11.暴走 その1
最初、彼は上手く思考する事が出来なかった。数秒間、素手で掘り返した目玉と見つめ合った。
「な……なッ!」
巨大な目玉がその瞳孔を小さく絞った時、ようやく彼は思考を再開出来た。今、目の前にあるこの巨大な目玉は彫刻刀に付いているものと同じッ! つまりコイツはッ……!
彼の思考が動き始めた瞬間、目玉から生えている数本の突起、つまりトゲがリゾーの方を向いた。
「何ッ!」
リゾーがそう叫ぶのと数本のトゲが彼を貫いたのはほぼ同時だった。
数本のトゲに貫かれたリゾーを目撃した者は叫び、腰を抜かした。発掘現場の一画の空気が恐怖に染まり、その恐怖の波紋は瞬く間に広まっていった。
「ぐあああ!」
リゾーは激痛に身を捩った。口から血が漏れ出し、傷口が急激に熱くなっていく。
「うわああぁ……うっ……くうっ……トゲがッ! 僕の左足と右肩と脇腹にッ!」
リゾーは驚愕のあまり一瞬痛みを忘れ、傷口のトゲを凝視した。
彼の体を貫いたトゲは鉄の様に硬く、されど生き物の様に動いていた。それが動く度にトゲが貫いた箇所から血が吹き出た。
「ぐッ!! ……このトゲは……! まさかッこの掘り返した物はッ!」
リゾーは痛みに震えながら再び目玉を見た。
目玉の大皿のような瞳にリゾーの引きつった顔が映り込んだ。
一本のトゲが彼の首めがけてゆっくりと伸ばされる。
「僕の[彫刻刀]と同じッ! ……チーフが言っていた[旧人類の英知]ッ!」
リゾーは冷や汗を掻き、目を見開いた。恐怖で動けない彼はゆっくりと首を狙ってくるトゲから目を離せなかった。
「うわああああ! 止めろおおお!!!」
リゾーは雄叫びを上げ、言う事を聞かない体を無理矢理動かす。
首元まで来たトゲを左側の腰から何とか抜いた彫刻刀で彼は叩き落とした。
目玉は瞳孔を急激に開き、機械音のような奇声を上げた。
リゾーの体から全てのトゲが乱暴に引き抜かれる。傷口からすぐに大量の血が吹き出した。
彼はたたらを踏み、口から血を吐いて倒れた。
「がはッ! ……ハァッ……ハァッ……!」
リゾーは昨日、螺旋階段を駆け降りた時と同じくらいの疲れを感じた。貫かれた脇腹を無事だった左手で強く抑えた。
彼の足は痙攣していた。
それから数秒、じっとしていると、彼は聞き慣れない音を耳にした。
「何だ! ……この何かを掘る様な音は……!」
リゾーは目を音のする方へ向けた。
「これはッ! ……僕の血が飛び散った場所だけ土が盛り上がって……!」
リゾーは声を震わせて、誰に説明するでなく、その場所を指さした。言葉通りリゾーの血を浴びたその場所は土がどんどん盛り上がっていった。
土を弾き飛ばして、ついにそれは姿を現した。
「何ィ! 沢山の目玉ッ! 目玉がッ! ……まさか……コイツらもッ!!」
彼の目に映ったのは壷、靴、土偶、筆などの所謂この国の[芸術]と呼ばれる物だった。そして、それらは全て人間のそれよりは確実に大きい目玉と無数のトゲを有していた。
「マズイぞ! 襲ってくるッ! エモは何処だ! 一緒に逃げなくてはッ!」
そう叫びながら彼は痙攣している足に喝を入れた。しかし、貫かれた右足は言う事を聞かない。
彼は右足を引きずって這って移動するしかなかった。当然すぐに追いつかれてしまう。
「うわああああ!」
リゾーは悲鳴を上げ、目を瞑り、頭を両手で抱えた。彼はもうダメだと思った。しかし、衝撃が来ない。薄目を開けると……
「えっ?」
さっきまで得意顔をしていたバイトの人がリゾーの目の前で口からトゲを生やしていた。否、目玉がバイトの後頭部を貫き、口からトゲを出していたのだ。リゾーの近くで阿鼻叫喚の悲鳴が鳴った
「……そんな……目玉の怪物が人を襲っている」
左手で口を抑える。吐き気がした。動けない。
「…………もう、僕だけの問題じゃない」
リゾーの目の前で発掘のバイトをしていた人達がトゲに刺されていく。筆と靴に腕や足を貫かれ、壷に首を刺されて、倒れる。彼の見た光景はまさに地獄絵図であった。
「くッ……止めろ!!」
リゾーは吐き気を抑えて、そう叫ぶ。人を襲おうとしていた壷に彫刻刀を突き立てた。
彫刻刀は容易に壺本体を貫通した。しかし、次の瞬間、壷の目玉が彼の首の方を向いてトゲを圧倒的スピードで伸ばした。
「ぐッ!」
トゲは貫通しなかったが、リゾーの首を掠めたのでさらに血をまき散らす事になった。まき散らされた血が地面に流線型を描いた。そして、またその場所の土が盛り上がる。
