パパとママとせののとANG
人生の最大の幸福は一家の和楽である。円満なる親子、兄弟、師弟、友人の愛情に生きるより切なるものはない。 by 野口英世
00『まぁいいでしょう』
「わぁ、ありがとう!」
花が咲くような笑顔。今しがた手渡した物を両手で抱え、嬉しそうに女の子の顔が華やいだ。いいことするって気持ちいい。
軽やかに駆けて行く女の子の背を見つめて、わたしはふと、そんなことを思ってしまいました。廊下を走るのは校則違反ですが、まぁいいでしょう。
「絶対聴きます! また明日!」
女の子の笑顔に手を振り返してから、背を向けてわたしも歩き始めます。鼓動にシンクロするように、自然と一歩一歩が加速して、とどまるところなど知りません。
さて、そろそろ話すと致しましょうか。
これはあの女の子の物語。
幸福は一家団欒の後に、あるいは、とある真夏の黒歴史。
その物語の顛末を、さぁ、始まり、始まり。
とありあえずわたしも廊下を走っていますが、まぁいいでしょう。
01『この女の子の名前は』
この女の子の名前はせのの。中学二年生でこの前14歳になったばかり。いつでもどこでも元気いっぱい。明るい笑顔がチャームポイントです。
でも、そのせののは今、いつもの元気も明るさもありません。電気の消えたおうちの廊下で、リビングから漏れ出る明かりを逃げるようにして、階段にへばりついて静かに二階を目指しています。
「……せのの?」
「!?」
その背中に突然声がかかりました。廊下に電気が点いて、せののが振りかえると、メガネをかけた七三わけのぴしっとした男の人が立っていました。せのののパパです。
「で、何をしてるんだ?」
「はぅ!?」
おうちの外に居たことがバレるとまずいので、せののは上手くごまかそうといろいろ考えます。でも自分の状態を見返して、どうしようもなかったので諦めました。階段にへばりついたせののの姿は、ちょっと残念過ぎました。
「こんな時間に外に出てたのか? お勉強はどうしたんだ」
(出てました、やってません、ごめんなさい)
「宿題は終わったのか?」
(終わってません、ごめんなさいぃ)
パパの説教に心の中でざんげしながら、せののは廊下にだまって正座しています。素直に言っても、長くなるだけということを、せののは知っています。
パパのトイレと一緒です。リビングに居ると思っていたのに、せののが外から帰る前からトイレにいたなんて、まったくもうてんでした。それにしても、パパは怒ると声が大きくて怖いです。
「どうしたのあなた? ……あら、せのの?」
その声でリビングから、フリルのエプロンが似合う女の人が、ロングサイドテールの髪を揺らして顔を出しました。おっとりとして、優しい雰囲気です。せのののママです。
パパの声が大きいので、怒られているといつもママが仲裁にやってきます。せののは心の中で、ほっとため息をつきました。無事に逃げ切ったということです。
「そんなに努鳴ってもダメよ……。分かったわ、せののはすぐにお部屋に戻ってお勉強すること。宿題もまだなんでしょ?」
「……はぁい」
「お、おい」
せののは素直にママの言葉に従うことにして、自分の部屋に戻りました。千載一遇の好機ということです。
「はーいあなたはこっち。せっかく晩酌の肴を用意したのに冷めちゃうでしょ。……あ、わたしも食べるんだから残しといてね」
「おまえ、この間ダイエ「なぁに?」……なんでもない」
まだパパが何か言いたそうでしたが、ママのほうが強いことをせののは知っているので、安心でした。パパとママはまだ廊下で喋っていますが、せののは聞いていませんでした。
02『1989 サマーキャンプ ANG』
部屋に戻ったせののは、教科書とノートと宿題のドリルを机に広げ、椅子に座……らずに、服の中に隠していたあるものを取り出しました。それは古い、CDラジカセという機械でした。
