鞠奈という子は──...
坂町高等学校2年6組には、熊野 鞠奈という、背が低く、大変ドジだけれど、そこが可愛いと評判の女子生徒がひとりおりました。
朝の8時すぎのこと、今日も鞠奈がニコニコと教室へやって来ました。
既に登校していたクラスメイトたちから男女問わず挨拶をされています。
「おはよう、鞠奈ちゃん。」「おはよ、琴美ちゃん。」
「おはよう、鞠ちゃん。」「おはよ、菜奈ちゃん。」
「オッハー! 熊ちゃん!」「おっはー! 翔くん!」
少なくとも二つのあだ名をつけられ、人気のある様子。
挨拶のひとつひとつに応えながら鞠奈は自分の席までやって──
──こようとしましたが、先程の琴美ちゃんの机に掛けてあった荷物に足を引っ掻けて、転んでしまいました。
「いったぁ...。」
床にぶつけてしまったようで、既に青地に黄色いアヒルの絵柄の絆創膏が貼ってある膝を手でさすっています。
大きなくりくりの瞳には涙が溜まり、今にも零れ落ちそうな鞠奈を見て、クラスメイトたちが心配そうに声をかけます。
「大丈夫!? 鞠奈ちゃん!?」
「泣かないで! はい、飴あげるから。」
鞠奈が転んだところの近くの席に座っていた女子生徒はブレザーのポケットからオレンジ味の飴を鞠奈に差し出します。
「あはは~、ごめんね。まり、ドジしちゃって。
ありがとう、綾芽ちゃん。いただきます。」
鞠奈は眉を下げて申し訳なさそうに謝ると、一転して嬉しそうな笑みを浮かべて飴を受け取り口に入れました
。
クラスメイトたちは安堵したように ほっ、と息をついています。
「おいしぃ~。」
片方の頬を膨らませながら言う様は、まるでハムスターのようでした。
「ありがとねぇ、みんな。
みっさぽーん、おっはよー!」
クラスメイトたちに微笑むと鞠奈は自分の席の後ろ、中森 実砂の席へ──今度はつまづくこともなく──クラスメイトたちの視線の中を元気よく走っていきました。
鞠奈を見守るような暖かい視線だけということはありませんが、親が幼い子に向けるようなものが多く見られます。
「うん、おはよー、鞠奈。」
鞠奈を迎えたのは男の子のように短く切り揃えられた髪形の女子生徒でありました。
実砂と鞠奈は小学一年生の時からの幼馴染みであり、親友でありました。
お互いに家も近いのですが、実砂は鞠奈ほど早起きが得意ではないので、別々に登校しています。
「あいかわらずドジね。今日は何してたの?」
この言葉も毎日繰り返され、もはや恒例の挨拶と化してきています。
「今日はね、朝練してる陸上部の先生と話して、3組の谷先生の印刷を手伝ってきて、文芸部の一年生の子たちが先輩の誕生会の計画をたててたから一緒に会議してきた!」
「あいかわらず、友好関係広げてるのね。」
「うん! 人脈広いと便利だもんね。」
「そうね。皆、鞠奈が計算高いだなんて夢にも思ってないんでしょうね。」
「それはそうでしょ。ドジるまでは素だもん。」
そう、坂町高校のアイドル鞠奈は、実はかなり計算高い子でありました。 が、幸いなことに演技も上手でありました。
ですから誰にも計算高いことなど知られず、生徒や教師たちの心を着実に捉えていっているのです。
しかし先程のようなドジや、綾芽のように飴などをくれた子に何かお礼をすることは計算でも何でもなく、素です。
ただ、ドジった後の瞳に涙を溜めるというような行為や、人脈を広げようとする行為が計算の下で行われているのです。
それを知るのは、鞠奈の家族と、長年付き合いのある親友、そして鞠奈本人くらいのものなのでした。
※2014/2/17
『そう、坂町高校のアイドル鞠奈は、実はかなり計算高い子であり、幸いなことに演技も上手でありましたので、誰に知られることもなく、生徒や教師たちの心を着実に捉えていっているのです 。』
としていた表現を変更しました。内容に変更はありません。
※2014/3/2
鞠奈が実砂に駆け寄る部分に加筆しました。
内容に少々変更があります。




