(郷愁+天気)÷2=契機
そう言って、悪戯を思いついた少年のような表情を向けてから、返事も聞かずに公園へと小走りで駆けていく。
一馬は声をかけるタイミングを逸して、仕方なく自転車を押したまま後に続いていく。
公園内は人っ子一人居らず、それは静かなものだった。
よい子のチャイムが鳴ってからすでに三十分以上が経過しているため、昼間は子供たちやそのお母さん方の声で賑わっている華やかな場所も、打って変わってひっそりと静まりかえっている。
ざっと公園内を見渡すと、家二つ分ほどの敷地内の中に、十二時の方向から時計回りでブランコ、鉄棒、滑り台、砂場、ジャングルジムが順にフェンスに沿うように設置されている。各遊具の間には申し訳程度にベンチが置いてある。町の一角の小さな公園といったところだ。
「ほら、栗原こっちこっち」
そんな静寂を保っていた公園内に朔美のソプラノが響く。
辺りを見回していた一馬は、朔美が手招きしている方へと足を向ける。
一馬が近づいていくと、朔美は二本の長い鎖で吊されている椅子に腰掛けていて、キーキーと小刻みに揺らしていた。
「ブランコ!」
まるでとっておきの宝物を披露するように朔美は満面の笑みを向ける。
「おう、紛れもないブランコだな」
一馬が返答に困ってぶっきらぼうに言うと、朔美はぶーっと膨れてじっとりとした眼を向ける。
「なにさ、あんたはなんの郷愁も感じないというのかい?」
「今のところはなぁ」
突然、どこにでもあるブランコにノスタルジアを感じろと言われてもどだい無理な話である。ただでさえあまり多感な性格ではないのだ。そもそもブランコから思い出話に話題転換しようという発想自体が浮かんでこない。
「えー、小さい頃とか乗ったことあるでしょ? ブランコは小さい頃の楽しかった思い出を振り返るモノなんだよ?」
「いや普通に子供が遊ぶためのモノだろうよ」
「いいからいいから、栗原も座ってみなよ。……隣、空いてるぜ?」
冷静なツッコミで朔美の夢を壊す一馬に、まるで後ろに乗れと誘う女ライダーのように隣のブランコを親指で指し示す。
そんな朔美をちょっと似合うかもと思い浮かべながら、ブランコのすぐ側に自転車を停めて、隣のブランコに腰掛けた。
「ここの公園じゃないんだけどね……、」
と、同時に朔美が口を開く。
「わたしが幼稚園くらいの頃かなぁ。よくお母さんに連れられて、大好きなブランコに乗りにきてたんだよね」
初めて話題に出てきた朔美の母親というワードに、一馬は朔美の方に振り向いて興味を示す。
「あ、お母さんはわたしが小学校に入ってからすぐに病気で死んじゃったんだけどね」
「……わり、なんか言わせちまったみたいで」
「うんん、ようやく物心ついてきた頃のことだったし、その時の感情とかもよく覚えてないんだ。だから、気にしないで」
朔美が少し気恥ずかしそうに笑うと、足でゆっくりと揺らしていたブランコに勢いを付け始めた。
「でもねっ、これだけはっ、覚えてるのっ!」
次第に振り幅の早くなる朔美のブランコを横から眺める一馬。
「あぁしたてんきにぃ……っ、」
そしてこれ以上ないというほどに漕ぎ切ったところで、
「なぁれぇ!」
朔美はそう叫んで、空を蹴り上げるように履いていたつっかけを放った。一馬も朔美の足から離れたそれを眼で追いかける。
つっかけはまるで虹のように綺麗な放物線を描いて飛んでいく。夕焼けをバックに揺れ動く様は、つっかけという滑稽な物の筈なのに、まるで優雅な鳥のようにも思えた。スローモーションのようなその様子は、ぽてっという間の抜けた音によって現実に引き戻された。
「わぁ、新記録!」
大きく揺れ動いていたブランコに急ブレーキを掛けると、そのまま降りて片足けんけんでつっかけの元へ走り出していく。一馬もつられて朔美の背中を追いかける。
「あんま急ぐとこけるぞ」
「大丈夫大丈夫! ……やったぁ、晴れだぁ!」
見事表になっていたつっかけを発見して、朔美はとても嬉しそうに頬を緩ませて、けんけんしながら万歳を繰り返している。
まるで靴飛ばし選手権にでも優勝したかのような喜びように、一馬は首を傾げた。
「おまじないにそこまで感極まってるってのは行動記録に追加してもいいのか?」
「むぅ、これはただのおまじないじゃないんだよ? 未来を決めるおまじないなんだから!」
未来なんて大げさな、と一馬が心の中でつぶやいていたら、朔美はまるで心を読んだように釘を差してくる。
「あ、今大げさって思ったでしょ?」
「そりゃだって天気を決めるだけで未来だなんて言われてもなぁ」
すると朔美は外国人のようなオーバーアクションでわかってないなぁとため息をつく。若干いらっとした一馬だったが、そこは抑えて理由を問う。
「じゃあなにを決めるっていうんだよ?」
「飛距離が効力の期間で、表なら明日からきっといいことあるよって、神様が教えてくれてるってこと。お母さんが昔、そう教えてくれたんだ。だから、……ってわわっ!」
「あぶねっ!」
ついつい説明に力んで前のめりになった朔美が、片足のバランスを崩して一馬の方に倒れ込んできた。咄嗟に一馬が肩の辺りを押さえて支えようとするが、間に合わずに朔美は一馬の胸の中に飛び込んでしまった。
「……っ」
「……ぁ」
突然の出来事に動揺して、二人して身動きがとれなくなってしまう。一馬の行き場を失った両手は朔美の背中辺りで宙をさまよい、また朔美は一馬の胸に置かれた両手と頬をどうしていいかわからなくなっていた。
それもそのはず、出会ってから三週間、これまで会話によるふれあいはあれど、肉体的な触れあいは一切なかったのだ。段階をすっとばして抱きつくような格好になってしまえば、動作不能になるのも無理はない。
どこか変わっている二人も、やはり思春期の高校生といったところだ。
「……ふふ」
「……おい、なにがおかしい」
「栗原の心臓、すごくはやくなってる」
「……おまえだって、耳まで真っ赤だ」
「そういうこと言うのは野暮だと思うなぁ」
「その台詞そっくりそのまま返してやるよ」
こんな状況でもお互い減らず口が出るのは、二人の在り方なのかもしれない。
「ほらね……、」
朔美がそう呟くと、そのまま顔を上げて一馬を見上げ、
「やっぱり栗原といると面白いことだらけだっ」
可愛らしく首をかしげてはにかんだ。
その瞬間、一馬は心の中で何かが落ちる音が聞こえた気がした。