災害対策用、ということで庭の倉庫の中にあるものです。せののはおうちの外に出ていましたが、庭から出ずに倉庫へ向かっていたのです。
「えっと……あれ、ない。奥に入っちゃった?」
そしてせののはベッドの下に手を伸ばして、ごそごそと何かを探し始めます。ようやく取り出したのは……これも古い、カセットテープでした。
「あった! 1989、サマー……合ってる」
せののはそれを、CDラジカセにセットします。今日学校の放課後に、担任の先生のお手伝いで、先生が顧問をする放送部の部室掃除をした時、出てきた古いテープでした。
カセットテープというものを初めて見たせののは、貰ったもののどうやって聞いたらいいか迷い、ようやく倉庫にしまってある災害対策用のラジオに、カセットテープの再生機能がついていたことを、思い出しました。
「んん~ふふふ~♪」
せののの口から、自然とごきげんなメロディが飛び出します。念のために音楽プレイヤーのイヤホンもセットして、準備万端なのでした。
パパとママには内緒なのです。貰ったカセットテープには、『1989 サマーキャンプ ANG』、と書いてありました。ANG、とは一体何なのでしょうか。せののはとてもワクワクしてきました。
『ほらこれ、とってもヒミツのにおいがするでしょう?』
とは先生の言葉。せののもそう思い、ドキドキハラハラの大冒険をくぐり抜けて来たのです。スリル満点の決死行でした。
パパとママは勉強に厳しいので部活をあまり認めてくれません。担任の先生が顧問なのは放送部でしたが、前にせののが入部を相談すると、特に猛反対されてしまいました。
『放送部だと、ダメだダメだ! パパは放送部とか、スカウトとか、芸能界デビューとか、アイドルとか、スキャンダルとか絶対反対だ! けしからん! 坊主とか認めん!』
どうしてお坊さんの話になったのか、せののはさっぱりわかりませんでした。
『放送部!? ダ、ダメよっ! あ、じゃなくてその……そう、あの学校には怪しい部活も多いから、ね? 運動系なら青春をかけるのもいいかもしれないけれど、文化系の小さな部活は危険なの。音楽系とかどうかしら? 吹奏楽部とかど、イヤなの? そ、そうよね』
と、ママもダメでした。ちなみにパパとママの居たあまなんとか部は今はもうなくなっていました。
「せ~の」
これはもう、聞いてみるしかない、と思うのです。
「スタート!」
03『本日七夕、一夜限りの銀河の祭典』
「………………」
「…………」
「……はーい、本番いくよー! カウント入りまーす! 3、2、1、「ダァーーッ!!」おいこらキサマ! 今ふざけた奴そこになおれ! おまえだMC! ……思いっきり拳を突き上げたままシラを切るな! こっちを向け! いい度胸だなおい、何か言い残すことはあるか? ……「ハッスル、ハッスル?」よし殺すまずキサマを殺す予定変更で公開処刑じゃー!!」
「ぶ、部長~おさえておさえて」
「ほらお前ら笑ってないで部長を止めろ、それとあいつのハッスルなモーションを今すぐ止めろ! 生死は問わん!」
「生で放送中です、生死は問うて下さい……」
「音しか拾わないのによくやるよホント」
「も~いや、誰あいつMCにしたの」
「私達の数ヶ月の努力が~」
それは衝撃の展開でした。せののは鉛筆を片手に宿題へ向かっていましたが、いつの間にか笑いをこらえるのに精一杯だったのです。鉛筆を持つ手がカタカタと震えます。楽しみながら勉強するはずでしたが、なぜかごうもんに近くなっていました。
その時ぶちっと音が鳴り、盛大なため息の合唱が聞こえました。テープを録音したまま、放送だけ中断したようでした。せののも一緒にひと息つきました。息もたえだえという感じです。でも、せののはスイッチを切らずに続きを聞きたくなっていました。
このままでは宿題がピンチでしたが、せののの決意は固かったのです。このテープの内容が面白いことと別のことで、せののにはとってもとっても気になることがあったのです。ふざけてしまったMCの人が制裁を受けている間のヤジで、叫ばれていました。
