしょう? 人を殺さなくてはならないようなことは……」
「コイツらを逃がせばッ……何処か別の国でまた同じことを繰り返すだろうッ……!」
「バルカスさん……何故、考えないんですかッ! 私達は今朝、彼らを疑いました。何の話しも聞かずに銃を向けて威嚇しました。その時貴方は何と言いましたか……?」
適当な部下の何と言いましたか、という言葉にバルカスが動揺を見せ始める。
「…………貴方は気づいていないかもしれないが、みんな貴方の優しさに惹かれているんです……裏通りで病気になった死にかけのじいさんのところに酒を持っていったりする貴方に……皆、優しい貴方に着いていきたいんだッ!!!」
適当な部下が叫ぶと、周りの木陰からぞろぞろと後衛基地で見た緑の装飾をした軍人達が出てきた。皆、心配そうな顔をしている。
囲まれた。エモは周囲を見回し、リゾーは息を飲んだ。マズイッ!
「お前達……」
「バルカスさん、私には彼らが卑劣な殺人者だとはとても思えない! だって、こんなボロボロになってまで互いを庇おうとしているッ!!」
リゾーはエモの右足にしがみついていた。
エモの右足は前衛基地に侵入する際、焼夷弾を一発受けていた。損傷は酷く、真っ直ぐ走ることも難しいほど足首が変形していたのだ。ましてや戦闘などできるはずもなく、さっきバルカスが本当に撃っていたら、まともに食らっていただろう。そのことを悟ったリゾーは弾避けになる覚悟でエモの前に這っていったのである。
エモが焦ってリゾーを後ろへ退けようとしたが、リゾーは足にしがみついたまま離さなかった。
「何より……見て下さい。彼らの目ッ! 見覚えがありませんか? 私は何度も見た! かつての貴方にそっくりの目だッ!」
適当な部下はここぞとばかりに叫ぶが、バルカスは銃を下ろさない。
バルカスの黒い瞳が鏡のように、互いを庇い合うリゾー達の姿を映していた。
「あの戦争の後、バルカスさんがこの国を救おうとしたあの時と……同じ、人の意志を背負った目だ!」
バルカスが目を見開いた。銃口が震えている。
「バルカスさんッ! 貴方があの時、出土品の売買を止めさせ、芸術国家というシャインの新しい目標を掲げなければッ……皆どうなっていたことかッ!!」
「ワシの昔話は関係無「芸術国家を目指すきっかけをくれた貴方はッ!」い……ッ!?」
「僕らに希望を与えてくれた! 今の貴方には……希望を感じないッ! バルカスさん、もう一度、言います。子供が怪我をしているというのに……貴方は銃を向けるのですか?」
周囲の木々がざわめく。バルカスの銃口はゆっくりと下がっていった。歯を食いしばり、バルカスは涙した。
「……ワシの負けだ」
「バルカスさん……」
適当な部下の声には喜びが籠もっていた。適当な部下が手で合図すると、周りで見守っていたバルカスの部下達がエモに近づいてきた。寧猛な目でそれらを警戒するエモ、完全に殺す気だった。
「警戒しないでくれ……と言っても無理か。食料はココに置いておくぞ」
部下の一人が言葉通り懐から小さな袋を取り出し、放った。
「君達はヴィクトリエに行くそうだね?」
適用な部下がバルカスを支えながら言った。エモが短くああ、と答えた。
「祝福はできない……ヴィクトリエまで何の準備も無しに行くなんて自殺行為だし、ヴィクトリエはいい国ではない。しかし、前衛基地の総戦力から逃げ切った君らなら……あるいは…………」
バルカスを含めた全員が脇に移動し、一本の道を開ける。周囲を高い木々に囲まれ、その道は真っ直ぐ遠くまで続いていた。真っ直ぐに空いた空の向こうに大きな山が見える。
「……」
しばらく、バルカス達を注視していたエモが、リゾーを抱きかかえた。少し体力が戻ってきていたリゾーはいそいそと背中に移った。エモが食料らしい袋を拾ってバルカス達の間を通り抜ける。バルカス達は無言だったが、皆、敬礼をしていた。
そして、リゾー達は遥か遠くの目的の地へと歩き出した。
ヴィクトリエまで残り三百キロ!
リゾー達が去った後、一人の部下がこう呟いた。
「……彼らを死なせてはならない……彼らの目は何かを背負っている……ここで途切れさせてはいけない! きっと彼らはバルカスさんと同じような大事をなす……そう思います」
バルカスは答えなかった。
次回 廃村 その1




