2÷(安寧+狼狽)=メール
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「また明日……な」
「うん、また明日」
夏の暖気を孕みながらも、すっかり陽も落ちた紺色の風景の中で、二人は公園前で少し照れくさそうに手を振り合った。
朔美は遠ざかっていく一馬の背中をしばらく眺めていた。
すると一馬がこちらへ振り向く。
振り返ったことが恥ずかしかったようで、一馬は慌てて前を向くと、ぶっきらぼうに片手だけあげた。
朔美はそんな姿にくすりと微笑して、その背中にもう一度手を振り返した。
ようやく一馬の姿が視認できなくなってから、朔美は踵を返して帰路へとついた。
「ただいま」
店の裏側にある玄関口から廊下を通ってリビングに顔を出すと、宏臣はエプロン姿でキッチンに立って夕飯の用意に忙しそうだった。
「おう、おかえり。送っていった割には随分遅かったじゃねえか」
「ん〜、ちょっとね」
「なんだ、公園かなんかでいちゃついてきたとかかぁ?」
「い、いちゃついてなんかないしっ!」
茶化すような物言いで、ピンポイントで言い当てられてしまって慌てて誤魔化す朔美。
部屋内はエアコンが効いている筈なのに、変な汗も出てきてしまう。
「ふーん、まぁいいや。そろそろメシできるから食器用意してくれ」
「むぅ、わかったよぉ」
全く信じていないようににやけ顔を浮かべている宏臣に睨みを利かせて、朔美は食器棚にある受け皿の用意に取りかかる。
「んで、実際んとこどうなのよ?」
「どうって何が?」
「一馬のことだよ。好きなのか? あいつのこと」
「ふぇ!?」
朔美は食器棚から取り出したお皿を落としかけた。
「おいおい、割るなよ?」
「お、お父さんが変なこと聞くからでしょ!」
「感じたままを聞いただけなんだがなぁ」
「だ、だから! 栗原は別にそんなんじゃなくて――、」
顔を真っ赤に染めて反論する朔美。
しかし、ふいに言葉の後が途切れる。
では栗原一馬は水野朔美にとってどんな存在なのか。
関係性を表す言葉はたくさんある。
知り合い、同級生、級友、友達、親友、想い人……等々。
一番近いのは友達だろうか。
それでも友達というほど遊びに行ったり、休み時間の度に談笑したりする仲ではない。
級友とランクダウンさせてみてもしっくりこない。
昼休み限定で内密に行動を共にしたりする関係が級友であると言うのはおかしな話だ。
「さくちゃんよぉ。俺は別に野次馬根性でいちゃいちゃとか好きなのかとか聞いたわけじゃないぞ」
ついつい考え込んでしまっていた朔美に、宏臣は調理する手を止めて朔美の方へ体を向ける。
「好きっていうのにも色々ある。友人として好き。異性として好き。人間として好き。どんな好きかなんてのはお前の自由だ。ただな、単純に親心として、お前がウチに初めて連れてきた人間のことを、娘はどう思ってるのか聞きたかっただけだ。……お前が他人に心を開かないってことは知ってる。お前は昔の俺に似て、一人でいるのが好きみたいだからな。だからこそ、朔美があいつを連れてきた理由がとても気になってたんだ」
「……さっきのお父さんの質問には、まだはっきりとした答えは出せないよ。でも、栗原は……栗原だけは、本当のわたしを見てくれるの。私が良い意味でも悪い意味でも世間から外れてるっていうのはわかってるつもり。でもそんな私を理解してくれて、一緒になってバカなことやってくれる栗原といるのは――、」
それは一つの言葉だけでは表せない。それでも言葉に出して表現しなければならないのだとしたら、率直な感情をそのまま口に出せばいい気がした。
「すごく楽しいよ」
本当に心の底から感じていることが、言葉に、そして表情に出せた気がして、朔美はとても満たされた気持ちになった。
「そっか」
宏臣もそんな朔美の笑顔につられるように、頬を緩ませた。
夕飯も済ませた後はシャワーも浴びて、すっかり火照ってしまった身体を部屋のベッドに腰掛けながら冷ましていた。
今日あった出来事に想いを馳せながらお湯に浸かっていたら、少しのぼせてしまったようだ。
決して夕方のハプニングを思い出して、こそばゆい気持ちになってしまったわけではないと、朔美は心の中で誰にでもなく言い訳をする。
暫くベッドの上でボーッとしていると、側に置いてあったスマートフォンが震えた。
差出人の名前を見て、朔美の心臓がどきりと揺れ動く。
メールは一馬からだった。バイトの予定は朔美経由で連絡を取り合うということで、先程連絡先を交換したばかりだった。こんなにも早く連絡が来るとは思わず、朔美は柄にもなくそわそわしてしまう。
夕方のことなぞ話題にされたらどうしよう。
そんなことを懸念しながら本文を読む。
「……はぁ、なんだぁ」
朔美は一気に脱力した。
明日の予定の確認という事務的な内容のみだったからだ。
しかし、そんなそっけないメールがとても一馬らしくて、思わず笑みがこぼれてしまう。
「明日は朝十時からで合ってるよ……っと」
無駄に慣れてしまった手つきであっという間に文字を打ち終えて、送信ボタンを押す。
が、朔美は思い立って送信中に慌ててキャンセルした。
そしてもう一度本文入力画面を立ち上げて、もう一言だけ添えた。
『明日の午後、練習終わってからどこか遊びにいかない?』
そして勢いのままに送信ボタンを押して、決心が揺るがない内にスマートフォンをほっぽった。
一仕事終えた後のように大きく息を吐いて、ベッドに大の字で寝転がる。
するとまたすぐにスマートフォンが振動する。
朔美は飛び起きて早押しクイズのようにスマートフォンを拾った。
「――――〜〜〜〜ぅぅぅぅ!」
枕に顔を埋めて、足をばたばたさせる。
何かにぶつけたくなるような感情を必死に枕に吸い込ませる。
高鳴る心臓の音がはっきり自分で聞き取れる。
胸に暖かいものがこみ上げてくるのを感じる。
せっかく冷めてきていたのに、またのぼせてしまいそうだ。