名前と、苗字と別々でしたが、つなげるとぴったり、せのののパパと一緒だったのでした。と、またぶちっという音が鳴りました。いよいよ放送が始まったようです。
「………………」
「…………」
「……えー、皆様、真夏の夜を満喫してますでしょうかー? ただ校庭にテントを張って一晩を過ごすだけ、というサマーキャンプですが、全クラス合同の規模で行われるイベントにもかかわらず非常に地味ということで、これではテンションと効果が下がるということでっ!」
「ぶっちゃけイマイチ目的が意味不「黙れ小僧!」はぐっっ」
「……えー、生徒会に交渉した結果、校内放送を用いまして、即席ラジオ番組っぽいモノを放送することができましたーっ!」
「あぃったた。は、拍手ー」
ぱちぱちと拍手の音がします。波の音のようで、たくさんの生徒達が聞いているのだとわかります。放送室まで聞こえてくるのだから、すごい音です。せののも思わず拍手してしまいました。
「で、先ほどは大変失礼致しました。我がアマチュア無線部より分派新設して企画の横取りを狙った一派から、なんとか死守した今回の放送権をっ! だいなしにしかねない隣のアホの子はわたしがきっちり教育的指導を行いましたので、どうかなにとぞ、ご容赦をお願い致します」
「むしゃくしゃしてやった、反省してい「帰れ小僧!」のへぅっ。 す゛みませんまじごめんなさい……お願い致します」
ぱしーんと勢いのいい音がします。ハリセンを使っているようでした。
「というわけでタイトルコール! せーの!」
「織姫とー!」
「彦星のー!」
「オ~~~ル、ナ~~~イト、、、ギャラクシ~~~~!!」
「ぁちゃらっCHA! ちゃっっちゃLALA! ちゃっCHAL……」
「歌うなっての……えー、この番組は、わたし織姫とアホの彦星が短冊で届いたお便りを全宇宙にご紹介、その相談に答えちゃおうという、本日七夕、一夜限りの銀河の祭典、特別番組です。それで、っていい加減歌うの止めろアホ!」
ここでまたぱしーんと音が響いて、どっと笑い声が上がります。せののも思わず笑いそうでした。
「なにこれ、面白い!」
宿題は英文の翻訳だったので、片手間でも進んでいました。せののはラジカセのボリュームを上げて、もっとよく聞こえるようにしました。宿題だけは済みましたが、そのまま勉強なんてしていられません。せののはいつの間にか夢中になっていたのです。
03『All Night Galaxy THE☆PANDA』
「さて、どんどんお便り紹介していきます」
「時間の許す限り行くぞぉぉおお!!」
【ケーキになりたい】
「こういうの大事ね、子供の頃の夢っていうの」
「あぁ、こういうのがあったんだよねー、っていう幸せもある。うん」
「織姫は一応、アパレル業? になるのアレ? だけど、実は昔は~とかあったりしちゃう感じかな?」
「わたしは、こどもの頃はお姫様とかなりたかったなぁ」
「いやプリンセスってうよりクイーンだよね?」
「何か言った?」
「いや何も?」
「……ほんとにもぅ。そういう彦星はどうだったの?」
「海賊王」
「……いやいやそういうギャグとかはいいから」
「だから海賊王」
「……ぇ~」
「いやわかってるよ、なんて言えばいい的な状態なのは、わかってるよ!!」
「そ、そう……ところで、ケーキになりたいって屋が抜けてるところはスルーのお約束なの?」
「そんなんだって無粋じゃないか」
「そうだけど、スルー不可なほどなの?」
「そ、それにもしかしたらなれるかもしれないし」
「え、どういうふうに?」
「それはほら……ぁー例えばー。うん、ケーキを擬人化したゲーム原作のアニメ化の声優とか?」
「やば、聞いちゃダメなパターンだったわコレ。次」
「ぁはい只今、すぐ次行きまーす」
「なんか、ごめんね」
「うむ、以後気をつけるように」
「いやリスナーに」