「ううッ……やはり血なのか。血に反応しているのか!」
情けなくそう呟いたリゾーは目玉達を倒す事を諦め、発掘現場を這って出る事にした。
「早く逃げるんだあぁー!! 殺されるぞぉ! ッギャアアア!!」
既に発掘現場にいた人間は発掘現場の裏手から直接、街へと避難を初めていた。しかしそれは、誰かが犠牲になっている内に逃げ切れるから避難できるのであって、決して平和的なものではなかった。我先に、とはまさにこのことだ。
リゾーの居るエリアは裏手から一番遠くに位置している。彼が足を引きずって裏手まで行く事は不可能であった。
「……仕方ないッ! もうこっちに入るしかない!!」
リゾーはそう叫び、裏手と逆側の建物の扉に入っていった。扉に入る寸前、リゾーはチラリと振り返った。リゾーより小さい子供が腹の真ん中を貫かれていた。
薄暗い一本の階段、その壁際に様々な掘削道具が乱雑に放り出されている。
ココは発掘現場に向かう通路、ファミア美術館の一画である。
鉄の擦れる音がして、関係者以外立ち入り禁止と書かれたドアが開いた。
ドアを開いたリゾーはすぐにそれを閉め、鍵を掛ける。
「ハァ……ハァ……美術館の中へ逃げた人達は鍵も閉めなかったのか……」
リゾーは息を整えながら呟き、その場に足を投げ出して座り込んだ。
「……クッどうして……! なんて奴らだッ!」
リゾーはギリ、と奥歯を咬んだ。目玉達のやったことは間違いなく悪である。目玉に意志があるないに関わらず、許してはならないことだった。
「オエッ……!」
リゾーは吐き出してしまった。扉を閉める時に見た光景が忘れられない。彼の脇腹は暖かい血で塗れていた。傷口から新しい血が沸き出てくるのを感じながら、さらにリゾーは血を吐いた。
「……………………いつまでもココにはいられない」
頭に浮かぶ光景を無理やり意識の外へやってリゾーは動き出した。右足を庇いつつ壁伝いに、のそのそと階段を這う。
まず、左足の臑を土で汚れた階段の一段目に乗せ、右足を左手で持ち上げて一段目に乗せる。同じく二段目、三段目と這っていく。
リゾーは何故か切れている天井の明かりを視界に収め、邪魔なスコップをどかした。
薄暗い階段の突き当たりまで到達しようかという時、彼の左手はゴツゴツした何か岩の様な物に触れた。
貧血で反応が鈍くなっていた彼は緩慢にそれを振り返った。
「……!! コイツはッ!」
思い切り殴られたような衝撃がリゾーの脳内を駆けた。彼が触れた物はなんと……!
「何だ……このデカい絵!?」
リゾーは知らないことだが、騒ぎが起きてから欲をかいたある数人がこの通路へ壁画を押し込んだのだ。結局、美術館に入るドアでつっかえたのでこの階段に放棄したのである。
「何でこんな所に……いや! それより、マズイぞッ!! 血塗れの左手で触れて
しまったッ!!!」
リゾーは焦操しきった声で叫んだ。
リゾが触れた所は血で汚れたが、彼が手を離すと、あっという間にその僅かな血液をその身へ溶かしていった。
「血が……絵、壁画全体に広がっていく……!」
リゾーは壁の方向へ後ずさりしながら苦しそうにそう吐いた。
壁画は血を薄めた淡いピンクの色になり、描かれていた人や風景が中心から次々に花のように咲く巨大な目玉に取って代わられた。
壁画の目玉達は数秒間、思い思いの方向を向いていた。が、一斉にリゾーを睨み付けた。
「くッ!!!」
リゾーはとっさに歯を食いしばって両腕で体を庇った。
一瞬後、壁画が彼の体を丸太のごとき太いトゲで殴り飛ばした。
階段の先、立ち入り禁止のドアが吹き飛ばされる様に開いた。
近くのガラスケースに叩き込まれたリゾーは辛うじて右目を開けた。
リゾーの灰色の瞳に映ったのは薄暗い階段から続くドアを文字通り吹き飛ばして入ってくる異形の目玉だった。やはりその全ての目玉がリゾーを凝視している。
「ぅぁ……」
リゾーは呼吸出来ない痛みに掠れた声と共に肺の空気を絞り出した。
リゾーは思った。ココで死ぬ訳にはいかない! 発掘現場で死んだ人達のためにも……何よりッ!! ジャンヌの[虚空に散った願い]を実現するまではッ!! 遠のいた意識を無理に繋ぎ止めた。
「まだだ……英雄ならまだ諦めない」
強く、自分に言い聞かせるようにリゾーは呟く。そして、彼は灰の瞳の焦点を眼前の目玉に合わせた。
「コイツを倒すんだ!!」
叫び、瞳を金色に変えたリゾーの姿が目玉の眼球に反射していた。
次回 暴走 その2




