(ダンディ+遺伝)÷2=父親
あまりにもそば屋には似つかわしくないその曲は、マジシャンが手品を披露する時に流れる定番曲だった。
一馬の頭の中は今、無数のクエスチョンマークで埋め尽くされている。
「水野、一体何が始まるんだ?」
「何が始まるんだっ!?」
「いや俺に聞き返すなよ」
どうやら朔美も理解できていないらしい。
二人で訳も解らずあたふたしていると、しばらくして店の奥から青の蝶ネクタイに黒のロングタキシードを身につけたオールバックで細身の中年男が姿を現した。顎には無精髭を蓄えている。とても渋いちょい悪親父というというとわかりやすいかもしれない。
ぽかんと口を開けてほうけている二人の元にゆっくりと歩いてくると、座敷に上がって朔美の隣に腰掛けた。
口角を吊り上げ、鋭い目つきで一馬を見つめると、おもむろにタキシードの内ポケットからトランプを取り出した。
「今から私がこのトランプの束を弾きます。あなたがそこだと思ったところでストップと言ってください」
「は、はあ……」
謎の中年マジシャンの声はとてもダンディだった。
一馬は今だに状況が飲み込めないながらも頷くと、謎の中年マジシャンはトランプを弾き出した。言われた通りにストップを掛けると、マジシャンの弾く手が止まった。そしてその止まった場所のトランプを抜き出して三人が見えるように表にした。
「ハートのキングだね」
マジシャンはそう言うと一馬にそのカードを持たせる。
「ではそのカードをこの束の中のどこかに入れてみてください」
一馬は差し出す束にハートのキングを差し込む。
「では今真ん中の辺りに入れたハートのキング――」
マジシャンは一つ指を鳴らした。
「こうすると上に上がってくるんです」
その言葉の通り、マジシャンが束の一番上からひっくり返したカードは、先程のハートのキングだったではないか。
「え!? なんで? 確かに真ん中に入れたはずだったのに……」
流石の一馬も、これにはリアクションせざるを得ない。
「――……ふっふっふ、あっははははは!」
すると突然人が変わったようにマジシャンが笑い出した。
「ちょっとお父さんっ! 普通に出てきてっていったじゃない!」
朔美が顔を赤らめてマジシャンを非難する。
「いやぁすまんすまん。しかし昔から娘が彼氏を連れてきたときは、まずマジックを披露してやって、親父の威厳を見せ付けてやるって決めてたからなぁ。はっはっは!」
「そんなの勝手に決めないでよっ! っていうか彼氏じゃないってば!」
俺にもクラスメイトにも見せない正真正銘素の朔美がいて、一馬はとても驚いた。だがそれより何よりもっと驚いたのは、ダンディだった朔美の父の変わり様だ。てっきりそば屋の気難しい大将をイメージしていた一馬だったが、良い意味で裏切られた感じだ。彼氏というのを即答全否定されたのはとりあえず置いておくとして。
「ごめん栗原、これ私の父です」
「これとはあんまりだなさくちゃんよぉ。改めまして水野宏臣です。これでも一応朔美の父やらせてもらってるよ」
「初めまして宏臣さん、水野……朔美さんのクラスメイトの栗原一馬と申します。これから一ヶ月ちょっとお世話になります」
一馬がきっちり頭を下げると、宏臣は身を乗り出して一馬の肩を二度三度叩いた。
「はっはっは。そう硬くなるなって~。俺のことはヒロちゃんとでも呼んでくれて構わないからよぉ」
「いや、呼ばないっす」
「ヒロちんの方が良かったか?」
「呼び方の問題じゃないですって」
「なんだよつれねえなぁ。ま、でもその突き放す感じ、嫌いじゃないぜ」
宏臣は銃を撃つような素振りをしてウインクをする。一馬は苦笑いで受け応えをして向かってきた弾をいなした。
紛れもなく朔美の父親であることは、この一連のやりとりですぐにわかってしまった。整った顔つきをしていながらも、どこか一風変わった性格をしているこの感じはまさしく遺伝の賜物である。
「もう恥ずかしいなぁ。なんで普通に出てこれないのさ」
朔美がぶすっと宏臣を睨みつける。
「俺がそば屋の格好して出てきても何も面白くないだろ?」
「それはそうだけどさぁ」
それはそうなのか、と一馬は心の中で突っ込みを入れる。
「それに、こっちの方が本職なんだから当然の登場シーンだったろう」
「それもそうだけど……」
本職がこっちかよ!? と一馬は思わず口をついて出そうになる。
「でもっ! 面白さも大事だけど、私が初めて友達連れてきたんだから、最初くらいもうちょっと真面目に登場してほしかった!」
「なんだ朔美、お前にしては珍しく体裁気にするんだな」
「だって……」
言い訳を我慢する子供みたいに口を尖らせて、何故か一馬に目を向ける朔美。
一馬は眉間にしわを寄せて首を傾げるが、朔美はすぐにそっぽを向いてしまった。
この二人の会話に、一馬はどこか違和感を感じていた。
朔美ほど体裁を気にしている生徒は、今の学校には見当たらない。いつでも周りに合わせて、人気者の自分を演じきっている朔美に対して、宏臣の言葉は当てはまらないからだ。
だとしたら、結局のところ一馬相手にでも朔美は本当の自分というものを見せていないことになる。
共闘した仲で、少しはお互いのことを分かり合えたのかもしれないと一馬は思っていたが、一方通行だったと時期尚早な自分を戒めた。
一馬は体裁など気にしないのだ。だからこそ朔美が一馬に対してもそのように接していたとしてもそれもそうだと納得できる。
しかし、だったら何故朔美は自分と関わろうとしたのか。そのことばかりはどんなに考えても一馬にはわからなかった。