「そうっすね~」
【おもちゃになりたいです】
「これ、なんか前と被ってんじゃね? ちょっと編集、スタっふぅ~」
「無理矢理ボケなくていいから。それにこれ大丈夫らしいから、問題ないって」
「その言い回しは問題がある時の用法だと思いまーす」
「何言ってるか分からないから。あのね、これはおもちゃと見せかけておもち屋なんだって」
「おもち屋? ほんとに?」
「ほら、おもちを食べて感動を得た内に書いたとか」
「真夏に餅、出る?」
「ぇ、何そのいきなりの正論、ちょっと引くかも」
「マジで!? ちゃんと答え用意して言ってるのに酷くね!?」
「何答えって」
「よくぞ聞いてくれました! きっとこれ書いた子は餅をイメージさせるお菓子とかを食べたに違いない! ばばーん」
「ぁ、あぁなるほどねぇそういうことなのねぇ……何このハイテンションキモ」
「結局酷いし!?」
「いいから次」
【家族がみんな幸せに暮らせますように。あとDSが欲しいです】
「最後に本音出ちゃったのね~」
「なんてバランス感覚、フリとオチの黄金比、将来いい芸人になれるね」
「いや芸人とか……。それは、なぜかあんまり嬉しくないわ」
「あ~なんかそれ挑戦を叩きつけられてる気がする」
「なんでよ、彦星は一応、ただの酪農家でしょう?」
「いやこのANGを機会に、銀河芸能界を席巻する計画を阻止されているようで」
「悪いこと言わないから、今すぐ諦めなさい」
「そうかなぁ、そんなに酷いかなぁ」
「メガネなのにアホなんだから」
「なんか地味に傷つく」
【先生に彼女ができますように】
「先生……」
「強く生きて下さい……」
「彦星ストップ、それ彼女できるの無理みたいになってるから」
「分かってないなぁ、生徒にこんなこと書かれるレベルは、もうそれだけでアウトだよ」
「……あれ、でもなんか彦星が言うと説得力あるわ、不本意だったはずだけど完璧に納得したわ、さすが彦星」
「あれ、まるで経験者は語るみたいなことになってない? 言うけどそんなアウトなレベルじゃないからね?」
「いいから何も言わなくても、みんな分かってるから」
「いや逆に言わせてほしいなぁ! 言う気満々だなぁ!」
「それならまぁ、と思ったけど急ぎらしいから次」
「なんでさ! このタイミングで巻けとか、スタッフ卑怯じゃない!? ねぇってば」
【おもちゃがてにはいります】
「まさかの予言!?」
「……ように、が抜けてるだけとかかな?」
「んな強引な、でもなんか怖いからそういうことにしとこう」
「そうね」
【パンダ】
「……パンダ?」
「そうね」
「パンダー!」
「完全に出オチだけど、これ以上どうしようって」
「Oh,パンダ? Yes,パンダ! Great,パーンダー!!」
「しかも面白いからパンダで粘れってどういうこと! さっき巻けって言ってたのに」
「パンダぁぁぁぁぁあああ!」
「ちょっと、彦星もふざけてないで何か言いなさいよ!」
「そうパンダ、さっき言ったことと違うパンダ、早く次のお便りを渡すパンダ」
「だからふざけてんじゃない!」
「え、……はっ! お、おちつこう。怒るのは美容にもよくないって言うし?」
「誰がそばかすドブスよぉぉぉおおお!」
「誰も言ってねぇぇぇえええ! 今すぐハリセンをしまえええ!」
「………………」
「…………」
「……えー、アマチュア無線部部長です、只今取り込み中につき、今しばらくお待ち下さいませ」
05『生いちごキャラメルプリン』
「面白いな~。パンダー! って~何それ~」
番組もエンディング間近にせまった頃、せののは部屋の電気を消し、ベッドに横になって、全力で楽しんでいました。教科書もノートもすっかり片付けて机の上は何もありませんでした。とてもごきげんで、足がパタパタしています。
でも、幸せな時は早く過ぎるものなのです。せののがもうイヤホンをやめて聴こうかな、と思い始めたその時でした。
「ん~~♪」
コンコンっ!
