(普通+予想外)÷2=蟠り
「は?」
一馬は思わず気の抜けた声を上げてしまった。
「歌っちゃったらお昼休みにただカラオケしにきた高校生になっちゃうじゃん!」
朔美は机を叩いて声高々に立ち上がる。
「何言ってんだ、ここに歌いに来ないで何しに来たって言うんだよ?」
「もちろんご飯を食べにきました!」
凛々しい顔つきでサムズアップする朔美を見て、一馬は思わず頭を抱えた。
カラオケ屋に昼食を取りに来る意味が果たしてあるのだろうか。それもわざわざ学校の昼休みにだ。
「カラオケ屋である必要がないだろ」
「カラオケをするところにご飯だけ食べに来るってとこが肝だよ! だってその方が普通じゃないじゃん」
昼休みにカラオケ屋に来ること自体が既に普通ではないと一馬は突っ込みたかった。しかし朔美はそんな一馬の気持ちなど知る由もなく、まるでここは元からレストランだと言わんばかりにご飯と飲み物を咀嚼している。
このあまりに予想外な行動には思わず尊敬の念を覚えずにはいられない。
「お前すげーなぁ。流石にその度胸は俺にはないわ」
そう言うと、きょとんと食べる手を止めて首を傾げた。
「そうかな? わたしからしたら、栗原の方がよっぽど度胸あると……思うんだけど」
そして朔美は発言の途中でなぜかそっぽを向いて口を尖らせた。心なしか頬が赤くなっていると一馬は思った。
一馬も朔美の言うことが理解できず眉間にしわを寄せた。
自分に朔美のような一度決めたら必ずやり遂げる行動力や、へんてこな振る舞いを実行する度胸などはないと思っている。しかしひょっとしたら違うベクトルの度胸というものがあるのかもしれない。自分では気づいていないだけで、世間一般的には度胸と呼ばれているものが備わっているのではないかと頭を過ぎった。自分は世間一般の部類には入らないだろうからわからないだけであって。
「とにかく、今歌うのはダメ! ペケ!」
朔美は胸元でバツ印を作って頬をぷくっと膨らませる。
「まぁ別に俺は歌わなくてもいいんだけどさ。なんか随分頑なだな」
そう指摘すると、朔美はびくっと肩を揺らした。
「…………栗原は、フタカラの経験は?」
「フタカラ?」
「二人でカラオケに来たことはある?」
「二人きりはないな」
そう答えると、朔美は突然にやりと口許を吊り上げて、魔女のような笑いを漏らす。
「なんだどうした」
「フタカラはね、地獄なんだよ」
虚ろな眼を一馬に向ける朔美。その眼には覇気が感じられず、どこか昔を思い出すかのように虚空を掴んでいた。
「ちょっと前にね、来たんだよ、ひろみと」
山口ひろみ、黒髪ショートの姐御肌と一馬はすぐに顔が浮かんだ。
「放課後ひろみが他に誘う人がたまたま誰もいなくて、どうしてもって言うからその日は断れなくて仕方なく行ったんだけど、……あれはホントに苦痛でしかなかった」
「……一体何があったんだ?」
ごくりと生唾を飲み込む一馬。
「歌うと喉が渇くじゃない?」
「だな」
「それで、特にひろみはトイレが近いらしくて、わたしが歌う番になるとトイレ行くか飲み物取りに行くかでいつもいなくなっちゃうんだよ!?」
歯ぎしりが聞こえてきそうな程に悔しそうな表情を見せる朔美。
「しかもしかも、わたしが歌う前に行けばいいのに、ちょうど二番に差し掛かったくらいに狙ったように部屋を抜けていくの! そしてちょうど曲が終わるころにふらっと戻ってきて既に予約してあった自分の曲を歌いだすのよー! その間のわたしの一人ライブの哀しさったらさぁ〜……!」
完全に愚痴だった。ストローを使わずに飲み物を一気に飲み干して、親父みたいな声をあげる朔美はまるで酔っ払っているようだった。
「そうか……」
俺は苦笑いで陳腐な返事しかできなかった。
これは推測でしかないが、もしかすると朔美は歌が物凄く下手なのではないかと一馬は思った。
山口も朔美の音痴に耐え兼ねて、部屋を抜け出していたなら納得が行く。
「そっ! だから二人の時は歌わない。これ鉄則だよ」
「じゃあ俺が歌いたいって言ったら?」
「ご自由にどうぞ。私はイヤホンつけて音楽プレーヤーで適当に聴いてるから」
「どんだけフタカラに恨み持ってんだよ」
冗談冗談と快活に笑う朔美。
「いいから残り食べちゃお? もうあと十分しかないし」
スマートフォンを滑らせると、いつの間にか入った時間から五十分も過ぎていた。最近何かと時間が過ぎ去るのが早いと感じる。
それは朔美と関わるようになってからということは認めざるを得ない事実だ。
楽しいとか嬉しいなどという感情ではないと一馬は自分を見つめ直す。いつだって自分は一人でいるときが一番なのだから。
でもこの感情は一重には言い表せない。
爽やかな春の陽射しに包まれるようなぽかぽかとした温もり。温かい飲み物を口にした時のような感嘆の声が漏れそうなこの気持ち。
しかし一馬にはまだその気持ちの正体を突き止めることができなかった。
それでも一つ言えることは、悪い気はしないということだけだった。
残り五分でカウンターの方から御呼び立てが掛かると朔美は退出の旨を伝えて、最後の一切れのピザを平らげてから、二人はカラオケ屋を後にした。
帰りは特に会話をすることなく、並走しながら学校へと戻った。ちょうど午後の授業の開始十分前に駐輪場に到着したので、余裕を持って教室に向かうことができる。
一馬は自転車に鍵を掛けると、一足先に教室へ行こうと朔美に声を掛けた。
「そんじゃな、水野。教室には一緒に行かないほうがいいだろ」
そう言って手を上げながら朔美に背を向けると、
「待って」
と制止の声が当てられた。
「ん?」
一馬が振り向くと、朔美はおずおずと上目遣いを向けながら切り出した。
「放課後……、一緒に帰らない?」