2÷(憧憬+憂悶)=萌芽
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「――先生の都合により、この時間は自習となりました」
伝達のために来た学年主任の言葉によって、朔美の表情に暗雲が立ち込めた。
「急のことなので課題プリント等も出ていません。各自しっかり期末テストに向けて勉学に励むように」
その言葉を残して学年主任が教室を後にすると、最初こそ教科書を開いていた生徒達も徐々に騒がしくなっていき、すぐに席を移動したりするようになった。
朔美の周りにも自然と包囲網ができあがる。
現在周りを囲んでいるのは、クラスでは一番よく会話をする川原裕子、吉村梓、山口ひろみの三人だ。
「やっほーさく。自習とかマジ楽だよなー。期末の勉強なんて誰がするかっての」
黒髪ショートの姐御肌、山口ひろみが前の空席の椅子を引きながらしたり顔を向ける。
「期末までまだ三週間もあるしねー」
「もう三週間しかないのよ」
それに続いて薄茶のゆるボブで癒し系の吉村梓に、薄桃の下縁眼鏡のクール系黒髪ストレートの川原裕子が朔美の隣に立った。
「そうだねー。期末とかめんどいよねー」
にこにこ眩しい笑顔で朔美の反応を待つ三人に、朔美は無難な笑顔で返答する。
ドア側の壁と彼女らに挟まれて、圧迫感に頭がくらくらしてくる。
ちらりとひろみの後方頭上に掛かる時計に眼をやる。
(まだ四十五分もあるの……?)
十分の休み時間の時はお手洗いや次の授業の準備などを合わせれば、クラスメートと顔を付き合わせるのは正味五分程度だ。
しかし今はその九倍もの時を暗鬱な気持ちを隠しながら過ごさなければならない。
朔美にとっては授業を聞いている方が余程楽なのだ。
「さくちゃん、なんか顔色わるくない?」
梓が首を傾げながら朔美の顔を覗き込んでくる。
「え? そ、そんなことないよ?」
本当? 大丈夫? 保健室いこうか? と三人が矢継ぎ早に問い掛けてくる。大丈夫だと首を横に振りながら、朔美はとても申し訳ない気持ちになった。
こんな自分と懇意にしてもらっている上に、その厚意を踏みにじるような想いでいることに。
でも仕方のないことなのだ。生まれながらに備わっていた一人が好きな自分の性格を変えることなどできるわけがないし、変えたいとも思わない。
それでもこの世界は協調で成り立っている。反発すれば敵対され、余計に眼をつけられて生きづらい世界をつくるだけだ。
ふと、窓際の一番後ろの男子生徒に眼が行く。
栗原一馬だ。彼は頬杖をつきながらボーッとこちらの方に顔を向けていた。
彼の周りにクラスメートはいない。
朔美の中での一馬は、特に目立つわけではないが誰にでも分け隔てなく接する愛想の良いクラスメートだ。でもそれは以前までの印象であり、知り合ってしまった今では若干見方が変わった。
人付き合いに関してはかなり打算的。特にその距離感は絶妙で、一人になりたい時はいつでもそれを可能にできる。
そんな一馬がとても羨ましくもあり、妬ましくもあった。
朔美が自分の容姿が沢山の人を惹き付けるレベルにあることは重々理解している。謙遜するつもりも否定するつもりもない。子供の頃から培われた経験に裏付けされた事実だ。自分に求められているポジションについても成長するにつれ徐々にわかってきた。
だからこそ自分は笑顔でいなければならない。
これが則ち一人になれる最善の手段だからだ。
しかし一馬にそれは必要ない。
お世辞にもクラスの中心になれるとは言えない容姿は、朔美にとっての理想の姿だ。そんな姿に生まれ変われるなら、もっとずっと生きやすい世界になっていた筈なのに。
「やっぱさ、昴クンが絶対にカッコイイって!」
「でも速見昴って女優の……だれかとデキてるって噂よ」
「風見春夏だよね〜」
朔美が考えに浸っている間に、話の内容は期末考査から今流行りのアイドルの話題になったらしい。
もう一度時計に目線をずらす。
無情にも長針は数字と数字の間を一つ移動させただけだった。
「なーさくも思うだろー? あずさは絶対新聞とか読まないタイプだよなー?」
「え? う、うん、そだね。でも彼女いるんじゃねー」
唐突に話を振られて、朔美が慌てて返答する。
すると三人はぽかんと眼を開いた。
「さく、今は速見昴の話じゃないわ」
「へ? あ、ごめんなんだっけ?」
またいつの間にか話題が転換していたらしい。
「さくちゃん、なんかここ二、三日ボーッとしてない?」
「え、え〜? そんなことないよー」
朔美は頭を掻きながら、胸の前で手をふるふると振りながら笑顔を見せる。
梓の指摘は間違っていなかった。
ここ最近は一馬と過ごす昼休みがとても待ち遠しく、早く昼休みが来ないかとずっと考えているくらいだ。
とは言っても別に一馬に会いたいという意味ではない。ただ単純に自分と同じ価値観を共有できるという事に心が高鳴るというだけだ。今までそのような人に出会ったことがなかったから。
特に今日は朔美が昼休みの過ごし方をご教授してあげる日なのだ。
この昼休みを理解してくれるのは一馬以外にいないであろう。
そんな事を考えてる時だった。
「なぁ山川くん、ちょっとはやい昼休みってありだと思う?」
朔美の隣の生徒、山川良人に一馬が話し掛けた。
その声に周辺の生徒が一馬と良人に眼を向ける。
ひろみや梓、裕子も不思議そうに二人の方に振り向く。
皆はどうかは知らないが朔美はとても驚いていた。話し掛けられれば愛想良く返してくれる一馬だが、彼が自分から誰かに話し掛けているのを見たことがなかったからだ。当然クラスでも唯一朔美に話し掛けてこなかったのが一馬である。ともすれば朔美が気にするのも当然のことだった。
「うーん、いいんじゃないかな。どうせこのまま昼休みに入るわけだし、まぁ僕はこのまま本を読んでるだけだけどね」
一馬が良人のその言葉に得心すると、
「じゃあ外行くのもおっけーかな?」
と続けて、良人の賛同を得てから教室を出ていった。
暫くざわつく教室の中で、次第に我も我もと声が聞こえてくる。
朔美は気づいていた。教室を出る瞬間、こちらに視線を向ける一馬に。
これはきっと彼なりの手助けなのかもしれない。
でもなければ、一馬が不自然な大声でそんなことを宣うわけがない。
「じゃあわたしも、一足はやくお昼休みもらっちゃおーかなー」
だから朔美は言った。得意の八重歯を見せる満面の笑顔で。
「えー、今日ぐらい一緒にごはん食べない?」
梓がぷくりと頬を膨らませると、裕子が口を挟む。
「どうせ愛する彼氏のために特等席でも取りに行くんでしょ?」
「うーんまぁ……えへへ」
朔美は後頭部を撫でながら曖昧に言葉を濁して席を立つ。
「ちぇー、一人身の悲しい女子達は仲良く食べますよーだっ」
ひろみの捨て台詞に「ゴメンね!」と顔の前に手を立て舌を見せて、朔美は教室を飛び出た。
走り出した足がとても軽い。まるでスキップのように優雅な足取りだ。
早くしないと一馬は約束を破って一人でどこかに行ってしまうかもしれない。
「ふふっ」
何故だか笑いがこみ上げてくる。きっと一馬は駐輪場にいる。確信などありはしないが、なんとなくそんな気がした。
昇降口でローファーをつっかけて、突き刺す太陽に眼も暮れず、朔美はスカートを翻しながら走り出した。