「はぅ!?」
とつぜん、ドアがノックされました。いつの間にか、部屋のドアの前に誰か立っているようです。パパ、はお酒で酔って寝ているはずなので、たぶんママです。どうして階段を上がる音で気づかなかったのか、せののが後悔しても仕方ありませんでした。
でも、内緒がバレるわけにはいきません。びっっくぅぅぅと驚いたまま固まりそうになる体と心をどうにか抑えて、せののは机の上のラジカセを掴むとコードを外してベッドの下へなめらかにスローです。カーリングのようなテクニックで見事に真ん中でストップさせると、そのままベッドへもぐり込みました。
「せのの? 寝てるの?」
少し待ってから、ドアを開けて声をかけます。やっぱりママでした。部屋の中に廊下の明かりとママの影が伸びてきます。でも、せののは答えません。せののは眠っています。絶対眠っているのです。ベッドの上で息を止めていました。油断大敵ということです。
「でも残念ね、こそっり残しておいたプリンがあったのに」
(そ、そんな手には乗らないのです、せののはダイエット中なのです)
「夜宮堂新作の生いちごキャラメルプリン」
(そ、そそそんな、そんな手があってもいいのでしょうか? 生キャラメルのミルクにいちごソースをからめるなんて、驚愕の一手が、、、はっいやいやいや乗らないのです、乗りません)
とりあえず明日ぐうぜん冷蔵庫を開けて発見する予定にするか、それとも後でトイレに起きた風で1階に行ってぐうぜんのどが渇いて冷蔵庫を開けて発見する予定にするか、でせののが悩んでいるのもつゆ知らず、ママはのんびり部屋を見回していました。
と、せののの肩にふわっとした重さが乗りました。急いでベッドにもぐり込んだので、ふとんがはだけていました。ママがなおしてくれたのです。せののはその瞬間にびっっくぅぅぅと驚いたことを、心の中ではんせいしました。やさしさがなぜか胸に痛いです。
「おやす……」
(……?)
ママはそのまませののの耳元で親っす、ではなくおやすみと言おうとして、途中で止まってしまいました。どういうことなのか分からず、せののは寝ているふりを続けます。イヤホンは耳から外したのでバレていないのですが。バレて、いないはずなのですが。せののはなんだか自信がなくなって来ていました。
どれくらい時が経ったでしょうか? というくらいの時間が経った気がしているのですが、一秒がとても長く感じたということもあるので、下手に動けません。という状態をさらに体感時間10分ほどかけたところで、せののはようやく目を開きました。
「あれ?」
ママはとっくにいなくなっていました。なぜか部屋のドアも、廊下の明かりもそのままで。なにか怖くなったので、せののはそのことを考えるのをやめました。とりあえず、生いちごキャラメルプリン獲得のプランBは封印です。
(…………彦星さんは、ほんとにパパかなぁ)
せののはもう寝ることにして、寝返りをうちました。からだの重みをベッドにあずけて、目を閉じると思い浮かぶのはANGのことでした。いつもぴしっとして怒ると怖いパパとは、ぜんぜん結びつきませんでしたが、もし彦星さんみたいなパパなら、きっと面白くて楽しいと思いました。
(…………でもそれなら、織姫さんは誰だろぅ)
そうなのです。それは最大の謎でした。ハリセンでパシパシしていましたが、仲がとても良さそうにも見えました。初恋の人とかなのでしょうか。それはそれで、せののはなんだかワクワクしてしまうのでした。
(…………先生とかかなぁ)
カセットテープを渡してくれた担任の先生は、体育の担当です。活発的でパワフルな先生なら、織姫さんに近いような気もします。明日聞いてみることを意味もなく強く決意するせののでした。
(…………生いちごキャラメルプリン)
と、内容のない呟きに変わりながら、夢の中へと落ちていったのでした。
006『にぃっこぉ~、という感じでした』
「で、どうだった?」
「はいっ、すっごく面白かったです!」
「そう! それはいいことしたわぁ、わたし!」
「そうなんですよ!」
次の日の給食の時間、せののは先生に昨日のお礼を言いました。座席の位置から先生が教卓で食べる時は話しかけられる距離になるのです。
「それで先生、彦星さんなんですけど」
「ごちそうさまでしたー! ん? 彼がどったの?」
「ごちそうさまでした、それでですね……」
先生が無駄に大きな声で食事終了を宣言して立ち上がります。せののはもう食べ終わって時間が経っていましたが、つられて食事終了を宣言してしまいました。立ち上がって、一緒に教室の外へついていきます。
他の人に話を聞かせないようにした、ようにも見えますが、これた単に先生が話を独占して聞きたいだけに過ぎないことをせののは知っています。いつものことなのです。
「さぁ、どんな話かな? 早く早く」
と目を輝かせて話を待っていた先生でしたが、聞いた後はなぜかびっくりするぐらいテンションが落ちていました。ムンクの叫びのようになっています。
せののは、先生が織姫さんだと思われたことがショックなのかと思いました。
「……せののちゃんの苗字は、まさか。住所は!? あぁそもそもはっきりどこだったか、覚えてなぁ~い」
でも、違ったようです。声がブツブツと小さいのでよく聞き取れないのですが、彦星さんがせのののパパじゃないかというところに、引っかかっているようでした。
「せののちゃんのパパって」
「はい、同じ苗字と名前でした」
「せののちゃんが放送部入れないのって」
「はい、パパとママが反対するので」
「せののちゃんのパパが彦星だとすると、ママは……」
「あらわたしのこと?」
「そう、あらわたしの………………え"?」
どうしたことでしょう、最後に返答したのはせののではありません。ギギギギっと音がしそうな動きで、先生が振り向きました。そこには、ニコニコとした表情の、おっとりした感じの女の人。
「はじめまして、せののの母です。いつも娘がお世話になっております」
「は、はじめ……え? いや、せんぱ」
「話は伺っておりますわ、授業だけでなく部活の顧問にも熱心だとか。ごめんなさいね、家庭の事情で部活には入れませんで。娘をずっと勧誘していただいて、放・送・部に!」
「ひぅっ!?」
でも何かがいつもと違います。ニコニコとしているのに、漫画のオーラのように強烈なプレッシャーを先生にかけているみたいなのです。にぃっこぉ~、という感じでした。
自分が被害に遭ったわけでもないのに、痴漢やひったくりやコンビニ強盗をアグレッシヴに拘束した伝説を持つ先生が、完全に怯える小動物になっていたのです。……あ、逃げました。
「どうして逃げるのかしら? 裏切り者さん?」
「放送部設立は未遂だったじゃないですか! ちゃんとANG放送にも協力しましたし! しかもあの時散々鉄拳制裁したじゃないですか先輩!」
「あら何のことかしら? わたしは先生とは初めて会ったのですよね? さっき何も言いませんでしたものね? ふふふふふ、わたし嘘つきは大っきらいですよ?」
「だって絶対言わせない感じだったじゃん! しかもさっき裏切り者って言ったじゃん! 絶対知ってるの知ってたじゃん!」
「あらそうなの気付かなかったわごめんなさい。なら知ってて娘に入部せまっていたのね。外道なのね。ちょっと頭を冷やしましょうか? ふふふふふ」
「うわぁ~ん、ほんとにさっきまで知らなかったんだもん!」
先生とママが大声で言い合いながら、どんどん遠ざかっていきます。先生は動揺から足元があぶなげながらも走っているのに、ママは早歩きのままぴったり後ろについています。これはどういうことなのでしょう。せののは茫然と見送ることしか出来ませんでした。
ママがどうしてここに居るのか、せののはそれは分かっています。今日は授業参観の日だからです。あるのは、その後の三者面談の都合で六限目だったはずですが。
「……ママがどうしても早く行くんだとなぜか張り切っててな」
「!? あっ」
パパでした。とつぜんの声に後ろを振り返ると、いつも通りのぴしっとした男の人が立っていました。授業参観で服が割り増しでフォーマルになっているので、さらにぴしっとしていました。
ママも服はフォーマルになっていたのに、どうしてジャージの先生についていけるのか謎でしたが、それは考えても仕方ありませんでした。と、せののはいつもぴしっとした顔のパパが、若干やんわりした顔になっていることに気がつきました。
「せのの」
「は、はいパパ」
「ママが言っていたんだが、えっと。…………あれを聴いたのか?」
「えっ? き、聴いた」
「そうか……。なら、パパが怒る役目ももう終わりだな」
「?」
せののはなんだかよく分からないままでしたが、パパはひとしきりうんうんと首を振って一人でかんがいに浸っていました。と、次の瞬間いきなりせののの肩をがしっと掴んで、真剣な顔で話し出したのです。
「せのの、いいかよく聞くんだ。ちょっととつぜんな展開になったけど、今からせののが間違った時に怒る役目はパパからママになった。せののももう中学生だから、自分で上手く危険を回避するすべを身につけられるはずだ。頑張りなさい」
「は、はいパパ。でも……危険って何?」
「それは……」
パパは黙って考えていましたが、何かを見つけて一度うなずくと、また話し出しました。
「それは、見ていれば分かる」
「は、はい?」
「うぅ~、限界」
と、会話にとつぜんせののの後ろから別の声です。見ると先生がOTLという感じでぜーはーしていました。体力自慢の先生が全力で疲れています。どれだけ走って来たのでしょうか。先生はしばらくぜーはーしていましたが、パパを見ると片膝だけ立ててせのの達に向き直りました。
「御苦労さま」
「あ、先輩、お久しぶりです。というかあの鬼をなんとかしてください」
「あれはもう、ほら。モンスターペアレントとの攻防を経験したと思えばきっとレベルも上がる。頑張れ」
「いや何それ超面白いんですけどテラワロス、じゃなくって。身に危険がせまっているので笑いたくても笑えないですってば。マジ助けてください先輩」
「まぁ、助けたくても助けきれないですってば、という真理は置いとくとして、とりあえず今その体勢は危ないぞ」
「………………はっ、しまっ」
「先生は昔から気づくのが遅いのよ知ってた?」
その言葉通り、先生がパパの助言に気づいた時には、すでにママが距離を詰めていました。ママは早歩きのまま音もなく歩み寄ると先生の立てた膝に足をかけ、その勢いを持って反対側の足の内腿で、思いっきり先生の頬に打撃を入れました。
「うだっ!?」
「シャイニングウィザードは十八番なのに、何回受けても学習しないな」
プロレスの技のようです。見事に受けてしまった先生は横に転倒して廊下に仰向けで大の字となってしまいました。と、その先生にママがまた静かに歩み寄ります。
(返しました)
「わぶっ!?」
(上に乗りました)
「ぐのっ!?」
(そのまま複雑な動きで腕を頭に回しました)
「あぁ~~だだだだ!!」
パパによると、あれは顔を絞めている?ということです。と、しばらくしてそれを緩めました。と見せかけてごろんと横回転して仰向けになり、また絞め上げています。パパが『バカな、FTSだと』とか叫んでるうちに先生がぐったりしていました。せののには詳しいことはさっぱりでしたが、どうやら終わったみたいです。
「せのの、宿題はちゃんとやったか?」
「はい? やってます」
「まぁアレを聴いてたらしいから、勉強のほうはさっぱりやってないみたいなことだと思うが」
「はぅ、、、ごめんなさい」
「反省してるのに怒るようなことはしないが、一応改めて言っておくぞ。またそんなことになったら、今度はママが怒る。今まではパパが怒ってたから大丈夫だったが、ママが怒ると怖いのは、、、もう分かったな?」
「…………」
言葉は返していませんが、せののは全力でうんうんと首を振っています。あれは怖いです。とっても痛そうです。先生が本気で泣いています。
「さらに言っておくが、言う必要もないかもしれないが、あれはまだ本気じゃない。ママが昔ここに居た頃は、さらにあれから手洗い場に足をかけて、シューティングスタープレスという大技を「あ・な・た?」……頑張れせのの」
「は、はい!」
07『それもひみつです』
パパの話は結局最後まで聞けませんでしたが、せののはパパとママのことをいろいろ知ることが出来て大満足でした。この日は授業参観も先生のジャージが多少よれよれになっていたこと以外問題もなく終わり、先生の土下座で始まった三者面談の後は、久しぶりに外で食事をして、とても楽しい一日でした。また、朝ぐうぜん冷蔵庫を開けたら消えていてがっかりした生いちごキャラメルプリンも、食事の後にねだってしっかりゲットしました。
「それでママは織姫さんなの?」
「え、それは、ひ、ひみつよ」
「おまえ、往生際が悪「何か言った?」……いやなんでもない」
パパはあれから、よく笑うようになりました。彦星さんのイメージにぴったりです。あと話もとっても面白いです。ママはまだ織姫さんのイメージを頑張って封印している、つもりになっています。でもせののはママに似て優しいので、ひみつのままにしています。
「んん~ふふふ~♪」
「あら楽しそうね」
「うんっ!」
ANGは今でもたまに聞いています。放送部に入るのを許してもらえたので、先生からたまに発掘品を貰って、一大コレクションになっているのです。でもパパとママには内緒です。内緒のひみつは楽しいのです。先生が本気で泣いて頼んだのは関係ありません。
最近は、放送部でわたしもANGをやるのがひみつの夢になっています。その時一緒にMCをする人は誰かって? ……それもひみつです!
おしまい。